創作への情熱

 比古の山小屋にも夏が来た。山の上とはいえ、やはり夏は暑い。
「今日も暑いですねぇ」
 いっても仕方がないことだが、は口に出してみる。
 比古はもう陶芸をやらないが、はまだ独りでコツコツと作品を作っている。この暑い中やっているのだから、勿論汗だくだ。
「この暑さで、よくやるなあ」
 井戸で冷やした西瓜を齧りながら、比古は心底感心したように言う。
 いつもなら昼酒をあおる比古であるが、こう暑いと呑む気にもならない。暑い時は、よく冷えた西瓜が一番だ。
 は腕で顔の汗を拭って、
「だって、今なら先生も窯を使わないでしょ。私が独占できますから」
 作品を作れると思ったら、暑さなど何とも無いようだ。きっと今が一番楽しい時期なのだろう。
 こういう気持ちは比古にも覚えがある。まだ陶芸を始めたばかりの頃は、とにかく作るのが楽しくて、それこそ暑かろうが寒かろうが関係無く、時間を忘れて作品を作り続けていたものだ。
 いつから暑いから嫌だとか、面倒臭いとか思うようになったのだろう。
 陶芸を始めた頃は、に負けないほどの情熱を傾けていたのはなかったか。これで身を立てると悲壮な決意を抱いていたわけではなかったけれど、何も目に入らないほどのめり込んでいたはずだ。
 一体いつからこんな風になったのだろう。趣味が仕事になってしまってたら、そうなってしまったのだろうか。
「どうしたんですか? ぼーっとして」
 土を捏ねる手を止めて、が不思議そうに尋ねる。
「いや、楽しそうだなーって思ってな」
「はい?」
 この人は何を言っているのだろうと、は首を傾げる。
 自分が決めた道なのだから、楽しいに決まっている。にとって、これは初めて自分で決めた道なのだ。楽しいし、投げ出すわけにはいかない。
「楽しいから一生懸命になるんじゃないですか。先生は楽しくないんですか?」
「どんなもんかねぇ………」
 改めて訊かれると、比古も困ってしまう。
 始めた時は楽しかった。けれど、今はどうだろう。生活のために作品を作るのは既に楽しみではなく、義務だ。退屈だから楽しみに始めたことであるから、そろそろ潮時なのかもしれない。
「お前ほど楽しくねぇかもなあ」
「そうなんですか?」
 初めて聞いた比古の本音に、は驚きの声を上げる。
 あんな素晴らしい作品を作るのだから、きっと楽しんで作っているのだと思っていた。惰性であんなものは作れない。それとも、惰性でもあれだけのものを作れるのだから“天才”なのだろうか。
 もしそうだとしたら、は比古が羨ましい。否、妬ましいと言った方が近いか。
 情熱では負けないのに、技術では敵わない。比古のような作品を作りたいとは思わないけれど、でも悔しい。
「先生は陶芸を嫌々やってるんですか?」
 思いがけず刺々しい声を出されて、比古は驚いた。
 まあ、自分が全力で取り組んでいるものをそんな風に言われては、としても面白くないだろう。とんだ失言だった。
 気まずい雰囲気を誤魔化すように、比古は無言で西瓜を齧る。もそれ以上は何も言わずに土を捏ねる。
「………俺は別に、嫌々やってるわけじゃねぇからな」
 言った後、言い訳がましいと思い、比古は小さく舌打ちをした。
 嫌々だったら、とうの昔に止めている。止めないのは、まだ楽しいと思っている証拠だ。昔のような情熱は無くても、その残滓はまだある。
 何か考えるように手を止め、じっとしていただったが、急に何か思いついたように明るい顔を見せた。
「そうだ。先生は一人でやってるから面白くないんですよ。私みたいな初心者でも、誰かと一緒にやれば刺激になって、また面白くなるかもしれませんよ」
「そうだなあ………」
 確かに一人で黙々とやっているのは、刺激に欠ける。初心者のでも、一緒に作品を作っていれば、何か新しい発見を与えてくれるかもしれない。
 そういえば剣心を教えていた時も、面倒臭かったが、面白い発見もあった。教えることで自分の技にも磨きがかかり―――――
「ん?」
 よくよく考えたら、と一緒に陶芸をするということは、弟子にすることと同じではないか。
「いやいやいや、手前とは絶対にしねぇからな」
 比古は慌ててさっきの言葉を否定する。
 危うくの手に引っかかって、なし崩しに弟子になられるところだった。まったく油断も隙もあったものではない。
 比古の推理は当たっていたらしく、は小さく舌打ちをした。
<あとがき>
 作るという作業は、長くやってるとどうしてもダレてくるものです。考えてみれば私も、サイト開設後一年はドリームを週3〜4回ペースで更新してたなあ。よくそんなにネタがあったものだ。
 師匠も陶芸を始めた頃は、寝食を忘れて作ってたんだろうなあ。いや、知らんけど。
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