昼寝

 大口を開けて大の字で寝ている比古清十郎の姿を見て、はうんざりしたように大きく溜息をついた。これが新進気鋭の陶芸家・新津覚之進の真の姿かと思うと、この男に師事している自分が可哀想で涙が出そうになる。まあ、実際に泣くことは無いけれど。
 泣きはしない代わりに、憤然として素麺を載せた盆を乱暴に置く。
 他人に昼飯を作れと偉そうに命令したくせに、作っている間に昼寝とは一体どういうつもりなのか。それ以前に、こんな大きな図体をしているくせに大の字で寝るなんて、同居人に対する配慮というものが無い。
 は棚に置かれている梅干の壷を取ってくると、音を立てないように蓋を開ける。そして中から一つ取り出すと、大きく開けられている比古の口の中に落とした。
 梅干の酸っぱさで目を醒ますかと思いきや、無反応。それならもう一つ、と入れてみるが、これにも反応無し。身体が大きいから、脳に刺激が回るのに時間がかかるのかと思うほどだ。
 こうなると、幾つで目が醒めるのかと気になってきて、は当初の目的も忘れて、ニヤニヤ笑いながら梅干を入れていく。そうやって8つほど入れた頃―――――
「?!」
 それまで続いていた規則正しい鼾が、突然止まった。一瞬、引きつけを起こしたかのように身体が小さく跳ねたかと思った刹那、獣のような声を上げて比古が跳ね起きた。どうやら梅干を喉に詰まらせたらしい。
 両手をついて梅干を吐き出した後もまだ喉に違和感があるのか、激しく咳き込み続ける。それが暫く続いてどうにか落ち着くと、肩で息をしながら鬼気迫る目で彼女を睨みつけた。
「てめぇ、俺を殺す気か?!」
「うーん、惜しい。もう少しで10個入るところだったのに」
 並の神経の持ち主であれば震え上がって声も出ないところだろうに、は全く堪えていない顔で呑気に呟く。そして壷の蓋を閉めながら、
「あ、素麺そこに置いてますから、さっさと食べちゃってください」
「人を殺しかけておいて、言うことはそれだけか?」
「素麺、のびますよ」
 低い声で凄まれても、どこ吹く風といった感じだ。押しかけ弟子として此処で同居生活を始めて、早一月。俺様師匠に怒鳴られるのは、もう慣れた。
 最初の3日こそ、師匠なのだから立てなくてはと頑張っていただったが、比古のあまりの俺様っぷりにキレて以来、ずっとこの調子だ。それに、一月も住み込んでいるのに土の捏ね方一つ教えてくれないのだから、もはや師匠でも何でもないと認識している。
 梅干の壷を棚に戻すと、はまだ苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけている比古を尻目に、涼しい顔で箸を取った。
 比古の姿など目に入っていないように、は無言で素麺を啜る。普通、師匠が手を付ける前に弟子が食べるなどありえないはずなのだが、この二人の間ではいつの間にかこれが当たり前になっているのだ。
 諦めたように一つ溜息をつくと、比古も無言で素麺を食べ始めた。
 思えばこの3日間、ずっと素麺である。昼食がずっと素麺、ではなく、三食ともずっと素麺なのだ。ついでに、酒のつまみを作れと言っても素麺が出てくる。いくら夏は素麺が一番とはいえ、こう続けられては嫌がらせとしか思えない。
「おい、素麺以外は何も無いのか?」
「働かざるもの食うべからずです。素麺を作ってもらえるだけでも、ありがたいと思っていただきたいものですね」
 不機嫌な顔で問う比古に負けず、も素麺を啜りながら不機嫌に応える。続けて、
「食っちゃー寝、呑んじゃー寝な生活じゃ、お腹も空かないでしょ。ああ、新津覚之進の作品に感動してこんな山の中まで来たのに、本性がこれだったなんて、幻滅ですよ」
 一言言うと何倍にもなって返ってくるのは、いつものことだ。女というものは大概口が達者であるが、よくもまあこれだけペラペラと喋れるものだと比古は呆れると同時に感心してしまう。
 確かにこのところ、連日の暑さのせいでだらけた生活をしていたことは、比古自身も認めるところだ。特にやることもないので、食事の時と酒を呑んでいる時以外は寝て過ごすことも多い。しかし“働かざるもの食うべからず”はないだろう。他の時期には一応働いてはいるのだ。
「夏は陶芸はしねぇことに決めてんだよ」
「どうしてですか?」
「暑いから」
「…………………」
 下らない理由なのに偉そうにに言い切られ、流石のも絶句してしまった。
 確かに窯に火を熾したり、焼きあがった陶器を窯から出したりするのは、夏なら重労働だ。しかし、熱いから陶芸はしないとなると、9月半ばまで無収入になってしまう。否、それ以前に、9月半ばまで彼女は陶芸を教えてもらえないまま、比古の飯炊き女として過ごさなくてはならないということか。
