ピーチな彼女
平日は斎藤の家で夕食を食べているが、休日は昼前からの家で過ごすのが二人の習慣になっている。朝のうちにそれぞれの家事を済ませ、終わったらの家でだらだらと過ごすのだ。何の目的も無くだらだらするというのも意外と楽しい。斎藤がに花札を教え込んだのをきっかけに一日中花札をしてみたり、昼間から二人で酒を呑んでみたりとか、傍から見ると特別楽しそうでもないが、本人たちは結構楽しいものだ。
そんなわけで今日は、斎藤は昼から酒を飲んでいる。も少しだけお相伴にあずかっているが、彼女は酒よりもおやつに夢中だ。
一体どこから仕入れてくるのか、の家にはいつも珍しい菓子がある。今日のおやつは桃まんだ。
桃まんといっても桃が入っているわけではなく桃の形をしただけの普通の饅頭だ。ほんのり桃色で皮がふかふかしていて、いかにも女が好みそうな菓子だ。
「一さんもどうですか? 美味しいですよ」
「酒を飲むのに餡子ものはなぁ………」
世の中には羊羹を片手に酒を飲む者もいるらしいが、酒のつまみはしょっぱいものか辛いものだろう。饅頭をつまみに飲むなんて、斎藤にはありえない。
が、は甘いものと甘い酒という組み合わせが気に入っているらしく、菓子を食べながら酒を飲むのは当たり前のようだ。口の中がべたべたしそうな飲み方である。
「桃カステラの方が良かったですか?」
「そういう問題じゃなくて………」
桃カステラというのがどんなものか知らないが、まあ似たようなものだろう。世の中には斎藤が知らない菓子が沢山ある。
は桃まんを一つ取ると、ぱくっと齧り付いた。
のような可愛い娘がこんな可愛い菓子を食べる姿というのは絵になるものだ。これが自分だったら不気味だろうと、斎藤は思う。
桃まんを食べているを見ていると、何だか桃まんが桃まんを食べているようだ。酒のせいで頬が桃色になっているから余計にそう見えるのだろう。
いつだったか大福を食べている時は大福みたいに見えて、今日は桃まんである。は饅頭顔というかお菓子顔なのかもしれない。兎に似ていたり大福に似ていたり桃まんに似ていたり、彼女も大変である。
ぱくぱくと桃まんを食べている様子をじっと観察していると、も視線に気付いて斎藤を見た。
「やっぱり食べます?」
「うーん………」
別に桃まんを食べたいとは思わない。どちらかというと、桃まんよりの頬っぺたの方が美味しそうである。
まったく、あの頬のぷくぷく加減といい、色合いといい、桃まんよりも絶妙である。の頬っぺたのような菓子が出来たら売れまくりではないかと思うほどだ。
斎藤がそんなばかばかしいことを考えているとは思いも寄らないは、にこにこして桃まんを手に取って差し出す。
「はい、どうぞ」
どうやらの手から直接食べて欲しいらしい。こういう細かいところから、恋人らしい雰囲気作りが大事である。
少々照れ臭いが、兎の目が無いことを確認して、斎藤はに顔を近づけた。
かぷっ
「ぅわあっっ?!」
斎藤が齧り付いたと同時に、は悲鳴を上げてぴょんと後ずさった。
それも当然のことで、斎藤は桃まんではなく、の頬に噛み付いたのだ。甘噛みだから痛くないとはいえ、これにはびっくりである。
「なっ……何するんですか、いきなり?!」
噛まれた頬を押さえ、は真っ赤になって悲鳴のような声で抗議する。ほっぺにちゅうなら兎も角、ほっぺをがぶりなのだ。これはいくら斎藤が好きでも腹が立つ。
いつだったかも斎藤はの頬をいきなり引っ張ったりして、ひょっとして彼女を苛めて楽しんでいるのではないかと思う。世の中にはそういう趣味の男もいるらしいが、斎藤もそうなのだろうか。もしそうだとしたら、としては非常に困る。
