祝い酒

 晩酌をしようとする斎藤の膝に、兎がにやにやしながらにじり寄ってきた。この前二日酔いで痛い目を見たくせに、まだ兎は酒を飲みたいらしい。兎は知恵が少ないから、あの苦しみはすっかり忘れてしまったのだろう。
 話しかけるとまた無駄口を叩きそうなので、斎藤は黙って酒ごと兎に背を向ける。
「冷たいですねぇ。折角祝い酒のご相伴にあずかろうと思っていたのに」
 また喋りだした、と斎藤はうんざりと溜息をついた。
 この兎が喋ると碌なことがない。いい加減斎藤も学習しているので、何を言われても無視してやろうと無言で酒を注ぐ。
 しかし無視されても兎は全く動じないのか、お喋りを続ける。
「今日はおめでたい席だから、ほどほどにしますよ。一口で良いですから、仲良くしましょうよぉ」
 ぴょんぴょんと斎藤の前に回り込むと、兎は気持ち悪いほどに媚びた声を出す。
 喋らなければ可愛い形をしているのに、喋りだすとどうしてこうも可愛くなくなるのか。がいなければ、さっさと山に捨ててしまいたいくらいだ。
 大体、おめでたいおめでたいと、何がめでたいのか。めでたいのはお前の頭だと言ってやりたい。そもそも兎は斎藤に養ってもらっている立場なのだから、遠慮とか謙虚な心とか、そういうものを持って接するべきではないのか。それを毎回毎回懲りもせず言いたい放題言って、少しは自分の立場というものを考えるべきだろう。
 憮然として酒を飲み始めた斎藤を見て、兎は不満そうに首を傾げた。そして、
「そんなにケチケチしてると、さんに嫌われちゃいますよ。そしたらもう、ちゅうもしてもらえなくなっちゃうんですからね」
「っっ!!」
 思いがけないところを攻められて、斎藤は思わず酒を噴いてしまった。
 むせる斎藤に、兎は愉快そうに耳をぱたぱたさせて、
「折角お話ができるんですから、今夜は初めてのちゅうをお祝いしましょうよ。ねぇ?」
「………………………」
 斎藤が下目使いでじろりと睨みつけても兎はどこ吹く風と涼しい顔をしている。飼い主相手にこの態度というのは、一体どういうことなのか。完全に舐めきっているに違いない。
 こうなると、意地でも飲ませたくなくなってきた。
「何が祝いだ。お前がまともな兎になったら、祝ってやらんでもないがな」
「失礼ですね。私は至極まっとうな兎ですよ。それどころか、飼い主の心配をしてあげる、感心な兎じゃないですか。こんな心がけの良い兎は、何処を探してもいないですよ。山の神様もきっと、こんな感心な兎はいないとお喋りできるようにしてくれたんですよ。こんな兎を飼えて、斎藤さんは三国一の幸せ者ですね」
 よくもまあ、舌を噛まずにペラペラと喋るものである。それには斎藤も感心する。
 しかし山の神というのが本当にいるなら、相当根性の悪い奴に違いない。山の神は女であると聞くから、性悪女なのだろう。
「お前のどこを見て良い兎と思ったのか、サシで話をしてみたいもんだな。泣くまで説教してやる」
「泣くのは斎藤さんの方ですよ。山の神様、気が強くて口も達者だから」
「………お前を見てたら、そんな気がしてきた」
 この兎に言葉を与えるくらいである。山の神とやらは口から生まれたような女に違いない。
 脱力したようにがっくりと肩を落とす斎藤に、兎は勝ち誇ったように鼻をひくひくさせる。
「そうでしょうとも。
 それは兎も角として、お酒を分けてくださいよ。今まで見守ってあげたんだから、それくらいのお礼をしてくれても罰は当たりませんよ」
 何処までも態度の大きい兎である。この態度を悔い改めれば少しは可愛がってやろうという気にもなるが、こんな兎は絶対に可愛がりたくない。
 大体、見守ると言えば聞こえが良いが、この兎がやっていることは覗きではないか。に何かしようと思っても、こいつの目があると思うと不本意ながら少し怯んでしまうのだ。邪魔にはなっても、何の助けにもなっていない。
「お前らの世界では、出歯亀のことを見守るって言うのか?」
「いやですよ、斎藤さん。私は出っ歯でも亀さんでもないですよ」
 出歯亀の意味が解っていないのか、惚けているのか、兎は可笑しそうに笑う。続けて、
「そんなことより、今夜はお祝いなんだから、ぱあっといきましょうよ」
「何が祝いだ。調子に乗るな」
 あくまで能天気な兎に、斎藤はポカリと拳骨をくれてやる。
 すると、これまで媚びまくっていた兎の態度が一変して、威嚇するようにぷうっと膨れた。
「折角お祝いしてあげようと思っていたのに。そうですか。それなら良いですよ」
 そう言ったかと思うと、兎はぴょんと跳ねて酒瓶を蹴り倒す。そして斎藤が止める間も無く、零れた酒をぐびぐびと飲み始めた。
「こら! 飲むんじゃない!」
「良いじゃないですか。どうせ安酒なんですから。ケチは女に嫌われますよ」
 制止する斎藤を振り切って、兎は酒を飲み続ける。
 ―――――こうして今夜も、なし崩しに酒盛りに雪崩れ込んでしまうのだった。


「もおっっ!! どうして兎さんにお酒を飲ませちゃうんですか?!」
 の甲高い声で、斎藤は目を醒ました。
 休みの日は朝からがやって来て、朝食を作ってくれるようになっているのだ。が来る前に部屋を片付けておこうと思っていたのに、つい寝過ごしてしまったらしい。
「この部屋お酒臭いし! お酒飲んでそのまま寝ちゃ駄目だって、いつも言ってるじゃないですか」
「あー………」
 寝起きでまだ頭がぼんやりしている斎藤は、返す言葉も思いつけずに間抜けな声しか出ない。
 いつもはに説教をする立場の斎藤だが、兎が絡むと大逆転だ。まったく、この兎を拾ってからろくなことが無い。
 獣のくせに腹を出してだらーんと伸びている兎を横目で見て、斎藤はうんざりした顔で溜息をついた。
<あとがき>
 二日酔いも何のその、お相伴のチャンスは逃さない兎さんです。どれだけ酒好きなんだ?
 しかしまあ、兎のくせによく喋るものです。『渡る世間は鬼ばかり』並みの長台詞も何のそのですよ。お前、えなりかずきか? 否、女の子だから“かずちゃん”(役名)か。そういえば、あのクソ生意気な台詞回しが兎さんに通じるものがあるかもしれない。たまに見ると、ムカつくんですよね(笑)。
 ところで兎部下さん、休みの日は朝から斎藤と一緒のようです。平日も仕事と夕食は一緒だし、別れてるのは寝る時くらいなんじゃないですか?(笑)
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