食卓の風景
卓袱台には、おにぎりを盛った大皿がデンと鎮座ましましている。これが今日の夕食だ。比古が「毎日飯を炊くのも修行のうちだ」と適当なことを言ったせいで、は親の敵のように御飯を炊きまくっているのだ。お陰で御飯を炊くことに関してだけは、今や彼女は名人級だ。寿司屋で働いたら、寿司飯を炊くのに重宝されるのではないかと、比古は密かに思っている。というか、いっそのこと寿司屋で引き取ってもらいたいくらいだ。
毎日代わり映えしない食卓にうんざりと溜息をつく比古に対し、は特に何も感じていないように説明する。
「今日のおかずは、奮発してすき煮にしました。お肉も細切れじゃなくて、牛鍋に使う塊肉ですよ」
食卓にはおにぎりの皿しかないが、実はこの中に本日のおかずが隠されているのである。は飯炊きも巧くなったが、どんなものでもおにぎりに入れるという技術も習得したらしい。
おかずが焼き魚とか玉子焼きとか一品ものである時は問題ないやり方だが、今日のような何種類もの具材を煮込んだものとなると、話はややこしくなってくる。全ての具材を満遍なく一つのおにぎりの中に入れておけば良いものを、何故か単品しか入れないのだ。そのせいで、当たり外れの激しいおにぎりになってしまう。
どれが当たりかと、早くもおにぎりに睨みを利かせている比古に、はおにぎりの解説を始める。
「お肉が入っているおにぎりは4つです。あとは、豆腐、しらたき、白菜、長ネギになります。さあ、頑張って当たりを引いてください」
公平を期するために、握るのは、皿に載せるのは比古が担当している。その為、お互いにどのおにぎりが何処にあるのか判らない状態だ。
二人が同時におにぎりを取る。
「あっ」
「あ〜………」
おにぎりを割った瞬間、は喜びの声を、比古は落胆の声を上げた。のには肉が、比古のには長ネギが入っていたのだ。
嬉しそうにふふっと笑うと、は早速肉にかぶりつく。
「う〜ん、美味しい! 今日は大奮発をして、霜降りのお肉を買ったんですよ。口の中でとろけますね」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
見せ付けるように肉を頬張るを悔しげに見遣りながら、比古は長ネギ入りのおにぎりをもそもそと食べる。長ネギだってトロトロで美味いぞと言ってやりたいが、そんなことを言ったところで負け惜しみのようだし、何より彼女の料理の腕前を褒めることになってしまうので、口が裂けても言えない。
まあ、肉入りおにぎりはあと3つあるのだ。に一個くらい食わせてやったところで、惜しくはない。そう言い聞かせて、比古は長ネギおにぎりをさっさと胃に収めると、彼女がゆっくり肉を味わっている間にもう一つおにぎりを取った。
が、次に取ったのは、しらたきのおにぎり。蒟蒻は体に良いと聞くし、比古も嫌いではない。いきなり肉が当たるよりも、他の具材も食べて真打登場というのも良いだろうと、無理矢理自分を納得させる。今日の肉は高級肉らしいし、楽しみは先に引き延ばすのが良いというものだ。
そうは思ってみたものの、しらたきおにぎりの次に引いたのが白菜おにぎりとなると、流石に少し苛々してきた。そこに、2個目のおにぎりを取ったが、またはしゃいだ声を上げたものだから、苛立ちも倍増である。
「またお肉! いや〜ん、すぐにお肉が溶けちゃう〜」
肉と一緒にお前も溶けて無くなってしまえ、と腹の中で毒づきながら、比古は無言でハズレのおにぎりをもそもそと食べる。
何故だか分からないが、いつもは確実に当たりのおにぎりを引き当てるのだ。当たりに何か目印があるようでもなく、皿に置いているのは比古なのだから、イカサマができる余地は無いはず。どうやって当たりを引き当てているのか、比古には皆目分からない。
むかむかしている比古の神経を逆撫でするように、彼女は肉を頬張ったまま嬉しそうに言う。
「先生もお肉食べてくださいよ。凄く美味しいですよ」
「うるせぇ」
豆腐おにぎりの何とも言えない触感を味わいながら、比古は苦虫を噛み潰したような顔で応える。
食べてくださいよ、と言われて食えるくらいなら、肉入りおにぎりは全て比古が食い尽くしている。無邪気に肉を勧めるの様子も、今の彼には悪意たっぷりの演技にしか見えない。というか完全に、彼女は比古を見下している。
普通、弟子なら師匠に気を使って、連続で肉を引き当てたら師匠に譲るのが筋だろう。それなのにこの女ときたら、いつも当然のような顔をして当たりのおにぎりを掻っ攫っていくのだ。比古が弟子だった頃には考えられなかったことである。
そんなことを考えていると、またまたが肉おにぎりを引き当てた。ここまで連続されると、もうイカサマとしか思えない。そんな証拠は全く無いけれど。
流石に三つ目になると比古の恨めしげな視線に気付いたのか、はニヤニヤ笑いながら恩着せがましく言う。
「先生、このおにぎり、譲ってあげましょうか?」
「いらねぇよ」
「えー? 美味しいのにー。陶芸教えてくれるなら、最後の1個もどれか選んであげますよ」
不機嫌顔の比古に怯むことなく、は相変わらずニヤニヤ笑い続ける。まるで、最後の一個がどれか判っているような口振りだ。どれが肉おにぎりか、彼女には判らないはずなのに。
無意味に自信たっぷりのにも腹が立つし、何よりたかだか肉ごときで陶芸を教えるというのも腹が立つ。彼女には陶芸は教えないと決めているし、教えたら最後、ずっと此処に居座るに決まっているのだ。それだけは絶対に避けなければ。
比古が新しいおにぎりに手を伸ばそうとすると、それを制するようにが声を掛けた。
「あ、それじゃなくて、こっちがお肉ですよ、きっと」
「うるせえ。どれが良いかは俺が決める」
一瞬、の言うことに従おうかとも思ったが、これで本当に肉おにぎりだったら、彼女の態度が更に大きくなるのは必至。これ以上がこの家でのさばることになったら、目も当てられない。第一、彼女の意見に従うというのが、比古自身許せない。
の言葉を無視して、最初に狙ったおにぎりを取ったのだが―――――
「…………………」
比古が引き当てたのは、一番最悪な味の豆腐おにぎりだった。の助言に逆らった結果が、大ハズレおにぎりである。せめて、長ネギか蒟蒻を引き当てたかった。
落胆する比古の様子を見て、はわざとらしくぷっと吹き出した。その顔もまた憎々しい。
は比古に勧めたおにぎりを手に取ると、これ見よがしに割ってみせる。悔しいことにそれは大当たりの、一際大きな塊肉だった。
「ね? 大当たりだったでしょ。私、昔からクジ運は良いんですよ」
うふふ〜と笑いながら、悔しそうな比古を尻目に、は大口を開けて肉を頬張るのだった。
良い感じに虐げられています、師匠(笑)。流石の天才も、おにぎりの中身は見破れないようで。
日々の食事にも影響が出てるんだから、いい加減折れてあげれば良いのに、意地とプライドが許さないんでしょうねぇ。ちゃんと食べさせてもらえないと、あの大きな身体を維持するのさえ危なくなるっていうのに。
主人公さんと師匠の地味な戦い、いつまで続くのでしょうか。陶芸そっちのけで、二人ともそっちに夢中になってるみたいなんですけど………(汗)。っていうか、ドリームなんだから、ラブラブを目指せって話なんですけどね。どうしよう………。