斎藤と錦絵

「あ、一寸待っててください」
 二人で街を散歩していた途中、が錦絵屋の前で足を止めた。
「どうしたんだ?」
「予約していた錦絵の発売日なんです。一寸買ってきますね」
 持っていた兎の手綱を斎藤に渡すと、は跳ねるような足取りで店に入っていった。
 最近、錦絵が流行っているとは聞いていたが、もこういうものが好きだったとは斎藤は知らなかった。店先に並べられている色鮮やかな最新作を見ていると、美人画だの役者絵だの、女子供が好みそうなものを扱っているようだ。
 斎藤はこういうものをわざわざ買おうとは思わないが、ただ見るだけならそう悪いものではないと思う。よく見ると役者絵や美人画以外にも、可愛らしい仕草をしている犬猫の絵や、幕末の頃の有名人たちの絵も売られていて、種類は幅広いようだ。おそらくが予約したのは、流行の若い役者の絵か動物の絵だろうと、彼は勝手に予想する。
「………中島登」
 錦絵に描かれていた作者名を見て、斎藤は思わず手に取った。
 同名の別人でなければ、この作者は新選組にいた男だ。描かれている絵も新選組副長・土方歳三の姿絵で、多分間違いないと思う。絵を描くのが得意な男だったが、まさか本当に絵師になっているとは思わなかった。人生いろいろである。
 土方の他にも隊士を描いた絵が幾つか置かれていて、一応それなりに売れているのだろう。特に土方の絵は山積みにされている。こういうのを買うのは大抵女だから、美男の絵が売れるのかもしれない。
「死んでも女にもてるのか………」
 生前も玄人素人問わずもてていた男だったが、錦絵になっても女にもてているとは思わなかった。色男は死んでも色男だと、斎藤は妙に感心してしまう。
 明治の世になっても、幕府方の人間でもそれなりに人気があるらしいと判ったのは少し嬉しかった。まあ売れているのは、土方だの“隻腕の伊庭八”こと伊庭八郎などの美男絵が中心のようだが。それは娯楽のものだから、ある程度は仕方の無いことだ。
「お、斎藤じゃねえか」
 中島の絵をしみじみと見ていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
 振り返るとそこにいたのは、左之助。ついでに剣心と薫まで一緒にいる。剣心が買い物籠を下げているところを見ると、どうやら夕飯の買い物の途中らしい。
「こんなところで会うなど珍しいでござるな。美人画でも買いにきたでござるか?」
 中島の錦絵を熱心に見ていたのを見られていたのだろう。剣心が意外そうな顔をして訊いてきた。斎藤が錦絵を眺める趣味があるというのが意外だったのだろう。確かに彼にはそんな趣味は無いから、斎藤もそんな顔をされることには異存は無い。
 が、こういうものを見ているところを剣心たちに見られたというのは、何となく面白くない。斎藤はいつもの憮然とした顔ををして、
「いや。連れの買い物を待っているだけだ」
「連れって、この前の迷子の嬢ちゃんか? 若い女と買い物たぁ、良い身分だなあ」
 の存在を知って斎藤の弱味を握ったとでも思っているのか、左之助はからかうようにニヤニヤと笑う。
 と一緒に出歩くのが特別良い身分だとは思わないが、やはり斎藤のような中年男がのような若くて可愛い娘を連れて歩くのは、世間的には“良い身分”なのだろう。世間からどう見られようと斎藤としてはどうでも良いから、そこは別に反論しない。
 しかし左之助がのことを“嬢ちゃん”などと馴れ馴れしく呼ぶのが気に食わない。第一、は子供っぽく見えるが、左之助よりも4つも年上なのだ。
「あいつはお前よりも年上だ。嬢ちゃんとか言うな」
「その兎………誰の?」
 斎藤の足許に大人しく蹲っている野兎に気付いて、薫があからさまに不審な目をして兎と彼を交互に見る。斎藤のような男に小動物を愛でる趣味があるなど、信じられないのだろう。まあ、彼自身も特別兎を可愛がっているというわけではないから、そう思われるのは異存は無いが。
「俺のだ。世話をしているのは、殆どあいつだがな」
 だんだん、この3人と話をしているのが面倒臭くなってきた。もともと仲良くしたい相手でもないのに会話しなければならないのも苦痛だし、あれこれ訊かれるのも面白くない。斎藤には答える義務は無いのだから、無視すれば良いだけの話だけなのかもしれないが、話を聞くのも面倒臭いのだ。
