昼寝

 うつ伏せに寝る人間は幼児性が強い性格なのだと、何かの本で読んだことがある。それは多分本当だろうと、うつ伏せに寝ている縁を見下ろしては思う。
 よりも背が高くて、その辺の男よりも筋肉質ないい身体をしているけれど、中身はまだ子供っぽいところが多分に残っていることに、最近気付いた。まだ22歳ということを差し引いても、彼女が22歳の頃に比べて幼いところがあると思うのだ。
 用心棒兼助手として働いてくれている時は、歳不相応なくらいしっかりしているとは思っている。チンピラに絡まれたときも堂々と追い払ってくれるし、治療を手伝ってもらう時だって、多量の出血やぐちゃぐちゃの傷口を見ても顔色一つ変えないくらいなのだ。なのに、これが仕事を離れると途端にヘタレになってしまう。
 どうやらは、縁の死んだ姉に似ているらしい。寝起きでまだボケている時に「姉さん」と呼ばれたことは、一度や二度ではないのだ。しかもその呼び声が、寝起きであることを考慮しても呆れるくらい甘えた声で、いつもとは別人のようなのである。母親代わりに育てられたとは言っていたが、もしかしてまだ乳離れというか、姉離れをしていないのだろうか。赤の他人のがどうこう言うのは筋違いなのかもしれないが、そういうのを見せられると少し微妙な気持ちになる。
 幼い頃に母親を失うと、乳離れの機会を失う上に、心の中で神格化してしまう傾向があるから、こういうふとした時に“姉さん”べったりの本性が出てしまうのだろう。四六時中“姉さん”の思い出を語られるよりはマシであるが、普段との落差が大きいだけに、一寸びっくりしてしまう。
 はそっと縁の枕元に座ると、規則正しい寝息をたてている彼の顔をじっと観察する。
 いつもは黒眼鏡をしているから気付かないけれど、縁は意外と子供のような顔をしている。否、寝顔が子供のようなのか。どちらにしても、22歳という年齢にしては幼く見えるような気がする。
 忘れかけていたけれど、縁はまだ22歳なのだ。よりも年下で、それなのに髪が真っ白になるほどのことを経験して、重傷を負って落人群に流れ着いて―――――彼の過去について、の方から問うたことは無い。訊いたところで、自分には何も出来ないことは解っているから。医者は体を治すことは出来ても、心については専門外なのだ。専門外のことには手を出さないというのが、ともすれば医学は万能だと奢ってしまう自分への戒めだ。
 何となく、縁の真っ白な髪に指を伸ばしてみた。のものと違って少し硬くて、動物の毛を触っているみたいだ。
 こうやってしみじみと見ると、本当に混じりけの無い見事な白髪である。根元だけ僅かに黒い毛があっても良さそうなものだが、それも無い。根元から完全な白髪ということは、きっともう黒髪に戻ることは無いだろう。
「何をしているんダ?」
 根元を掻き分けてじっくり観察していると、縁が不機嫌な声を上げた。
「んー、見事な白髪だと思ってねー」
 下から見上げられても全く怯えた様子は無く、は相変わらず猿の毛繕いのように根元を掻き分けて観察を続ける。
 怖い目で睨みつけられても、縁が本気で怒ることは無いことをはよく解っている。大好きな“姉さん”に似ているから、邪険には扱えないらしいのだ。それを良いことに、こうやって傍若無人を発揮しているのだから、自分でも一寸性質が悪いなあと思う。
「他人の頭で遊ぶナ」
 の読み通り、縁は不機嫌な顔をするものの、手を払ったり怒ったりはしない。嫌々子供の相手をしている大型犬のような彼の姿が可笑しくて、は髪を弄りながらくすくす笑う。
「良いじゃない。減るもんじゃなし。私、子供の頃、大きな犬が欲しかったのよねー。近所にこういう真っ白い犬を飼ってる家があってさー」
