誰にでも秘密がある

 誰にでも秘密はある。
 勿論にも、斎藤に言えない秘密がある。それは―――――
「えへへ………」
 流し台の下の収納庫を開けて醤油や味醂の瓶を丁寧にどかすと、桃色の子豚の貯金箱が姿を現した。これはの大事なへそくりである。
 実は、斎藤に貰っている食事を少しずつ浮かせて、コツコツと溜め込んでいるのだ。この金は斎藤の家に置いてあるし、何よりこの貯金箱が一杯になった暁には二人で洋食を食べに行く資金にする予定なのだから、悪いことをしているというつもりは無い。
 斎藤は小銭があるとすぐに煙草か酒に変えてしまうものだから、こうやってが管理してやらないと駄目なのだ。だから断じてちょろまかしているとか、横領しているわけではない。
 は大事そうに子豚を両手で持ち上げると、小さく振って中の音を確かめる。子豚の腹はジャラジャラと重そうな音をたてた。
 余分な小銭を全部入れているだけあって、よく詰まっている。これぞ努力の成果というものだ。
 は満足げににんまりと笑うと、子豚をひっくり返して蓋を外す。そして何を思ったのか、指を突っ込んで中の小銭を何枚か取り出したのだ。
 実はの一番の秘密は、この子豚の存在ではなく、こうやって貯めた小銭を少し抜いて、おやつを買うことなのである。これはいくら誤魔化しても横領だ。
 けれど考えようによっては、斎藤の金を管理してやってるのだから、これくらいのお駄賃は貰っても良いはずだ。お釣りを全部斎藤に返していたら酒か煙草に変身して、一銭も残らなかったに違いない。だからこれは、やりくり上手なへのお駄賃なのだ。
 ―――――などと自分に言い訳していると、後ろで小さな物音がした。
 びっくりして振り返ると、兎が物陰からじっとの様子を観察している。動物のくせに、全部お見通しと言いたげな目だ。
「う………」
 兎は告げ口できないと分かってはいても、こうもじっと見詰められていると気まずい。一瞬固まってしまっただったが、すぐに開き直ったように言う。
「これはやりくりしてるあたしへのご褒美なの! 斎藤さんが持ってたら無くなってたお金なんだから、少しくらい遣ったって罰は当たらないわ」
 そう言ってみせても、兎はまだ疑いの目で見ている。
「これが一杯になったら、二人で洋食を食べに行くんだから。本当よ」
 半ば自分に言い聞かせるようにそう言うと、は小銭を自分の財布に入れた。





 誰にでも秘密はある。
 勿論斎藤にも、に言えない秘密がある。それは―――――
「確かこの辺に………」
 日頃は触りもしない流し台の収納庫を開けて、斎藤は細心の注意を払いながら中を漁る。実は調味料の瓶の陰に、のへそくりが隠されているのだ。
 これを見付けたのは割と最近で、たまたま酒の肴を作るのに味醂を使おうとして気付いたのだ。中身は小銭ばかりだし、斎藤の家にあるということから、おそらく食費の浮いた分をへそくっていたのだろう。
 しかし、へそくるのに子豚の貯金箱を使うとは、随分と無用心なものである。普通、もっと目立たない入れ物を使うだろう。お陰で、小銭が無い時は助かっているが。
 小銭を抜いてはいるが、小銭ができればすぐにその都度きちんと返している。時には色をつけて返しているのだから、斎藤には悪いことをしているという意識は無い。
 大体これは、元をただせば斎藤に返されるべき金なのだ。本来なら煙草代になるものをに預けているだけなのである。どうせこの金はのおやつ代に消えるのだから、それくらいなら斎藤の煙草代に使ってやった方が小銭も幸せというものだ。
 とはいえ、やはり他人が貯めた金を一時的とはいえ抜いてしまうのには、少しは罪悪感があるもので―――――
 背後でカタンと小さな音がした。ぎょっとして斎藤が振り返ると、兎が咎めるような目でじっと斎藤を見詰めていた。
 満月の夜でもない限り兎が喋ることは無いとはいえ、こうじっと見られていると落ち着かない。斎藤は小さく舌打ちをすると、兎の存在を完全に抹殺するように、意識を子豚に集中させる。
 何でも溜め込むのが好きな女だけあって、子豚の腹はいい感じに重くなっている。これだけ重ければ、煙草代を抜いたところで気付かれはしないだろう。
 斎藤は子豚をひっくり返して腹の蓋を取ると、必要な小銭を抜いて財布にしまう。そして子豚も瓶も寸分違わぬように元に戻し、触った形跡が残っていないのを確認して立ち上がった。
 ふと足許を見ると、いつの間に忍び寄ってきたのか、兎がお座りして斎藤を見上げていた。秘密を握ったことで何かおこぼれに与ろうと思っているのか、期待で目を輝かせている。
 全くこの兎は可愛い形をして、ちっとも可愛くない。告げ口なんかできないくせに、いかにも「何かくれないとに言いつけてやる」と言いたげな顔をしているのが気に食わない。
 斎藤は再びしゃがみ込むと、兎の目をじっと見て一言一言力を込めて言い聞かせる。
「これは元々は俺の金だ。少しくらい持ち出しても罰は当たらん」
 斎藤の言葉に、兎は思いっきり不審の目で見返した。が、良い思いができそうにないと悟ると、つまらなそうに鼻を鳴らして自分の家に戻っていった。