 予約している絵を買いに店に入っただけ割には、の戻りは遅い。もしかしたら、中に飾ってある絵をじっくりと眺めているのかもしれない。彼女は買い物の時、目的のものを買った後でもだらだらと他の商品も眺めていることがよくあるのだ。買ったらすぐ帰れと斎藤などは思うのだが、本人は次に買うものを物色しているつもりらしい。
 苛立ち紛れに煙草を咥えて火を点けようとしたところで、漸く絵が入った包みを持ったが店から出てきた。
「お待たせしましたぁ。
 あ、こんにちは。お買い物ですか?」
 剣心たちに気付いて、はぴょこんと頭を下げた。その小動物のような仕草に目を細める左之助に気付いて、斎藤は面白くなさそうな顔をしながら改めて煙草に火をつける。
「夕飯の買い物でござるよ。殿は錦絵でござるか?」
 剣心が当たり前のようにを下の名前で呼ぶのが、これまた斎藤には面白くない。抜刀斎のくせに、とむかむかしながら煙草の煙を吐いた。
 左之助といい剣心といい、とさほど面識があるわけでもないのに、どうしてこう馴れ馴れしいのか。人間関係の距離感を図れないのかと、斎藤は泣くまで問い詰めたくなる。
 大体、は斎藤の恋人なのだ。それを彼を差し置いて“嬢ちゃん”呼ばわりしたり、“殿”と下の名前で呼ぶなど、図々しいにもほどがある。
 苛々している斎藤の気付いていないのか、は上機嫌に包みから買ったばかりの錦絵を出して剣心たちに見せる。
「芳年の新作なんです。今日発売だったんですよ」
 喜びを抑えられないように顔を緩ませて、は舞台の一場面を描いたらしい役者絵をひらひらさせる。描かれている役者は今売り出し中の、若い娘に人気のある歌舞伎の女形だ。
「本当は女形姿じゃなくて、ちゃんと男の人の格好をしているのが欲しかったんですけど、芳年だから良いかなって。来月にもこの人を書いた絵が出るって言われたんで、また予約しちゃいました」
さん、大蘇芳年が好きなの?」
「うん。前は月岡津南が好きだったんだけど、もう錦絵は描かなくなったから、今は芳年が一番かな」
 薫の問いに、は嬉しそうに答える。絵師のことを話せる相手ができて嬉しいのだろう。斎藤がそういうものに興味が無いことはも察しているようだったから、遠慮して趣味の話は出来なかったのかもしれない。
 そういえばの趣味を碌に知らなかったことに、斎藤は今更ながら気付いた。好きな食べ物や、兎の小物が大好きなことは、ほぼ一日一緒にいるせいで以前から知っていたが、それ以外の好きなものについて気にしたことも無かった。
 絵師について薫と楽しそうに話しているの顔を見ていると、少しは錦絵についても勉強してみようかと斎藤は思う。二人で趣味の話が出来るようになれば、ももっと彼といて楽しいと思うに違いない。
 そんなことを考えていると、女二人が話しているところに左之助がいきなり割り込んできた。
「月岡津南なら俺のダチだから、一枚書くように頼んでやろうか?」
「えぇっ?! 本当ですか?!」
 左之助の申し出に、は大きな目をキラキラと輝かせる。
 月岡津南は絶頂期に錦絵の世界から引退して、今は絵草紙新聞で筆を取っているという。政府を批判する記事が多いそれは当局から常に睨まれているせいで発行部数も少なく、津南の絵は事実上手に入らない状態だ。それを“友人だから絵を描くように言ってやる”などと言われたら、が食いつかないわけがない。
 興奮のためか頬を紅潮させ、賞賛の眼差しで左之助を見上げるの肩を、斎藤が力強く掴んで自分の方に引き寄せる。
「あの男は当局にも睨まれてるんだ。警察勤めのくせに接触したのが知れたら、後で大問題になるぞ」
「あ………」
 上司の顔で窘められ、ははっとした顔をして斎藤を見上げた。
 月岡津南の絵は欲しいけれど、それで問題になるのはも困る。彼女が問題を起こせば、斎藤まで責任を取らされてしまうのだ。
「ごめんなさい。折角だけど………」
 それでもまだ月岡津南の絵に未練があるのか、はしょんぼりとした様子で左之助に頭を下げた。
 には可哀想だが、これが一番良いのだ。錦絵ごときで面倒に巻き込ませたらそっちが可哀想だし、何より月岡津南を紹介するというのを口実に、左之助がだけを連れ出すということもありえるではないか。彼の中では、特定の相手のいない左之助は、それだけでもう“仮想敵”である。
 左之助が残念そうな顔をしたのも、これまた斎藤を満足させた。これで漸く美味い煙草が吸えるというものだ。
 が、漸く機嫌を直して改めて煙草を吸い始めたところで、薫の一撃が斎藤を襲った。
