茸狩り
連休が取れたので、兎を拾った山に行こうということになった。兎の里帰りというわけだ。勿論、今回の目的はこれだけではない。今年は気候が良かったので茸が豊作だから茸狩りに来てはどうかと、以前の出張の時に斎藤が知り合った警官から手紙が来たのだ。
というわけで、初めての二人旅(兎同伴・部屋別)である。
「藤田警部補ー!」
馬車から降りると、若い男が二人に手を振りながらやって来た。斎藤が出張の時に知り合った梁井という警官だ。今日は非番なので、私服である。
「お久し振りです。あ、こちらが噂の部下さんですね。いやあ、噂どおりお可愛らしいですねぇ。
初めまして。僕、梁井といいます」
斎藤への挨拶もそこそこに、梁井はに興味を持ったらしく、そちらの方ばかり見ている。彼はまだ斎藤と彼女の仲を知らないから、斎藤の前でも遠慮が無い。
一方も、可愛らしいと言われて嬉しいらしく、頬を染めてにこにこ笑っている。斎藤がなかなか“可愛い”と言わないから、たまに誰かから言われると嬉しいのだろう。
よその男に可愛いと言われたくらいでへらへらするんじゃない、と斎藤は思ったが、それは少し大人気ないと思い直す。が可愛いのは事実なのだ。よその男にそのことを指摘されるたびに目くじらを立てていては、身がもたない。
「あれ? この兎、去年拾った奴ですか? 随分と大きくなったなあ」
の腕に抱かれている兎に気付いて、梁井は軽く背中を撫でてやる。
「はい。油断するとすぐ太っちゃうから、毎日お散歩をさせているんです」
「ふーん。これだけ大きくなったら、3人で分けても大丈夫そうですね。今日採る舞茸にも合いますよ」
「へ?」
何を言われたのか理解できないのか、はきょとんとした顔で梁井を見上げた。可愛がっている兎を食肉扱いされたのだから当然だ。
一方兎は、ビクッと耳を立てたかと思うと、の腕の中から慌てて飛び降りて全力で逃げ出した。
「あっ、兎さん、待って〜!!」
あても無く逃げる兎を、も慌てて追いかける。手綱を付けておかなかったから、足の遅い彼女が追いかけるのは大変だ。
「あの兎、人の言葉が判るのかなあ」
必死に追いかけるの姿を見ながら、梁井が感心したように独りごちる。自分の発言が悪いとは全く思っていないようだ。
「あの兎、知恵が多いようだからな。それから、兎を食うとか言うなよ。うちで飼ってはいるが、あいつの兎なんだ」
到着の一服をつけつつ、斎藤は窘める。折角の初めての旅行が、この男の不用意な一言で台無しにされたら大変だ。
「なぁんだ。僕が鍋を持ってくるから、藤田さんが肉を持ってきてくれたのかと思ってましたよ」
「こっちで用意するにしても、生きた肉を持ってくるわけないだろう、このど阿呆」
反省するどころか、期待外れだと言いたげな梁井に、斎藤は低い声で不機嫌に応じる。が、梁井は全く動じていないようなあっけらかんとした声で、
「ところであの部下さん、決まった男なんかいるんですか? いないんだったら、僕が立候補しちゃおうかなあ」
やっぱり梁井はに狙いをつけていたらしい。こういう田舎の警察署には女子職員などいないに等しいから、数少ない出会いを大切にするというか、とりあえず良さそうな女には粉をかけるつもりなのだろう。
しかし残念ながら、は斎藤の恋人である。年齢差のせいでそうは見えないから梁井も油断しているのだろうが、事実を知ったらどんな顔をするだろうと想像すると、斎藤は意地悪く頬が緩んでしまいそうになる。
笑いたいのを押し隠して、斎藤はできる限り素っ気無い様子で宣言する。
「まあ、俺だけどな」
「は? 何がですか?」
あまりにも素っ気無さ過ぎたのか、梁井は意味が解っていないようにきょとんとした顔をした。こういう反応をされると、益々真実を知らせるのが楽しくなる。
斎藤はこみ上げる笑いを誤魔化すように煙草を咥えて、もう一度ゆっくりと言った。
「あいつの相手さ。あいつの決まった相手は、俺だ」
「………えぇっ〜〜〜?!」
