あなたに似た人

 野暮用で派出所に行ったら、留守番を頼まれた。相方の警官は病欠しているのだという。
 すぐ近くの派出所に書類を届けるだけだからと言われて仕方なく引き受けたのだが、待っている間というのは時間が経つのも遅く感じるものだ。やることも無くぼんやりとしているうちに、煙草が空になってしまった。
「参ったな………」
 空になった煙草の箱を握り潰し、斎藤は外を見た。
 此処に来る途中に煙草屋はあったのだが、往復すれば十分以上はかかる。その間に誰も来なければ問題ないのだが、留守の間に警官が戻ってきた時のことを考えると、留守番を引き受けた側としては少々気まずい。店の前を通った時に買っておけば良かったと、少々後悔した。
 退屈しのぎになるものが無いかと机の引き出しを開けてみるが、めぼしいものは何も無い。仕方が無いので日誌を開いてみたが、「本日は何も無し」の頁が続くだけだ。派出所というのは暇らしい。結構なことである。
 何も無いのは結構なことなのだが、退屈で仕方が無い。誰か道でも尋ねに来てくれないものかと思いながら、斎藤は大きく欠伸をした。
「すみませ〜ん」
 大口を開けたところで、女の声がした。見ると、出入り口のところに大きな荷物を持った少女が困惑顔で立っている。
 年の頃は11〜2歳といったところだろうか。荷物から察するに、旅行者だと思われる。
「母とはぐれちゃったんですけど………」
「迷子か………」
 子供の相手は苦手だが、迷子の保護も大事な仕事だ。細かい手続きは此処の警官に引き継げばいいとして、これくらいの歳の子供なら退屈しのぎの相手にはなるだろう。
「そこに座れ」
 斎藤が手招きをすると、少女はおずおずと中に入って椅子に座った。
 知らない場所で親とはぐれて、不安でたまらないのだろう。落ち着き無く視線を彷徨わせている。
 ふと目を伏せた顔が、斎藤に懐かしい顔を思い出させた。少女の顔そのものは似ているというわけではないのだが、その一瞬だけはどきりとするほど似ている。
 似ているのは、斎藤のかつての妻だ。ほんの数ヶ月間の結婚生活だったが、人生で一番幸せな時間だったと思っている。
 あの女は―――――はどうしているだろう。会津戦争が終わり、斗南に流され、漸く許されて京都に戻った時には、彼女はもういなかった。何処に行ったのか、生きているのかどうかさえ判らない。
 生きているのなら、そして今も独りでいるのなら、もう一度会いたい。しかし再婚しているかもしれないと思うと、捜すのも躊躇われる。
 別れた時、はまだ17歳だった。娘時代の雰囲気が損なわれる間も無く結婚生活が終わってしまったから、再婚の話がいくらでも持ち込まれるのは容易に想像できる。いつまでも帰らぬ夫を待ち続けるより、新しい夫と新しい生活を始めようとが考えたとしても、斎藤にそれを責めることは出来ない。
 それを思うと、今更を捜すのも憚れるような気がする。第一、身寄りの無い彼女には、捜す手掛かりが何一つ無いのだ。
「あのぉ……あたしの顔、何か付いてます?」
 そんなつもりは無かったのだが、しげしげと見ていたのだろう。少女が怪訝そうに尋ねた。
「いや………。
 しかし参ったな。俺は留守番で、何をどうして良いかさっぱり分からん。此処の人間が戻るまで待っててくれないか」
 迷子の保護も警察の仕事だが、密偵の仕事しかしたことのない斎藤には、何をどうすれば良いのか残念ながらさっぱり分からない。管轄ごとに仕事がきっちり分かれているのは、こういう時が困りものだ。
「はあ………」
 いきなり頼りないことを言われて、少女は困ったように小さく応えた。親とはぐれてただでさえ不安だろうに、折角見つけた派出所でこんな対応をされれば当然だ。
 それでも文句を言うわけでもなく、少女は目を伏せて黙り込んでいる。そうしているとますますに似ている、と斎藤は思った。
 初めてと出会った時も、こんな感じだった。近所に遊び相手もおらず、周りは子供な相手など期待できない血気盛んな若い男ばかりで、彼女はいつもこんな感じで縁側に座っていた。年の頃も、丁度これくらいだったか。
「………………」
 少女とは全くの別人なのだが、見ているとどうも昔のことを思い出していけない。斎藤は何となく視線を逸らしてしまった。
 待っていろと言ったせいで、少女はじっとして何も言わない。この年頃の少女というのは黙っていろと言っても喋り続けるものだと思っていたが、この少女はそうでもないようだ。沈黙が苦痛でない女というのは珍しい。そこはとは正反対だ。