「あら、この錦絵、“斎藤一”って書いてある」
「…………………っっ?!」
 思いがけぬ一言に、斎藤は不覚にも咳き込んでしまった。
 薫が手にしている錦絵を取り上げると、それは中島登作“斎藤一之姿図”だった。片手に首を下げて鬼神の如く刀を振るう姿で、肝心の似ている似ていないは微妙なところだ。
 随分と勇ましい自分の姿絵に、あの男には自分はこういう風に見えていたのかと、斎藤は昔を懐かしむような遠い目になってしまう。京の町でも会津までの戦場でも、彼は自分でも憶えていないほど人を斬ってきた。新選組として京の町で得意になっていた頃は勿論、敗走していく戦いの日々も含めて、あの頃が自分の絶頂期だったのではないかと思う。
「あれー、この姿絵の人、斎藤さんに一寸似てますね。そういえば名前も同じだし」
「そ……そうだな」
 背伸びして手元の絵を覗き込むに、斎藤は歯切れの悪い返事をする。
 実は斎藤はまだ、に自分の過去を話してはいないのだ。新選組であったことは今でも誇りに思っているし、結果的に敗者になったとはいえ、それを恥じ入る気持ちは微塵も無い。しかし、世の中の綺麗な部分しか知らぬようなに、数え切れぬほどの人間を斬ってきた過去を教えるのは、まだ早いと思っている。
 二人の様子を見て、3人も状況を察知したらしい。剣心と薫は何も気付かない振りをして、退屈そうにしている兎を構い始めた。が、左之助はまた一つ弱みを見つけたと思ったのか、人の悪い笑みを浮かべてと斎藤の間に割り込む。
「同名のよしみでこの絵を嬢ちゃんに買ってやったらどうだ? 同じ“斎藤”だから、親近感も湧くってもんだろ?」
「うっ………」
 悔しいことに、斎藤は言葉に詰まってしまった。新選組時代のことはには秘密にしているから、あまり強く断るとかえって怪しまれるし、何を言うにしてもボロが出そうで言葉を選んでしまう。
 目を泳がせて、息まで止まってしまっているような動揺しまくりの顔をしている斎藤の顔を見て、左之助はますます調子に乗って今度はに話しかける。
「嬢ちゃんも折角だから買ってもらえば良いじゃねぇか。どうせこいつには、碌にものを買ってもらったことも無ぇんだろ?」
「でもぉ………」
 左之助の言葉に、は一寸困った顔をして斎藤をちらっと見上げる。遠慮しているような上目遣いで見上げられて、斎藤は一寸気まずそうに視線を逸らして一つ咳払いをした。
 そういえば、に買ってやったものといえば、いつかの出張土産の兎の縮緬細工しかないことを思い出した。何処に連れて行ってやるわけでもなく、それどころかいつも食事を作ってもらったり兎の世話をしてもらっているのだから、礼も兼ねて何か買ってやるのだ道理だろう。錦絵などそう高いものではないし、どうせ買ってやるなら役者絵なぞよりも自分の姿絵が良いに決まっている。
 これを買うと、左之助に指摘されて買ってやったようで悔しいと思わないでもないが、これも何かの縁だ。斎藤は手にしていた自分の姿絵を素っ気無くの前に差し出す。
「折角だから、買って帰るか?」
「えー、でもぉ………」
 遠慮しているのか、はまだもじもじしている。男に何かを買ってもらうというのに慣れていないのか、かすかに頬を染めたりして、遠慮する姿も初々しい。
 つつましくて可愛らしいその姿に、斎藤は左之助の前であることも忘れて、思わず口許を綻ばせてしまった。
「遠慮しなくても良いんだぞ。錦絵の一枚くらい」
「それなら――――――」
 は嬉しそうな顔をして手を伸ばすと、斎藤の姿絵ではなく別の錦絵を手に取った。
「どうせならこっちを買ってください」
「…………え?」
 にこにこと嬉しそうな顔をして言うの手に握られている錦絵を見て、斎藤は絶句してしまった。
 が手に取ったのは、土方の姿絵だったのだ。
「ち…一寸待て、こっちじゃないのか?」
 予想外のことに、斎藤は自分の姿絵を持ったまま、みっともなくうろたえてしまった。この姿絵を見て「斎藤に少し似てる」と言っていたから、てっきりこっちを欲しがると思っていたのに、まさか土方の姿絵が良いとは。
 が、は無邪気な笑顔で、
「どうせ買うなら、役者絵みたいなのが良いですもん。前から買おうと思ってたんですよね、この中島登の土方歳三」
「こっちの絵も良いと思うぞ? ほら、いかにも強そうじゃないか」
