男の戦い

 玉三郎の飼い主から高原の別荘に招待された。玉三郎を預かってもらっている礼だという。
 招待を受けて飼い主と顔見知りになってしまっては、今後もちょくちょく預けられてしまうことは確実。とはいえ、東京にいたところで暑いだけで面白いことがあるわけでもなし、少し遅い夏期休暇はと一緒に避暑と洒落込むことになった。
「別荘で避暑なんて、お金持ちになったみたいですね」
 別荘に向かう馬車の中でも、は子供のようにはしゃいでいる。斎藤が誘った時もそうだったが、久々の外出、しかも遠出が嬉しくてたまらないようだ。
 出不精の斎藤のせいで何処かに遊びに行くことが殆ど無く、いつもどちらかの家に籠ってばかりなのだから、二人で外に出るのはそれだけでにとっては大事件なのだろう。たかだか二泊の滞在なのに、山のような大荷物でやって来た。女の荷物は多いものと相場は決まっているが、東京での生活をそっくりそのまま持って行くつもりかと言いたくなるような量なのだ。
「避暑っていっても二泊三日だぞ。何をそんなに持ってきたんだ?」
 の足元の荷物をちらりと見て、斎藤は呆れたように訊ねる。彼女の足元の鞄は、斎藤のものの倍はあると思われる大きさだ。この他にも、馬車の屋根にも積まれている。
 普通、旅行の荷物といえば着替えくらいなもののはずだが、一体何を持ってきているのだろう。斎藤の出張に付き添う時は勿論、茸狩りに行った時でさえ、こんな大荷物ではなかったはずだ。
 不思議がる斎藤に、は澄ました顔で、
「着替えですよ。あとは化粧品とか小物とか」
「涼しいからって、どれだけ着込むつもりだ? 高原でも夏なのは変わらんぞ」
「何言ってるんですか。どんな雰囲気にも合わせられるように、色々持ってきたんです。もしかしたら盛装しなきゃいけないかもしれないじゃないですか」
「それは無いだろ、普通」
 いくら金持ちの別荘とはいえ、たった三日間で盛装する機会などあるわけがない。が一体どんな妄想をしているか知らないが、それは斎藤にも断言できる。
 が、今度はが呆れたように、
「何言ってるんですか。避暑地は社交界の場だっていうのは、欧羅巴では常識ですよ。本に書いてありましたもん」
 どうやら翻訳小説の内容を真に受けて、この大荷物になってしまったらしい。おそらくの頭の中では、男は狐狩り、女は木陰で午後のお茶を楽しみながらお喋り、と西洋かぶれの世界が繰り広げられているのだろう。残念だが、川路の友人に限ってそんな小洒落た企画は無いと、斎藤は思う。
「欧羅巴は知らんが、此処は日本だ。しかも相手は兎に“玉三郎”と名付ける感覚の持ち主だぞ。絶対に無い」
「えー………」
 言われてみると尤もだと思ったのか、はがっかりする。余程社交界とやらに期待していたらしい。だが、すぐに何かまた思いついたのか、表情を明るくした。
「野点はあるかもしれないですね。楽しみー」
「…………………」
 それも無いだろうと思ったが、もうどうでもよくなって斎藤は黙っている。黙ったまま、馬車の外に視線をやった。





 別荘と言っていたから小ぢんまりとした洋館を想像していたのだが、到着したのは本宅と変わらない立派な日本家屋だった。ではないが、東京の生活をそっくり避暑地に持って来たかのようだ。
「やあ、よく来てくれた。長旅で疲れたでしょう」
 主人である宮成が直々に二人を出迎えた。彼の後ろから付いてきた玉三郎も歓迎するようにぴょんぴょん飛び跳ねている。
「玉ちゃ〜ん!」
 しゃがみ込んで呼びかけるに突進すると、玉三郎は彼女の周りをぐるぐる廻り始めた。嬉しすぎて興奮しているのか、ぶひぶひ鼻を鳴らしている。
 全身で喜びを表している玉三郎の姿に、宮成は嬉しそうに目を細めて、
「こっちに来て環境が変わったせいか、少々元気が無かったのだが。玉三郎は余程君たちが好きらしい」
「そうらしいですね」
 好きなのは“君たち”ではなくだけなのだが、斎藤は黙っている。
 玉三郎は相変わらずぐるぐると廻り続け、が頭を撫でてやろうと手を伸ばしても止まる気配が無い。興奮しすぎて自分でも何が何だか解らなくなっているのだろう。所詮は兎である。
 暫くそうやって廻り続けた後、今度は前足をの膝に乗せて、ぐうっと体を伸ばしてきた。どうやらに接吻するつもりらしい。
「えへへー、ちゅー」
 も嬉しそうに顔を近づける。が、と玉三郎の口がくっ付く寸前、斎藤が乱暴に玉三郎を抱き上げた。
「いやあ、久し振りだなあ、玉。元気だったかぁ?」
 にこにこ藤田五郎顔で、斎藤は嫌がる玉三郎に無理やり頬擦りをする。兎の分際でに接吻しようなど、百年早いのだ。
 嫌がって暴れる玉三郎の姿が、嬉しさのあまり暴れているように見えるのか、宮成は益々嬉しそうに目を細める。
「大好きな人たちが来てくれて良かったな、玉三郎」