声を上げるまでの微妙な間が、梁井の驚きの度合いを表している。それでもまだ信じられないように、やっと兎を捕まえたと隣の斎藤を何度も見比べた。
斎藤のような悪人面のおっさんに、のような可愛らしい若い娘がくっ付いているのは、梁井でなくても信じられないことかもしれない。現に東京の恵たちも、二人の仲を未だに疑っている。それだけ自分に勿体無いくらいの女を手に入れたのだと思えば良いのだが、此処まであからさまに疑惑の目で見られると面白くない。
不機嫌そうに煙を吐いて、斎藤はを呼びつける。そして、
「お前は俺の何か、こいつに教えてやれ」
「え………? えっとぉ……あたしは藤田さんの部下でぇ、それからぁ………」
流石のも言っているうちに恥ずかしくなってきたのか、照れたようにえへへと笑いながら抱いている兎の毛を弄っている。そんな彼女を兎は呆れたようにちらっと見上げて、溜息をついた。兎のくせに、妙に人間臭い反応である。
頬を染めてもじもじしているを見て、梁井も漸く斎藤の言葉が本当だと判ったらしい。目を見開くどころか口まで開けた間抜け面で、彼は得意げに口の端を吊り上げる斎藤を見上げるのだった。
自分が生まれた山だと判っているのか、兎は嬉しそうにぴょんぴょん跳ね回っている。手綱を持っているを引きずり回すほどの勢いで、斎藤と梁井の先をどんどん走っていく。
小さな山であるし、今年は熊との遭遇も聞かないので、斎藤はを追いかけるでもなくのんびりと歩いている。流石に姿が見えなくなるほどに離れそうになれば走って追いかけるつもりではあるが、無駄な労力は極力使いたくないのだ。
「それにしても、どうしてあんな可愛い子が………」
の口から斎藤とは恋人同士だと聞いたのに、まだ梁井は納得できないのか斎藤の横でブツブツ言っている。どうやら本気で彼はのことを狙っていたらしい。
しつこい奴だと思いつつも、ぶつぶつ言う梁井の様子は、斎藤には面白くてたまらない。彼は諦めが悪ければ悪いほど、それはがいかに可愛いかを示しているということなのだ。
ぱたぱたと先を走っていたが、急に足を止めた。木の根元に何かを見つけたらしい。
「藤田さぁん、梁井さぁん! 可愛い茸がありますよぉ」
木の根元にしゃがみこんだが、ぱたぱたと手を振りながら二人を呼ぶ。
早速見つけたかと二人が駆け寄ると、そこにあったのは―――――
「………どう見ても毒茸だな、これは?」
「普通、こんなのを食べようとは思わないでしょう」
が見つけたのは、朱色に白い水玉模様の傘を付けた茸。いかにもな警戒色が、猛毒を持っていることを力一杯主張している。
見ようによっては可愛く見えるのかもしれないが、少なくとも斎藤と梁井には毒々しい茸にしか見えない。兎にもそれは同じらしく、にこにこして茸を観察しているを、眉間に皺を寄せて見上げている。
「そうだ。持って帰って恵ちゃんたちにも見せてあげよう」
嬉しそうに弾んだ声を出して、は茸に手を伸ばす。こんな珍しい茸は、多分東京では見られないはずだ。
が、茸を掴もうとしたの手を、斎藤が後ろから掴み上げた。
「こんな如何にもな毒茸を触るんじゃない。手に毒が付いたらどうするんだ」
「えー? 可愛いのにぃ」
「今日は舞茸を採りに来たんですから、そんなのはいいじゃないですか。それに持って帰ったところで、東京に着く頃には萎れてますよ」
不満そうに膨れるに、梁井が説得するように優しく言う。
言われてみればその通りだと納得したのか、は機嫌を直したようにぴょんと弾みをつけて立ち上がった。そして元気一杯に、
「じゃあ、あたし、兎さんと一緒に舞茸探しますね! 兎さん、あっち行ってみよう!」
今度はが兎を引っ張るようにして、跳ねるように走り出した。
兎を連想させる彼女の後ろ姿を、梁井は可愛くてたまらないといった感じで目を細めて見送る。小動物のような動きが彼のツボに入ったらしい。
「無邪気なもんですねぇ。可愛いなあ」
