兎のエロ話
休日の前日は晩酌をするのが、斎藤の数少ない楽しみだ。たまにと二人で飲むこともあるが、殆ど独りで飲むか兎を相手に飲むということが多い。斎藤の兎は、兎のくせに彼に負けない酒好きなのだ。そういうわけで、風呂から上がってさっぱりしたところで、が夕飯に作ったきんぴら蒟蒻の残りをつまみに一杯やろうかと厨房で用意をしていると、兎が斎藤の足許に擦り寄ってきた。気配を察して、お相伴に預かろうと思ったらしい。
が、「兎さんにお酒を飲ませたら駄目ですよ!」とに何度も言われているので、斎藤も最近は飲ませないようにしている。先日も、どうせばれないだろうとこっそり飲ませたところ、翌日兎の身体が酒臭いので発覚して、こっぴどくお説教をされたばかりなのだ。
「お前の分は無いぞ。あいつがうるさいからな」
後ろ足で立って脚にしがみついてくるのを軽く払って、斎藤は素っ気無く言う。
脚で払われて、兎はころんと一回転すると、ぷるぷると全身を震わせた。そして耳をぱたぱたさせながら、
「えー、お酒を飲みながら、楽しいお話をしたかったのに、残念ですねぇ」
「………お前と話しても、楽しいことなんか一つもない」
また喋りだしたとうんざりしながら、斎藤は素っ気無く言い放つ。先日も兎の話を聞いてやって、その内容のあまりの下らなさに呆れ果てたくらいなのだ。兎のしょうもない話を聞きながら飲むより、一人で黙々と飲んでいる方がまだいくらかマシである。
けれど兎は少しも応えていない様子で鼻をひくひくさせて、
「そうですかぁ。残念ですねぇ。この前、さんと一緒にお風呂に入った時のことでもお話しようかと思ったんですけど。そうですかぁ。じゃあ私、もう寝ますね。おやすみなさい」
わざとらしく溜息混じりに長々と言うと、何度も独り言のように「残念ですねぇ」と繰り返しながらゆっくりとダンボールの家に歩いていく。
兎のくせによくもまあペラペラと喋るものだと、斎藤は呆れ果てた目で兎の後ろ姿を見送る。が、酒の用意をしながら兎の言葉を思い返すと、はっとしたようにゆっくり歩く兎の身体を掴まえた。
「一緒に風呂に入ったって、いつの話だ?!」
「斎藤さんが一日出張でいなかった日ですよ。さんのお家の庭で穴掘り遊びをしていたら泥だらけになっちゃったんで、一緒にお風呂に入って洗ってもらったんです」
いつもは冷静な斎藤が、自分の誘いに面白いように食いついてきたのが可笑しかったのか、兎はにやにや笑いながら応える。
確かに兎の言う通り、先週の一泊出張の日に、斎藤はに兎を預けていた。帰ってきた時に毛皮の手触りがいつもと違うような気がした記憶があるが、あれは風呂に入ったせいだったらしい。
一緒に風呂に入った時のことを話したいということは、つまりの身体について話してやろうということなのだろう。兎のにやにや笑いからして、詳しい話を聞けそうな気がする。前回は聞くだけ損な話だったが、今回は色々な意味で参考になる、有意義な話になるだろう。
とはいえ、本人の与り知らぬところでの裸をネタに兎と酒盛りというのは、いくらバレないとはいっても良くないことだ、と“良い斎藤”が警告する。しかし、彼とて健康な成人男性。頬に口付け止まりの恋人の身体に興味が無いわけがない。否、恋人なのだから全てを知っておかなければならないのだと、“悪い斎藤”が強固に主張する。
斎藤の中で“良い斎藤”と“悪い斎藤”が言い争って、彼自身悶々と悩んでしまう。それを察してか、兎はとどめを刺すように言った。
「いやあ、やっぱり若い娘さんのお肌って良いですよねぇ。斎藤さんと違って、どこもかしこもぷりぷりですよ」
