眠り姫
縁がこの家に来てから一ヶ月近くが過ぎた。は彼よりも2ヶ月早くこの家に越してきたらしいから、彼女が此処に住み着いて3ヶ月近く過ぎたわけである。家事を全くしないせいで台所用品も何も無かった家だが、縁が家事を引き受けるようになって、どうにか人間が普通に生活できるくらいには道具が揃った。鍋だの釜だの、初期投資が少し大変だったが、毎日外食することを考えれば多少初期投資がかかっても、長い目で見ればこちらの方が経済的だ。
縁が来て、この家も随分と人間らしい生活が出来る空間になった。しかしまだ、最大の問題が残っている。
「前から気になっていたんだガ」
布団を敷いて寝る準備をしているに、正座をしていた縁が意を決したように口を開いた。
「そろそろ隣の部屋を片付けないカ? いくら何でも、このままではマズイだロ?」
実はが此処に越してきて以来、今いる生活空間の部屋の続き部屋は物置状態になっているのだ。毎日少しずつ片付けていれば、それぞれ押入れに入れたり処分したりして、二部屋使えるはずなのに、彼女は一向に片付ける様子が無い。
いっそ縁が勝手に片付けてしまおうかとも考えたのだが、一応女の荷物であるから、男が触るのはどうかと、今日まで遠慮していたのだ。
しかし此処に越してきて3ヶ月にもなるというのに改善の兆しが無いとなると、遠慮ばかりしてもいられない。何より、一間を妙齢の男女が共同で生活空間として使うというのはいかがなものかと思う。
実は彼女と縁は、一つの部屋で布団を並べて寝ているのだ。一応、二人の間には衝立が立てられているのだが、こんなものは縁がその気になってしまったら何の役にも立たない。
「片付けようとは思ってるんだけどねー。面倒臭くてさー」
居候に片付けろといわれても気を悪くする風でもなく、かといって逆に恥じ入るわけでもなく、はあっけらかんとしている。彼女としては、一室潰れていても使える部屋があるし、必要なものが荷物の山のどの辺りにあるか完璧に把握しているから、不自由は感じていないのだろう。
肝心の“若い男と同室での就寝”という問題も、にとっては縁はただの同居人にすぎず、男として見ていないからピンとこないようだ。一度襲われないと分からないのだろうかと縁は苛立たしく思うが、流石に冗談でも姉に似た女を襲うなんて出来ない。
「まあ良いじゃない。この部屋だけでも不自由無いんだしさ。じゃ、私、先に寝るから、灯り消しておいてね」
弾むような口調で一方的に話を打ち切ると、はさっさと布団の中に滑り込んでしまった。
「まったク………」
背を向けて寝息をたて始めるを衝立越しに見遣って、縁は小さく溜息をついた。
“若い”というには少々トウが立っているが、もまだそれなりに若い女である。信用してくれるのは嬉しいが、少しは警戒しろと言いたい。実際、少し自分に警戒心を持ったらどうかと縁もそれとなく提案したこともあるのだが、冗談と思われたのか爆笑されてしまったが。
どう言ったらが改めてくれるだろうと頭を悩ませながら、縁は枕元の灯りを消した。
「ふぅ……ぅ………」
の少し苦しげな声で、縁は目を醒ました。
何処か具合が悪いわけではないのだが、は時々こうやって寝ている時にうなされることがあるのだ。最初の数回こそ縁も驚いたが、今ではもう慣れた。
衝立越しにそっと覗くと、寝苦しいのかは眉間に薄く皺を寄せている。もう冬も近いというのに布団も押しやって、殆どかけられていないような状態だ。これでは風邪を引いてしまう。
年上のくせに手のかかる女だと溜息をつきつつ、縁は手を伸ばしての上に布団をかけてやった。
昼間は楽しそうに笑ってばかりのがこんな苦しそうな顔をしているなんて、一体どんな夢を見ているのだろう。巴に似た顔でこうやって苦しそうな顔をされると、縁まで胸が苦しくなってしまう。
「姉サン………」
巴は笑わなかった代わり、こんな苦しそうな表情を見せることも無かった。許婚が死んだ時でさえも。
周囲はそんな巴を冷たい女だと噂したけれど、あれはきっと悲しい顔も苦しい顔も出来ないほどの悲しみの中にいたからだと、縁は今も思っている。のように自分の感情を素直に出せる女だったら、巴ももっと楽な生き方が出来ただろうにと、悔やまれてならない。
苦しげな顔をして小さな呻き声を上げているの手を、縁はそっと握ってみる。彼が小さい頃、近所の子供に泣かされた時に、巴がこうやって慰めてくれていたのだ。
と、うなされていたの表情が、少しずつ和らいできた。そして縁の手に縋るかのように、きゅっと手を握り返す。
幼い子供のようなの反応に縁は驚いたが、自分の手を握らせたまま、彼女の手を包むようにもう片方の手を被せる。
いつも楽しそうに笑って豪快に見えるだが、まだ身寄りを失って3ヶ月なのだ。まだまだ誰かの支えが必要な時期だろう。
そういえばは、ことある毎に「二人だと楽しい」と口癖のように言っている。そして、「ずっと二人で一緒にいようね」とも。鬱陶しいくらいに何度も何度も繰り返されるその言葉は、もしかしたらまた独りになってしまうことへの不安の表れなのかもしれない。
「ずっと寂しかったんダな………」
昼間の陽気なだけしか見ていなかったから、彼女のそんな弱々しい部分には気付かずにいた。そして、彼女の手がこんなにも小さかったことも。
巴に似た顔でにこにこ笑うに、縁はいつも救われる思いがする。だから今度は彼が、この小さな手を守ってやりたい。あの時は幼すぎて守りきれなかった巴の代わりに、彼女のことを守り、支えてやりたい。
「ずっと、一緒にいよウ」
巴を失って、縁もずっと寂しかった。寂しかった者同士、こうやって一緒に過ごしていたら、いつかきっと寂しかったことも忘れられるだろう。そうしたらにも、安らかに眠れる夜がきっと来る。
昼も夜もが笑っていられる日が早く来れば良いなあと思いながら、縁は彼女の手を握ったまま自分の布団に戻った。
ヘタレばっかりじゃアレなので、ちょこっとだけ頼れそうな縁を。
しかし、同室で寝ても何の危機感も覚えさせないなんて、縁、どれだけ主人公さんに油断されまくっているのか。否、信頼されてるのかな………? 信頼されすぎっていうのも、縁としては辛いなあ(笑)。
こういうところを見せられて、縁はますます「俺ガいないト………」なんて思っちゃったりなんかしちゃって、ますます尻に敷かれていくんだろうなあ。それもまた、男の幸せ、ってことで(笑)。