わたしのカレは世界一v

 今年の正月は京都である―――――というと優雅な正月だが、現実はそう甘くはない。京都府警の応援で、斎藤と二人で出張なのだ。
 斎藤から「正月は京都に行くか?」と誘われた時は跳び上がって大喜びしたのに、こんなオチがついていたとは。出張なんて詐欺だと訴えたら、「京都に行くと言っただけで、遊びに行くとは言ってない」と切り返され、はやり場のない怒りで一杯だ。
 そういうわけで元旦だというのに、神社の境内に設置されたテントの中で仕事である。初詣の時はスリや引ったくりが多いらしく、被害届けや調書の作成に大忙しだ。犯罪者も正月くらい休めば良いのにと思う。
「折角の京都なのに〜」
 仕事が一段落下ところで処理が終わった被害届けを綴りながら、は悲しくなってきた。京都行きの話が来た時は、斎藤と二人で有名な神社に初詣に行って、京料理を食べたり買い物したりと楽しい想像が膨らんでいたのに、現実はこれなのだ。いくら警察が年中無休とはいえ、折角京都に来たのに仕事だなんてひどすぎる。
 この期に及んでブツブツ言っているを見て、斎藤は面倒臭そうに溜息をついた。
 あの誘い方に少し騙しが入っていたのは、斎藤も認める。しかし京都に行ってみたいとずっと前から言っていたのはではないか。仕事のついでに京都観光が出来れば一石二鳥だと思っていたのに、ここまでブツブツ文句を言われるとは思わなかった。
「この仕事が終わったら何処にでも付き合うから、そう言うな」
「仕事が終わる頃にはお正月も終わっちゃいますよ」
「正月が終わっても京都は逃げんだろう」
「初詣が出来ないじゃないですか。誕生日だって………」
 京都観光が出来るのは嬉しいが、は斎藤と初詣もしたいのだ。しかも、今日は彼の誕生日でもある。初詣をして誕生祝もやって、今年一年も二人で仲良く過ごそうと思っていたのに。
 それを言われると、斎藤も辛い。この歳になると誕生日などどうでも良いのだが、まだ若いには大切な行事らしい。こういう感覚の違いというのは、意外と擦り合わせが大変だ。
「………巡回に行ってくる」
 ぷぅっと膨れるの姿に気まずくなったのか、斎藤は制帽を取るとそそくさとテントを出てしまった。
 一寸愚痴愚痴言いすぎたかとは少し反省したが、悪いのは騙すような真似をした斎藤なのだ。最初から出張だと言ってくれれば、彼女だってそのつもりで付いて来たのに。
 しかし仕事が終われば遊びに連れて行ってくれるらしいので、この件はもう良いかなと思う。今回は騙されてしまったが、普段は人並み以上に優しい良い人なのだから。照れ屋過ぎるのは少々困りものだが。
 斎藤が戻ってきたら熱いお茶を淹れてあげようと思いながら書類を整理していると、急に周りが慌ただしくなってきた。
さん、藤田警部補は?」
「さっき巡回に出ました」
 どうやら事件か事故があったらしい。まったく、正月早々忙しいものだ。
「えー、参ったなぁ………。しょうがない、さん、話聞いて調書作って」
「あたしがですか?」
 中年の警官の指示に、は目を丸くする。
 調書を作るのは良いが、話を聞くのは警官の仕事だ。斎藤に回すくらいだから相手はの手に負える人間ではないだろう。迷子くらいならにも話を聞くことが出来るが、犯罪者はいくら何でも無理だ。
「引ったくり逮捕に協力してくれた人に状況を聞くだけだから。じゃ、宜しく」
 用紙を持っておろおろするの肩をぽんと叩くと、警官は何処かへ行ってしまった。彼も彼で忙しいらしい。
 応援を頼むくらいだから人手が足りないのは解るが、それでもこれはいくらなんでも酷すぎだ。警察勤めが長いとはいえ、は事務方で実務経験は一切無しなのだ。今回だって、警官が話を聞く横で書類を作るだけで良いはずなのに、まさか警官の仕事まで回されるとは。
 困り果ててしまったが、いつまでも協力者を待たせておくわけにはいかない。かといって何をどう訊けば良いのかも解らないし、斎藤が帰ってくるまで雑談で引き延ばして彼に代わってもらうのが一番良いだろう。
 そうと決めたら気が軽くなった。は用紙と筆記具を持って協力者が待つ机に向かった。
「すみませーん、遅くなりましたー」
