男の友情
月に一度、は健康診断と称して、お得意様の家を往診して回っている。相手は大店の御隠居さん連中で、そういう老人たちは医者いらずの体をしているくせに、自分の健康状態は気になって仕方のないものらしい。老い先短いくせに、そんなに体に気を遣ってどうするんだと、縁が呆れるほどだ。「健康診断っていうより、話し相手が欲しいのよ」とは笑って言うけれど、縁は彼女の本当の目的を知っている。健康診断と称しながら、食い物をたかりに行っているのだ。その証拠に、往診に行く先は料亭だったり菓子屋だったり、とにかく飲食関係ばかりである。しかも料亭には昼時と夕飯時、菓子屋にはおやつの時間に行っているのだから、これはたかり確定だろう。
そして今日も、昼時を狙っての往診である。昼食を作らなくて良いのは縁も助かるし、賄いとはいえ高級料亭の料理を食べることができるのだから良いこと尽くめなのだが、問題はその行き先が『葵屋』であるということだ。『葵屋』といえば、蒼紫と操がいる店ではないか。操は兎も角、蒼紫は親しい友人もおらず、一日中家に引きこもっているのだから、うっかり顔を合わせてしまうことが多々あるのだ。
縁としては顔を合わせずに帰りたいと思っているのだが、その思いとは裏腹に彼は蒼紫の部屋で茶を啜っている。折角お友達の家に来たのだから、とから診察中は蒼紫の部屋で待っているように言われたのだ。専門知識も技術も無い縁は荷物持ちくらいしかできないし、子供の診察ではないのだから患者を押さえつける必要も無いとなると、彼女の仕事中に縁ができることは何も無いのである。彼女の横でぼーっと座っているよりは、友人と話でもして時間を潰した方が楽しいだろうと、気を遣ってくれているのだろう。
しかし、縁と蒼紫は友人でも何でもないのである。弾む話などあるわけがない。というより、あの蒼紫相手に話が弾むわけがない。
というわけで、蒼紫と縁は向かい合ったまま無言で茶を啜っている。縁は話題が無いから黙っているし、蒼紫は蒼紫で相手が話題を振ってくると思っているのか、縁をちらちら見ているだけだ。と黙って茶を啜るのは何とも思わない縁だが、相手が蒼紫だと苦痛である。
早く診察が終わらないものかと考えていると、漸く思い出したように蒼紫が口を開いた。
「そういえば、あの女医者とはどうなっているんだ?」
「……………っっ!!」
蒼紫の言葉に、縁は危うく茶を噴き出しそうになった。
この男との沈黙は苦痛だと思っていたが、まさかそんなところから攻めてくるとは思わなかった。否、二人の共通の話題などのことしかないのだから、予想しておくべきことだったのかもしれない。
それは兎も角として、との仲をあれこれ蒼紫に話す義理は無い。憮然として茶を啜っていると、蒼紫は湯呑みを置いて小さく溜息をついた。
「そうか、進展無しか………。一緒に住んでいるくせに、何をやっているんだ、お前は?」
「…………………」
呆れているような蒼紫の目を、縁は黙って睨みつける。
一緒に暮らしているくせに何も無いというのは、蒼紫とイタチ娘も同じではないか。そんな男に縁とのことをあれこれ言われたくはない。第一、蒼紫のような陰気な男に、男と女の何が解るというのか。はっきり言って、縁の方が彼よりも女のことは解っていると思う。
面白くなくて黙っていると、蒼紫は今度は気の毒そうな目をした。
「確かにあんな女が相手では、進むものも進まんだろうな。ここは一つ、玉砕覚悟で告白したらどうだ?」
「うるさイ。お前には関係無イだろウ」
玉砕覚悟とは、失礼なことを言う男だ。縁が告白したとしても、が拒否するわけがないではないか―――――多分。
これまで大した揉め事も無く、二人で仲良く暮らしているのだ。いくらの感覚が世間からずれているとはいえ、好きでもない男と寝食を共にできるわけがない。彼女もそれなりに縁のことを好いているはずである。告白して一寸ギクシャクすることはあるかもしれないが、玉砕することは無いと思う。
話を打ち切るように言われて話が続かなくなったのか、蒼紫は再び黙って茶を啜り始めた。
遠くで鹿嚇しの音が聞こえた。旅館側の庭に置いてあるのだろう。沈黙の中ではこの手の音はよく響く。
「緋村に言われているからな。操も気にしているし………」
「気にしなくて良イ。むしろ気にするナ」
もそもそと言い訳がましく言う蒼紫に、縁はぴしゃりと言い切る。
お節介なのか暇なのか、あるいはその両方なのか知らないが、放っておいて欲しいと思う。彼らが余計なことをしたら、纏まる話も纏まらない。
と、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。この足音はの足音だ。診察が終わったのだろう。
「縁ー、一寸聞いてよ、もぉっ!!」
ひどく上機嫌な声で、が部屋に飛び込んできた。
「操ちゃんから聞いたんだけどね、私のことを好きな人がいるんだって。しかも年下よ、年下! 私もまだまだ捨てたもんじゃないわねぇ」
頬を紅潮させ、は今まで見たことも無いような華やいだ顔で嬉しそうに言う。
「エ………?」
興奮気味のを見上げ、縁は唖然として固まってしまった。
のことを好きな年下男というのは、明らかに縁のことだ。操がどんな言い方をしたのか判らないが、浮かれているの姿を見るのは複雑な気分である。
“年下の男”が縁のことと気付いて浮かれているのなら良いが、この様子では多分気付いていないだろう。何処の誰とも知れない年下男を想像して浮かれているのなら、縁としては面白くない。
否、それ以前に、操がペラペラと余計なことを喋ることが大問題である。そのうち「実は縁がね〜」などと言い出すかもしれないではないか。自分が言う前に他人に言われるというのが一番困る。
剣心に頼まれたとはいえ、どうしてこう余計なことをするのだろう。やはり暇だから他人のことに目がいくのかもしれない。ということは、蒼紫が日頃から操を構ってやっていれば、縁が要らぬ心配をしなくても良いということか。
お前の責任で何とかしろ、と蒼紫を睨みつけるが、彼は我関せずといった様子で茶を啜っている。口では「緋村に言われているから……」などと言いながら、自分に面倒が回ってきそうだと察すると即逃げとは。それが御庭番衆御頭の態度かと縁は問い詰めたい。
どいつもこいつも人の気も知らないで………と縁も不機嫌顔で茶を啜るのだった。
元々は、縁と蒼紫が友達になったら面白いんじゃないかということから始まったシリーズなんです、これ。縁が巴に似た人を好きになって蒼紫に恋愛相談、でも頓珍漢な答えしか返せない蒼紫、みたいな(笑)。
当初の予定通り、蒼紫は何一つ役に立ってません。それどころか、都合が悪くなりそうになったら敵前逃亡です。駄目じゃん、御頭(笑)。
会話が盛り上がらない、相談相手にも無理では、友情が育つ隙がありません。でも無理やりにでも育ませますけどね。二人の友情に乞うご期待! ………いや、やっぱり、あんまり期待しないほうが良いかもです(弱気)。