 そしてその日の夜―――――
 二人はいつものように楽しく夕食を食べていた。互いに互いの秘密を知らないと信じきっているものだから、呑気なものである。
 が、そんな和やかな雰囲気も、次の瞬間にはたちまち崩れ去ってしまった。
「ぶひっ!」
 豚の鳴き声のような音に、二人の箸が止まる。
 何の音かとと斎藤が台所を覗くと、兎が例の収納庫の前に座り込んで鼻を鳴らしていたのだ。まるであの子豚の存在を教えているかのような様子に、二人は一気に血の気が引く。
 はへそくりを告げ口しようとしていると思い、斎藤は小銭を抜いているのを告げ口されるのではないかと、気が気でない。幸い兎は口が利けないから直接言いつけることはできないが、相手が不審に思うのではないかと、も斎藤も相手の様子をそれとなく窺う。
 二人の動揺を察して、兎はもう一押しだと思ったのか、またぶひぶひ言いだす。「此処掘れワンワン」いった様子で二人を脅迫し続ける。
 このままではまずいと、先に動いたのは斎藤だった。
「どうしたんだ? 酒でも飲みたいのか? しょうがない奴だな」
 兎相手に気持ち悪いほどの猫撫で声で言うと、斎藤は収納庫の扉に手を伸ばす。
 こうすれば、も子豚を見つけられると慌てて止めるはずだ。そうなれば、斎藤にとっても良い時間稼ぎになる。
 案の定、は慌てて斎藤を止めた。
「駄目ですよ! 兎さんにお酒上げちゃ」
 下手に収納庫を弄られたら、子豚が見付かってしまう。まだ斎藤に見付けられるわけにはいかないのだ。
 予想通りの反応に、斎藤は内心にんまりしつつ、反省したふりをしてあっさりと引き下がった。
「そうだな。兎に酒を飲ませるわけにはいかん」
 思い通りにことが運んで安心した二人だが、面白くないのは兎だ。当てが外れて、ぶひぶひと不満げに鼻を鳴らした。
 が、二人ともそんな兎を無視して食卓に戻ろうとする。秘密は守られたのだから、もう兎に用は無いのだ。
 折角二人の秘密を掴んで良い思いをしようと思っていたのに何も貰えなくて、兎は悔しげに足を踏み鳴らすのだった。
<あとがき>
 どっちもどっちな二人………(苦笑)。
 それにしても子豚の貯金箱でへそくりなんて、兎部下さんもしっかり者なんだか無用心なんだか。このお金で洋食を食べに行く日が早く来れば良いですね。でも二人して使い込んでたら、遠い先の話かな(苦笑)。
そして、二人の秘密を握って良い思いするはずが、当てが外れた気の毒な兎さん。脅迫はいけませんね、やっぱり。
 ところで、兎もぶひぶひいうんですよ。怒ったり興奮したりしてる時とか。
戻る