 席にいたのは、背の高い男と小柄な少女だ。多分この男が協力者なのだろう。かなりの男前だと思ったが、何処となく暗そうな雰囲気だ。何だか話しかけづらい。これは雑談で引き延ばすのは無理かもしれない。
「えーっと、まずお名前をお伺いしたいのですが」
「四乃森蒼紫」
「巻町操です」
 予想通り、男の話し方は暗い。幸い、少女の方が明るくて人懐こそうな声だから、こちらとならきっと話が弾むかもしれない。
 歳の離れた兄妹かと思っていたら、苗字が違うからそうではないらしい。親戚なのだろうか。何となく気になって、は関係ないと思いながらも訊いてみた。
「差し支えなければ、お二人のご関係をお伺いしても良いですか?」
「え………?」
 操は一瞬困惑した顔を見せた後、ぽっと頬を赤らめた。蒼紫は相変わらずの無表情である。
 二人は恋人同士なのだろうか。蒼紫の反応はよく判らないが、操が彼のことを好きらしいことは確かだ。好きな人と一緒に初詣だなんて、羨ましい。本当ならだって、斎藤と初詣のはずだったのに。
「良いなぁ、好きな人と初詣………」
「そっか、正月早々お仕事ですもんねぇ」
 筆を走らせながらぼそっと呟いたに、操が気の毒そうに言葉をかけた。
「そうなんですよ。私も去年までは二人で初詣に行ってたんですけど、今年は仕事になっちゃって。お正月が終わったら一緒に遊びに行く約束をしたんですけどね」
 雑談の糸口が掴めたと、は訊かれもしないことまで話し始める。操もこういう話は好きらしく、すぐに食いついてきた。
「それって恋人ですか? どんな人?」
「えーっとねぇ、凄く優しい人。ここだけの話なんだけど、あたしの上司なの」
「えーっ?! 職場恋愛ってやつですか? すごーい」
 秘密を打ち明けられたせいか、それとも職場恋愛ということに驚いたのか、操も興奮しているようだ。そういう反応をされると、も訳も無く嬉しくなる。
 は誇らしげにふふっと笑って、
「一回りくらい歳が離れてるから、やっぱり大人なんだよねぇ。大人なんだけど、凄い照れ屋さんなのが可愛かったりして。こんなこと言ったら怒られちゃうけどね」
 斎藤の魅力を語ろうとしても、言葉では語りつくせない。仕事が出来て、大人の男で優しくて、いつも落ち着いているけれど照れ屋で可愛いところもあって、とにかく最高なのだ。には勿体無いくらいの恋人だと思う。
 実際に会わせるのが一番手っ取り早いけれど、操が斎藤に会って好きになってしまったら大変だ。蒼紫がいるから簡単に好きになったりはしないだろうが、斎藤はああいう暗い感じの男ではないし、ずっと魅力的だと思う。やっぱり好きになられでもしたら大変だ。
 案の定、操は斎藤に興味を持ったらしく、興味津々に訊いてきた。
「その上司の人って何処にいるの? そんなに素敵な人なら会ってみたいなあ」
「今は巡回に行ってるの。もうすぐ戻ってくると思うけどね。あ、でもあたしの好きな人なんだから、好きになっちゃ駄目だよ」
「大丈夫よぉ。あたしにも好きな人がちゃあんといるもん」
 しっかりと釘を刺されても、操は可笑しそうに笑い飛ばす。彼女は彼女で、蒼紫のことが大好きなのだ。まだ恋人とは呼べないけれど、強くて優しくて格好良い蒼紫以上の男はいないと思っている。いくらの上司とやらが素敵だといっても、蒼紫以上ではないと思う。
 でも、の上司のことも気になって仕方が無い。別にの恋人がどうというわけではないが、そこまで言われると見てみたくなるのが人情というものだ。
「操」
 好奇心で一杯の操を咎めるように、蒼紫が軽く睨んだ。
 操も年頃だから他人の恋が気になるのは、朴念仁の蒼紫でも解らないわけではない。しかし、いくら話好きそうとはいえ、初対面の相手の私生活に立ち入るのは如何なものか。
 だが、はにこにこして、
「じゃあ、戻ってきたら警部補に調書を作ってもらうことにしますね。実はあたし、調書を作ったこと無いの」
「警部補なんだぁ」
 の発言に、操だけでなく蒼紫も些か驚いた。
 操も蒼紫も、警部補と肩書きが付く人間は斎藤しか知らない。というか、警官は斎藤しか知らないのだが。そいうわけで警部補というと、つい斎藤のような不良警官を連想してしまうのだ。しかしがこれだけ夢中になっているのだから、彼女の恋人は良い警部補なのだろう。警察は巨大組織なのだから、色々な人間がいるものだ。