 先に沈黙に耐えられなくなったのは、斎藤の方だった。
「先に旅館に行ってるかもしれないな………」
「………え?」
 呟くような斎藤の声に、少女が顔を上げた。
「いや、母親が………。泊まる所が分かってるのなら、送ってやろう」
「旅行じゃなくて、こっちに引っ越してきたんです。新しい家はこの辺りらしいんですけど、詳しい住所は母しか知らないから………」
「ああ、それは………」
 結局、此処で預かっておくしかないらしい。斎藤は困ったように小さく息を吐いた。
 早く此処の警官が戻ってこないかと外を見るが、まだ戻りそうな気配は無い。書類を届けに行くだけのはずなのに、一体何をやっているのだろう。普段暇なのを良いことに、向こうの派出所で油を売っているのだろうか。
 帰ってきたら絶対説教してやると斎藤が考えていると、少女が徐に口を開いた。
「母もこの辺りを捜してると思うんで、もしかしたら此処に来るかもしれません。私のことは気にしないでお仕事なさってください」
 斎藤が迷惑していると思ったのか、彼では頼りにならぬと見切りを付けたのか、少女は妙に大人びた口調で言う。知らない場所で独りになって不安だろうに、案外しっかりしている。
 だが、気にしないで下さいと言われたところで、はいそうですかと斎藤も少女を無視するわけにはいかない。逆に、こんな年端もいかない子供に気を遣われてしまったのが情けないくらいだ。
「仕事ったってなぁ………」
 斎藤はますます困惑して腕を組む。本庁に帰ればいくらでも仕事はあるが、此処には彼に出来る仕事など何も無いのだ。置物のようにぼんやりと座っているのがせいぜいである。
 となると、今の斎藤にできる仕事はこの少女の話し相手くらいなものである。これを仕事と言って良いものか、甚だ疑問ではあるが。
「まああれだ。さっきも言った通り、俺は留守番だからな。こうやって座っているのが仕事みたいなもんだ」
「はあ………」
 仕事をしないのが仕事のように言い切られ、少女は不思議そうに首を傾げた。きっと、ぐうたらな警官だと思っているのだろう。
 頼りにならないとかぐうたらだと思われるのは不本意だが、今の斎藤は実際にそうなのだから否定はしない。仕事がある時に全力でこなしていれば、暇な時は全力で怠けていても良いのである。
「そういうわけだから、此処の奴が戻るまで話でもするか。えーと、名前は何だ?」
「一です。山口一」
 斎藤の物言いに呆れながらも、少女は素直に答えた。おかしな警官に当たってしまったものだと、此処に来たのを後悔しているかもしれない。
「山口一か………」
 思いがけず懐かしい名前を聞いて、斎藤は些か驚いて軽く目を瞠った。
 “山口一”というのは、斎藤の一番最初の名前と同じものだ。苗字と名前そのものはありふれたものだが、全くの同姓同名というのは面白い偶然である。
 斎藤の驚きの理由を知らない一は、苦笑しながら言い訳のように説明した。
「男みたいな名前でしょう? 死んだ父の名前だそうです」
「へぇ………」
「あたしが生まれる前に死んじゃったから、“お父さん”って言われてもよく解らないんですけどね。母はまだ忘れられないみたいですけど」
 湿っぽい話になりそうなものだが、一の口調は驚くほどあっけらかんとしている。会ったことも無い人間に対しては、たとえ父親でもそういうものなのだろう。
 もしとの間に子供が出来ていたら、その子も一と同じように自分のことを語るのだろうか、と斎藤はどうでも良いことを想像してみる。自分の子にこういう風に突き放すように語られたら、少し淋しいかもしれない。
 しかし父親がいないことを何とも思っていない様子なのは、母親が父親の分まで愛情を注いで育てたということなのだろう。女手一つでここまで育てたことといい、一の母親は大した女だ。
「じゃあ上京してきたのは、誰かを頼ってきたのか」
 てっきり父親の仕事の関係で引っ越しすることになったのだと思い込んでいたのだが、母一人子一人となると親類か何かを頼って上京したと考えるのが妥当だろう。東京に出たら地方よりは仕事があるだろうし、もう少しすれば一も働けるようになる。そうなれば今までよりは楽な生活ができるというものだ。
 が、一は首を振って、
「父に似ている人を見かけたって話を聞いたんで、それで」
「親父さんは亡くなったんじゃないのか?」
