火鉢と懐炉

 冬になると、シノモリサンは一日中火鉢に付きっ切りだ。いつも火鉢を抱き締めんばかりに密着していて、火鉢が身体の一部になってるんじゃないかって思うくらい。まあ、さんにベタベタ密着するよりは良いんだけどね。
 しかも今年は火鉢だけじゃなくて、バカ猫とも一体化しちゃってる。温かいからって、ずっと懐に入れているんだ。そのせいでシノモリサンのお腹が膨らんで、まるで妊婦さんみたいになってる。それを見てさんが一寸嫌そうな顔をしてるから、そろそろ嫌われてこの家を追い出される日も近いんじゃないかな。
 まったく、図体がでかいくせに、こんな寒がりだなんて使えない奴。場所塞ぎで大飯喰らいで、しかもこうやって動かないなんて、家に置いておく意味が無いんじゃないかなあ。新しい年に向けて、粗大ゴミと一緒に処分しちゃえば良いのに。
「蒼紫、お茶碗洗い終わったわよ」
 手拭いで手を拭きながら、さんが厨房から出てきた。水仕事をしたせいで手が真っ赤になっていて、きっと氷みたいに冷たくなってるんだろうな。シノモリサンは役立たずのくせに暖かい部屋でぬくぬくしていて、働き者のさんが寒い厨房で水仕事なんて、世の中間違ってるよ。
「うん………」
 いつもならさんが戻ってくると、嬉しそうに隣に座らせてベタベタしようとするくせに、シノモリサンの返事は重い。何だかもじもじしたりして、動きも鈍くなってる。
 それもそのはず。さんがお茶碗を洗い終わったら、シノモリサンがお鍋とお釜を洗う決まりになってるのだ。他の季節はさっさと自分の役目を果たしてさんにくっ付いているけど、寒くなったら途端に動きが鈍くなって、どうにかこの役目から逃げようとする。寒くなって動きが鈍くなるなんて、虫みたいな奴だ。布団亀で虫だなんて、使えない奴。
 お鍋とお釜を洗うのが、シノモリサンが役に立つ数少ない場面なのに、これさえ嫌がるようになったらますますこの家にいる必要がなくなるじゃないか。さんはあいつに甘いから、それくらいしか使えなくてもこの家に置いてやってるけど、カナブンよりも使えないって分かったら捨てる気になるかな。早く真実に気付かないかなあ。
 いつまでも動かないシノモリサンの様子に、さんは一寸怒ったような声を出す。
「早く洗わないと、汚れがこびり付いて取れなくなっちゃうわよ。ほら、さっさと行って」
「………明日じゃ駄目かな?」
 まだ未練がましく火鉢にしがみついたまま、シノモリサンはさんの顔色を窺うような上目遣いで訊く。ああもう、こいつってば本当に使えない。さんみたいにきびきび動けばいいのに。っていうか、お前なんかが上目遣いしたって、可愛くも何ともないんだよ。
 当然、さんもそんなシノモリサンを許すはずがなく、腰に両手を当ててぴしゃりと叱りつける。
「駄目に決まってるでしょ。そんなことして、明日の御飯はどうするの?」
「…………………」
 やっと許してもらえないということが解ったのか、シノモリサンはしぶしぶといった様子で、のっそりと立ち上がる。そうそう、最初から素直にあっちに行けば良かったんだよ。僕たちは暖かい部屋でまったりしてようね、さん。
 と、さんが部屋を出て行くシノモリサンの腕を掴んだ。そしてにっこりと微笑んで、
「霖霖は置いていってね」
「こ……これは懐炉だから………」
「ふーん、随分と大きな懐炉なのねぇ」
 ぽっこりと膨らんだシノモリサンのお腹をじろじろ見て、さんは相変わらずにこやかに言う。………さん、笑ってるけど何だか怖いよ………。
 さん、笑っているけど、よく見ると目が全然笑ってない。さんはあからさまに怒ることはないけど、こういう顔をしている時は本気で怒ってる時だ。
 シノモリサンもそれに気付いているらしくて、落ち着き無く目が泳いじゃって、きっと言い訳を考えてるんだ。さんは厨房に動物が入るのを嫌がるんだから、さっさとバカ猫を置いていけば良いのに。馬鹿だから誤魔化せると思ってるのかな。
 さんはにこにこしたまま、バカ猫が入っているところを掌で撫でる。
