年の瀬
いつの間にやら、もう年の瀬。新しい年に向けて色々準備をしなければならない時期だ。というわけで、と斎藤は休日を利用して買い出しに行くことにした。
大晦日には少し余裕があるからと気楽に構えていたが、商店街は大変な賑わいだ。みんな、今日なら大晦日ほどではないと思って出てきたのだろう。今日でこの人出なら、大晦日は大変なことになるかもしれない。
「正月はもう、何もしなくても良いんじゃないか?」
人とぶつからないように注意して歩きながら、斎藤が言う。
一年の区切りは大事だと斎藤も思うが、こんな人がごった返す中で買い物しなければならないとなると、どうでも良くなってくる。正月らしく過ごさなければ死ぬというわけでもなし、いつもと同じでも良いと思うのだ。
が、はそうは思っていないようで、妙に張り切っている。
「駄目ですよ。一年の始まりなんですから、ちゃんとしないと」
新しい年はちゃんとそれらしいことをして迎えたい。それより何より、一月一日は斎藤の誕生日なのだ。一年で一番大切な日なのだから、特別な準備をしたい。
斎藤は自分の誕生日にさえあまり関心が無いようだが(以前、「歳を取ったら誕生日なんてどうでもよくなる」と言っていた)、やはり祝われるのは嬉しいと思う。だって、お祝いするのは楽しいのだ。
正月には簡単な御節と雑煮を作って、後は斎藤の好きなものを用意しよう。それから高い酒も買って、二人でささやかに誕生日を祝うのだ。
二人だけの静かな誕生祝を想像したら、どきどきしてきた。
他所の恋人たちのような派手な誕生祝に憧れていた時もあったけれど、斎藤と付き合うようになってからは、こういう地味なのも良いと思えるようになった。手料理と贅沢な酒で二人だけの誕生日なんて、長年連れ添った夫婦みたいではないか。派手な演出をしなくてもどきどきできたり幸せだったりというのは、最高の贅沢だと思う。
―――――と、が一人で浮かれていると、隣にいたはずの斎藤がいつの間にかいなくなっていた。
「あれ?」
辺りを見回してみると、乾物屋の軒先で干物を吟味しているらしい斎藤の後ろ姿を見つけた。どうやら酒のつまみを探しているらしい。試食もしているようだ。
試食なんて、斎藤にしては珍しい。いつもは、が試食品に手を出すのも、みっともないと嫌がるくらいなのに。
から離れたから油断しているのかもしれない。それなら一寸脅かしてやろうかと、の中で悪戯心が湧き上がってきた。
笑いを堪えながら、はそおっと斎藤の背後に近付く。そして、ぴょんと抱きついた。
「なーに試食なんかしちゃってるんですかぁ?」
「うわっ?!」
思った通り、相当驚いたようだ。が―――――
「え………」
声を聞いた途端、は硬直した。
びっくりした声は、明らかに斎藤とは違う。まさか、と恐る恐る顔を上げてみると―――――
「――――――――?!」
斎藤だと思って抱きついたのは、まるっきり別人だったのだ。の顔から一気に血の気が引いたかと思うと、今度は一瞬で真っ赤になる。
「うわぁああああすすすすみまくぁwsでrftgyふじこlp;@!!!」
恥ずかしさのあまり意味不明な奇声を上げて、は慌てて飛び退いた。
背格好や着物の感じが似ていたから、てっきり斎藤だと思っていたのに。 びっくりするやら恥ずかしいやら、は混乱してまともな言葉が出ない。
相手の男もいきなり抱きつかれたり奇声を上げられたりで、唖然としている。
そんな男の様子にがますます焦っていると、後ろから心底呆れた斎藤の声がした。
「何やってるんだ、お前は」
「うわぁああああははは一さんっっ!!」
本物の斎藤が現れても、の動揺はまだ治まらない。逆に余計に酷くなっているようだ。
これでは埒が明かないと判断したのか、斎藤は呆れたように溜息をついて男に言う。
「連れが面倒をかけたようで済まない」
まだおたおたしているの頭を強引に下げさせると、斎藤は彼女を引っ張って歩いて行った。
暫く歩いた後、は漸く落ち着きを取り戻して、しょんぼりする。
「すみません………」
まったく、何をやってるんだ。これじゃあ、おちおち買い物も出来ん」
一寸立ち止まって店を見ていたら、とんでもないことになっていた。子供ではないのだから、知らぬ男と斎藤を間違えるなと言いたい。
斎藤に叱られて、はますますしょんぼりとする。その様子を見て、今日はこれくらいで良いかと、斎藤はの肩を抱き寄せた。
「今度ははぐれないように、しっかりくっ付いてろ」
肩を抱かれて、はまた顔を真っ赤にする。道を歩いてこんなことをされるなんて、初めてだ。
嬉しくて嬉しくて顔がにやけてしまいそうだが、ここで笑ってしまうと「反省してない!」とまた叱られそうだから、我慢する。その代わり、は斎藤の着物をきゅっと握った。
早いもので、もうすぐ一年も終わりです。
人込みを歩いていて、連れだと思って「でね〜」とか言って顔を上げたら、知らない団体のど真ん中にいたってこと、無いですか? 私は結構あります。やばいくらい注意力散漫です。
きっと斎藤、兎部下さんの一部始終を見て「あー、何やってるんだ、あいつ……」なんて思ってそうだ。でもそんなお馬鹿なところも可愛かったりするんですよ。恋は盲目状態だから(笑)。