銀世界

「わぁあ………」
 外に出たが、いきなり感極まった声を上げた。
 昨日の夜から降り続いていた雪が積もって、一面の銀世界になっていたのだ。雪が朝日を反射して、キラキラと輝いている。
「先生! 雪が積もってますよ!」
「あぁ?」
 はしゃいだ声を上げるに、まだ寝ていた比古が面倒臭そうな声を上げる。頭をぼりぼりかけながらいつものように大欠伸をする彼だったが、彼女の言葉を理解した途端、一気に目が醒めたように大口を開けたまま固まってしまった。
 雪が積もっているということは、もう山を下りることができなくなってしまったということではないか。去年の今頃は雪がちらつくことはあっても、積もるということは無かったはずだ。今月中に町に帰せば良いと呑気に構えていたが、大誤算だった。
 言葉も出ない比古とは対照的に、は嬉しそうに言う。
「保存食買いだめしておいて良かったですねぇ。お野菜は裏の畑で採れるので何とか賄えるし、雪解けまで凌げますよ」
 確かに家には大量の保存食がある。しかも、二人では消費しきれないほどのだ。勿論がせっせと買い貯めたものである。そして裏の畑にも、どう見ても二人で消費するとしか思えない農作物が植えられている。これも彼女がせっせと育てたものだ。
 どうやらは、今年の雪が早いのを見越して、地味に根回しをしていたらしい。陶芸で身を立てるまでは絶対に山を下りないという言葉は、本当に本気だったのだ。
 山から下りられなくなった比古は、例年なら春に向けて陶芸三昧の日々を送る。雪が溶けて山を下りることができるようになったら、それを町の陶芸品店や茶道具屋にまとめて預けるのだ。あとはたまに下山して、売り上げを回収して一年の生計を立てる。しかしもいる今年は、そうはいかない。
 比古が陶芸を本格的に始めたら、は彼に一日中付きまとって陶芸を習おうとするだろう。元々教える気など微塵も無いのだから、鬱陶しいことこの上ない。かといって作品を作らなければ瞬く間に来年の生活に行き詰るわけで、難しいところだ。
 今年の冬はどうしようと、頭を掻きながら苦悩する比古に、はぱたぱたと走り寄って嬉しそうに言う。
「いよいよ陶芸家生活ですね。やっと私も弟子らしいことができるわぁ」
「誰が手前ぇなんかに教えるなんて言ったよ?」
 無邪気そうにはしゃぐの姿も忌々しくて、比古は不機嫌な低い声を出す。
「だって、もう山は下りられないし、山篭りなのにおさんどんだけして過ごすなんて、無駄じゃないですか。どうせ先生は陶芸をやらなきゃいけないんだし、そのついでに教えてくれれば良いんですよ。町の奥様方がやっている陶芸教室みたいに、手取り足取り教えろとは言いませんから」
 実に当たり前のことのように、は少しムッとして言う。趣味で陶芸をやるわけではないのだ。料理人の世界と同じで、弟子は師匠から技を盗むものだと彼女も思っている。基礎は教えてもらわなければならないだろうが、その後のことは誰にも頼らずに自分で何とかしなければ“自分の”作品にはならない。は新津覚之進の模倣作を作りたいのではなく、彼女自身の作品を作りたいのだから。
 比古はに手取り足取り教えなければならないと誤解して、それを面倒臭がっているのだろうが、彼女はそんな甘ったれた考えで此処に来たわけではない。自分にはこの道しかないと思い詰めて、実家の反対を振り切ってきたのだ。出戻りな上にこうやって飛び出してきたのだから、もう実家は頼れない。彼女にはもう後が無いのだ。これで陶芸で身を立てられなければ、本当に路頭に迷ってしまう。
 珍しく真剣なの目に、比古は一瞬たじろいでしまったが、彼もここで退くわけにはいかない。弟子なんて面倒なものはもう二度と取らないと決めているのだし、それはどんなに真剣に頼み込まれても変わらない決意なのだ。
 断片的に聞くの事情は確かに気の毒だと思うし、自ら退路を断ったその覚悟は見上げたものだとは思う。しかし、それとこれとは別だ。
 彼女の眼力に圧されないように、比古も負けずに睨み返す。
「何と言われようが、俺は弟子はとらねぇ。しょうがないから此処には置いてやるが、絶っっっ対教えねぇからな」
「ってことは、此処にいて良いんですね?」
 突然、の顔がぱぁあっと明るくなった。
「新津覚之進の陶芸を間近で見られるんだ! 嬉しい! 私、頑張って先生の芸を覚えて、自分の作品作りますから!!」
「いや、だから教えないって………」
「これでおさんどんの張り合いも出てきましたよ。これからはもっと美味しいものを作りますね。先生のお仕事は身体が資本なんだから、大事にしなきゃ」
「だから、俺の話を………」
 勝手に浮かれてぺらぺら喋るを制そうとするが、何を言っても無駄だと悟ると、比古はがっくりと肩を落として溜息をついた。
 これからはマシなものを食べられるのはありがたいが、素直には喜べない。指導してもらわなくても一人で何とかすると彼女は言っているが、いざその時になれば比古にうるさく纏わりつくに決まっている。この女はそういう女だ。
 陶芸はしなければならないが、これ以上に纏わりつかれるのは鬱陶しい。これからのことを考えると、比古は早くもげんなりしてしまうのだった。
<あとがき>
 師匠の山小屋にも冬が来て、主人公さん居座り決定です。食料の買い溜めをしたり、家庭菜園をしていたり、結構地味に作戦を練ってたんですね。
 ここまでやってるんだから、そろそろ弟子にしてあげれば良いのに、と思うのですが、こうまでされると師匠的には意地でも弟子にしたくなくなっている様子。どうするんだろうな、主人公さん。まあ、彼女はしぶとい人ですから、勝手に陶芸を極めちゃいそうですけど。
 それにしても、ドリームなのにずっとこの調子でどうするんでしょうね、この二人(汗)。
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