 大人の男で優しくて、照れ屋で可愛いという警部補への期待は、否が応でも高まってくる。きっと斎藤など勝負にならないほどの良い男に違いない。
 普段はこういうことに無関心なはずの蒼紫でさえも少し興味を持ち始めたところで、テントに人が入ってくる気配がした。
「あ、戻ってきた!」
 跳ねるように立ち上がって、が出入り口に走る。いよいよ“素敵な恋人”とやらの登場である。
 が用紙を見せながら説明している相手にさり気なく視線を遣った二人だったが、男の顔を見た瞬間、我が目を疑った。操など、何度も目を擦って見直しているくらいだ。
 が話している相手は、どう見ても斎藤だったのだ。東京にいるはずの彼が京都で仕事をしているなんてありえないが、他人の空似とも思えない。
 しかしが言っていた“素敵な恋人”と斎藤は、どうやっても繋がらない。人生経験は豊富だから“大人の男”というのは認める。“優しい”というのも二人が知っている斎藤からはかけ離れているが、本当に大切な人間には驚くほど優しいのかもしれない。特に悪人顔の斎藤なら、人並みの気遣いでも実際以上に優しさを感じてしまうということもあり得る。
 そこまでは無理やり納得してみたものの、どうしても納得できないのが“照れ屋さん”で“可愛い”ということだ。あの男が照れる姿というのも想像できないが、それよりも“可愛い”という表現が理解不能である。女という生き物は何にでも「可愛い!」と言いたがるものであるが、流石にこれは無理がありすぎるだろう。斎藤が可愛いのなら、世の中の大概の男は可愛い。
 楽しげに斎藤に話しかけるの姿から目を離せないまま、操は唖然と固まっている。
「蒼紫様、あれ………」
「世の中、色々あるんだ。あまり追求するな」
 蒼紫も唖然とせずにはいられないが、世の中には色々な好みの人間がいるのである。斎藤のことを“素敵”とか“可愛い”と言う人間がいるから、世の中は上手く回っているというものだ。
 とは思ってみるものの、やはり蒼紫も釈然としない。世の中には色々な男がいて、斎藤に勝る男もゴロゴロいそうなものなのだが、どうして“誰もが好きになってしまう素敵な男”と思い込めるのだろう。それが不思議でならない。
 そんなことを考えていると、斎藤がこちらにやって来た。一瞬、彼も蒼紫と操の顔を見て驚いたように目を瞠ったが、すぐに見知らぬ他人を相手にするような顔で席に着いた。
「今回はご協力ありがとうございます。簡単に状況をお伺いしたいのですが―――――」
 何を言われるかと身構えていたのだが、蒼紫も操も唖然とした顔のまま斎藤をまじまじと見ている。のことをあれこれ詮索されるのは論外だが、こうやって観察されるのも腹が立つものだ。
 あくまで見知らぬ他人として接しようと思っていたが、あまりにも腹が立ってきてすぐにいつもの態度に戻ってしまった。
「何だ? 言いたいことがあるならはっきり言え」
「言いたいことっていうか………」
 言えと言われても、突っ込みどころが多すぎて操は口籠もってしまう。
 その隣で、蒼紫も困ったように息を吐いて、
「ま、恋は盲目というやつか」
「は?」
 何だかよく解らないが、蒼紫は一人で納得しているらしい。どういう流れでそういう結論に至ったのか全く話が見えていない斎藤は、ますます不機嫌になってしまうのだった。
<あとがき>
 今年の兎部下さんと斎藤のお正月はお仕事です。そういえば二人が仕事をしている話って、あんまり無かったですね。いつ仕事してるんだ、お前ら?
 ローカル番組の不定期コーナーで“わたしのカレは世界一!”っていうのがありまして、毎回凄いんですよ。もう、ノロケっぷりというか、恋は盲目っぷりとか(笑)。お前、どんだけ痘痕も笑窪なんだよと。
 しかしまあ程度の差こそあれ、恋愛中というのは目が曇るというか、そういうのってありますよね。そういう脳内物質が分泌されるせいらしいですよ、あの不思議現象は。兎部下さんも、思いっきりヤバイ脳汁が出ているようです。斎藤も時々やばい脳汁が出てるんで、このカップルはお互い様ということで。
 蒼紫と操ちゃん、兎部下さんに感想訊かれたら困っただろうなぁ………(苦笑)。
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