妖怪退治

 気が付くと、知らない集落にいた。見たところ、山奥の農村らしい。
 特別豊そうでもないが、貧しくもなさそうだ。これといって特徴の無い、芝居の書割のような風景である。
 これは夢だな、と斎藤は思った。夢の中の風景というのは特徴が無いものだ。
 せっかくの初夢だというのに、舞台がこれというのはしょぼくれている。今年はつまらぬ一年になりそうだと、早くも投げやりな気分になった。
 ふと見ると、あちらで若い女が泣いている。泣く女の両脇にはこれまた若い女が立っていて、どうやら泣いている女を慰めているようだ。
 泣いている女は、だ。慰めているのは、恵と薫らしい。
 正月早々、が泣いている夢とは縁起が悪い。だが無視するわけにもいかず、斎藤は三人に近付いてみた。
「何を泣いている?」
ちゃんが山の妖怪の生贄に選ばれてしまったんです」
 泣きじゃくるの代わりに、恵が答えた。どうやら恵は斎藤を知らぬ“設定”らしい。
「妖怪?」
「山の動物を従えて、畑を荒らしに来るんです。最近では家の中にまで入って来て、大暴れするようになって………」
 薫も心底疲れきった顔で言う。
 二人の説明によると、山の妖怪は夜にやって来て、食べ物を根こそぎ持って行ってしまうらしい。姿を見たものの話によると、その妖怪は丸い身体つきで、子供くらいの大きさなのだそうだ。耳は長く、目は大きくて鏡のようにぎらぎらしていて、その歯は剃刀のように鋭いという。
「………それ、兎じゃないのか?」
 表現はおどろおどろしいが、斎藤の頭には巨大兎の玉三郎しか思い浮かばない。玉三郎も子供くらいの大きさがあり、耳が長くて目は大きい。噛み付かれたことは無いが、多分剃刀のように鋭い歯をしているだろう。
 ところが、さっきまで泣いていたがキッと顔を上げて、
「兎はそんなに大きくありません! それに、人の言葉を喋るんです!」
「喋るのか?!」
 これには斎藤も驚いた。流石に玉三郎は喋れない。
 山の動物を従え、人の言葉を操るとなると、それなりに知能の高い妖怪なのだろう。人身御供を立てるくらいなら、力もあるに違いない。
 妖怪に食われるのか嫁入りさせられるのかは分からないが、夢の中とはいえがそんな目に遭わされるのは黙って見ていられない。
 これはを悪い妖怪から救い出す夢なのか、と斎藤は一人で納得した。悪妖怪を退治して、を嫁にするというオチなのだろう。
 筋書きは解った。具合の良いことに、現実でも使っている愛刀が腰に差さっているではないか。
「よし、解った。俺がその妖怪を退治してやろう」
「えっ?!」
 自信満々に宣言する斎藤に、三人が驚きの声を上げた。
「今まで誰もおいかえせなかった妖怪ですよ?」
「噛み付かれて大怪我した人もいるんですから!」
 恵と薫が口々に止めようとする。夢の中では、この二人は思いやりの心を持っているらしい。現実なら、積極的に斎藤をけしかけるのだろうが。
 それは兎も角、妖怪は手強いらしい。しかし、これは斎藤の夢である。どんな敵であろうと、彼の思い通りに事が進むに決まっているのだ。
 斎藤は自信たっぷりに口の端を吊り上げる。
「なぁに、妖怪風情、簡単に退治してやるさ。その代わり―――――」
 今度はを見る。
 悪い妖怪を退治した後は、生贄の娘が褒美として与えられると相場は決まっている。この夢も例外ではないはずだ。
 斎藤の視線にも合点したのか、覚悟を決めたように頷いた。
「私で良かったら………」
ちゃん!」
 恵が咎めるように叫んだ。
「そんなこと、簡単に約束しちゃ駄目よ!」
「そうよ! こんな、何処の誰とも知れない人に」
 薫も恵の意見に賛同する。夢の中だというのに、妙なところは現実的である。
 が、は首を振って、
「妖怪のところに行くよりは良いもの」
 何とも消極的な意見であるが、まあ良い。一応、も納得しているのだ。
「じゃあ、決まりだな。早速だが、準備をしてもらおうか」
 いい展開になってきた、と斎藤はほくそ笑んだ。





 ―――――というわけで、斎藤は駕籠の中で妖怪が出てくるのを待っている。駕籠の戸から女物の裾を少しだけ覗かせているから、すぐにやって来るだろう。
 相手がどんな奴かは知らないが、これは斎藤の夢だから、きっと簡単に倒せるだろう。そうなればは斎藤の嫁だ。初夢に相応しい展開である。
 と、外でかさこそと音がして、何かが着物を引っ張った。どうやら妖怪のお出ましらしい。
「出たな、妖怪!!」