「此処に居る間はずっと遊んでやるぞ、玉」
 斎藤の宣言に、玉三郎は益々嫌がるように暴れる。玉三郎が遊びたいのはであって、斎藤ではないのだ。
 斎藤だって玉三郎となど遊びたくはないのだが、こんな助平兎を野放しにしていてはに何をされるか分かったものではない。現に今だって、ドサクサに紛れてに接吻しようとしていたではないか。
 にこにこ顔のまま、斎藤は誰にも聞こえないように玉三郎の耳元で低く囁きかける。
「あんまりイイ気になるなよ、この食肉用改良種」
 兎なりに斎藤の言っている意味が解ったのか、玉三郎は怯えるように目を丸くした。
 ぴたっと動きを止めた玉三郎に気付かない振りをして、斎藤は宮成に言う。
「うちの兎も連れてきて来ましたから、良い遊び相手になるでしょう」
「ああ、それは良い。良かったな、玉三郎」
 びくびくしている玉三郎に全く気付いていないらしく、宮成も上機嫌に応えた。





 斎藤に軽く〆られても解放されるとすぐに忘れてしまうのか、玉三郎はずっとの後ろをついてまわっている。二人で歩いていても間に無理やり割り込んできたりして、飼い主がいるというのに、これでは誰の兎か判らない。
 折角高原の別荘でと避暑を楽しもうと思っていたのに、間に巨大兎がいては台無しだ。斎藤の兎が気を遣っているつもりなのか、玉三郎にちょっかいを出しているが、それも見事なまでに無視している。
 家の中では勿論、敷地内を散策していてもぴったりと張り付いているものだから、まるで監視されているようで落ち着かない。かといってと宮成の手前、邪険にすることも出来ず、斎藤の苛々は募る一方だ。
 せめて「あっち行け!」と念を送ってみるが、そうしても「一緒に遊ぶ約束だろ」と言うように平然と見返すだけで話にならない。流石は動物だけあって図々しい。
 結局、昼間も夕食の時も玉三郎は斎藤との間に割り込み続け、漸く二人きりになれたのは彼の部屋で酒を飲む時になってからだった。兎は酒を欲しがるから、の部屋で留守番で、本当に二人きりである。
「玉ちゃん、あたしたちが来たの、よっぽど嬉しかったんですね」
 一日のことを思い出して、は楽しそうにくすくす笑う。
「一日中張り付かれるのも堪らんぞ。あいつ、飼い主が誰か忘れてるんじゃないか?」
「玉ちゃん、一さんがずっと遊んでくれると思ってるんですよ。昼間約束したから」
 は無邪気に斎藤と玉三郎が仲良しだと思っているらしい。まあ、頬擦りをする姿を見れば、そう思うのも当然だろう。
「あれは社交辞令みたいなもんだ。別荘に呼んでもらったんだから、それくらい言うさ」
「えー? でも玉ちゃん、遊んでもらえるって思ってますよ。約束は守ってあげなきゃ」
「…………………」
 玉三郎が本当に遊んで欲しいのはだけであって、斎藤は完全に邪魔者なのだが、それは黙っている。斎藤と玉三郎は仲良しということにしておくのが、不本意ではあるが彼には何かと都合がいいのだ。
 とはいえ、滞在中ずっと玉三郎に付きまとわれるのは、斎藤としてはかなり困る。との遠出など、次はいつあるか分からないのだ。
 もそれは解っているはずなのだが、玉三郎に割り込まれても何とも思っていないらしい。男女のことよりも兎と遊ぶのが、まだ楽しいのだろう。子供扱いをすると怒るくせに、そういうところはお子様だ。
 こうやって酒を飲んでいる様子を見ても、には色気も何も無い。二人で飲んでいれば少々色っぽい雰囲気になっても良さそうなものだが、そんな気配は全く無いのだ。
 折角環境が変わるのだから、あわよくばと思っていたのだが、この様子では無理らしい。まあ、二人で飲むだけでも楽しくはあるのだが。
 とはいえ、折角此処まで来たというのに玉三郎と遊んで終わりというのは面白くない。色っぽいことは起こらなくても、東京では出来ないことを楽しみたいものだ。
「そういえば宮成さんが言っていたが、近くに乗馬用の馬をかすところがあるらしい。明日は馬で出かけてみるか」
 馬で出かければ、流石の玉三郎も追いかけては来れないだろう。乗馬も東京では出来ないことである。
 斎藤の提案に、も大喜びする。
「わあ! あたし、馬に乗るの、初めてです! 袴持ってきて良かったぁ」
 袴なんか持ってきたのかと斎藤は驚いたが、自前のものがあるなら好都合だ。明日は兎を宮成に預けて遠出で決定である。
「乗馬なんて、本当に避暑地に来たって感じ〜。お昼は外で食べましょうね」
 早くも欧羅巴風の避暑を妄想しているのか、は楽しげにふふっと笑った。





 明日のことを散々喋っているうちに旅の疲れが出たのか、はそのまま眠ってしまった。用意された部屋に運ぼうかとも思ったが、下手に動かして起こしてしまっては可哀想だと思い直し、はこのまま此処に寝かせて、斎藤が彼女の部屋に寝ることにした。
