桜の木の下で

 が花見をしたいと言い出したので、縁は花見弁当を作っている。しかも、花見といえば筍御飯だと訳の判らないこだわりを持っているらしく、お陰で彼は休みだというのにいつもより早起きをする羽目になってしまった。
 は意味不明なこだわりを幾つか持っているが、それを叶えてやらなければならないのは、縁なのだ。こだわりを持つのは結構なことだが、他人を巻き込むなと言いたい。筍御飯を仕込むのは大変なのだ。その上におかずまで作ってやらなければならないのだから、面倒臭い。
 そして肝心のはというと、まだぐーぐー寝ている。台所で縁がぱたぱたと忙しく働いているというのに、全く起きる気配が無い。神経が太いというか、鈍感というか、少しは縁に気を遣えと説教してやりたい姿である。
 の頭を蹴飛ばして起こしてやりたい衝動に駆られたが、起こしたところで役に立たないことは目に見えている。それどころか、腹が減ったから朝飯を作れと言われそうだ。
 お気楽そのものなの寝息を聞きながら、縁はそっと溜息をついた。


「あら、美味しい。縁、また腕を上げたんじゃない?」
 念願の筍御飯を食べながら、は上機嫌に褒める。
 公園の桜は今が一番の盛りで、家族連れやら団体客でごった返している。人数が多ければ重箱の弁当を持ち込むのは当然だが、二人で食べるのに重箱で持ってくるというのは縁たちくらいなものである。それに菓子と酒とつまみが付いているのだから、傍から見たら後から追加で団体が来るとしか見えないだろう。
 勿論、今日の花見は縁との二人だけで行うものだ。この大量の食料も、のこだわりでそろえられたものである。花見にはとりあえず重箱の弁当と、菓子と酒、そして酒があるならつまみもないと駄目らしい。これらは全て、縁が一人で運んだ。
「どうでも良いガ、コレ、全部食えるのカ?」
 どう控え目に見積もっても、家族連れと同じくらいの量はある。いくらが大食いだとはいえ、この量を二人で消費するというのは難しいと思う。まあ、残ったものはそのまま夕食に流用しても良いし、菓子や酒は日持ちするのだから、残っても問題が無いといえば問題無いのだが。
 しかし、は縁の心配などどこ吹く風といった感じで、
「大丈夫よ。こんなに美味しいんだもの。全部食べられるわよ。それにね―――――」
「せんせーいっっ!!」
 ふふっと笑うの声に重なって、元気一杯な少女の声が聞こえてきた。
 聞き覚えのあるその声にぎょっとして縁がそっちの方を見ると、操がこちらに駆け寄ってくるところだった。その後ろに、荷物を持った蒼紫がゆっくりと歩いてきている。
「二人だけじゃ寂しいから、お友達も呼んだの。お花見は人数が多いほうが楽しいでしょ」
 驚いている縁に、は楽しげに言う。
 重箱の弁当も、大量の菓子や酒も、最初からこのつもりで用意させていたらしい。休みの日もであるかない縁のために“友人”を呼んでやろうと気を遣ったのかもしれないが、彼にとってはそれこそ余計な気遣いだ。あの二人は友達でも何でもないのだし、彼女と二人で花見をしたかった。
 一寸不機嫌になってしまっている縁の顔も、いつも仏頂面をしているものだから、は全く気付いていない。それどころか嬉しいのを堪えていると思っているのか、嬉しそうにやってきた二人に席を勧めている。
「わあっ、筍御飯! 先生が作ったんですか?」
 縁製作の豪華花見お重弁当を見て、操は目を丸くする。
「いやぁねぇ。私がこんなの作れるわけがないじゃない。縁が作ったのよ。凄いでしょ」
 別段恥ずかしがる風でもなく、は豪快に笑う。
「…………………」
 弁当と縁の仏頂面を交互に見て、操も蒼紫も何ともいえない微妙な顔をした。
 縁が普段の家事を引き受けているらしいということは知っていたが、まさかこんな手間暇のかかるものまで作れるとは思わなかった。しかも、筍御飯には翡翠色に煮た蕗を細かく散らして春らしさを演出してみたり、おかずも彩りを考えて綺麗に詰め込まれ、一寸した仕出し弁当のようだ。彼にこんな才能があったとは意外である。
 しかしまあ、これだけのものを作ることができるということは、日頃からきちんとやっているということなのだろう。台所でせっせと食事を作る縁の姿を想像すると、結構笑える。
「縁、凄いねぇ。見直したよ」
 にんまりと笑って、操がからかうように言う。の前でなら縁が怒れないことを、操も知っているのだ。
 その言葉に、縁は顔を朱に染める。
「うるさイっ!」
「……………………」
 低く怒鳴る縁を宥めるように、蒼紫がぽんぽんと肩を軽く叩いた。いつもの無表情だから何を思っているのか判らないが、どうせ操と似たようなことを考えているのだろう。
 縁だって、好きでこんなことをしているわけではないのだ。たまたまよりも上手くできるから、自分でやった方が効率的だし美味いものも食べられるからやっているだけである。尻に敷かれているとか、言いなりになっているとか、断じてそういうことは無い。
 しかし傍から見れば、縁の姿は完全に尻に敷かれているようにしか見えないだろう。彼自身も他人事だったらそう思う。
 この関係をどうにかひっくり返したいなあ、と弁当を食べながら楽しげに喋るを見遣りつつ、縁はそっと溜息をついた。
<あとがき>
 縁、着々と料理の腕を上げています。いっそのこと、『葵屋』の厨房でアルバイトするか?
 主人公さんは相変わらずです。それどころか、ぐうたらに拍車がかかってますよ、この人。縁がいなくなったら、どうするつもりなんだろ………。
 縁はお花見デートのつもりで張り切っていたはずなのに、お邪魔虫二人がついてきてるし。しかも縁の応援をしてくれるならまだしも、冷やかしてるし。お邪魔虫の駆除から始めないといけませんな。
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