寒い夜には

 現在、比古清十郎は両手を後ろに縛られて布団の上に転がっている。隣には蓑虫のように布団に包まったが健やかな寝息をたてていて、苦虫を噛み潰したような顔の師匠とは対照的だ。
 何故こんなことになってしまったのかというと、それは数時間前に遡る。


「先生、そろそろ私の布団も買ってください。朝になると冷えちゃって、そのうち風邪を引いちゃいますよ」
 寝る用意をしている比古に、が訴えた。
 実はこの家にはまだ、一組しか布団がないのだ。そのため、敷布団は比古が、掛け布団は彼女がと、ばらして使っていたのである。しかし、夏のうちはこれでも不自由はなかったけれど、もう秋が深まってくるとそうも言っていられなくなってきた。特に山の季節は、平地より一足早いのだ。
「お前が帰れば済むことじゃねぇか。いつまで居座るつもりだ。さっさと帰れ」
「絶対嫌です。陶芸で身を立てられるようになるまで、絶対に帰りませんから」
 会話をすることすらもう面倒臭そうな比古に、は腹の底から出しているようなドスの利いた声で応える。ここで帰ったら、飯炊きだけで終わってしまうではないか。此処で我慢したことが、全て無駄になってしまう。
 しかし比古としては、弟子を取る気など毛頭無いわけであるから、そろそろには帰ってもらわないと困る。あと二月もしたら、雪が降るだろう。山道が凍ってしまったら、女の足では町へ下りることは難しい。
 会話を打ち切るように黙々と布団を敷く比古をじっと見詰めていただったが、これ以上話し合うつもりは無いらしいと悟ると、意を決したように提案した。
「わかりました。じゃあ、一緒の布団に寝ましょう。それなら冷えても風邪も引かないでしょうし」
「はぁっ?! なっ……何を馬鹿な………!!」
 の言葉に、比古の方が真っ赤になってうろたえてしまった。
 一つ屋根の下で寝起きをしているが、流石に一緒の布団で寝起きというのはまずいだろう。たとえ一緒の布団で寝て何かが起こるというのは絶対にありえないのだが、それにしたってまずい。
 というか、は好きでもない男と一つの布団に寝るということに抵抗が無いのか。こういう場合、三文小説では「いつも憎まれ口を叩いていたけれど、実は………」などという展開もあるが、彼女に関しては絶対に無い。
 みっともないほどにうろたえる比古とは対照的に、は落ち着きを払った声で、
「お互いいい歳ですし、私も17やそこいらの生娘でもないですから、一緒の布団で寝たところでどうってこと無いでしょ。それともアレですか? 先生、私と一緒に寝たら、何もしない自信が無いんですか?」
 最後にニヤリと口の端を吊り上げるの表情が、何とも憎らしい。一体自分をどれほどの女だと思っているのかと、泣くまで問い詰めてやりたくなるほど憎たらしい顔だ。
 このところずっと山に籠っているからご無沙汰であるが、比古はこれまで女に不自由したことは一度だって無いのだ。四十を過ぎた今だって、その気になれば女の一人や二人、すぐに調達できる自信はある。たとえ調達できなくても、世界中で女が一人になったとしても、絶対に彼女にだけは手を出さない。
「金貰ったって、お前だけは勘弁だ、この馬鹿女!」
「あら、言ってくれるじゃないですか。それなら一緒の布団に寝ても大丈夫ですね? はい、決定」
 にんまりと笑って、は勝ち誇ったように言う。その憎々しい顔を見て、比古は自分が丸め込まれてしまったことに気付いたのだった。