 些か芝居がかった台詞と共に、斎藤は勢い良く駕籠の戸を開けた。
 ところが、そこにいたのは妖怪ではなく、ただの兎。兎は斎藤を見て驚いたように目を剥いた。
「何だ、兎か」
 せっかく張り切って出てきたのに、損した。斎藤は気が抜けたように溜息をつくと、鞘の先で兎を追い払って、再び駕籠に入って戸を閉めた。
 夢なのだから、さっさと妖怪登場で話を進めてもらいたい。そうでないと、オチに辿り着く前に朝になってしまうではないか。
 夢は大概グダグダなものであるが、今回は初夢なのだから、きちんと始末をつけてもらわないと困る。初夢がグダグダでは、今年一年もグダグダになってしまいそうだ。
 そんなことを考えていると、また外で何やら聞こえてきた。またあの兎かと思ったが、今度は一羽や二羽ではないようだ。
 何かが当たっているのか、駕籠がカタカタ鳴った後、男のものとも女のものともつかない低い声がした。
「これは駕籠という人間の乗り物ブヒ。でも担ぐ人間がいないのは変ブヒね」
 遂に妖怪登場のようである。駕籠を知っているとは、知恵の多い妖怪だ。
 ブヒブヒ言っているということは、豚の妖怪かもしれない。豚の分際で人間様には向かうとは、不届きな奴である。
「やっと出たか、妖怪!」
 今度こそ、と勢い良く駕籠を開けた斎藤だったが、妖怪の姿を見ると一気に脱力してしまった。
 妖怪は、巨大兎の玉三郎だったのだ。周りには手下らしい兎を十数羽連れている。
「妖怪とは失礼ブヒね。ボクは仙人ブヒよ」
 斎藤が出てきても驚く様子を見せず、玉三郎は胸を張ってみせる。図体が大きいと、多少のことでは驚かないらしい。
 仙人だか何だか知らないが、こちらから見れば喋る兎なんか妖怪と変わらない化け物だ。第一、仙人は人の形をしているし、何より人里に下りて暴れ回ったりはしない。
「何が仙人だ。この阿呆兎!」
 夢とはいえ、あまりにも阿呆らしい展開に、斎藤は腹立ち紛れに玉三郎の頭をポカリと殴った。
「いきなり何するブヒ?!」
 玉三郎は目を剥いて足を踏み鳴らす。
「それはこっちの台詞だ! 貴様が村で好き放題やるせいで、が人身御供に立てられる羽目になったんだぞ!」
「ひとみごくう、って何ブヒ?」
 斎藤に怒鳴りつけられて、玉三郎は不思議そうな顔をする。人間の言葉は話せても、難しい言葉は判らないらしい。所詮は兎である。
「お前が暴れるのを止めないから、若い女が山にやられるんだよ」
 兎にものを教えてやるとは、我ながら親切だと斎藤は思う。教えてやったところで、兎の頭では理解できないだろうが。
 案の定、玉三郎は斎藤の言葉を噛み締めるようにじっと考え込む。暫く考えた後、何を思ったのか、嬉しそうにブヒッと鼻を鳴らした。
「人間のお嫁さんが来るブヒか? 人間にもボクの魅力が解るブヒね〜。照れちゃうブヒよ〜」
 何をどうしたらそんな結論に落ち着くのか解らないが、玉三郎は恥ずかしそうに身悶えする。手下の兎たちも祝っているのか、玉三郎の周りをぴょんぴょん跳ね回って、一寸したお祭り騒ぎだ。
 少し考えれば、人間様が兎なんかに喜んで嫁入りするはずがないことなど解りそうなものだが、やはりそこは兎の知能なのだろう。斎藤は頭が痛くなってきた。
「何が魅力だ、このど阿呆。人間様が兎なんかに嫁入りするか」
「人間相手でも、ボクはちっとも気にしないブヒよ。さあ、早くお嫁さんを連れてくるブヒ。あ、その前に、お嫁さんのお部屋を作ってあげないといけないブヒね。お部屋も用意できない甲斐性無しだと思われたら大変ブヒ。忙しくなるブヒね〜。お前たちも手伝うブヒよ」
 玉三郎は斎藤の話など全く聞いていない。勝手に浮かれて、手下に命令している。
 新居を用意しようという心掛けは立派だが、それは兎同士でやれば良いこと。を巻き込むなんてとんでもない。
「人の話を聞け、このど阿呆っ!」
 斎藤はもう一度、玉三郎の頭を殴りつけた。
「痛いブヒ! 暴力は許さないブヒよ!」
 自分は村で好き放題暴れているくせに、勝手なものである。
 ぶひぶひ鼻を鳴らしながら足を踏み鳴らして、玉三郎は怒り狂う。そして手下の兎たちに、
「お前たち、この暴力男を成敗してやるブヒよ!」
 玉三郎の命令に、兎たちは一斉に斎藤を囲んだ。兎は臆病な生き物のはずだが、玉三郎の手下たちは戦闘的だ。
「おっ………」
 小さな生き物相手といえど、団体で来られると迫力がある。斎藤は思わず身構えた。
 兎たちは斎藤を睨みつけながら、じりじりと間合いを詰めてくる。そして―――――
 ダンッ!
