口は災いの元

 今夜もなし崩しに兎と晩酌である。こいつの酒に対する執着は、酒好きの斎藤も呆れるほどだ。
「いやあ、やっぱり二人で飲むお酒は美味しいですねぇ」
 またに怒られる、と内心頭が痛い斎藤をよそに、兎は舌を鳴らしながら上機嫌に言う。
「お前、ほどほどにしろよ。あいつにばれるとうるさいからな」
 兎に酒を飲ませるなと、斎藤は何度も怒られているのだ。どうやらの中では、斎藤が面白がって酒を飲ませているということになっているらしい。
 勿論斎藤がすすんで飲ませているわけではない。兎が酒を強奪するから、仕方なく飲ませているだけなのだ。兎に酒を強奪されるというのもどうかと思うが。
「斎藤さん、本当にさんのお尻に敷かれてますね。こんなんじゃ、先が思いやられますよ」
 そう言いながら、兎は今度はつまみの沢庵をボリボリと齧る。
「誰のせいだと思ってるんだ」
 不機嫌に言うと、斎藤はぐい飲みに残っていた酒を一気に煽る。
 が怒るのは、全部兎のせいなのだ。この兎が普通の兎だったら、斎藤もに怒られることは無かっただろう。こいつが絡まなければ、斎藤はいつもの彼でいられるのである。
 そう思ったら、改めて腹が立ってきた。ボリボリと沢庵を齧る兎の能天気な顔にもむかむかしてくる。
「えー? 誰のせいって、斎藤さんがヘタレだからでしょう?」
「………………」
 悪びれもしない兎の顔を眺めていた斎藤の中で、何かが静かに切れた。
 今まで我慢していたが、そもそもこの兎は、斎藤が飼いたくて飼っていた兎ではないのだ。兎好きなを家に引き入れるための餌として飼っていた兎である。今はもうそんな小細工をしなくても彼女は“恋人”なのだから、兎は必要ない。
 もう兎の可愛さに頼らなくても良いのだから、今処分したところで何も問題は無いのだ。というより、いっそ処分してしまった方が斎藤の精神衛生には良いかもしれない。
 そう思うや否や、斎藤は静かに立ち上がって壁に立てかけていた愛用の日本刀を取った。
「あれー? どうしたんですか、そんな物騒なものを持ち出して?」
 良い感じに酔いが回っているのか、刀を見せられても全く危機感を持ってないようににこやかに尋ねる。斎藤が怒っていることにも全く気付いていないらしい。
 へらへら笑っている兎の頭の上に、斎藤は無言で叩きつけるように刀を振り下ろした。
「わあっっ?!」
 ぴょんと跳ねて、兎は間一髪のところで刀を避ける。避けたところを、斎藤は再び刀を振り下ろした。
 一気に酔いが醒めたように必死に逃げ惑う兎だったが、遂に部屋の隅に追い詰められてしまった。
「さささ斎藤さん、落ち着きましょうよ。今夜はもうお酒はいいですから。そんな物騒なものはしまってください」
 いつもの勢いは何処へやら、兎はぶるぶる震えながら必死な声で説得する。流石の兎も、刃物を見せられてはいつもの調子は出ないらしい。
「うるさい、黙れ! その減らず口、二度と叩けないようにしてやる」
 小さくなっている兎に狙いを定め、斎藤は牙突の構えを取る。
 そもそもこうなってしまったのは、兎のくせにぺらぺらと喋るせいなのだ。満月の夜だけとはいえ、兎の知能しかないくせに人間様のように喋ろうというのが気に食わない。喋るにしても、見た目同様可愛げのある喋りであればまだしも、偉そうに“忠告”をするのだから腹が立つ。
「兎は兎らしく黙っていればいいものを………」
「私が喋るのが、そんなにお嫌だったんですか?」
 斎藤の言葉に、兎はしゅんと耳をへたらせる。続けて、
「私は獣に生まれてしまったけれど、次は人間に生まれ変わりたいと思って、斎藤さんの所で徳を積みたいと頑張っていたのに………。斎藤さんのお役に立ちたかったのですが、ご迷惑だったんですね………」
 兎にしては珍しいしおらしい姿に、斎藤はうっかり情に絆されそうになってしまったが、これもこいつの作戦に違いないと思い直す。斎藤が油断したところを一気に叩くのが、この兎のいつもの手なのだ。
 だから斎藤は、鼻先で笑って冷ややかに言う。
「やっと解ったか」
「はい。斎藤さんがそんなに嫌な思いをしていたのなら、死んでお詫びするしかありません。もともと、とうの昔にお鍋になって斎藤さんのお腹に入っていたはずの命です。助けていただいた斎藤さんに取られるのも、何かの縁かもしれません。次に生まれ変わる時には、お二人の子供に生まれてきたいと思います」
 兎はそう言うと、目を閉じて前足を擦り合わせ、念仏を唱え始めた。どうやらすっかり覚悟を決めてしまったらしい。
 そういう姿を見せられると、流石の斎藤も怯んでしまう。牙突の構えのまま動かない斎藤をちらりと見上げ、兎は更に言葉を続ける。
「さあ、一思いにばっさりとやってください。野犬や狐に食べられるより、斎藤さんの手にかかって死ぬ方が幸せってもんですよ」
「兎にしては立派な心がけだな」
 兎らしからぬ殊勝な言葉には、斎藤も素直に感心した。その心がけに免じて苦しまぬように一瞬で終わらせてやろうと、兎の小さな体に狙いを定める。
 と、兎が思い出したように口を開いた。
「ああ、けれど私を可愛がってくれたさんのことだけが心残りです。私が死んだら、きっと泣いてくれるでしょうね。短い生涯でしたが、兎の身に余る幸せな一生だったと伝えてあげてください」
「うっ………」
 思いがけずの名前を出され、斎藤は絶句してしまう。
 頭に血が上って忘れていたが、この兎は斎藤の兎というよりはの兎と言った方が正しいのだ。世話をするのも可愛がるのもの役目で、斎藤は家に置いてやっているだけに過ぎない。
 兎がいきなり死んだら、は嘆き悲しむだろう。死んだことを隠して知り合いにやったと嘘をついても、寂しがるに違いない。兎のことは憎たらしいが、の悲しげな顔は見たくない。
「〜〜〜〜〜もういい!」
 ここで引っ込むのは兎に負けたようで悔しいが、仕方が無い。斎藤は忌々しげに吐き捨てると、刀を鞘に納めた。
 そんな斎藤を、兎はびっくりしたようにきょとんとして見上げる。
「いいんですか?」
「俺の子に生まれ変わられたら、たまらんからな」
 不機嫌にそう言うと、斎藤は踵を返してまた酒を飲み始める。
 酒を飲む斎藤の背中を見て、兎はにやりと笑った。
<あとがき>
 調子付いてる兎さんに喝入れです。流石の斎藤も、ここまでやられたらキレますよねぇ。今までキレなかった方が不思議なのかもしれない………。
 しかしこれまでのことが一気に爆発したとはいえ、いきなり刃物を持ち出すとは斎藤も物騒な。兎さん相手に牙突をかまそうとするんですよ、この男は。
 そんな斎藤を前にして、舌先三寸で危機を乗り切る兎さん。凄いな。もう兎の知能じゃないですよ(笑)。
 やっぱりこのシリーズでは兎さんが最強なのかもしれません。
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