霖霖の退屈
『ねー蒼紫ー、本ばっかり読んでないで遊んでよぉー』バカ猫が、本を読んでいるシノモリサンの膝の上でゴロゴロしながら、駄々を捏ねている。シノモリサンはそんなバカ猫のお腹を軽く撫でてやるだけで、目は本をじっと見ているままだ。
バカ猫が駄々を捏ねて、シノモリサンが適当に相手をしてやるというのは、このところ一日何回も繰り返されている光景だ。バカ猫を拾った最初の頃こそ、シノモリサンは面白がって相手をしていたけれど、一寸大きくなったら飽きてしまったらしい。いつも膝の上には乗せているけれど、気が向いた時だけ遊んでやるだけで、あんまり構ってやってないような気がする。
やっぱりあいつはバカだから、飽きっぽいのだろう。さんは僕が大きくなってもちゃんと一緒に遊んだりしてくれるけど、あいつはそうじゃない。だけど飽きっぽいくせに、さんにはずっとベタベタするのは止めないんだよなあ。早くそれにも飽きれば良いのに。
シノモリサンでは埒が明かないと思ったのか、バカ猫するりと膝から下りると、今度は厨房に歩いていく。さんに遊んでもらうつもりらしい。だけどさん、御飯作ってる最中だから、すりすりしたら怒られるんじゃないかなあ。これも何回も繰り返してるのに、バカ猫はちっとも懲りてない。
案の定、厨房からさんの甲高い声が聞こえてきた。
「こらっ、霖霖! 此処に入っちゃ駄目って言ってるでしょ」
『えー? 何でー? そんなことより遊んでよー。蒼紫、全然遊んでくれないんだもん』
毎度のことだけど、本当に懲りないなあ、バカ猫。同じ甘えるにしても、僕みたいに空気を読んで甘えたら怒られないのに。
暫くみゃあみゃあ騒いでいたけど、急にバカ猫が静かになった。反省したのかな、と思ってたら―――――
「蒼紫、ちゃんと見てて頂戴。厨房をうろうろされたら危ないわ」
さんに首根っこを掴まれて、ぷらーんと宙に浮いているバカ猫の間抜けな姿に、僕は思わず羽をばたばたさせて大笑いしてしまった。バカ猫は面白くなさそうに眉間に皺を寄せていて、自分がどうして怒られているのか解らないみたいだ。
「あー………」
間抜けな声を出して、シノモリサンは片手でバカ猫を受け取る。そして、自分と同じ目線の高さにバカ猫を持ち上げて、
「駄目じゃないか。厨房は包丁があったり火があったりして危ないって言ってるだろう」
『だってー、蒼紫が遊んでくれないんだもーん』
やっぱり何を怒られているのか理解できていないみたいで、バカ猫は尻尾をぱたぱたさせながら不貞腐れて応える。
バカ猫が全然反省してないのはさんにも解ったらしく、さんは両手を腰に当てて一寸怒ったように、
「御飯が出来るまで、ちゃんと霖霖を見てて。蒼紫の猫なんだから」
それだけ言うと、さんはまた厨房に引っ込んだ。
ふふふ。こうやってバカ猫がさんを怒らせ続けたら、シノモリサン共々この家から追い出される日が来るかもしれない。さんには悪いけど、バカ猫が全然反省せずに悪戯をし続けたらいいのに。そしたら、いくら優しいさんだって、シノモリサンもバカ猫も追い出すだろう。そうなれば、僕とさんと、お父さんとお母さんの楽しい4人暮らしだ。
僕とさんの楽しい生活を想像すると、それだけで羽をばたばたさせたくなるほど楽しい。早くそんな日が来ないかなあ。
『何ニヤニヤしてるの?』
さんと僕の楽しい生活を想像していると、いきなりバカ猫の鼻先が僕の家に突っ込まれた。
『わぁああああっっ?!』
やっぱりこいつ、僕を食べる気なんだ! 僕と仲良くしたいような素振りを見せてたけど、やっぱり本心はそれだったんだ。今までに無いくらい生命の危機を感じて、僕はバタバタと家の中を飛び回る。
バカ猫を見張っているはずのシノモリサンは、いつの間にか姿を消していた。多分、厠に行ったんだ。どうしてあいつはいつも、肝心な時にいないんだろう。この役立たずっ!!
