月見酒
が月見をしたいといきなり言い出したから、縁は夕方から月見団子を作っている。彼女も団子作りを手伝うと言ったけれど、彼女が作る団子はどれもこれも皺だらけで綺麗に出来なかったので、ススキを買いに行かせた。団子を丸めながら、そういえば巴が家にいた頃はこうやって団子を作っていたなあと思い出した。こうやって団子を作る巴の姿を隣で見ながら、つまみ食いをしようとして叱られたりしたものだ。思えばあの頃が、縁にとっても巴にとっても一番幸せな頃だったかもしれない。
あれから巴は許婚を殺され、そして巴自身も斬殺された。縁は縁で上海に渡って、死ぬ思いで上海の裏社会を生き抜いてきた。勿論月見をする余裕など無かったし、月見団子なんて巴が家を出て以来のものだ。彼女に拾われて、漸く人並みの生活ができる事になったということか。
本当は、折角なら巴に雰囲気の似たに団子を作ってもらって、その姿を見ながら昔を思い出したかったのだが、それは贅沢というものだろう。それに彼女に団子を作らせたら、ただの団子もとんでもない代物に変身しそうである。彼女の家事能力に関しては、縁はもう諦めの境地に達しているのだ。
出来上がった団子を皿に載せていると、が帰ってきた。
「ただいまー。ススキと、お酒も買ってきたよ。
あ、お団子できてる。どれどれ、一つ………」
「団子は月が出てからダ」
横から伸びてきたの手を、縁はぴしゃりと軽く叩いた。その動きが幼い頃に巴からやられていたのと全く同じで、それを思い出して縁は小さく口許を綻ばせた。
手を叩かれたは、幼い頃の縁のように一瞬きょとんとした顔を見せた後、不満そうにぷぅっと膨れた。巴の面影のある彼女がそんな子供染みた表情を見せるのは、不思議な感じだ。こういう顔をされると、縁は一寸ドキッとしてしまう。
膨れていたけれど、すぐには上機嫌な笑顔に戻って、今度は綺麗な青色の酒瓶を見せる。
「お月見限定のお酒だって。縁もお酒、飲めるよね?」
「え……あの………」
酒瓶を目の前に突きつけられて、縁は顔を強張らせる。
実は彼は、酒が飲めないのだ。一口飲むと顔が赤くなるし、ぐい飲み一杯で頭がくらくらしてしまうくらいである。上海にいた頃に、体を慣らせばどうにかなるかもしれないと少しずつ飲んでいたのだが、結局生まれ持った体質というのは変わらないものらしい。
の家に来てから、“腕っぷしが強くて仕事の手伝いもできて、おまけに家事まで出来る頼れる男”という地位を確立しているだけに、たった一口で顔を真っ赤にするなんて醜態を晒したくはない。そんなところを見せて、「男のくせに」なんて呆れられたり馬鹿にされたりするのは嫌だ。
が、は縁が困っていることに全く気付いていないように、にこにこ笑いながら続けて言う。
「お店で試飲させてもらったら、凄く美味しかったの。縁にも飲ませてあげたくて、一寸高かったけど買っちゃった」
の無邪気な笑顔を見ていると、飲めないとはとても言えない。しかも、縁のために買ってきたというではないか。これは絶対に断れない。
「あ……アリガトウ……タノシミだなぁ………」
どうやってこの危機を乗り切ろうかと考えながら、縁は殆ど棒読みのような口調で乾いた笑い声を上げた。
鏡のような綺麗な満月よりも、隣で赤い顔をしてこっくりこっくりしている縁の方が、には気になって仕方がない。肩を軽く揺すってみるが、完全に熟睡してしまっているようだ。
例の酒を一口飲ませたら茹蛸のように顔が真っ赤になったのが面白くて、ぐい飲みになみなみと注いだ酒を一気飲みさせたら、こんなになってしまったのだ。さっきまでの話に相槌を打っていると思っていたら、急に船を漕ぎ出して、熟睡までの早さには本当に驚いた。
それにしても、ぐい飲みに一杯しか飲ませていないのに、まさかこんなに酔い潰れてしまうとは。本人もこんなに早く潰れるとは思っていなかったらしく、手には食べかけの月見団子を握ったまま。まるで、食べているうちに疲れて眠ってしまう幼児のようだ。
二人で酒を飲みながら名月を楽しみたかったのに、こんなことになってしまったのは残念だ。けれど、こうやって座ったまま子供みたいに熟睡する縁を観察するのも面白い。いつもは居候のくせにどこか偉そうな彼の、こんな子供のような姿を見ると、何だか弱味を握ったような気分になるのだ。
には兄弟はいないが、弟がいればこんな感じだったのだろうかと思う。一人っ子でも別に不自由な思いをしたり寂しかったりしたことは無いけれど、こういう弟がいたら楽しかったかもしれない。
は神様とかあまり信じない性質だけれど、彼女が縁の姉に似ているらしいから、ひょっとしたら天涯孤独の者同士、姉弟のように生きろという天の思し召しなのかなと一寸思う。自分が“姉サン”の代用品だというのは一寸微妙だけれど、縁はとてもいい子だと思うし、彼が望むなら“姉サン”のようにずっと一緒に暮らしていくのも良いかもしれない。
「おーい、そろそろ起きないと、風邪引くよぉ?」
頭をくしゃくしゃ撫でながら、は縁の顔を下から覗き込む。
酔いが醒めてきたせいか、少し寒くなってきた。夏なら良いけれど、もうこの時季だと外で転寝をしていたら風邪を引いてしまう。こんな時季に医者の助手が風邪を引いたら、いい笑いものだ。
けれど縁は目蓋をぴくりとも動かさなくて、この分だと朝までこのままみたいだ。は困ったように大きく息を吐くと、立ち上がって縁の脇の下に両腕を通した。羽交い絞めのようにして、部屋の中に引き摺り入れるのだ。
が、流石のでも自分より大きな男を引っ張るのは難しくて、上半身を部屋に入れたところで力尽きてしまった。眠っている人間の身体は特に重いというけれど、こんなにも重いとは思わなかった。
部屋に入れるのはもう諦めて、は布団を縁の上にかけてやる。彼の足が邪魔をして雨戸を閉められないけれど、真冬ではないから大丈夫だろう。この家には泥棒も入らないだろうし、入ったとしても縁がいればきっと大丈夫だ。
「ま、お月様の下で寝るのも、たまには良いかもね」
気持ち良さそうに熟睡している縁を見下ろして、は小さく笑う。
結局、縁と月見酒は少ししか出来なかったけれど、月を見ながら寝るのは気分が変わって良いかもしれない。自分の掛け布団を持ってくると、も縁の隣に横になった。
「次の満月の時は、お酒無しでお月見しようね」
小さな子供に言い聞かせるように囁くと、は布団に潜り込んだ。
縁、月見団子まで作ってあげて、結構マメな奴ですね。主人公さんが食べたいと言ったものは、何でも作ってあげてるのでしょうか。
もの凄い下戸の縁は、『幻夢館』の草薙さんとチャットしている時に生まれた設定です。巴さんが下戸なんだから、縁も下戸に違いない、って。お酒への耐性って、どうやら遺伝するみたいですしね。
いくら下戸っていっても、食べかけの団子を握ったまま寝ちゃうなんて、下戸すぎるけどな………。主人公さん、これからも面白がってお酒を飲ませそうです。