「俺は犬じゃなイ」
「これがまた人に触られるのがあんまり好きじゃない性格だったらしくって、いつもそんな不機嫌な顔をしてたのよ。思い出すわぁ」
 縁の不機嫌な声など無視して、は楽しげに思い出を語る。
 が他人の話を聞かないのは今に始まったことではないが、流石に犬と同列に扱われては楽しかろうはずがない。けれど、巴によく似た笑顔で語られると邪険にも出来なくて、縁は悶々と黙り込んでしまう。
 縁の沈黙を許容と受け取ったのか、は益々犬を弄るような手つきになる。
「縁はうちの番犬だもんねー」
「俺は犬じゃなイ!」
 軽く身を起こして怒鳴りつけると、縁はぷいっとに背を向けて寝転んだ。
 大人しくしていてやると、すぐにこれだ。上海黒社会の首領まで上り詰めた男を番犬呼ばわりするなど、ふざけるにもほどがある。が巴に似てなかったら、横っ面の一つも張り倒してやるところだ。
 怒鳴られてやっと縁を怒らせてしまったことに気付き、は慌てて肩越しに縁の顔を覗き込む。
 縁は仏頂面のままを拒否するように目を閉じていて、どうやら相当怒っているらしい。
「もしかして、怒った?」
 急にしおらしくなって、はおずおずと尋ねる。冗談のつもりで言っていたのに、そんなに怒るとは思わなかった。
「…………………」
 の声など耳に入っていないように、縁は仏頂面で目を閉じたままだ。犬扱いが余程腹に据えかねたらしい。
 これは早いところご機嫌を取っておかないと、臍を曲げて夜までこのままだ。自分から機嫌を直すということが出来ない性格のようで、の方から機嫌を直すように仕向けてやらないといけないのだから、難儀な性格である。
「私、縁のこと凄く頼りにしてるのよ? あんたのお陰で落人群で変なのに絡まれなくなったし、うちにだって押し売りとか来なくなったし。全部縁がいてくれるお陰だわ」
 しおらしい声でそれだけ言うと、はそっと縁の様子を窺う。
 さっきよりは表情が緩んでいるようだが、その目はまだ硬く閉じられている。けれどこの様子なら、もう一押しすれば怒りは解けそうだ。
 縁の肩に手を置いて、は耳元に唇を寄せて囁く。
「だから、ずっと一緒にいてね」
 唇を綻ばせる様な形にして囁くような声を出すと、の声は“姉さん”の声に似ているらしい。この声で言ってやれば、大抵の場合はイチコロだ。
 案の定、縁の頬の筋肉が嬉しそうにひくひくしている。けれどすぐに機嫌を直すのは癪だと思っているのか、嬉しさを押し殺すようにきつく眉間に皺を寄せていて、それがまた犬のようで可笑しい。
 ご機嫌は直ったようだから、あとは放っておけばいつもの縁に戻るだろう。は悟られないように笑いを噛み殺して、わざとらしく衣擦れの音をたてながら立ち上がる。
 少し離れたところから縁の様子を窺うと、まだ彼女に背を向けて寝ているけれど、もう険悪な雰囲気ではない。“姉さん”の真似をしただけですぐに機嫌を直すなんて微妙だが、まあ扱いやすいといえば扱いやすい。
 単純な男で良かったと思いつつ、は縁に悟られないように小さく笑った。
<あとがき>
 お題シリーズと同一主人公さんのサイドストーリー(?)です。お題に当てはまらなさそうな話を書いていければと。
 姉さんLOVEが長じて、一寸巴に似ている主人公さんにメロメロのようです、縁。中身は全然姉さんに似てないんだがな(笑)。しかし、姉さんの物まねで機嫌を直すなんて、何処まで単純な男なんだ?!
 主人公さんも早くも縁操縦法を会得しているようですし、これから縁は犬のように絶対服従なんだろうなあ………。ま、私の中では、縁はヘタレ確定ということで(笑)。
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