昔語り

 雨が降ると、陶芸は休みである。もう一年の生活が成り立つほどに焼き物は出来ているのだから、雨のせいで陶芸ができなくても焦る必要は無い。
 というわけで、比古は朝からだらだらと酒を飲んでいる。朝から飲むというのは感心できるものではないが、しとしと降る雨を見ながら飲む酒というのも乙なものだ。時間の自由が利く陶芸家という商売は、こういうところが良い。
 こうやって一人で飲んでいると、頭の中にふわりと埃が立つように昔のことが思い出される。師匠のこと、弟子のこと、その他のいろいろなこと―――――酒を飲んで昔のことを思い出すなど年寄り臭いが、たまにこういう時間を持つのも悪くはない。
 一人で暮らしていた時は、こういう静かな時間を楽しむことが出来た。が、同居人がいるとそうはいかない。
「もう! 真昼間からダラダラお酒なんて飲まないで下さいよっっ! 片付かないったら!!」
 いきなり頭の上から、箒を持ったが怒鳴りつけてきた。
 一人で暮らしていた時は当たり前のように過ごしていた静かな時間も、この女が来て以来ぶち壊しである。確かに此処に住むことは許したし、その代わりに家事一切を引き受けさせる約束もした。けれど、比古の時間まで邪魔して良いとまでは言っていない。大体、同じ頼むならもう少し可愛い言い方もあるだろうに、これでは古女房ではないか。話の流れで弟子を取ることにはなってしまったが、古女房を貰った憶えは無い。
「掃除はいつでも出来るだろうが。俺のささやかな楽しみを邪魔すんじゃねえ」
 じろりと上目遣いで一睨みすると、比古はぐいっと酒を飲んだ。
 その姿を見ては大袈裟に溜息をついたが、何も言わずに箒を壁に立てかけると、代わりに自作の巨大湯飲みを持ってきた。そして比古の前に座ると、当然のように酒を注ぎ始める。
「あ、てめえ! その酒、高いんだぞ!」
「そんなみみっちいこと言わないで下さいよ。良いじゃないですか、一杯くらい」
 比古の制止を振り切って遠慮無くなみなみと注ぐと、は湯飲みを両手で持って一口飲む。
「まったく、昼日中からこんな良いお酒飲んで、他に楽しみは無いんですか? たまには町に出てみるとかしないと、あっという間に老け込んじゃいますよ」
「こうやって一人静かに物思いに耽るってぇのも、芸術家には必要なんだよ。ま、お前には無理な芸当だろうがな」
「あら、失礼ですね。私だって物思いに耽ることくらいありますよ。先生よりは人生経験は豊富なつもりですから」
 心外そうに言うと、はぐびぐびと酒を飲んだ。続けて、
「此処に来ても、昔のことをたまに思い出すんですよ。何て言うかこう、埃がふわっと舞い上がるみたいにね。もう何年も前に出て行った婚家のことを思い出して、一人で腹を立てたりしてるんですよ。困ったもんですよねぇ」
「へぇ………」
 が昔のことを思い出すことがあるとは知らなかった。しかも、過ぎ去ってしまった出来事に今でも腹を立てているとは。実家も何もかも縁を切って此処にやって来たと言っていたから、過去もきれいさっぱり忘れていると思っていただけに、意外だった。
 比古が黙っていると、は何かが切れたように急に早口で喋り出す。
「もう終わったことなんだから、今更ぐちぐち考えても仕方ないことなんですけどね。でもやっぱり何度思い出しても腹が立ってくるんですよ。もうね、何て言うんだろう。当時は若かったから何言われても我慢してた分、今頃になって“あの時こう言ってやればよかった”とか腹が立ってくるんでしょうね。ああ、今あいつらに会ったら、あの頃言えなかったことを思いっきりぶちまけてやるのに!」
「ふーん………」
 何を言われても我慢していたというの姿は、比古の持っている想像力を総動員させても想像できない。そんなしおらしい姿があったのなら、その十分の一でも良いから自分にも見せて欲しいものだと思う。
 の結婚生活がどんなものだったのかは、一度も聞いたことが無いから比古は知らない。3年ほど婚家にいたものの、子供が出来なかった為に実家に戻されたとは言っていたが、婚家や夫については一言も口にしたことが無い。全く気にならないといえば嘘になるが、が言わないのなら強いて訊く必要は無いと思っていた。しかし、本人が話してすっきりするというのなら、聞き役にはなろうと思う。
 話を促すように黙っていると、は口を潤すように一口飲んで話を続ける。
「まあね、お互い親に言われるままに結婚したんだから、好き合って結婚した夫婦よりは愛情が薄いのは解りますよ。だけどねぇ、別れる時まで親任せっていうのはひどくないですか? 私ゃ呆れて言葉も出ませんでしたよ」
「それはひどいな」
「でしょぉ? 大体、子供ができなかったのだって、私だけのせいじゃないと思うんですよ。あの後すぐ再婚したって噂は聞いたんですけど、子供が生まれたって話は聞きませんからね。畑が良くても種が悪かったら、出来るものも出来ないってもんじゃないですか。ねぇ?」
「そうだなあ………」
 鬱憤を晴らすかのように喋り続けるに、比古は適当に相槌を打ち続ける。
 比古は結婚というものをしたことが無いから判らないが、の話を聞いていると結婚生活というものはあまり楽しいものではないらしい。否、単に彼女の結婚生活が楽しくないものだっただけなのかもしれないが。
 勿論の話が結婚生活の全てとは思わないし、夫側にも言い分はあるだろうとは思う。しかしそれを差し引いても、彼女が苦労の多い結婚生活を送ったことは何となく解る。こういう結婚をして出戻ってきたのなら、全てを捨てて山篭りしたくなる気持ちも解らないでもない。
「それにねぇ、一寸聞いてくださいよ―――――」
 いつの間にか酔いがすっかり回ってしまったらしく、彼女は更に饒舌になっていく。どうやら彼女は喋り上戸らしい。
 これは先が長くなりそうだと思いながら、比古は空になった自分のぐい飲みに酒を注いだ。


 酔いつぶれてが静かになったのは、外が薄暗くなった頃だ。それだけの時間、彼女の愚痴を聞かされ続けたわけである。適当に相槌を打っていただけではあったが、仕事をするより疲れてしまった。
 熟睡しているに布団をかけてやって、比古は二人分の器の片付けをする。この分では、彼女は明日の朝まで目を醒まさないだろう。結局あの湯呑み一杯しか飲まなかったくせに潰れてしまったのだから、顔の割には酒に弱かったらしい。
 の話を聞いたところで、見方が変わったとか同情するとかそういうことは無いつもりだが、何も考えていないような彼女にも辛い過去があったのだなとは思う。だからといって、これまでの態度を変えるつもりは無いが。
 居場所が無ければ此処にいれば良い。しかしこのまま居座られるのは困る。
 複雑な気持ちでの寝顔をちらりと見て、比古は深い溜息をついた。
<あとがき>
 静かな雨音を聞きながら昔語り―――――なんですが、この主人公さんだとしっとりした雰囲気にはならないですねぇ。ドリームだったら普通、二人の仲も一歩前進しそうなものですが、この二人ではそういう展開も思い浮かばなかったよ(笑)。
 この主人公さんは、バツイチさんというドリームにあるまじき設定なんで(師匠の年齢につりあうとなると、この時代だとバツイチか未亡人かと思ったんで)、折角ならこの設定を生かしたドリームも書いてみたいですね。バツイチが生かせるドリームって、何だろう?
 しかしまあ毎度のことですけど、何だかんだ言いながら師匠は優しいですね。
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