囮捜査

「折り入って頼みがある」
 いつに無く神妙な顔で、斎藤が切り出してきた。
 きょとんとするに、斎藤は用意していた風呂敷包みを渡す。
「何も言わずにこれを着てくれ」
「はぁ………」
 なんだかよく解らないが、言われるままに包みを受け取ると、は執務机の上にそれを広げた。が、中身を見た途端、ぎょっとして顔を真っ赤にする。
「ちょっ………何ですか、これ?!」
 出てきたのは、どこの学校のものか判らないが、女学生の制服だったのだ。既に二十歳を過ぎているにこれを着て欲しいなんて、どうかしている。
 女学校が単に袴の制服を採用するようになって以来、制服を着た少女にただならぬ関心を抱く男が現われているという。にはよく分からないが、若い女に女学生の制服を着せて楽しむ男もいるらしい。まさかとは思うが、斎藤にもそういう願望があるのか。
 思い返してみれば、斎藤は街ですれ違う女学生の姿を物珍しげに見ていたような気がする。今まで女学生が珍しいのかと思っていたが、“制服を着た若い女”に関心があったのだろうか。
 制服姿が好き、というのは、も否定はしない。彼女だって制服姿の斎藤は好きだ。しかしこれは………。
「何か誤解しているようだが、断じて俺の趣味じゃないからな」
 制服を見詰めたまま固まってしまっているに、斎藤が冷静に断りを入れる。
 そうは言われても、どこからともなく制服を調達してくるくらいである。これはただ事ではない。
「だって、これを着るって………」
「捜査の一環だ。囮捜査の協力を頼まれたんだ」
「囮捜査ぁ?!」
 とんでもない展開に、は頓狂な声を上げた。
 囮捜査というものがあるのは知っているが、まさか自分にその話が回ってくるとは思わなかった。何しろは事務方である。護身術も逮捕術も習ってはいない。
「無理ですよ! 他の人に言って下さい! 大体、女学生の格好なんて―――――」
「最近、女学生狙いの痴漢事件が頻発していてな。俺も無理だと思ったんだが、女学生に見えそうなのを、ってことで白羽の矢が立ったんだ。近くに警官が待機することになってるから安心しろ」
「そんなこと言われても………」
 斎藤は簡単に言ってくれるが、にとっては大変なことだ。捜査協力は大事だが、自分が囮になるなんて。
 しかし此処でが断ってしまうと、斎藤が困ってしまうのだろう。現場経験の無いにわざわざ依頼してくるくらいだから、他に適任者がいないのだ。囮捜査が出来なくて犯人逮捕が遅れたら、痴漢被害は更に拡大してしまう。
 痴漢は許しがたい犯罪だ。しかも年端もいかぬ女学生を狙うなんて、やり方が卑劣である。も夜道で不審者につけられた経験があるから、そういう輩は絶対に許せない。
 囮になるのは怖いけれど、警官が傍で見張っていてくれるなら、きっと大丈夫だ。は覚悟を決めた。
「解りました。やります」
「あー………無理することはないんだぞ? 嫌なら他を当たらせるから」
 自分から話を持ってきたくせに、斎藤は急に及び腰になる。それに対しては益々力強く、
「大丈夫です!」
 急に張り切りだしたの様子に、斎藤の方が些か不安になってきた。思い込んだら一直線なところがあるから、無茶なことをしてしまいそうである。
 そもそもこの話は、斎藤もあまり乗り気ではなかったのだ。頼まれたから話を持ってきたのだが、に囮なんて務まるわけがない。それ以前に、誰が好き好んで自分の女を痴漢の餌に差し出すものか。
 一応、斎藤も同行することにしているから大丈夫だとは思うが、の行動力は侮れない。これはいつもより厄介な仕事になりそうだと、斎藤は早くも気が重くなるのだった。





 そういうわけで制服を着てみたのだが、完成した姿は思った以上に微妙だった。小柄で童顔だし、いつも若く見られるから内心いい線いけるのではないかと自身も思っていたのだが、実際に女学生と同じ格好をしてみると、やはり歳を感じる。