「私は陶芸を習いたくて、こんな山の中まで来たんですよ? それなのに、此処に来て上手になったことといえば御飯の炊き方ぐらいで、これじゃあ家を飛び出した甲斐が無いじゃないですか」
「素麺の汁も上手くなったんじゃねぇか。ま、毎日作ってりゃ、上手くなって当たり前だがな」
「別に料理を習いに此処に来たわけじゃないですから」
「褒めてやってんだから、素直に喜べよ」
 話を逸らそうとしたのに逆に不機嫌になられて、比古は小さく舌打ちをした。
 そこそこ裕福な家で育ったらしいが、家を飛び出してこんな山小屋に来たのだから、陶芸に対する情熱は並々ならぬものだとは比古もわかっている。けれど、それに免じて夏でも陶芸、という気にはなれないのだ。そもそも、弟子をとる気も無かったのだし。
 弟子を取るのは、剣術の方でもう懲りた。そもそも陶芸は趣味と実益を兼ねてやっているものなのだから、弟子を取って教えるとか、完全な“仕事”にするものではないと思っている。今は「家出してきたから行く所が無い」という彼女の言葉に免じて此処に置いてやっているが、冬になって山道が凍る前には実家に帰すつもりだ。
 不機嫌に黙り込んでいただったが、ふと気になることを思いついて口を開いた。
「夏は仕事しないってことは、生活費はどうするんですか?」
 焼き物を作って売らなければ、完全な無収入だ。秋まで仕事をしないとなると、日々の食事にも困ることになってしまう。
 が、不安そうに表情を曇らせる彼女を鼻で笑って、比古はきっぱりと、
「そんなの大丈夫に決まってんだろ。店に預けてる焼き物の代金を回収すれば、秋まで食いつなげるし、貯えもある」
 行き当たりばったり傍若無人に振舞っているように見せて、結構計画的に生きているのだ。
 その言葉に、はほっとしたように小さく息を吐いた。が、安心したのも束の間、はっとしたように、
「それはともかくとして、私の修行はどうなるんですか? もしかして秋まで延期ですか?」
 秋までおさんどんのみというのは、流石に困る。此処に来て初めて料理をするようになって、作る楽しみというのも知ったけれど、本当の目的は陶芸の勉強なのだ。これをしなければ、家を飛び出した甲斐が無い。
 が、比古はしれっとして、
「だから、陶芸は夏はしないって言ってるだろうが、何回言わせるんだ。
 はい、ごちそーさん」
 話を打ち切るように箸を置くと、そのままごろりと横になって目を閉じる。完全に話し合いを拒否する姿勢だ。
 いつもこうやって逃げられて、もうも限界だ。比古が弟子を取る気がないことは薄々感じていたが、飯炊き女として利用されるだけ利用してポイ捨てというのは許せない。
 彼女も箸を置くと、膝立ちで横になっている比古に歩み寄る。
「先生! 今日こそきっちり話し合いましょう。目を開けてください」
 研のある声で言いながらゆさゆさと身体を揺らすが、本当に寝ているのか狸寝入りなのか、比古は目を開けない。こんなに真剣に話し合いを求めているのにこの態度とは、完全にを舐めているのだ。
 いつもなら溜息をついて諦めてしまうところであるが、今日はそうはいかない。今日こそ、きっちり話し合ってやる。
 は立ち上がると、文机の引き出しの中から和紙を一枚取り出す。それを水瓶に溜めている水に浸し、十分に水分を吸い取ったところでそっと比古の顔に被せた。
 狸寝入りならすぐに起きるはずなのだが、起きないところを見ると本当に寝ているのか。もしかしたら意地で狸寝入りを続けているのかもしれないが、呼吸するたびに和紙は鼻と口に密着していく。さて、どう出るかとにやにやしつつ観察していると、数秒も経たないうちに比古が飛び起きた。
「てめぇ、俺を間引くつもりかっ?!」
「陶芸を教えてもらうまでは間引きませんよ。さあ、私の今後について話し合いましょうね、先生」
 うふふ、と黒い笑いを浮かべて、は柔らかな口調で言った。
<あとがき>
 遂にやっちゃいました、師匠ドリーム。チャットでお世話になっている某さんの師匠ドリームに触発されて書いてみた一品です。あちらはラブいちゃですが、こちらは………(汗)。
 俺様だけど微妙にヘタレな師匠と、減らず口の主人公さん、いつの日かラブラブになる日が来るのでしょうか? ………この調子だと、ラブは抜きの掛け合い漫才だな。いつか愛が生まれると良いなあ………(遠い目)。
 っていうか、私が書くと俺様師匠もヘタレって、どういうことよ? 私、もしかしてヘタレ変換機? いや、斎藤も蒼紫も縁も師匠も、愛はあるんですよ? ただ、愛情表現が妙な方向に行っているだけで(笑)。
戻る