ラビちゃんの質問
川路の娘の学期末の試験が近付いてきたということで、またまた斎藤の家に黒兎のラビがやって来た。今回は兎の発情期から外れているので、斎藤も安心して預かることができる―――――はずだった。「兎ちゃんから聞いたけど、斎藤さんって見かけによらずヘタレなんだってね」
「…………………」
ラビの不躾な言葉に、斎藤は苦虫を噛み潰した顔で不快げに黙り込む。
どういうわけか、満月の夜に兎どころかラビまで喋りだしたのだ。川路はそんなことは一言も言っていなかったし、これまで預かった時もラビが喋ったことなど一度も無かったのに、一体どういうことなのか。大方、兎が妙な力を使ってラビも喋れるようにしたのだろうが、斎藤には鬱陶しさ倍増で面白くも何ともない。
しかも、兎と違ってラビは友達喋りである。丁寧語で喋られたところで気持ちの良い言葉ではないが、兎の友達喋りは不愉快である。
斎藤の面白くなさそうな顔など全く頓着しない様子で、ラビはくりくりした目で興味津津に見上げている。相手がどう思うかと考えるよりも、自分の意思を相手にそのまま伝えられると言うのが嬉しくてたまらないようだ。
そんな無邪気なラビの横で、兎も口を挟んでくる。
「そうなんですよ。さんが兎になっちゃった時も、ヘタレな斎藤さんに代わって私が元に戻してあげたくらいなんですから。いい歳して情けないったら。実はこの二人、まだちゅうもしてないんですよぉ」
「えー? ちゅうもしてないなんてありえないなあ。斎藤さん、もしかしてどこか悪いの? もう赤ちゃん作れないとか」
「俺はまだ現役だっ!」
ラビの遠慮の無さすぎる言葉に、斎藤は大人気なく怒鳴ってしまった。
若い頃と同じようにとはいかないかもしれないが、斎藤は今でも十分に健康な成人男性である。ただ、兎には解らない人間の事情で二人の関係を先に進ませないだけだ。
接吻だってそれ以上のことだって、やろうと思えばいつでも出来る。極端に言えば、今からの家に乗り込んで全部済ませることだってできるのだ。それをやらないのは、彼女のことを何よりも大切に考えているからだ。断じてヘタレなせいではない。
兎の世界であれば、本能のままに動いても何の問題もないだろうが、人間は違う。兎の成長の早さはどれも同じだろうが、人間には早熟なのと晩熟なのがいて、明らかには晩熟な方だ。晩熟な相手にさっさとコトを勧めてしまったら、彼女を怖がらせて泣かせてしまうではないか。
一つ深呼吸をして、斎藤はいつもの落ち着いた口調で兎の頭でも理解できるように説明する。
「ものには順序ってものがあるんだ。そういうことはな、時期を見て――――――」
「時期を見るのはいいけど、好きってちゃんと言わなきゃ他の雄に取られちゃうよ。その点、僕はちゃんといつも兎ちゃんに好きって言ってるから、離れ離れでも大丈夫だけどね。ねー?」
「ねー」
斎藤の説明など、2羽の兎は聞いてはいない。顔をすり寄せて勝手にいちゃいちゃし始めて、人の言葉は話せても所詮は獣である。
腹が立ってくるのを抑えるように、斎藤は煙草に火を点ける。
何度か煙を吐いて漸く気持ちが落ち着いたところで、またまたラビが話しかけてきた。
「斎藤さんって、もしかして手も握ったことないの? ヘタレだね〜」
「手ぐらい握ってるに決まってるだろう!」
如何にも馬鹿にした口調が癇に障って、斎藤は思わず反射的に答えてしまった。しまった、と思ったときは既に遅く、兎とラビがにやにやと笑っている。
にやにやと笑いながら、兎とラビがじりじりと迫ってくる。こんな小さな生き物相手に何故か追い込まれてしまった気分になって斎藤が固まっていると、2羽がそれぞれに彼の膝の上にちょこんと前足を乗せた。何が何でも逃がさない気らしい。
「ねーねー、お手手つないで歩いてるのー?」
「実は肩なんか抱いちゃったりしてるんですか?」
「ぎゅーってしたことある?」
「ぎゅーってしたついでに、身体なでなでしてたりして〜。やーらしーですね〜」
右と左で矢継ぎ早に言われて、うるさいことこの上ない。兎は静かな生き物だと聞いていたが、大きな間違いである。
しかし、こんな可愛い形をしているくせに、どうしてこう下世話なことを言うのか。四六時中こんなことを考えて生きているのかと思うと、斎藤は頭が痛くなってくる。これから先、二人の関係が先に進んだらもっとひどいことになりそうだ。
腹立ち紛れに、膝を跳ね上げるようにして兎たちを追い払った。いきなりの攻撃に2羽とも受身を取れずに、後ろ向きにごろんと転がる。
けれど兎たちはすぐに起き上がって、今度は部屋の隅っこに身を寄せ合ってヒソヒソと話し合う。
「図星だったんだよ。ああいうの、むっつり助平って言うんだよ」
「うわー、“俺は我慢してるんだ”なんて言いながら、最低ですね。ああいう男が一番性質悪いんですよ」
「兎ちゃんも変なことされてない? むっつり助平は見境無しだから、変なことされたらすぐに逃げてきてね」
「………全部聞こえてるぞ、お前ら」
丸聞こえのヒソヒソ話に、斎藤が不機嫌に突っ込みを入れる。
確かに兎のいない時にを抱き締めたことはあるが、ドサクサに紛れて身体を触りまくるなど、断じてしたことは無い。怯える彼女を安心させるために抱き寄せただけであって、下心など爪の先ほども無かったのだ―――――と思う。いや、多少はそういう気持ちはあったかもしれないが、それでもいやらしく撫で回すなんてことはしていない。
それにしてもラビは、兎のくせによくそんな下世話な言葉を知っている。おそらく、川路の娘が使っているのを憶えたのだろう。川路の娘はお嬢様育ちのはずだが、一体どこでそんな言葉を憶えてきたのか。ある意味謎である。
不機嫌な斎藤を振り返って、兎が小馬鹿にするように鼻先で小さく笑う。
「斎藤さん、どうでも良いことには私たち並みに耳が良いですね」
「むっつり助平は耳は良いんだよ。いやらしい話を盗み聞きするために鍛えてるから」
ラビまで調子に乗ってくすくす笑う。
兎ごときが言うことに真剣に腹を立てるのは大人気ないと斎藤は思うが、それにしても聞き捨てならないことが多すぎる。おまけに馬鹿にするようににやにや笑っているし、もう存在自体が不愉快の塊だ。
しかも“むっつり助平”という言葉の響きが気に入ったのか、2羽がそろって囃し立て始めるのだから、むかつきも最高潮に達してくる。
「むっつり助平〜〜〜」
「むっつりむっつり〜〜〜」
「あ゛―――――っっ!!! うるさい、うるさい、うるさい―――――っっっ!!!」
歌うように節を付けて囃し立てる2羽に、斎藤は顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
―――――こうして斎藤家の夜は更けていくのだった。
何だかラビちゃんまで喋りだして、斎藤ますます大変です。兎のくせにタメ口だし(笑)。
兎たちに説教されるし、終いには“むっつり助平”なんて言われるし、斎藤ヘタレ全開です。一体どこまでヘタレるんだろうなあ。
この分だと、斎藤と主人公さんの間に赤ちゃんができるまで、この二羽の攻撃は続きそうです。面白がってるけど、応援してくれてるんですよ、兎さんたち………多分。