 兎たちが一斉に足踏みをした。何か仕掛けてくるかと思いきや、大きな音で足を踏み鳴らす以外は何もしてこない。
「……………………」
 威嚇しているつもりなのだろうが、それだけでは斎藤には怖くも何ともない。とはいえ、これだけ数がいると何から手を付けたものかと、考えてしまう。
 呆然としている斎藤を見て、玉三郎は勝ち誇ったようにぐふぐふ笑った。
「やっとボクたちの強さが解ったブヒね。降参するなら今のうちブヒよ」
 呆然として動けないのを、怯えて動けないのだと勘違いしているらしい。何と言って良いのやら、斎藤は心底呆れて溜息をついた。
「誰が降参するか、このど阿呆」
 とりあえず、一番近くにいた兎を鞘の先でひっくり返す。こんな奴らが相手では、刀を抜くのも勿体無い。
 手下がひっくり返されたのを見て、玉三郎は目を吊り上げた。
「道具を使うなんて卑怯ブヒ! 正々堂々と素手で戦うブヒ!」
「じゃあ、こうだ」
 今度は爪先で兎をひっくり返した。玉三郎のご希望通り、道具は使っていない。
 斎藤と兎では、身体の大きさが何十倍も違うのだ。しかも、元々は大人しい草食動物である。こんなものが斎藤に勝てるわけがない。
 斎藤にころころとひっくり返される仲間を見て、兎たちは怯えたように後ずさりし始めた。元々小心な生き物だから、形勢不利となったらこんなものだ。
 こんな奴らに村が荒らされ放題だったとは、いくら夢の中とはいえ情けない。まあ、斎藤の夢だから、彼に調子の良いように話が作られているのだろうが。
「お前たち、どくブヒよ!」
 手下では埒が明かないことが解ったらしく、今度は玉三郎が斎藤に突進してきた。
 体当たりで斎藤を押し倒すと、玉三郎は上に乗ってどすどす跳ねる。
 こんなものに腹の上で暴れられては、いくら斎藤でもたまらない。どうにか玉三郎をどかそうと取っ組み合うが、手下の兎たちがそうはさせまいと次々噛み付いてきた。
「いたたたたっ………! 離せ、この阿呆兎どもっっ!!」
 夢の中のはずなのに、兎どもに噛み付かれるのはかなり痛い。村でもこうやって一人相手に団体で襲い掛かっていたのだろう。
 振り払っても振り払っても、兎は次々噛み付いてくる。玉三郎はいい気になって暴れまわるしで、斎藤の夢だというのに、これでは格好良いところが全く無いではないか。
「斎藤さぁーん!!」
 遠くから女の声が聞こえてきた。声の方を見ると、がこちらに走ってきている。
 斎藤に妖怪退治を任せたものの、心配になってやって来たのだろう。夢の中でもは斎藤のことを一番に思っているのだ。
 その声に、玉三郎がピンと耳を立てた。
ちゃん!」
 何故か玉三郎はのことを知っているらしい。斎藤を力一杯蹴飛ばすと、嬉しそうにの方に駆け出した。
「きゃあぁぁっっ?! なっ何?! 兎?!」
 全速力で迫ってくる巨大兎に、は悲鳴を上げた。夢の中の彼女は玉三郎を知らないのだから、当然の反応である。
 だが、玉三郎はの反応など全く気にしないのか、上機嫌に鼻を鳴らして言う。
「ボクブヒよ。子供の頃にちゃんのお世話になっていた玉三郎ブヒ。山で修行して、仙人になったブヒよ」
 どうやら玉三郎はに飼われていた兎らしい。とはいえ、自分が飼っていた兎がこんな化け物に成長しては、いくらでもドン引きだろう。
 はびっくりした顔のまま玉三郎の姿をじろじろ見ている。自分がとんでもない化け物を飼っていたのだと知って、どうして良いのか判らないのかもしれない。
 が、玉三郎はそんなの目も、自分の姿に惚れ惚れしていると勘違いしているらしく、ますます嬉しそうにブヒブヒ鼻を鳴らす。
「ボク、この山の王様になったブヒ。猿も狸も、みんなボクの言うことをきくブヒよ。あ、あっちにいるのは、ボクの親衛隊ブヒ」
 得意げな玉三郎とは反対に、は見る見る悲しそうな顔になる。そして終いには泣きそうな顔になって、