 これで痴漢が騙されるか不安であるが、それより何より、この格好で出歩くのは相当恥ずかしい。はっきり言って、余興の仮装のようなのだ。
「こうして見ると無理があるなあ」
「いやいや、これくらいのは普通にいるでしょう」
「夜道で見たら判らないですって」
 を囲んで、捜査員たちが好き勝手なことを言い合っている。自分たちで頼んでおきながら、「無理がある」だの「夜道で見たら判らない」だの、失礼千万である。
 気が付けば関係ない職員まで集まってきて、の仮装は一寸した見世物状態だ。こんなものを見に来てないで自分の仕事をしろと、は言いたい。
 そんなに言うなら囮なんかやめる、と言ってやりたいが、皆に囲まれていると、そんなことは言い出しにくい。恥ずかしいやら悔しいやらでが顔を紅くして俯いていると、斎藤が人だかりから引っ張り出した。
「不満なら他を当たれ」
「いやいやいや、不満だなんてとんでもない」
 斎藤に睨みつけられ、捜査員が慌てて言う。
「これなら犯人もすぐに引っかかりますよ。いやあ、事件解決も目前ですな」
 あははー、と笑い飛ばして誤魔化そうとするが、斎藤は相変わらず睨んだままだ。
 犯人が囮に引っかかるのは良いのだが、その囮が自分の女となると気分は複雑だ。が痴漢行為を受けるかもしれないと思うと、彼女が囮をやっている間は犯人が出てこないことを願ってしまう。
 周りは微妙だ何だと言うが、斎藤の目から見ての女学生姿は犯罪級に可愛い。こんなに可愛くては、事件とは関係ない輩まで寄って来るのではないかと心配になるくらいだ。そう思っているのは斎藤だけなのかもしれないが、兎に角心配なのである。
「今ならまだ間に合うから、嫌なら嫌とはっきり言え」
 自分の姿を好き勝手に批評されれば、流石にも馬鹿馬鹿しくなったはずである。部下にこんなことを言うのは立場上どうかと思わないでもないが、は部下であると同時に斎藤にとって何よりも大切な女なのだ。大切な者を守れなくて、市民の安全を守れるはずがないと思う。
 が、はそれでも頑固に、
「いえ、大丈夫です。やります」
「………………」
 一度引き受けたことだから意地になっているのかもしれないが、本人がそう言うのなら斎藤からはこれ以上何も言えない。
 他人の気も知らずに、と斎藤は内心溜息をついた。





 この時季になると、日が暮れるのが早い。女学校の下校時間にはすっかり薄暗くなって、痴漢が行動するには絶好の環境になる。
 特に今日は曇り空のせいで、いつもより暗いようだ。おまけには人通りの少ない道を選んで歩いているから、余計に辺りが暗く感じてしまう。
 物陰には警官が潜んでいるし、斎藤もいるのだから大丈夫だとは思うが、それでも少し怖い。警戒しているのを悟られてはいけないと言われているから、あまりきょろきょろしてはいけないのだが、解ってはいても辺りを窺ってしまう。
 それでも痴漢の目に留まりやすいようにゆっくりと歩いていると、道の端で蹲っている人影が見えた。
「あの……どうかされましたか?」
 近寄って声を掛けてみるが、余程具合が悪いのか相手は応えない。
 捜査の途中ではあるが、病人を放っておくわけにはいかない。一人ではどうすることも出来ないから、隠れている捜査員の手を借りなくては。
「大丈夫ですか? すぐに人を呼んできますから―――――」
 励ますようにそう言いながらが手を伸ばした時、男がその手を掴んだ。
「?!」
 病人とは思えない強い力には驚いて身を引こうとするが、振り払うことが出来ない。
 男は、何が起こったのか解らずに混乱しているを抱きすくめると、そのまま細い路地に引きずり込もうとする。悲鳴を上げようにも口を塞がれて声が出せない。たとえ口を塞がれてなかったとしても、恐怖で全身が強張って声が出なかっただろうが。
 こいつが女学生狙いの痴漢だったのだ。人の善意につけ込んで痴漢行為を働くなんて、最低だ。