「時々、子守をしているような気分にもなるがな。
おーい、転ぶなよー!」
兎のようにぴょんぴょん走るに、斎藤は父親のように声を掛ける。歳が離れていると、恋人役だけでなく父親役もこなさなくてはいけないから大変だ。しかし、こういう役柄も悪くはないと思う。
「じゃ、俺たちも探すとするか」
を見失わないように気を付けながらも、斎藤たちも茸を探し始めた。
この山に詳しい兎が付いていたお陰か、今日の収穫の殆どをが採ってきた。初めての茸狩りが余程楽しかったのか、それとも自分の収穫に大満足なのか、茸を抱えてほくほくしている。
兎はというと、茸よりも途中で買ってきた野菜が気になるらしく、地面に置かれた白菜の匂いをふんふんと嗅いでいる。今日の料理人である梁井の目を盗んで齧ろうとする様子も見せているが、彼と目が合うと慌てての後ろに隠れたりして、まだ自分も鍋に入れられるのではないかと恐れているようだ。
「これだけあれば鍋だけじゃなくて、炊き込みご飯もできましたね。宿の主人に頼んで夕飯に出してもらいましょうか?」
「炊き込みご飯も美味しそう! ねぇ、藤田さん?」
料理をしながら提案する梁井に、がはしゃいだ声を上げた。舞茸の炊き込みご飯は東京でも食べられるが、自分で採った新鮮な茸なら、美味しさもひとしおだろう。
斎藤も梁井の提案に異存は無い。二人が泊まる宿は家族でやっている小さな宿だから、多少の融通は利くのだ。折角が採った舞茸なのだから、存分に堪能したい。
と、鍋に味噌を入れていた手を止めて、梁井がふと思いついたように言った。
「そういえば二部屋予約していたみたいでしたけど、別々に寝るんですか?」
「あ………」
梁井の指摘に、よりも斎藤の方が動揺してしまった。
斎藤とは恋人同士なのだから、一つの部屋で布団を並べて寝るなり一緒の布団に寝るなりするのが普通だろう。お互いいい大人なのだし、別の部屋を取るというのが逆に不自然だ。といると世間の“普通”の感覚とずれていってしまっているから気付かなかったが、改めて他人に突っ込まれると困ってしまう。
以前もが斎藤の家に泊まったことがあったが、その時も別の部屋で寝た。眠っているを見て、その気になったら大変だと斎藤の方が恐れていたからだ。
他の女なら兎も角、あんな子供子供したしたにその気になって、本当に一線を越えたら大変だ。確かに彼女は二十歳を越えた大人の女であるし、普通ならそんな関係になっても誰彼憚ることは無いのだが、斎藤がに手を出すと“手籠めにする”という表現がぴったりになりそうで、何となく彼の方が腰が引けてしまうのだ。別の部屋を取ろうと提案したのも、実は斎藤の方である。
自分が手を出すのを恐れて女を別室に隔離するなど、が初めてのことだ。そこまで手を出すまいと必死になっているのは、傍から見ればきっと滑稽なことだろうが、彼にとっては真剣な問題である。これまではそんなことは思いつきもしなかったが、だけは“その時期”が来るまでは大事に大事に守っていたいと思うのだ。
が、はそんな斎藤の思いなど全く気付いていないようで、無邪気に答える。
「二部屋取るなんて勿体無いって思うんですけど、藤田さんがどうしても二部屋取るって言ったんですよ。二部屋取ったって、どうせ殆ど同じ部屋にいるんですから、勿体無いですよねぇ」
「俺が部屋代は出してるんだから、どうでも良いだろう!」
他人の気も知らないで、と斎藤の声はつい荒々しくなってしまう。
の方は斎藤と本格的な男女の仲になっても構わないと思っていることは、彼も気付いている。けれど、そういう関係になって傷付くのは、いつだって女なのだ。勿論とのことは真剣に考えているし、何があっても彼女を泣かせるようなことはしないと決めているけれど、それでもものには順序があるのだ。が身も心も大人になるまで、斎藤は我慢すべきだと思っている。
いきなり怒鳴りつけられて、も梁井もびっくりしたように目を見開いた。が、これ以上何か言うと更に斎藤の機嫌を損ねると思ったのか、黙って調理を続けるのだった。