「ぷっ……ぷりぷりなのかっ?!」
兎の一言で“良い斎藤”も“悪い斎藤”も吹き飛んで、斎藤は真っ赤な顔で思わず兎に顔を近付ける。興奮のあまり、兎を抱き上げている手にも力が入るくらいだ。年甲斐も無く、完全に舞い上がっている。
今更女の裸の話で興奮することも無いが、の裸となると話は別らしい。唾まで飛ばされて、兎は一寸嫌そうな顔をして前足で顔を拭ったが、完全に自分が主導権を握ったと確信して、ニヤリと笑う。
「う〜ん、久し振りにお喋りしたら、喉が渇きましたねぇ。こんなところで話すのもアレですから、あっちの部屋に行きません? お米で作ったお水を飲んだら、沢山お喋りできるような気がするんですけど」
「……………っっ!!」
完全に足元を見られている。以前から小生意気な兎だとは思っていたが、小生意気どころかクソ生意気である。
兎ごときに足元を見られるなど人間として情けないが、ここで酒を出さなかったら、そのままだんまりを決め込むのは必至。兎としては、別に酒を飲めなくても少々残念だろうが困りはしないだろう。が、途中まで聞かされた斎藤は続きが気になってしょうがない。
こんなことが気になって仕方が無い自分にも腹が立つが、仕方が無い。斎藤は兎を床に置くと、黙って兎の酒も用意し始めた。
小皿になみなみと注がれた酒に鼻を近付けて、兎は軽く匂いを嗅ぐ。が、すぐに気に食わないように眉間に皺を寄せた。
「これ、いつものお酒じゃないですか。さんに飲ませてあげているお酒を出してくださいよ」
「阿呆か、あれは高いんだぞ。兎が飲むもんじゃない」
調子に乗って図々しくなる兎に、流石に斎藤は叱りつける。に飲ませている酒は、いつもの酒の倍近い値段のものなのだ。一度戯れに飲ませてやったことがあるけれど、本来なら兎が飲むようなものではない。
が、兎は斎藤に叱られてもしれっとした顔をして、
「そうですか。あー、何だか急に眠くなってきた。お喋りしすぎましたかね。あのお酒を飲んだら、少しは目が冴えるかと思ったんですけど。じゃあ、おやすみなさい」
「あー、もう! 分かった分かった!」
わざとらしい大欠伸をする兎に吐き捨てるように言うと、斎藤は憤然と小皿を取って、中の酒を入れ替えた。主導権はもう完全に兎に取られてしまったようだ。
此処までして兎の話を聞こうとするというのも情けないと思わないでもないが、好奇心にはどうしても勝てない。兎も「ぷりぷりですよ」なんて中途半端に煽るようなことを言うし、そんなことを言われたら、彼女ではないが妄想がどんどん広がってしまうではないか。
酒を入れ替えてもらえて兎は満足げににんまりと笑うと、早速音を立てて飲み始めた。ついでに斎藤のきんぴら蒟蒻の皿にも口を突っ込んで、自分のもののようにがつがつと食べる。兎もつまみがあった方が良いらしい。
傍若無人に振舞う兎を苦々しげに見ながら、斎藤は安い酒を一気に煽る。そして不機嫌な口調で、
「ほら、これだけやってやったんだから、満足だろう?」
「ああ、そうでしたね。もう、斎藤さんもお堅いふりしながら、結構お好きですねぇ」
苛立たしげに話を促す斎藤の姿など屁でもないように、兎はにやにやと卑猥な笑いを浮かべた。まったく、表情の豊かな兎である。
その辺のオヤジにそんな笑い方をされても腹立たしいのに、兎にそんな笑いをされると腹立ち倍増だ。黙っている時はまあ可愛いと思わないでもないが、喋り出すと首を絞めたくなるほど小憎らしい。他の兎も本当はそういうことを考えているのだろうかと、斎藤は疑問に思う。
