休日の過ごし方

 互いの家を行き来するようになってからというもの、二人で出かけることが殆ど無くなってしまった。
 元々斎藤はあまり外に出たがらない性質だし、貴重な休日はのんびり過ごしたいのだろうが、長期休暇以外はどこにも行かないというのは如何なものか。今日も久々に二人揃っての休みだというのに、斎藤は一人で本を見ながら将棋を指している。
 家の中で遊ぶのは、それはそれで楽しいとも思う。が、一人で遊ぶというのは如何なものか。も出来る碁や花札なら兎も角、彼女ができない将棋を今やる必要は無いではないか。
「ねぇ、一さん。他の事しましょうよぉ」
 斎藤の方ににじり寄り、は甘えた声を出す。
 いつも仕事で一緒だけれど、たまの休みには二人で遊びたい。いつもみたいに食事をして帰るだけではつまらないではないか。
 他所と較べるわけではないけれど、の友人たちは、休みの日には恋人や夫婦で出かけたり、出かけなくても二人でいちゃいちゃしたり楽しそうである。なのにはというと、斎藤には放ったらかしにされて家事をするだけなんて、何だか倦怠期の熟年夫婦みたいだ。倦怠期の熟年夫婦にだって、昔はいちゃいちゃしていた時期があったろうに、それをすっ飛ばしているのだから、たちのほうが酷いだろう。
 気を遣わない空気のような存在、といえば聞こえは良いが、この扱いは本当に“空気”だ。まだ接吻しかしたことが無いというのに、由々しきことである。
 改めてただ事ではない危機感を覚えただが、斎藤は涼しい顔をしている。
「もう少し待ってろ。兎と遊べば良いだろう」
 今の斎藤には、将棋の駒をどう動かすかが重要らしい。を見ようともしない。
 はぷうっと膨れると、負ぶさるように斎藤に圧し掛かった。
「ぐあっ?!」
「兎さんはお昼寝中ですよ。ねぇ、将棋じゃなくて碁か花札をやりましょう」
「だからもう少し待ってろと言ってる。こいつを終わらせたら、花札でも何でもするから」
 斎藤は面倒臭そうに応える。本気でより将棋の方が大事なようだ。
 はますます膨れると、全力で斎藤に圧し掛かった。
「もおっ! たまの休みなのにぃっっ!!」
「いたたたた!! 重い! やめんかっっ」
 いくらが小さくても、全力で圧し掛かられては斎藤もたまらない。押し潰されそうな情けない悲鳴を上げると、の手を振り解いた。
「たまの休みくらい好きにさせろ!」
「…………………」
 斎藤に怒鳴られて、は唖然とする。
 たまの休みだから二人で楽しく過ごしたいのに、斎藤は一人で遊びたいだなんて。まるでが邪魔者のようではないか。
 斎藤にとって、自分は一体何なのか。無料の家政婦としか思っていないのだろうかと思ったら、悲しくなってきた。
 仕事の時も夕飯も一緒で、それだけ一緒にいれば十分だと斎藤は思っているのかもしれないが、は違う。一緒にいるだけじゃなくて、どう過ごすかが大事なのだ。一緒にいても、一緒に楽しめなければ意味が無い。
 はそう思っているけれど、斎藤にはそれが鬱陶しかったのだろうか。そうだとしたら悲しい。
「あたし、邪魔だったですか?」
「え………?」
 じわっと涙を浮かべるを見て、今度は斎藤がぎょっとした。少し強く言いすぎたとは思ったが、まさか泣くとは思わなかった。
 こんなことで泣かれてはたまらないと、斎藤は慌てて取り繕うように言う。
「ち……違うぞ。邪魔だとかそういうのじゃなくて―――――」
「あたし、帰りますから! 将棋でも何でも好きなだけしてください!」
 今更何を言われてもご機嫌取りにしか聞こえなくて、はそのまま家を飛び出した。





 は泣きたい気持ちで一杯なのに、世間は誰も彼もが楽しげで、ますます惨めな気持ちになってくる。特別なことを望んだわけではなく、ただ二人で楽しく過ごしたいと思っていただけなのに、たったそれだけのことが叶えられないことが悲しい。
 斎藤は凄く年上だから、同年輩の相手と付き合うようにはいかないことは解っている。べたべたしたがる性格でもないし、が望むような展開にはなりにくいことも解っているから、友人たちみたいな恋人関係は高望みかなとも思っている。だけど今日みたいなのはあんまりだ。
 がもっと大人だったり、斎藤がもっと若かったら、少しは違っていたのだろうか。歳が離れている相手と付き合うというのは難しい。
 斎藤のことは好きだけれど、これからも今日のようなことを我慢しなければならないのかと思うと、気分が重くなる。考えてみれば、は色々なことを我慢しているのだ。べたべたするのも、お出かけも、「好き」と言ってもらうのも。同年輩の相手となら我慢しなくて良いようなことなのに。
 じゃあ斎藤と別れて同年輩の相手を探すかというと、それは嫌だ。そういうことをするのは斎藤でなければ意味が無い。
「あーあ………」
 どうしようもなくなって、は溜息をついた。
 恋人が出来れば毎日が楽しいと思っていたけれど、悩むことも沢山ある。これなら妄想していた時の方が楽しかった。相手がいることだから、一人で出来る妄想みたいに思い通りになることは無いのは解っていたけれど、それを差し引いても、あんまり楽しくない。
 かといって斎藤と別れるのは絶対に嫌だし、困ったものである。
!」
 とぼとぼ歩いていると、後ろから斎藤の声がした。振り返る前に、腕を引っ張られる。
「何も出て行くことはないだろう。びっくりしたぞ」
