朝の風景

 急に周りが明るくなって、目が醒めた。お日様の光が目に痛くて、何度も目をしぱしぱさせてしまう。
「ちぃちゃん、おはよう」
 目を開けると、さんがにっこりと微笑んでいた。さんはこの家で一番早く起きるのに、いつもさっぱりとした顔をしている。
『おはよう、さん』
 冷たい空気に触れて体がぶるっと震えてしまったけれど、僕もいつものように挨拶をする。朝の空気は冷たくて体がぎゅっとなってしまうけれど、一気に目が醒めて気持ち良い。もう少し寒くなったら、気持ち良いどころじゃなくなるけどね。
 さんもそれは同じらしくて、寝起きだというのにてきぱきとお父さんとお母さんの籠の風呂敷を剥いで、お水と御飯を入れ替えている。さんは朝から働き者だ。それに較べて―――――
 僕はちらりと布団に包まっている物体を見る。さんはもう起きて働き出しているというのに、あいつはまだ布団の中でダラダラしている。まったく、居候のくせに怠け者だ。
 一通り辺りを片付けて、顔も洗ってしまうと、さんはまだダラダラしているシノモリサンの枕元に座った。
「蒼紫、もう朝よ。いくらお休みでも、もう起きなきゃ」
「………起きてる」
 布団に潜っているシノモリサンが、不機嫌そうな低い声で応える。
 朝が冷えるようになってから、布団に潜っているシノモリサンをどうにかして外に出そうと頑張るさんの遣り取りが、毎日繰り返されている。少し暖かければ割と素直に出てくるみたいだけど、今日みたいに寒い日はなかなか出てこない。出てこないだけならまだしも、さんを布団の中に引きずり込もうとさえするのだから、油断できないのだ。
 これまでも何度か布団に引きずり込まれたことがあるから、さんもシノモリサンからいつでも逃げられるように微妙に距離をとっている。
「じゃあ、片付けるから布団から出て。これじゃあ、卓袱台が出せないでしょ。ご飯の用意はできてるんだから」
 少し怒ったようにさんが言うと、シノモリサンが布団の中でもぞもぞと動いて、のっそりと頭だけを出した。こざっばりとしたさんとは正反対の、頭がぼさぼさのぼけーっとした顔だ。あーあ、見苦しいなあ、全くもう。
 腹這いになっているシノモリサンの下から、バカ猫もぴょこんと顔を出してきた。最近、シノモリサンとバカ猫は一緒に寝ているのだ。バカ猫は温かいから、湯たんぽの代わりなんだって。
『霖霖お腹空いたー。御飯食べるー』
 みゃあみゃあ鳴きながら、バカ猫は布団から勢いよく飛び出す。が、飛び出たのも束の間、すぐにシノモリサンに布団の中に引き戻されてしまった。どうやらシノモリサンは、何でも布団の中に引きずり込むのが好きらしい。
『いやーっ! 霖霖、御飯食べるぅ〜!!』
「ほら、霖霖も起きるって言ってるじゃない。ちぃちゃんたちも起きてるし、寝てるのはもう蒼紫だけよ?」
 小さい子供にでも言い聞かせるように、さんはゆっくりと優しい口調で言う。優しくしてやったって、あいつはつけ上がるだけなのに。
 それよりもさん、僕もお腹空いたんだけど。そんなだらしないやつのことなんてどうでも良いから、御飯食べさせてくれないかなあ。
『ねー、さーん。そんな奴のことより、僕の御飯ー!』
「あらあら。ちぃちゃんもお腹空いたの? 一寸待っててね」
 くすくす笑って立ち上がると、さんは僕の家の隣に置いてある紙袋から粟を一掴み取ると、僕を家から出してくれた。
「はい、お待たせ。お寝坊の布団亀さんなんか放っておきましょうね。ちぃちゃんは早起きさんだから、助かるわぁ」
 僕に言ってくれているはずなのに、何だか声は後ろのシノモリサンに向けられているような気がするのは気のせいかな? まあどっちにしても、シノモリサンなんかより僕が良いって言ってくれてるんだから良いけどね。
 さんの背中越しに、面白くなさそうにぶすーっとしているシノモリサンの顔と、布団から出ようとじたばたしているバカ猫の姿が見えたけれど、気付かない振りをして御飯を食べることに集中する。時々さんの顔を見上げると、さんも嬉しそうにふふっと笑ってくれて、そんな顔を見ていると僕も嬉しい。