 一の意外な答えに、斎藤は思わず頓狂な声を上げた。
「死んだっていうのも噂で聞いただけですから。戦争に行って連絡が無くなったから、きっと死んだんだろうって。だから母も諦めきれないみたいで、父の噂を聞く度に引越しをするんです。そろそろどこかに落ち着きたいのになぁ………」
「そりゃ大変だな」
 心底うんざりしている様子の一に、斎藤は労わるように言ってやる。
 死んだと聞かされただけで実際に死体を見たわけではないのなら、諦めきれない一の母親の気持ちは斎藤にも解らないでもない。とはいえ、噂を聞く度に引越しとなると、それに付き合わされる一は大変だろう。父親に会いたいと思っているのは母親だけで、一はどうでも良いと思っているようだから尚更だ。
 だが、関係無い立場の斎藤としては、そうやって妻に捜してもらえる男が羨ましい。その男は、余程いい男だったのだろう。
 自分の気持ちを理解してくれる相手が見付かったと思ったのか、一は日頃の鬱憤を晴らすように急に饒舌になった。
「父はもう死んでると思うんですよね。だって、会津戦争って凄かったんでしょう? 死体が見付からなくっても当たり前だって、皆言ってましたし。大体、本当に生きてるなら、父もあたしたちを捜すはずなんですよ」
「………そうとも限らんさ」
 まるで自分が責められているようで、斎藤の声は何となく弱々しくなってしまう。
 確かに会津戦争は悲惨なものだったが、皆が皆死んだわけではない。実際、斎藤はこうやって生きている。そして別れた妻を捜せないまま、こうして此処にいる。一の父親が今も生きているとしたら、彼と同じ立場なのだ。
 一の父親も斎藤と同じように、別れた妻が自分を忘れて新しい生活を始めたと思って、一たち母子を捜すのを躊躇っているのかもしれない。もしかしたら、男の方がとっくに違う女と再婚しているのかもしれないが。あの頃は何もかもがごたごたしていたから、男の身の上に何があっても斎藤には責めることはできない。
「お前の父親は生きてるかもしれない。いくら悲惨な戦争でも、皆が皆死んだわけじゃないからな。死んだと思っていた人間が何年も経って突然現われたという話も聞く。お前たちを捜さないのは、捜せない事情があるのかもしれない」
 顔も知らぬ男のことであるが、自分と似ているせいか何となく庇いたくなってしまった。否、自分が責められているようで弁解したかっただけなのかもしれない。
 斎藤の言葉に、一は少し意外そうな顔をした。そして不服そうにぷぅっと膨れて、
「捜せない事情って、何ですか? 捜す気が無いから捜さないだけでしょう。それか死んじゃってるとしか思えない。お母さんもいい加減諦めれば良いのに」
「大人の事情ってやつだ。ま、付き合わされるお前さんの気持ちも解るが、諦めきれないお袋さんの気持ちも解ってやれ」
「でもぉ………」
 反論の言葉が纏まらないのか、一はそのまま黙り込んでしまった。斎藤もそれ以上何も言うことが無くなって、一緒に黙り込んでしまう。
 そうやって互いに何も言わないまま、重苦しい空気に包まれる。それを破ったのは、戻ってきた警官だった。
「いやあ、遅くなって申し訳ない。あっちで迷子の問い合わせがあってもんで長引いちゃって―――――っと、その子は誰です?」
 呆れるほど能天気なその声のお陰で、それまでの妙な空気は嘘のように消えてしまった。同時に、この少女から解放されると、斎藤はほっとする。
「ああ………迷子だそうだ。名前は山口一。母親とはぐれたらしい」
「その子ですよ、問い合わせの迷子! いやあ、良かった。お母さん、隣町の派出所で待ってるよ」
 いきなり問題が解決して、警官は声を弾ませる。そして促すように一の手を引いた。
 あまりの急展開に一はびっくりしたようだったが、慌てて荷物を持ち上げると警官に付いていく。派出所を出る寸前、斎藤を振り返って深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
 頭を上げるまでの顔が再びを思い出させ、斎藤は胸を締め付けられるような妙な気分になる。一の顔立ちそのものは全くに似ていないのに、どうしてこうも彼女を思い出させるのだろう。
 昔の自分と同じ名前、会津戦争に行ったという父親、そして生死がはっきりしない夫を捜し続ける母親――――一を取り巻くものが、やたらと斎藤に絡んでいるせいなのだろうか。偶然とはいえ、不思議な縁だと思う。
「親父さん、見付かると良いな」
