一年の計は元旦にあり
世間から隔絶された山奥では、時間の流れが曖昧になることがままある。今日が元旦だと気付いたのは、が餅を焼いているのを見てからだ。そういえば一昨日いきなり餅をつくと騒ぎ出して、比古も手伝わされたのだった。何でいきなり餅なのかと思っていたが、そういうことだったのかと比古は今更気付いた。
「明けましておめでとうございます。もうすぐ焼けますからねー」
「ああ」
元旦とはいえ、いつもと変わりが無い朝だ。文机に鏡餅が置かれているのが、正月らしいくらいか。一体いつの間に用意したのだろう。
囲炉裏にかけられている鍋を覗いてみると、雑煮が良い感じに煮えている。流石に御節は用意できなかったらしいが、これだけでもまあ正月気分にはなるものだ。
去年の正月は何も無かったから、も比古と同じくそういうことは気にしない人間だと思っていたが、そういうわけではなかったらしい。去年は此処に居座ることで頭が一杯で、それどころではなかったのだろう。ということは、今年は呑気に正月をやっているのは、もう完全に居座る気でいるのか。
「今年こそはっきりとさせとくが、お前、いつまで此処にいるつもりだ?」
正月早々こんな話題も何であるが、元旦だからこそはっきりさせておかなくてはならない。が、はコロコロ笑って、
「いやですよ、先生。正月早々そんな話。
あ、もう良いかな。先生、御椀取ってもらって良いですか?」
「……………………」
ちっとも良くないと思いながらも、なぜか比古は言われるままに戸棚から椀を二つ出してしまう。
まったく、仮にも先生と呼んでいる人間を使うなんて、どういう了見なのか。新年早々この調子では、今年一年も思いやられるというものだ。
これは一度、ビシッと〆ておかなくてはいけない。居候のくせに日に日に図々しくなって、勝手に私物を増やすわ、裏に畑をつくって家庭菜園を始めるわで、そのうちこの家を乗っ取りかねない勢いなのだ。お嬢様育ちを自称する割には、恐ろしいほど生活力のある女である。
「ありがとうございます」
比古から椀を受け取ると、は餅を入れて雑煮を注ぐ。
「はい、どうぞ」
「ああ」
ガツンと言ってやろうとは思っているのだが、すっかりに仕切られてしまっている。正月の準備から指示されまくりで、一体誰の家だと突っ込んでやりたい。
相変わらずは師匠である比古よりも先に箸を付けている。これもすっかりお馴染みの光景になってしまったが、師匠より先に食う弟子など一体どこの世界にいるのか。これでは師弟というより同居人である。いや、同居人でも居候ならもっと遠慮するものだろう。
今更ながら、一体こいつは何なのか。一応弟子と名乗っているが、弟子らしい謙虚な態度は微塵も無い。まあ、比古も師匠らしいことはしていないのだが。ということは、ただの同居人になるのか。そうなると、何故自分がこんな女と同居しているのか比古には皆目解らない。
否、この女がこの家に住むことになったきっかけは比古も鮮明に覚えている。ある日突然、弟子にしてくれと家の前にやって来たのだ。当然彼も追い出そうとしたが、行く所が無いの一点張りでずるずると今に至って遂に二度目の正月である。
冷静に考えてみると、氏素性のはっきりしない女が突然やって来て、ずるずるとそのまま住み着いているというのは、かなりの異常事態だ。憎まれ口を叩いても追い返そうとしても頑として動かずに、逆に自分の居場所をどんどん広げて行っているというのも、ある意味恐怖である。比古がかなり体格の良い男で、がぱっと見は大人しそうに見える女だから今まで全く感じなかったが、普通の男女に置き換えてみたら一寸した恐怖小説の出来上がりである。
気に入った家を見つけていつの間にか住み着いてしまう“座敷童”という妖怪の話を聞いたことがあるが、はまさしくそれだ。年齢的にもう“童”という歳ではないから、“座敷女”か。“座敷女”というこの響きも何だか怖い。しかも座敷童は気性も大人しく家に福を呼び込むらしいが、この座敷女は大人しそうなのは見かけだけ、福を呼び込むどころか比古の生活を掻き乱しているのだ。なのに全く追い出せないというのが恐ろしい。
「どうしました? 早く食べないとお餅が硬くなっちゃいますよ」
無意識に凝視していたのか、が不思議そうな顔をする。
「………ああ」
言いたいことは多々あるが、とりあえず先に雑煮である。比古も漸く箸を取った。
まあ、雑煮は普通に美味い。此処に来たばかりの頃のは料理などしたことが無いと言ってとんでもない味のものを作っていたから、かなり上達したと思う。