 そうして旅の疲れと酒でぐっすりと眠っていたのだが―――――
 ふと足許がごそごそしていることに気付いて、斎藤は薄く目を開けた。兎が蒲団に入り込んだのかと思ったが、それにしては体が大きすぎる。半分寝ぼけたまま目だけで辺りを窺うと、兎は部屋の隅で長く伸びていた。
 兎ではないとなると、一体何なのだろう。蒲団を捲って確かめようとしたところで、斎藤ははっとした。
 もしかして、が夜這いをかけてきたのか。いくらなんでもそれは無いと思いなおしてみるものの、兎でないのならそれしか考えられない。酔った勢いとか旅先の開放感とか、が突飛な行動に出る理由は揃っているのだ。
 となると、ここで斎藤が騒ぎ立ててはに大恥をかかせてしまうことになる。ここは気付かぬ振りをするべきか。しかしそれも感じが悪いような気がする。
 何しろ女に夜這いをかけられるなど、斎藤には初めての経験なのだ。どう対処したものか、見当が付かない。
 どうすべきか悩んでいると、布団の中でごそごそしていたが、何と斎藤の脚を舐め始めた。予想外の行動に、斎藤もびっくりである。
 脚を舐めるのもありだとは思うが、いきなりこれというのは無いだろう。以前から少し変わったところがあるとは思っていたが、そっちも変わっているとは思わなかった。
、それは一寸―――――」
 苦笑しながら布団の中に手を入れた斎藤だったが、の手触りに表情が固まった。
 “それ”は毛深いというか、やたらもさもさしているのだ。この手触りは“奴”に似ている。
「………何のつもりだ、お前?」
 布団を一気に捲り上げると、楽しげに脚を舐めていた玉三郎がぎょっとしたように目を剥いた。の脚だと思っていたのが、よりにもよって斎藤のだったのだから当然だ。普通、途中で気付きそうなものだが、の部屋にいるから彼女だと思い込んでいたのだろう。
 ということは、に夜這いをかけようとしていたということである。接吻の次は夜這いとは、果てしなく図々しい兎である。
 騙されたとばかりに地団駄を踏む玉三郎を、斎藤はぎゅ〜っと押さえつけた。
「あれは俺のだと何度言ったら解るんだ、この阿呆兎!」
 まったく、いくら自分の縄張り内とはいえ、夜這いをかけるとは思わなかった。たまたま斎藤との部屋が入れ替わっていたから良かったものの、これが予定通りだったら大変なことになっていた。
 一旦押さえつけていた手を離すと、今度を首根っこを掴んで廊下に引きずり出す。
「いいか、今度同じことやったら、こんなもんじゃすまさんぞ」
 大の男が兎相手に凄むのも間抜けな姿だが、相手が夜這い兎となるとそうも言ってはいられない。
 玉三郎は不服そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は何もせずにその場を離れていった。
「ったく………」
 襖を閉め、斎藤は忌々しげに舌打ちをした。折角気持ちよく寝ていたのに、助平兎のせいで目が冴えてしまった。
 明日はと乗馬なのだから、しっかり寝なくては。気持ちを落ち着けて寝直そうと布団に入りかけたが、何となく嫌な感じがして、斎藤は再び襖を開けて廊下の様子を窺った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
 予想通りというか、案の定、玉三郎がの寝ている部屋の襖を開けようと奮戦していたのだ。ぐふぐふ言いながら前足で襖を引っ掻いたり鼻先を捻じ込んでいる様は、まさしく助平親父である。
「まだ懲りんのか、この阿呆兎っ」
 奮闘する玉三郎の首根っこを掴むと、斎藤は再び自分の部屋に引きずり込む。そして逃げようとする玉三郎の腹を着物の帯の端で縛ると、もう一方の端を自分の腹に結びつけた。
「よーし、今日と明日は一緒に寝るぞ」
 こんな助平兎を野放しにしていては、の身が危ない。玉三郎と寝るなど甚だ不本意ではあるが、これも彼女を守るためである。
 一緒に寝るのが嫌なのは玉三郎も同じで、何とか逃げようとどすどす暴れる。そんな玉三郎を、斎藤はにこにこ藤田五郎顔で抱き上げると、無理やり布団に押し込んだ。
「さて、男同士、仲良くするか」
 兎と寝る趣味は無いが、大嫌いな奴が嫌がることをするのは面白い。暴れる玉三郎をしっかり抱き締めて、斎藤はにやりと意地悪く口の端を吊り上げるのだった。
<あとがき>
 見苦しい戦いだな、二人とも(苦笑)。部下さんに良いところを見せようとするんじゃなくて、互いに足を引っ張り合うところが既にもうダメダメですorz
 もうこのシリーズの斎藤、本当にダメダメですな。おかしいなあ、初期の頃はもっとこう、大人なはずだったんだが………。
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