「玉ちゃんが村を荒らしてたなんて………。どうしてそんな酷いことをするの? みんな困ってるんだよ?」
 自分が可愛がっていた兎がこんな化け物になっていた上に、村を荒らす犯人だったのだ。も泣きたくなるだろう。
 ここまできて、漸く玉三郎も事態を理解したらしい。耳をへたらせて困った顔をした。
「ボクたちだって、好きで村の食べ物を取ってるわけじゃないブヒ。みんな、人間は恐いブヒ。でも、人間が山の食べ物を取っていくから、仕方ないブヒよ。この山は小さいから、人間が食べ物を取っていったら、ボクたちの分が無くなるブヒ。人間から取り返さないと、ボクたち飢え死にするブヒ」
 玉三郎にも玉三郎なりの事情があったというわけである。
 確かに、ここにいる兎の数だけでも、この小さな山には多いように見受けられる。この兎たち以外にも兎はいる上に、狸だの猿だのが住んでいるのなら、この山は動物を養うのが精一杯だろう。そこに人間まで入ってきたら、たちまち食糧事情は破綻してしまう。
 玉三郎の事情は解った。しかし、困っているからといって村を荒らして良いわけではない。
 斎藤は兎を振り払って立ち上がると、玉三郎に説教をする。
「貴様らの事情は解ったが、二度と村を襲うなよ。今回はこれで許してやるが、今度やったら承知しないからな」
 斎藤の筋書きとは大幅に変わってしまったが、一応一件落着である。あとはを褒美に戴くだけ―――――と思っていたら、がとんでもないことを言い出した。
「玉ちゃんが優しい王様になってて嬉しいよ。あたしもこの山で玉ちゃんに協力する!」
「本当ブヒか?」
「うん! ずっと一緒にいようね」
 そう言うと、は玉三郎に抱きついた。
 これに驚いたのは斎藤だ。玉三郎に踏みつけられ、兎に噛み付かれて散々だったというのに、とどめにこれとは。
 繰り返すが、これは斎藤の夢である。玉三郎の夢ではないのだ。それでこの結末というのは何なのか。何もかもが間違っている。
「ちょっ……俺は認めんぞ!! 最初からやり直せ!」
 これが今年の初夢だなんて、絶対に認めない。邪魔者が人間なら兎も角、兎だなんて、あんまりだ。
 逆上して喚き散らす斎藤を、玉三郎は冷ややかに一瞥する。
「見苦しいブヒよ。振られ男はさっさと帰るブヒ」
「何だと、このクソ兎っ!」
 夢の中とはいえ、もう勘弁ならない。斎藤は刀に手をかけた。
 が、刀を抜く前に、玉三郎が高く跳び上がる。
「ブヒッッ!!」
 鼻息とも掛け声ともつかない音と共に、玉三郎の身体が斎藤の上に落ちてきた。





「ぐあっっ?!」
 どすん、と胸に何かが落ちてきた衝撃で目が醒めた。
 落ちてきたのは、玉三郎ではなく、斎藤の兎だ。腹が減ったので起こしに来たのだろう。
「……………………」
 夢も最悪だったが、目覚めも最悪である。
 たかが夢ごときで今年一年が左右されるとは思わないが、何だか今年も兎に振り回される上にグダグダな一年になってしまいそうである。玉三郎に邪魔されたり、土壇場でひっくり返されてしまうのが実に象徴的だ。
 不機嫌な斎藤の顔を見ても何とも思わないのか、兎はふんふんと鼻を鳴らしながら餌を催促するように斎藤の顔を鼻先でつつきまわしている。兎にとっては斎藤の機嫌より、自分の空腹の方が重大な問題らしい。所詮は獣である。
「あー、鬱陶しいっっ!!」
 今年も引き続き進展の無い一年になりそうだと思いながら、斎藤は布団ごと兎を払いのけた。
<あとがき>
 今年も初っ端からグダグダです。っていうか、一月も中旬になってから初夢って………orz
 夢の中でも玉三郎と対決、そして潰される斎藤(笑)。おかしいなあ、人間相手ならあんなに強いのに。兎には殺気も剣気も無いから、どうして良いのか判らないのかもしれません。
 まあ、今年もこんな感じで宜しくお願いします。
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