「随分と柔らかい懐炉なのね」
「最新式だから………」
「ふーん、最新式なんだぁ。へぇ〜………」
 うろたえるシノモリサンの反応をじっと観察していたさんだったけど、急にシノモリサンの襟と取ったかと思うと、あっという間に大きく開いた。
「うわっ………?!」
『わぁあっっ?!』
 シノモリサンのお腹に入っていたバカ猫が、ずるんと落っこちてきた。畳に落ちる前に、さんが片手でバカ猫を受け止める。
 バカ猫もびっくりしてたけど、それよりびっくりしてるのはシノモリサンだ。お腹が出てるのに寒いのも忘れてるみたいに固まっている。その顔が凄く間抜けで、僕は羽をばたばたさせながら大笑いしてしまった。
 馬鹿のくせにさんを騙そうなんて100年早いんだよ。お前なんか、罰として素っ裸で外に立たされてたら良いんだ。
『寒いよぅ〜〜〜! 蒼紫〜〜〜』
「最近の懐炉って、みゃあみゃあ鳴くのかしら?」
 急に着物の外に出されて足をぱたぱたさせるバカ猫を抱いて、さんはあくまでもにこやかに言う。
「最近流行の猫型懐炉なんだ」
 何か言うたびに、シノモリサンはどんどんドツボにはまっていってる。馬鹿だ、こいつ………。素で馬鹿。略して素バカ。
 流石にこの一言には、それまで笑顔を作っていたさんの顔が引き攣った。そりゃそうだよ。猫型懐炉なんて、馬鹿にしてるとしか思えない。
 それでもご主人は引き攣った笑いを浮かべて、声だけはにこやかに言う。
「とにかくこれは没収。さっさとお鍋とお釜を洗ってきて。私が笑ってるうちにね」
 ………さん、もう後半の声は笑ってない。
 ここまできてやっとご主人の怒りが通じたのか、シノモリサンの顔が真っ青になる。ふふふ、これでまた何か馬鹿なこと言ったら、今度こそこの家から追い出されるぞ。
「…………はい」
 馬鹿なことを言って追い出されるのを期待していたのに、シノモリサンはしゅんとなって返事をすると、観念したように部屋を出て行った。ちぇっ、叩き出されるのを期待してたのになあ。使えない奴。
 だけどまあ、これでこの暖かい部屋は僕たちだけのものだ。バカ猫が邪魔だけど、まあ良いや。あいつがいないと、本当に部屋が広くて良いなあ。
 シノモリサンが出て行ったらさんは急にご機嫌になって、火鉢の前に座る。そして横に置いてある蜜柑を剥きだした。あいつがいたせいで、さんは火鉢に当たれなかったんだもんね。やっと暖まれて良かったね、さん。
 さんが蜜柑を剥いていると、匂いに誘われるようにバカ猫が膝に擦り寄ってきた。
「霖霖も蜜柑食べる?」
『食べるー』
 さっきまで寒い寒いと騒いでいたのが嘘みたいに、バカ猫は嬉しそうな声を上げた。
 さんは蜜柑の筋を丁寧に取ると、バカ猫の口に放り込んでやる。さんはバカ猫にも優しいなあ。
さーん、僕も蜜柑ー』
「あら、ちぃちゃんも食べたいの?」
 さんは可笑しそうにふふっと笑って、僕の籠とお父さんとお母さんの籠に蜜柑を一房入れてくれた。
 うーん、甘くて美味しい。バカ猫はもっともっとってねだってて、さんはその度に白い筋を丁寧に取って口に入れてやってる。あいつ、この調子だと一個丸々食べちゃいそうだなあ。
 僕は小さいから一房でお腹一杯になりそう。暖かい部屋で甘い蜜柑を食べるのが、冬の一番の楽しみだ。しかも邪魔なシノモリサンはいないし、ああ幸せ。シノモリサンは一生、寒い厨房で暮らしていれば良いんだ。
 さんは楽しそうに笑ってて、バカ猫は蜜柑に夢中で僕の方に寄ってこないし、この幸せな時間がずっと続くと良いのになあ。甘い蜜柑と一緒に、僕はこの幸せな時間を存分に味わうのだった。
<あとがき>
 猫は温かいけど、お腹の中に入れとくっていうのはどうなんだろうな、蒼紫。ま、霖霖も蒼紫のお腹の中でぬくぬくなんで、お互い幸せってところか。
 それにしても主人公さん、だんだん鬼嫁風味になってるような………。昔はこんな人じゃなかったはずなんだがなあ………。教育的指導っていうより、調教ですよ、これじゃ(笑)。
戻る