 を連想させ、自分に似た境遇の父親を持つこの少女には幸せになって欲しいと、斎藤は切に思った。





「一!」
 派出所に入ってきた一を見た途端、母親は椅子から立ち上がって娘を抱き締めた。
「もぉ、いきなりいなくなっちゃうから、びっくりしたじゃないの!」
「いなくなったのはお母さんの方じゃない」
 娘との再会を果たして興奮している母親に対し、一は淡々としている。話し方といい仕草といい、娘よりも、母親の方が娘じみているようだ。こういう母親を持つと、子供の方がしっかりするものらしい。
「兎に角見付かってよかった。お母さん、こっちの書類に署名をお願いします」
 再会を喜んでいる母親に、警官が書類を差し出す。
 母親は一から手を離すと、筆を執って言われた場所に名前を書いた。
 『山口 





「ねえ、お母さん」
 派出所を出て暫くして、一が声を掛けた。
「あたしがいた派出所のお巡りさんが、お父さんは生きてるかもって言ってたよ。会津戦争で死んだはずの人が実は生きてたって話もあるんだって」
 斎藤からその話を聞いてからずっと、一はそのことばかり考えていた。今までずっと父親は死んでいると思っていたけれど、斎藤の話を聞いたら、もしかしたら生きているかもしれないと思えるようになってきた。自分たちを捜しに来ない“大人の事情”とやらは、まだ理解できないけれど。
 もしも父親が生きているとしたら、生まれてからずっと各地を転々としてきたのも無駄ではないような気がしてきた。そして決して諦めなかったの想いも。だからこの斎藤のこの言葉を一番に伝えたかった。
 一の言葉に、は嬉しそうににっこりと微笑む。
「そうね。お父さんは強い人だったもの。今もきっと元気でいるわ」
 そう、の夫―――――山口次郎こと斎藤一は誰よりも強い男だった。どんな危険な任務でも飄々とこなしてきたし、簡単に死ぬような男ではない。死んだと新政府軍の目を欺いて、実はどこかで普通に生活しているくらいやりそうな男なのだ。
 斎藤は絶対生きている。その証拠に誰も彼の死体を見ていないし、今も彼を見たという噂を耳にしているのだ。きっと、政府に見付からないように全国を転々としているのだろう。戦争が終わってものところに戻って来なかったのは、そのせいだ。だからの方から捜し出してやらなければ。
「今度はきっと見付かると思うの。お母さんね、お父さんは絶対この東京にいると思うのよ。今度こそ確実」
 この言葉を何度となく聞かされてきて、その度に聞き流していた一だったが、今度は信じても良いような気がした。よく分からないけれど、あの少し頼りない警官の言葉を信じてみようと思ったのだ。
 あまり仕事をしていないみたいで、頼りない感じの警官だったが、何故か言っていることは信じられるような気がしていた。「父親は生きているかもしれない」というのも、気休めじゃなくて、本当に生きていると思っているような言い方だった。どうしてそんな言い方が出来たのだろう。もしかしたら、あの警官も幕末の戦争に参加していたのかもしれない。
「早く見付かると良いね」
 そう言いながら、一は“お父さん”がどんなものか想像してみる。が、どうしても上手くいかなくて、何故かあの警官の顔が思い出されてしまうのだった。
<あとがき>
 思いつきだけで書いた“10年後の『お父さんは心配性』”。何だか斎藤が知らないうちに娘が出来ていたようです(笑)。
 死んだと思っていた夫が実は生きていて………という設定は、昔の小説や映画でよく使われていた設定のようで、戦後間もない頃にはある程度リアリティーのある話だったんだろうなあ。夫が復員船で帰ってきたら、妻は他の男(夫の兄弟の場合も!)と再婚していたとか、逆に夫が外国で生きていると聞いて妻が訪ねてみたら、既に現地妻と家庭を持っていたとか。大抵は妻にしろ夫にしろ、古い方が身を引くオチみたいですが。
 さて、この二人はこれからどうなるかは、皆様のご想像にお任せいたします。再会できるか出来ないかは勿論、斎藤は独身設定でも、時尾さんと結婚話が進んでいるという設定でも良いし、既に時尾さんと結婚しているという設定でもOK。いくらでもドロドロ劇場に出来る仕様になっております(笑)。
 しかし斎藤、一ちゃんの存在に全く疑問を感じないなんて、結構鈍いな………。
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