山からの来訪者

 を送って斎藤が家に戻ると、何故かさっき送ったはずの彼女が兎を抱いてちょこんと座っていた。
 否、よく見るとではない。袴のようなものを身に着けていて、いつもは結い上げられている髪もそのまま垂らされている。何より、顔は同じでも雰囲気が何処となく違う。
「誰だ、お前?」
 小柄な女だから妙な事をすればすぐに組み伏せることができるが、それでも斎藤は警戒を解かずに尋ねる。
 が、睨まれても女は別に何とも思っていないようで、呑気にふふっと笑った。そして斎藤の質問には答えずに、鏡を見て感心したように鼻を鳴らす。
「へーぇ、私って斎藤さんにはこんな顔に見えるんですねぇ」
 その口調は毎度聞き覚えのある兎のものだ。しかし兎は、女の膝に抱かれて普通の兎のように大人しくしている。
 兎と女を交互に見比べる斎藤の視線に気付いて、女は漸く彼の質問に答えた。
「私、この子が生まれた山の主です。時々この子の体を借りていたんですけど、こうやって実際にお会いするのは初めてですね」
「えっ………」
 山の主ということは、この女が山の神ということなのだろう。しかし、の姿で現れるとはふざけている。の姿であれば斎藤が何も言えないとでも思っているのだろう。
 何処までも甘く見られていると腹立たしい気持ちで斎藤が押し黙っていると、山の神はと同じ顔でにっこりと微笑んだ。
「折角だから斎藤さんのご希望に沿った姿になろうと思ってたんですけど、まさかさんの顔になるなんて思いませんでしたよ。余程お好きなんですね」
「うるさいっ!」
 は恋人なのだから、斎藤が好む姿が彼女そのものでもなんら恥じ入ることは無いのだが(ではない方が大問題だ)、何となく腹が立ってしまう。しかし斎藤が顔を紅くして怒鳴っても、流石は山の神だけあって女は顔色一つ変えない。
 山の神はくすくす笑いながら、兎を撫でてと同じように話しかける。
「本当にお前の言う通りですねぇ。これでどうしてお口にちゅうから先に進めないのか不思議ですよ。お前、ちゃんとご恩返しはしているんですか?」
 山の神の言葉に、兎は心外だとばかりに激しく何度も首を縦に振る。兎に言わせれば、自分は兎の身で一生懸命頑張っているのに、斎藤がヘタレすぎるせいで先に進めないといったところか。
 今夜は兎が喋らないのは幸いだが、その分山の神が喋るのだから、斎藤にはたまらない。しかも彼女と同じ顔でである。腹が立っても兎の時のように怒鳴りつけたり叩いたりしにくいし、始末に負えない。こんなことだったら、兎に喋られた方がまだマシかもしれない。
 憮然として黙り込んでいる斎藤を見て、山の神は心の底から心配しているような顔をして言う。
「こんなに周りから応援されているのに先に進めないなんて、本当にどこか悪いんじゃないですか? もう赤ちゃんが作れないとか?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 以前もどこかで聞いたような台詞である。山の神の考え方も獣と同じなのかと思うとうんざりして、言葉も出ない。
さんも斎藤さんが動くの、待ってると思いますよ? こういうのは男の人が決断しないと」
「…………………」
 言っていることには腹が立つが、確かに山の神の言う通りである。こういうことは女からは言いにくいし、特にのような女なら尚更いいにくいだろう。
 二人で一緒にいる時、は時々不満そうな顔を見せることがある。多分そういう時こそ、斎藤が動くべき頃合なのだろう。それは解っているのだが、彼女の子供のようは顔を見ていると、どうも“毒牙にかける”様な気がして腰が引けてしまうのだ。
 そういうところを兎も山の神も「ヘタレ」と言っているのだろうが、こればかりはどうしようもないことなのだ。せめてがもう少し大人っぽくなったらやりやすくなるのだが。
 斎藤は深く溜息をつくと、山の神の前に座った。そして真剣な面持ちで言う。
「お前も山の神というくらいなら、人の願いをかなえることくらいできるだろう?」
「へ?」
 予想外の言葉だったのか、山の神はきょとんとした顔をした。
「それなら、あいつをもう一寸大人っぽく出来ないのか? どうもああいう子供子供した女が相手だとなあ………」
「や、それは管轄外ですから。私、山の中のことしか出来ませんから」
 斎藤の言葉に、山の神はいきなり逃げ腰になる。“応援している”と言うくらいなのだから少しくらい神通力というものを使ってもらいたいと斎藤は思うのだが、神様の世界にも警察と同じく管轄というものがあるらしい。
 逃げられると追い詰めたくなるというのが、人情というものだ。急におたおたし始めた山の神に、斎藤は畳み掛けるように言う。
「お前、偉そうに俺に説教するくらいなんだから、それくらいできるだろう。それとも何か? お前に出来るのは、兎や狐相手に威張ることだけか?」
「なっ……失礼にも程がありますよ!」
 流石にこの言い草には、山の神も顔を真っ赤にして反論する。
 男女のことについては専門外であるが、兎や狐相手に威張るしか能がないと言われては引っ込むわけにはいかない。ぷぅっと膨れて一寸考えていた山の神だったが、すぐににやりと笑う。
「そういう子供っぽい女の子を大人の女にするのが、殿方の力量ってものじゃないですか」
「うっ………」
 そうくるか、と今度は斎藤が言葉に詰まってしまう。
 山の神の言うことは詭弁だと解りきっているが、それでも“女を変えるのは男の技量”というのは正論ではある。男次第で女が驚くほど変わるというのは、斎藤も経験済みのことだ。
 しかし、相手はあのである。斎藤がどう頑張っても、あのまま成長しないような気がする。というより、大人っぽく色っぽくなったの姿など想像できない。
 黙りこんでしまった斎藤に、山の神は勝ったと思ったのか、再び兎に視線を落として撫でながら言う。
「子供っぽいお嬢さんを大人の女に育てるっていうのも、殿方の楽しみってもんですよ。ねぇ?」
 山の神の言葉に、兎も同意するように力一杯頷く。
 そんな山の神と兎の姿を見て、斎藤は溜息をつくしかないのだった。
<あとがき>
 最後に黒幕(笑)の山の神様登場です。妙に口が達者な時は、山の神様が喋ってたんですね。
 しかし斎藤の恋路の心配をするなんて、山の神様の仕事って暇なのか? 斎藤の言う通り、兎や狐を相手に威張ってるだけなのかもしれません。あ、兎さんの山には熊もいたから、熊にも威張ってますね、きっと。
 兎どころか神様にも心配されてるんだから、斎藤もそろそろ………ねぇ?(←何?)
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