の料理の上達具合など、どうでも良いことだ。さしあたっての問題は、彼女が当たり前の顔をして此処に居座っていることである。さっさと雑煮を片付け、比古は今度こそ話を切り出す。
「大体お前は何で此処にいるんだ? 知らん男の家にいきなり転がり込んできて、そのままずるずる住み着くなんて、どう考えても変だろ」
「はい?」
あまりにも唐突な質問に、はきょとんとする。
何で此処にいるのかと問われても、弟子だからとしか答えられない。比古の弟子になりたいから此処に来て、陶芸修行のために此処に住んでいるのである。以前から繰り返し繰り返しそう言っているのに、どうして今更そんなことを訊くのだろう。まさかボケてしまったのだろうかと、は不安になってきた。
正月早々師匠がボケてしまったなんて、何という年明けなのだろう。今後のことを考えると、は頭がくらくらしてきた。
「せ……先生、私が誰か、判りますか?」
何処までボケてしまったのか確認するために、は恐る恐る尋ねてみる。これでのことまで判らなくなっていたら、恐怖だ。
一応、比古が耄碌しても介護をしてやるつもりではいる。が、それはが一人前の陶芸家になって、彼がよぼよぼの爺さんになっていることが前提で、こんな殺しても死なないような状態で耄碌されてしまっては、身の安全を確保することの方が先だ。
いきなり暴れだされても対抗できるように、おたまと鍋の蓋で武装してみる。そんなの様子を見て、今度は比古が怪訝な顔をした。
「何やってるんだ、お前?」
「いいから私の名前を言ってみてください」
なるべく相手を刺激しないように、は優しい声でゆっくりと言う。
何だかよく分からないが、が訳の分からない誤解をしていることだけは比古にも解った。彼女が勝手な思い込みで突き進むのはいつものことだが、これも勘弁してもらいたいと思う。
こんなことに付き合うのは馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、無視すれば余計にややこしく誤解しそうだ。比古は面倒臭そうに答える。
「だろ」
「じゃあ、昨日の夜は何を食べました?」
「あー、うどんだ、うどん。お前、いくら簡単だからってうどんばっかりじゃ飽きるぞ」
「良かったぁ。ボケたわけじゃないんですね」
どうやら本格的にボケたわけではないらしいと、はほっと胸を撫で下ろした。そして、おたまと鍋の蓋を置くと、
「もう、毎回同じこと訊くから本当にボケたんじゃないかと心配しましたよ。此処にいるのは先生の弟子だからに決まってるじゃないですか。それとも、先生のことが好きだから此処にいるって言って欲しかったんですか?」
「喧嘩売ってんのか、手前」
真面目に話そうとしているのに、この女ときたら毎回こうやって引っ掻き回そうとする。わざとやっているのだろうが、毎回比古は苛々させられっぱなしだ。
大体、弟子を自称するならもう少し態度を改めろと言いたい。師匠の話を真面目に聞くとか、師匠を顎で使わないとか、箸を取るのは師匠の後とか―――――考えていたら情け無いのを通り越して切なくなってきた。
「弟子なら弟子らしく、しおらしい態度を取れ。そうだ、お前の今年の目標はそれにしろ」
「いいですよ」
比古の命令に、はにっこり笑って応える。
どうせ出来もしないくせに随分と軽く応えるものだと比古が苦々しく思っていると、は早速しおらしく三つ指を突いて、
「じゃあ、今年一年もよろしくお願いいたします、先生」
「げっ………」
しまったと思ったが、もう遅い。
“弟子は弟子らしく”というのを今年の目標に設定させたということは、つまり比古自身が今年一年の残留を認めてしまったということだ。話を引っ掻き回して自分の調子の良い方向に持っていくというのは、の常套手段ではないか。どうして毎回こんな手に引っかかってしまうのかと、比古は自分が情けなくて仕方が無い。
の今年の目標が“弟子らしく”なら、比古の目標は“に話を持っていかれない”だ。ついでに、“来年こそ座敷女を追い出す”も追加したい。
今年もこの調子でと付き合っていくのかと思うと、新年早々げんなりとしてしまう比古なのだった。
今年も相変わらずな師匠とお弟子さんです。毎回このパターンだな。そろそろこの状況を打破しなくては。
見方を変えてみたら、師匠と主人公さんの関係って結構ホラーにもなりますよね。いきなり家にやって来て、追い出そうとしてもずるずる居座る女。現実だったらかなり怖いですよ。どうして今まで気付かなかったんだろ(笑)。
ところで『座敷女』っていうホラー漫画、ご存知ですか? ある日突然謎の女のターゲットにされて、どんなに振り切ろうとしても逃げられない男の話なんですけど、一歩間違えてたら師匠もこうなってたかも………。