 そう言う斎藤の息は少し上がっていて、どうやら走って追いかけてきたらしい。
 好きにさせろと怒鳴るくらいだから、がいなくなって清々しているだろうと思っていたのに、慌てて追いかけてくるなんて。斎藤がどうしたいのか解らなくなって、はぽかんとする。
「だって、好きにさせろって言ったじゃないですか」
「だからって出て行くことはないだろうが」
「だって、つまんないんですもん。折角のお休みなのに何処にも行かないし、一さんは一人で遊んでるし………」
 言っているうちにまた腹が立ってきて、はぷうっと膨れた。
 斎藤のことが好きだから一緒にいるのは楽しいけれど、いつもいつもそれだけ楽しいわけではないのだ。一緒にいても放ったらかしでは、一人でいた方がいくらかマシである。
 斎藤はの気配があるだけで良いのかもしれないが、は違う。一緒にいるなら色々なことがしたいし、何処かへ遊びに行きたい。
「今までずっと黙っていましたけど、あたしだって普通に遊びに行きたいし、いちゃいちゃしたいんです! 一さんはそういうのは好きじゃないみたいですけど、あたしはそういうのをやりたいんですよ」
 鬱陶しいと思われたくないからずっと言えなかったけれど、もう限界だ。黙っていても斎藤は気付いてくれないし、それどころか放置は酷くなっている。
 斎藤は大人だからいつか気付いてくれるだろうと期待していたけれど、今日のことで無理だということが解った。言わなきゃ解らないと思ったら、今までの不満が一気に爆発した。
「それなのに、いつもいつもお掃除して御飯作るばっかりで。家にいるならいるで良いですけど、これじゃあ通いのお手伝いさんじゃないですか。こんなの全然楽しくないし、あたしが思ってたのと全然違うし!」
「あ、いや………」
 初めての口から不満を聞かされて、斎藤は驚いて言葉が出ない。
 いつも楽しそうににこにこしていたから、がそんな風に感じていたなんて夢にも思わなかった。何処かへ行きたいと言われれば出かけていたけれど、あまりそんなことは言わないから、家にいるのが好きだと思い込んでいた。まさかそれが我慢していたからだったとは。
 今日になって家を飛び出したり、不満を口にしたのは、余程腹に据えかねていたのか。そうなる前に小出しにしてくれれば、斎藤も応えるように努力したのに。
 そう思うものの、それを言えばが更に怒り出すのは確実。そういうことは察しろと女が怒る展開は、斎藤もこれまでに何度も経験していることだ。言わずとも察しろだなんて、女というのは随分と高度な技を要求する生き物である。
 こういう時は、下手に出て反論せずに話を聞くに限る。これも斎藤がこれまでの人生で学んだことだ。
「そうだったのか。じゃあ、が思っていたのはどういうのだ?」
 不本意ではあるが、斎藤は出来るだけ下出に出てみる。とにかく今は、の気を静めるのが先決だ。天下の往来で痴話喧嘩だけは避けたい。
 斎藤に優しく訊ねられて、ははっとしたように口を噤んだ。言いたいことを一気に言えたけれど、興奮していたのは自分だけだと思ったら、急に恥ずかしくなった。
 しかも此処は人目もある。通行人もをちらちら見ていて、何事かと思っているようだ。
 なるべく興奮しないように気をつけながら、はぼそぼそ話し始める。
「例えば、一緒に買い物に行ったり、一緒に遊んだり、まあ、ちょっと……いちゃいちゃしたり、とか………」
「なるほどねぇ………」
 恥ずかしそうにそう言うの意見に、斎藤は腕組みして考え込む。
 の要求は特別難しいものではない。いちゃいちゃとやらは少々きついが、それ以外は何とでもなりそうなものだ。逆を言えば、その程度のことを怠り続けていたということだが。
「じゃあ、次からはそういう風にしよう。何がしたい?」
 斎藤の言葉に、の顔がぱっと明るくなった。
 面倒臭いと言われると思っていたら、何だかすんなり通りそうな気配である。こんなことなら、もっと早く言えば良かった。
 斎藤とやりたいことは沢山ある。色々考えてみると、早くもうきうきしてきた。
「えっとぉ……雛祭りでしょ、お花見でしょ、お芝居も観に行きたいし、着物や小物も見立てて欲しいし、また洋食屋さんに行きたいし、それから―――――」
「まだあるのか?!」
 言ってみろと言ったものの、止まらないの要求に、斎藤はぎょっとした声を上げた。
 が、は涼しい顔で、
「だって、今までずっと我慢してきたんですもん。
 ああ、そうだ。梅を見に行かなきゃですね。あとは桃に桜に菜の花に―――――川下りも良いなあ。これからの季節はやることが一杯ありますね。楽しみ〜」
 は楽しそうであるが、これからのことを考えると斎藤は早くもげっそりしてしまう。この様子では、休みの度に引っ張り回されそうだ。
 の機嫌が直ったのは良かったが、こうも予定を立てられると、話を聞くだけでも疲れる。しかも暫くは斎藤に拒否権は与えられそうになく、これからどうしようかと気が遠くなるのだった。
<あとがき>
 というわけで、部下さんの要求は概ね通りそうです。一寸早い春闘だったのか?(笑)
 さて、色んなところに行ってみて、主人公さんが満足するのが先か、斎藤が泣きを入れるのが先か。年齢差カップルって、こういうところが大変だな。
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