 怒りを感じながらも、の全身は棒のようになって動かない。何とかして身体を動かそうと必死になっていると、ふっと身体が軽くなった。
 支えがなくなってへたり込んだと同時に、の背後で鈍い音がする。振り返ると、斎藤が倒れている痴漢に蹴りを入れていたのだ。
「警部補、やり過ぎです!」
 反撃する間も与えずに殴る蹴るの暴行を加える斎藤を、隠れていた捜査員たちが止めにかかる。捕縛するのに多少手荒なことをするのは見て見ぬふりだが、流石にこれはやり過ぎだ。放っておいたら気絶するまでやりそうである。
「ふん」
 まだやりたらなそうであるが、斎藤は渋々引っ込んだ。が、最後に凄んでおくのは忘れない。
 ぐったりしている痴漢男の髪を鷲掴みにすると、乱暴に持ち上げて、
「明日はみっちり取調べしてやる。楽しみにするんだな」
 そして今度はの方を向いて、
「大丈夫か? 立てるか?」
 表情こそいつもと変わらないが、斎藤の声は心配そうだ。
「は……はい………」
 そうは応えるものの、の声は震え、顔も青ざめている。
 抱きかかえるようにしてを立ち上がらせると、後始末は捜査員に任せることにして、斎藤たちは先に帰ることにした。





 大通りに出て馬車を拾い、現場を遠く離れたところで、も漸く落ち着いたようだ。まだ表情は硬いものの、顔色は元に戻っている。
「まあ、あれだ。これであのあたりも安心して歩けるな」
 唐突に、斎藤が明るい声で言った。
 こういう時は何と言うべきなのか、斎藤には見当が付かない。下手に何か言おうとすると余計なことを口走ってしまいそうで、“上司”としての言葉をかけるのがせいぜいだ。
「………はい」
 まだ緊張が解けないの声は硬い。
 この様子では多分、暫くは一人で夜道を歩けないだろう。斎藤も一人で歩かせる気は無いが。
 次にかける言葉が見付からず、斎藤は無言でを抱き寄せた。一瞬、は身を硬くしたが、すぐにほっとしたように斎藤に寄りかかる。
「一さん」
 長い沈黙の後、が囁くように言った。
「あたし、一さんが一番に助けに来てくれるって思ってました。一番に来てくれて、嬉しかったです」
 何があっても斎藤が一番に来てくれると信じていたから、この囮捜査を引き受ける決心が付いたのだ。そして斎藤は本当に一番に駆けつけてきてくれた。そのことがには嬉しかった。
 痴漢に抱きつかれたのは本当に怖かったけれど、これで逮捕が出来たし、斎藤の役に立てた。何より、これからはこんな怖い思いをする女学生がいなくなるのだ。自分の仕事の結果がこんな形で目に見えるのは嬉しい。
「ああ」
 少しは立ち直ったらしいの様子に、斎藤は少しほっとする。
「あの痴漢、一さんが取り調べるんですか?」
「ああ」
 痴漢のような小さな事件は斎藤の管轄ではないが、今回ばかりは別だ。をあんな目に遭わせたのだから、みっちりと締め上げて、二度と女に近づけないようにしてやる。
が安心して夜道を歩けるように、ぎゅうぎゅうに締め上げてやるさ」
 そう言って、斎藤にやりと口の端を吊り上げた。彼がそういう顔をすると、本当に安心して夜道を歩けるような気がする。それまではまだ硬かったの表情が漸く和らいで、小さく微笑みを浮かべた。
「ぎゅ〜って締め上げてくださいね」
 そう言って、は斎藤にぎゅっと抱きついた。
<あとがき>
 先日、『警視庁24時』みたいな番組で、新人婦人警官の囮捜査というのをやってましてね。それを見て思いついたネタ。
 番組での新人婦人警官の人も、何処かの高校の制服を着て女子高生に扮してました。そういう捜査もやるんだね、警察って。婦人警官も大変だ。
 ところで斎藤に「ぎゅ〜って締め上げてくださいねv」なんてお願いしたら、犯人、生きてシャバに出られないかも………(汗)。
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