 やっぱりさんは、シノモリサンなんかより僕の方が好きなんだ。そりゃそうだよね。僕はシノモリサンみたいにだらしなくないし、面倒をかけないし。ああ、このままシノモリサンが布団から出てこないと良いのになあ。っていうか、一生出てくるな。そしたらずっと僕がさんを独占できるんだから。
 お腹一杯食べさせてもらったら、今度は毛繕いだ。体はいつも綺麗にしとかないとね。
 一方シノモリサンは、相変わらず布団から出る気配は無い。僕とさんが仲良くしているのに対抗するように、シノモリサンもバカ猫を抱き締めて撫でたりしているけれど、バカ猫はお腹が空いてそれどころじゃないみたいだ。あーあ、飼い主がバカだと、動物が苦労するよね。
 まだ布団の中でもぞもぞしているシノモリサンをちらっと見ると、さんは僕を顔の高さまで持ち上げる。
「ちぃちゃん、ちゅってして」
 僕はさんの柔らかな唇にトントンと嘴をくっ付ける。よく分からないけれど、人間は好きな相手にこうするみたい。そういえば、シノモリサンもさんにこういうことするなあ。でも、僕はシノモリサンと違って、さんから「ちゅってして」って言われるんだから、さんは僕の方が好きに違いない。
 僕がちゅってすると、さんは嬉しそうにくすくす笑う。うーん、何だか二人の世界って感じ。あの見苦しい布団亀が何処かへ行ったら、本当に二人の世界なのになあ。
 と、それまでもそもそしていた布団亀が急に動いた。どうしたんだ、と思う間も無く、シノモリサンは布団を背負ったままさんに背中から圧し掛かった。
「きゃあっ?!」
「俺も………」
 びっくりして悲鳴を上げるさんの顎を掴むと、シノモリサンはそのままさんの顔に自分の顔を近づける。シノモリサンもさんにちゅってする気だ。布団亀の分際で、何て図々しい。
 だけど危機一髪のところで、さんが近づいてくる汚い口を塞ぐように、ぱふっと掌を当てた。そしてにっこり笑って、
「私、亀さんとはちゅうはしないの。人間になってから出直してらっしゃい」
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
 シノモリサンは眉間に皺を寄せて面白くなさそうな顔をしたけれど、さんの言うことには逆らえないらしい。渋々といった感じで背負っていた布団を手離すと、改めてさんの身体を抱きかかえて顔を近付けてきた。
「これならいいだろう?」
「亀さんに戻らなきゃね」
 くすくすと笑いながら、さんはシノモリサンにちゅってされる。
 さっきは僕とちゅってしたのに、どうしてシノモリサンともちゅってするの? 僕が一番好きだったんじゃないの?
 さんの本当の気持ちが判らなくて、僕は羽をばさばささせながら抗議の声を上げる。するとさんは今度は僕の方に笑いかけて、
「はい、ちぃちゃんも、ちゅっ」
 くすくす笑いながら、僕の頭にちゅってしてくれた。何だか誤魔化されているような気がしないでもないけれど、まあ良いかな。僕はシノモリサンみたいに心が狭いわけじゃないし。
 シノモリサンは僕に嫉妬するけど、僕はシノモリサンには嫉妬しない。だって、さんは僕のことが一番好きなはずなんだもの。じゃなきゃ、シノモリサンの前で「ちゅってして」なんて言わないよね。
 嫉妬してるわけじゃないよ、というのを伝えたくて、僕はちゅってしてくれたさんの唇に頭をすり寄せるのだった。
<あとがき>
 このシリーズのせいで私の中では蒼紫は寒がりという設定が定着してしまったのですが、だんだん駄目っぷりが加速しているような………。主人公さんがしっかり者だと、油断しきってしまうんですかねぇ(笑)。
 寒くて布団から出られないくせに、主人公さんがちぃちゃんといちゃいちゃしてると、布団を背負ってまで邪魔しにかかるんですから、馬鹿としか言いようがありません。朝っぱらからいちゃいちゃしたがる御頭って、『葵屋』の皆が見たらどうよ? 結婚しても、『葵屋』での同居は無理ですね。
 こんなにいちゃいちゃしていても、ちぃちゃんは「でも僕のことが一番好きなんだよねv」なんて思っちゃってるんだから、もっとしっかりしなきゃ、蒼紫!
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