 自分の過去はまだ知られたくはないが、かといって自分の姿絵を拒否されるのは面白くない。しかも役者絵と較べてそちらが良いといわれれば諦めもつこうものだが、が欲しがっているのは役者でも何でもないどころか、彼のかつての上司の絵なのだ。
 昔から女にはもてる上司だったし、生前も斎藤が良いと思った女が実は土方に惚れていたりということもあったが、まさか死んでまで同じ目に遭わされるとは。今はもう死んでしまった相手だから腹は立たないし、も物語の登場人物の絵のような感覚で欲しがっているのだろうが、それにしたって面白くはない。
「私、こういう絵、あんまり好きじゃないんですよ。こっちじゃ駄目ですか?」
「う〜ん………」
 上目遣いで見上げられておねだりされると、斎藤も一寸困ってしまう。こういう可愛い顔でお願いされたら、駄目とは言いにくいではないか。
 目の縁を染めてあらぬ方向を見ながら困っている斎藤の姿がツボにはまったらしく、左之助は声を上げて笑う。そして労わる振りをして、ポンポンと肩を叩きながら、
「アンタに似た絵より、男前の絵が良いんだってさ、斎藤サン。ま、落ち込むなよ、な?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 嬉しさを隠せないようにニヤニヤ笑う左之助の顔が憎たらしくて、衝動的に殴り倒したくなったが、の前であることを思い出してどうにか思い留まる。彼女の前では一応、“仕事には厳しいけれど、普段はそれとなく優しい男”を演じているのだ。殴るなどとんでもない。
 とはいえ、左之助への腹立ちが自然に解消されるわけがない。斎藤は無言のまま、ニヤニヤ笑う左之助を睨みつけた。しかし鋭い目で睨みつけられても、の前では何も出来ないと察しているのか、左之助は動じる様子も無い。それどころか、挑発するように笑い続けるだけだ。
 そんな二人の無言の遣り取りなど目に入っていないは、土方の絵姿から目を離して左之助を見上げて言う。
「だって、斎藤さんとはいつも一緒だから、そっくりさんの絵なんかいらないんですよ。斎藤さんがいるのに、そっくりさんの絵を持ってたって、意味無いでしょ? それに―――――」
 一旦言葉を切って、今度は斎藤の方を見上げる。そしてはにかむように微笑んで、
「錦絵よりも、斎藤さんの方がずっと良いですよ」
「?!」
 あまりにも真っ直ぐなの言葉に、斎藤は一瞬、耳まで真っ赤になってしまった。落ち着こうと何度か大きく息を吐いてどうにか顔の赤味は取ったが、それでもまだ目の縁は紅い。
 役者や土方は、にとっては所詮錦絵の中だけの存在で、一番は自分だと斎藤も解ってはいたけれど、こうやって言葉にされると恥ずかしいけれど誇らしい。しかも左之助たちの目の前で当たり前のように言うのだから、尚更だ。
 目の前で言われた左之助は勿論、それまで兎と遊んでいた剣心と薫も、唖然として二人を見上げている。人前でそんなことを言うのが信じられないのか、それとものような若い娘が斎藤に夢中になっているのが信じられないのか。おそらく両方なのだろうが。
 この三人の顔を見た途端、斎藤はいつもの自信たっぷりの表情を取り戻して、鼻先で軽く笑う。そしてに優しい目を向けて、
「じゃあ、この土方歳三の絵を買って帰るか。此処で待ってるから、会計をしてこい」
「はい!」
 斎藤から財布を受け取ると、は嬉しそうに店に入って行った。
 その後ろ姿を見送った後、斎藤は見下すような目で左之助を見遣ってニヤリと笑うと、短くなった煙草を捨てて新しいものを咥えた。
「錦絵よりも俺が良いんだとさ」
 煙草に火を点けて斎藤が優越感に満ちた笑みを浮かべると、今度は左之助が面白くなさそうな顔をするのだった。
<あとがき>
 たまのデートに神谷道場ご一行様乱入(主に左之助)です。弥彦はきっと、“赤べこ”でアルバイト中なのでしょう。
 主人公さん、錦絵を見ても斎藤と“斎藤一”が同一人物だと気付かないなんて、相当鈍いのか? っていうか、いつ斎藤の過去のことを兎部下さんに暴露しよう? 蒼紫の“他人行儀シリーズ”もそうですけどね。もういっそのこと、墓場まで持っていってもらおうか。
 ところでこのストーリーの流れだと、左之助、兎部下さんを狙ってるっぽいですけど(笑)。いや、多分“斎藤の弱点”ってことで突付いているだけで、狙っちゃいないとは思うんですが………(汗)。
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