 ―――――というわけで、同じ敷布団に二人で寝ているわけである。手を縛られているのは「まあ信用はしてるんですけどね、万一ということもありますし」ということらしい。手を縛っている時点で、完全に信用していないようなのであるが。
 手を縛られているのは少々窮屈であるが、これで「寝てる間に触った。責任取って陶芸を教えろ!」なとどいう言いがかりを付けられる心配はないと思えば、安いものだ。ただ問題は、手の自由が聞かないから、布団を取り返すことが出来ないということである。
 間の悪いことに、今夜に限って冷えてきた。朝までこのままだと、本当に風邪を引いてしまいそうだ。
「おい、こら」
 比古に背を向けて熟睡しているの尻を、軽く蹴り上げた。が、彼女は寝息を乱すことすらせず眠り続けている。普通、男から蹴られもすれば目が醒めそうなものだが、余程眠りが深いのだろう。もしかしたら、注連縄並みに図太い神経のお陰で、それくらいのことでは動じないのかもしれないが。
 仕方なく足の指で布団をつまんで、こちらに引き寄せようとするが、これもまたきっちりと身体に布団を巻きつけているものだから上手くいかない。真冬でもないのにこんなにきっちりと布団を巻きつけるなど、嫌がらせにわざとやっているのではないかと疑いたくなるくらいだ。
 それにしても、昼はおにぎり攻撃で、夜はこれとなると、いくら比古でも身がもたない。こうやって細かい嫌がらせを繰り返して、彼が折れるのを狙っているのだろうが、ここで折れれば師匠と弟子としての力関係まで逆転してしまいそうだ。最悪、陶芸を教えることになってしまっても、これだけは絶対に避けたい。
 まったく、一回りは年下の女にこんなにも振り回されるとは。初日にうっかり同情して家に入れたのが、心の底から悔やまれる。もしあの時に戻れるなら、あの時の自分に天翔龍閃をかましてでも全力で止めたいくらいだ。
 何事も無いようにすやすやと眠っているの寝顔を、ちらっと見る。寝顔だけを見ると大人しそうな顔をしているのに、どうして起きるとあんな悪魔のような女になるのだろうか。思えば初対面の時も、この大人しそうな顔でしおらしく目を潤ませたから、つい情に絆されてしまったのだ。今更ながら、自分の馬鹿さ加減に頭が痛くなってきた。
「畜生、本格的に冷えてきやがったな………」
 露出している手足どころか、着物の下まで冷え切ってしまっている。しかしが布団を巻きつけている力を緩める気配は全く無く、比古は身体を丸くして体温を逃がさないようにするしかないのだった。


 そして翌朝、比古はが作った卵粥を食べていた。あれから結局布団を着ることが出来ずに、風邪を引いてしまったのだ。
「こんな時季にもう風邪だなんて、先生ってば流行の最先端ですねぇ」
 自分が原因のくせに、はいたって呑気なものだ。というか、彼女が布団を取ったせいで風邪を引いたなどとは、夢にも思っていないのだろう。
「てめぇが布団と独り占めしたからだろうが。少しは済まなそうな顔をしやがれ」
 ガラガラに掠れた声で言いながら、比古はを睨みつける。
 幸い、熱は微熱程度だが、喉を痛めて声を出すのが一苦労だ。これだけを言うのにも、言った後に激しく咳き込んでしまった。
 昔はこれくらいのことでは風邪など引かなかったのに、たった一晩掛け布団無しで寝ただけで熱を出してしまうとは。きっと、との付き合いによる心労が祟ったに違いない。全くこの女は疫病神だ。
 しかし“疫病神”には全く反省の色は無く、白湯と薬の用意をしながら、
「だから看病してあげてるじゃないですか。何だったら、お粥をふーふーして、あーんって食べさせてあげましょうか?」
「いらん世話だ」
 に粥を食べさせてもらうなど、ぞっとする。想像しただけで風邪が悪化してしまいそうだ。
 むすっとして無言で卵粥を食べる比古を見ていただったが、ふと思い出したように言った。
「ふーん………。あ、そうだ。今夜はどうします? 一緒に寝ますか? それとも、布団買ってくれます?」
「う………」
 匙を咥えたまま、比古は硬直してしまった。
 今夜も一緒に寝たら、またに布団を取り上げられて、風邪を悪化させてしまうのは必至だ。この女なら、病人から布団を剥ぎ取る事だって平気でやってのけるだろう。否、自分の主張を通すために、意地でも掛け布団を渡さないに決まっている。
 彼女の布団を買うのは、この家にの居場所を作るのを許すようで腹立たしいが、背に腹は代えられない。このまま意地を張り通したところで、彼女はまた手を変え品を変えて自分の要求を通そうとするだろう。健康な時なら兎も角、風邪で体力が落ちている今は戦う気力も無い。
「あー、わかった、わかった! 布団でも何でも買ってこい」
「あらー、ありがとうございますぅ。あ、そうだ。すりおろし林檎食べます? 風邪の時はこれが美味しいんですよねぇ」
 吐き捨てるように言う比古に、は上機嫌に微笑んだ。
 その笑顔を見ているうちに、一緒に寝ようと言ったのも、布団を身体に巻きつけて寝ていたのも、全部狙ってやったことなのではないかという疑惑が、比古の胸に湧き上がってくるのだった。
<あとがき>
 主人公さん、身を挺しての攻撃で、着々と自分の居場所を作ってます。っていうか、師匠、風邪まで引かされてるなんて、これって虐待じゃ………(汗)。
 しかしこの状態、どっちが師匠なんだか………。完全に主導権は主人公さんに取られてしまってますね。師匠、ヘタレすぎる………(涙)。
 でもこんな状態でも主人公さんのことを放り出さないのだから、師匠、意外とこの状態が嫌いじゃないのか?
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