「美味し――――っっ!!」
出来上がった舞茸鍋を一口食べて、は嬉しそうに雄叫びのような声を上げた。
採れたての新鮮な茸は、東京で食べるものとは何もかもが違う。茸独特の良い香りも、しゃきしゃきとした歯ごたえも、東京では味わえない。そして何より、自分が採った茸というのが、最高の調味料なのだろう。
「東京じゃ、こんな舞茸は食べられないでしょう?」
大喜びするの姿が梁井も嬉しいらしく、彼は少し得意げに言う。続けて、
「春になったら山菜も採れますから、また来て下さいよ。今度は山菜御飯を作りますよ」
「わあ。あたし、山菜御飯も大好きです! 藤田さん、春になったらまた来ましょうね」
「そうだな」
はしゃいだ声を上げるに、斎藤も汁を啜って頷いた。
山菜御飯は斎藤にも魅力的だが、それよりも魅力的なのは再びと二人で旅行に行けることだ。その頃には二人の関係がどうなっているのか予想もつかないが、きっと今よりも楽しい旅行になることだろう。
次の旅行はどんなものになるだろうと楽しく想像する斎藤に、梁井がつつっと忍び寄って、彼にそっと耳打ちをした。
「次の旅行は、一緒の部屋に泊まれると良いですね」
「―――――――――っっ?!」
からかうような梁井の言葉に、斎藤は危うくむせそうになってしまった。何を言っているのかと怒鳴りつけようとしたが、心の底からそう思っているように笑う梁井の顔を見ていると、そんな気も萎んでしまう。
動揺で目を充血させる斎藤の顔が可笑しかったのか、梁井は堪えるようにくくっと笑いながら小声で言葉を続ける。
「さんのことはもう諦めましたから、安心してください。僕は諦めは良い方なんですよ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
梁井がを諦めたのは喜ばしいことだが、一緒の部屋に寝るように唆されるのは何となく微妙だ。どういうつもりでそんなことを言っているのか知らないが(おそらく斎藤が思っている通りのつもりで言っているのだろうが)、そういうことを外野から言われると萎えるというか、複雑である。
一緒の部屋で寝るようになるということは、つまりその頃にはそういう関係になっているということだろう。お互いの年齢を考えればいつそうなってもおかしくはないのだが、それでも斎藤にはとそういう関係になるのは想像がつかない。否、想像がつかないというより、あまりにも幼い彼女にそういうことをするということに罪悪感というか疚しさを感じるのだろう。
そんなことを考える自分を奇妙に感じるが、子供のように笑いながら茸鍋を食べるの顔を見ていると、やはり彼女をそういう対象として見るのは悪いことのように思えてくる。は可愛いし、彼女以外の女など斎藤には考えられないが、それでも頬に口付ける以上のことはまだできない。
「どうしたんですか?」
自分をじっと見詰める斎藤の視線に気付いて、が不思議そうに首を傾げた。
「ああ……いや、何でもない」
首を傾げるだけのの姿も子供のように可愛らしくて、斎藤は慌てて目を逸らす。こんな可愛いを見ながら、男女の仲になったら………などと考えるなんて、無垢な彼女を穢しているような気がしてきた。
気まずそうに黙り込んで舞茸を食べる斎藤を見て、梁井は必死に笑いを堪え、兎はつまらなそうに大きく欠伸をするのだった。
斎藤と兎部下さん、初めての旅行です。でも部屋別ってところが、斎藤のヘタレ具合を表しています(笑)。斎藤なのに………。
それにしても、梁井君にけしかけられてもウジウジ悩む斎藤って………(汗)。お付き合い以前はこういうキャラじゃなかったはずなんだがなあ。何だか、お付き合い編に入って、斎藤の方がだんだん臆病になっているような気がするのですが。
部下さんのことは可愛いんだけど、可愛すぎて手を出せないなんて、何ていうかもう………。そりゃあ、兎さんからも呆れられますわな。