バタバタ飛び回る僕を見て、バカ猫はきょとんとした顔をする。
『どうしたの?』
『ぼっ…僕を食べる気だろうっ?! そんなことしたら、さんにシノモリサンごと追い出されるんだからなっっ!!』
『えー、鳥肉なんか食べないよぉ。もうすぐ御飯食べさせてもらえるし』
『だから鳥肉って言うなぁっっ!!』
僕を“鳥肉”呼ばわりしておいて、どの口で“食べないよぉ”なんて言うのか。もうすぐ御飯を食べさせてもらえるから食べないってことは、まだ御飯を食べさせてもらえなかったら食べちゃうってことじゃないか。やっぱりこいつは油断できない。
バカ猫から一番離れた柵にしがみついて全身を膨らませている僕を見て、バカ猫は可笑しそうに笑う。
『どうしたのー、鳥肉ぅ? 折角一緒に遊ぼうと思ったのに』
『お前なんかとは遊ばないって、前から言ってるだろっっ!! いい加減解れ、このバカ猫っっ!!』
『えー、何でぇ。遊んでくれたっていいじゃん。どうせ暇なんでしょ?』
そう言いながら、こともあろうにバカ猫は、僕の家の入り口をカリカリし始めた。
『ぎゃぁああっっ!! 誰か〜〜〜〜っっ!!』
「何をしてるんだ、霖霖っ!!」
恐慌状態に陥って、羽毛が舞うくらいばさばさ羽ばたきながら家の中を狂ったように飛び回っていると、シノモリサンがびっくりした声を上げた。やっと戻ってきたんだ。早くこのバカ猫を何とかしろ、このバカっっ!!
シノモリサンはバカ猫の首根っこを掴んで僕の家から引き離すと、少し離れた所に置いた。そして、片手に持っていた小さな鞠を畳に転がす。バカ猫のお気に入りの、中に鈴が入った鞠だ。
『きゃ―――――っっ!!』
鞠を見ただけで興奮したのか、バカ猫は尻尾をばたばたさせながら奇声を上げて鞠にかぶりついた。チリチリと音を立てて逃げる鞠を必死に追いかけて、何が楽しいのか解らないけれど、凄く楽しそうだ。
兎も角、鞠のお陰で助かった。バカ猫が鞠に夢中になっているうちは安心だ。だけど、それだって暫くコロコロしたら飽きちゃうみたいなんだけどね。
でもそろそろ御飯の時間になるし、そうなれば退屈だったことも忘れて寝ちゃうだろう。
今日も何とか無事に過ごせそうだ。それにしても、あのバカ猫はいつまでうちにいるんだろう? あいつがいると、生きた心地がしないんだけど。
そのうち心労で、このふかふかの羽毛が抜けてしまったらどうしよう。鞠に夢中になっているバカ猫を横目で見ながら、僕は溜息をついた。
ちぃちゃん、霖霖が来て以来、スリル満点の日々です。毎日が生き延びるのに大変ですよ。
霖霖はまだ遊んでもらいたい盛りの仔猫ちゃんなんで、もう相手構わず甘えているってところでしょうか。ちぃちゃんは霖霖よりもずっと小さいけれど、一応“お兄ちゃん”なんで、甘えさせてくれる対象に認定されているようです。ちぃちゃんにとっては迷惑この上ないことですけど(笑)。
しかし、蒼紫をバカ呼ばわりするだけでは飽き足らず、霖霖までバカ呼ばわりとは………。ちぃちゃん、どこまで荒んでいくのでしょうか(汗)。