斎藤の性癖について深く考えたことは無かったが、一度真剣に話し合うべきなのかもしれない。頬を引っ張られたり噛まれたり、そういえば紐で縛られたこともある。ここで止まってくれれば良いが、どんどん過激になったら大変だ。
思いっきり警戒するに、斎藤は慌てて弁解する。
「い、いや、これはアレだ。の頬っぺたがあんまり美味そうだったからっ………。ほら、出来心ってやつだ、うん」
「あたしは桃まんじゃありませんっ!」
斎藤の言い草に、はますます顔を真っ赤にする。
「ほら、桃のこの辺り、丸みといい色合いといい、そっくりだろ?」
機嫌を取っているつもりなのか、斎藤は桃まんの下の辺りを指しながら必死に説明する。が、はますます腹を立てて、
「あたし、そんなぷくぷくしてません! そんなんじゃ、下膨れじゃないですか!」
「下膨れで結構じゃないか。女は少しくらいぷくぷくしてた方が可愛いんだ!」
「?!」
斎藤の言葉に、今度は怒りのせいではなくは真っ赤になってしまった。勢いでつい言ってしまった感じがしないでもないが、それだけに斎藤の本音だと思う。
ぷくぷくした頬ははいつも気にしていたけれど、斎藤が可愛いと言ってくれるならぷくぷくでも良いかなと思う。噛み付かれたり引っ張られたりするのは困るけれど。
嬉しくて顔を緩ませながら、は言う。
「でもあたしの頬っぺたに噛み付いても甘くないですよ。餡子入ってないですから」
「そうだな。どっちかというと、こっちが甘いか」
そう言うが早いか、斎藤はちゅっとに口付けた。一瞬、斎藤のしたがの唇に触れる。
予想外の早業に、が目を閉じる間も無かった。びっくりして、目を見開いたまま固まってしまう。
斎藤はというと、固まっているを見下ろして、面白そうににやりと笑う。
「餡子、付いてたぞ」
「?!」
恥ずかしいのとびっくりしたのとで、は真っ赤になって口を押さえる。その動きが小動物じみていて、斎藤はくくっと笑った。
本当にの反応は面白い。初々しかったり小動物みたいで可愛かったり、一日中観察していても飽きないくらいだ。こういう女だと、もっと反応を楽しみたくなってしまう。
「口に何かつけてると、またするぞ?」
耳元で囁くように言うと、思った通りは耳まで真っ赤にして俯いた。そういう風にされると、もう可愛くて可愛くて、抱き締めたくなってしまう。そこまでするとびっくりして泣き出すかもしれないから我慢するが。
「………どうした?」
俯いたまま動かないを不審に思い、斎藤は彼女の顔を覗き込もうとする。と同時に、が顔を上げた。
「じゃあ、はい」
斎藤を見上げ、は唇にちょんと餡子を載せる。
「うっ………」
今度は斎藤が赤くなる番だ。自分から仕掛ける時は余裕たっぷりだが、仕掛けられると途端に弱くなってしまう。
けれど、斎藤の言葉を逆手にとっておねだりだなんて、可愛いではないか。まあ、がやれば何でも可愛く見えてしまうのかもしれないが。
「しょうがない奴だな………」
困った風を装いながらも、斎藤は口許を綻ばせてに接吻した。
斎藤も大概“恋は盲目”だな(笑)。もう、兎部下さんが何をやっても可愛くてたまらないみたいです。っていうか、世の中の可愛いものは全部兎部下さんに似てるように見えるんですよ。大丈夫か?
でも、可愛くて可愛くて“食べちゃいたいくらい”でも、本当に噛み付くのはいただけませんな。狼さんが兎さんに噛み付いたら洒落にならんて(笑)。ずっと色々我慢してるからなぁ。そろそろ限界か?