「さん、顔は子供みたいですけど、おっぱいも大きくてお茶碗をひっくり返したみたいな感じだし、お尻も大きくてまん丸だから、沢山赤ちゃん産めますよ。それにお肌もすべすべでぷりぷりだし、斎藤さんが時々持って帰ってくる本に載ってる女の人よりもずっと良いですよ、きっと」
「あの本はっ………あれは捜査の資料だ!」
まさかそんなものまで兎に見られていたとは思わなくて、斎藤は顔を真っ赤にしてみっともないほどうろたえる。声まで裏返って、余程衝撃的だったようだ。
斎藤が持って帰る春本は正真正銘、捜査の証拠物件だ。彼は密偵の仕事が中心だが、普通の事件や、こういった猥褻物販売の捜査もすることがあるのだ。警官の仕事は、世間が思うより幅広いのだ。
確かに、他の捜査資料に比べて熱心に目を通したり、「やっぱり洋物は違うなあ」などと感心したりしているが、断じて趣味で見ているわけではない―――――と思う。
あからさまに疑いの目で冷ややかに見ていた兎だったが、どうでもいいことだと思ったのか話を続ける。
「洗ってもらうついでに、色んなところを触らせてもらいましたけどね、もう本当にぷりんぷりんですよ。斎藤さんも早いところ触らせてもらった方が良いですよぉ。凄く気持ち良いですから」
「色んなところって、何処を触ったんだ?」
「えへへ〜。お替りくれます?」
「あ、そうだな。で、何処を触ったんだ?」
兎の小皿に酒を注ぎながら、斎藤は先を促す。
―――――こうして、兎の報告を聞きながら、斎藤家の夜は更けていった。
そして翌日―――――
「くさっ! 何ですか、この部屋?! お酒臭いっっ!!」
朝から斎藤の家にやってきたが、部屋に入った途端悲鳴を上げた。
結局あれから明け方近くまで兎と飲み続けて、そのまま布団を敷かずに寝てしまったのだ。小皿だの酒瓶だのが散乱する中に斎藤と兎がだらしなく寝ていて、100年の恋も冷めてしまいそうなダメ人間の部屋になってしまっている。
の声に、斎藤はまだ酒気が残っている身体を気だるげに起こした。
「ああ……もうこんな時間か。昨日は夜更かししたからな」
「あーっ! また兎さんにお酒飲ませてる。兎さんに飲ませちゃ駄目だって、何回も言ってるじゃないですか」
だらしなく体を伸ばして寝ている酒臭い兎を抱え上げて、は怒った声を上げる。そして兎をダンボールの家に入れると、早速部屋を片付け始めた。
ぶりぶり怒っているのを全身で表現しているが、部屋を片付けてくれているところを見ると、まだ本気で怒っているわけではないようだ。は子供っぽいところが多分に残っているけれど、意外と怒りの許容範囲は広い。まあそれは、斎藤への愛情ゆえのことだろうが。これが本気で怒るようになったら、彼が捨てられる時だ。
一つ大きく伸びをすると、斎藤もの機嫌を取るように片付けを手伝う。そうしながら彼女の尻の辺りを眺めつつ、「ぷりんぷりんか………」などと昨日の兎の言葉を思い出してしまうのだった。
何、この男子中学生みたいな斎藤……? 修学旅行の夜の雑談じゃないんだからさあ(私の修学旅行の夜の雑談のイメージって、こんな感じです)。
っていうか、一緒にお風呂に入って洗ってあげている動物がこんなことを考えていたら、激しく嫌だ(笑)。お湯を嫌がって暴れる振りをしながら、「なるほどねぇ……」なんてぷにぷに触っていたのでしょうか、兎さん。
兎と酒を飲みながら、「それで? それで?」って鼻息荒く問い詰める斎藤を想像したら、笑えます。で、主人公さんを見ながら「ぷりぷり……」って悶々としてたりして(笑)。でも、まだお子様だから、と想像だけで我慢してるんですよ。
斎藤、色々な意味でこれから大変そうだな……。