昼寝

 うるさい燕たちも巣立って、漸く斎藤の家にも静かな日々が戻ったが、休みの日にはの家で過ごすという習慣は何となく続いている。
 の家に来たからといって、何か特別なことをするというわけではない。午前中のうちに兎を抱えて彼女の家に来て、昼食を摂ったら兎と一緒にゴロゴロして、夕食を食べて日が暮れた頃に帰宅するというのが定番だ。
 も最初のうちは一日中斎藤と一緒にいられると浮かれていたのだが、最近では一寸不満が溜まりつつある。料理をするのは苦ではないし、食費を入れてもらっているのだから、その辺は逆に助かっているのだが、問題は斎藤のこの態度。一日中兎とゴロゴロして、彼女の存在など目に入っていないようなのだ。
 今だって、昼食を食べたらいきなり昼寝である。最近はずっと忙しかったから疲れているのは解るし、それでもに会いに来てくれているのは嬉しいけれど、これじゃあ下宿人と飯炊き婆さんのようだ。
 家に閉じこもりきりでも良いから、どうでもいいお喋りをしたり、二人で兎と遊んだり、そういう恋人らしい時間を楽しみたいのに。来る度にこんな態度では、自分は斎藤の何なのかと、は彼の両肩を掴んでゆさゆさしながら問い詰めたくなる。まあ、そんなことはしないけれど。
 兎と並んで熟睡している斎藤の姿を見下ろして膨れていただったが、彼の寝顔を見ているうちに怒っているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。考えてみれば、あの斎藤がここまで無防備というか油断しきった姿を見せるということは、それだけを信頼しているということだ。もしかしたら斎藤にとっては、これこそが“恋人の前でしかできないこと”なのかもしれない。
 そう思ったら、この家でだらしなくゴロゴロしている姿も愛しく思えるのだから不思議だ。いつもビシッと折り目正しくしている姿を素敵だと思って好きになったけれど、こういう姿というのも意外と良いものかもしれない。
 昼食の後片付けも済んだし、夕食の用意までにはまだ時間がある。斎藤はが起こすまでいつも眠っているし、彼より早く起きれば、一緒に寝ていても気付かれないはずだ。
 は眠っている兎をそっとどかすと、結い上げていた髪を解いて、ころんと横になった。
 斎藤に添い寝するように横になると、これまでに無いくらい顔が近くなる。もう少し近付いたら、このまま接吻できるのではないかと思うのだが、流石にそれは恥ずかしくて出来ない。今の時点でも、恥ずかしくて心臓が破裂しそうなくらいなのだ。
 こんな近くで斎藤の顔を見ることが出来るなんて、しかも寝顔を見ることが出来るなんて。本当に自分は“恋人”なのだと思えて、は嬉しさのあまり意味も無くゴロゴロ寝返りを打ってしまう。さっきまで斎藤が構ってくれないと怒っていたくせに、添い寝くらいでこれだけ喜べるのだから、単純といえば単純である。
 真っ赤な顔をして何度もゴロゴロしていただったが、視線に気付いてぴたっと動きを止める。ふと頭の上を見ると、さっきまで寝ていたはずの兎が、呆れたような冷ややかな目で彼女をじっと見ていたのだ。
「あ………」
 くるんと腹這いに寝返りを打つと、彼女は兎と顔を合わせる。そして言い訳するように低い声で、
「斎藤さんがお昼寝をしているから、一緒にお昼寝するだけだよ。別に変なことはしてないんだからね」
 彼女の言葉を理解しているのかいないのか、兎は相変わらず不審そうな顔をしているこの兎はどうも他の兎に比べると知恵が多いらしく、時々こうやって人間臭い顔をする時があるのだ。
 兎に見せ付けるようにぷぅっと膨れてみせると、はすぐに横向きに寝返りを打って目を閉じた。





 体に急に温かなものが押し当てられ、あまりの暑苦しさに斎藤は目を醒ました。また兎が寝ぼけて摺り寄ってきているのだろう。
 まだ目蓋が重くて、斎藤は目を閉じたまま“温かなもの”を片手で押しやる。が、いつもならぐにゃりとした感触があるはずなのに、何故か今回は硬い。おまけに短い毛がちくちくするはずなのに、“それ”に生えているのは長くてするするした手触りの毛だ。
「んー………」
 その憶えの無い手触りを不審に思いながらゆっくりと目を開けると、斎藤が触っていたのは―――――
「―――――――っっ?!」
 斎藤が邪険に押しやっていたものの正体は、の頭だったのだ。解かれた髪が顔の半分を隠しているが、どうやらまだ熟睡しているらしい。
 いつも此処で昼寝をしていたが、まさかに添い寝されるとは思わなかった。しかも、体温を感じるほどに密着されて。熟睡しているのだから、本人にはそんなつもりは無いのだろうが、この状況というのは非常にまずい。
 顔立ちも普段の仕草も、はまだまだ“お子様”だが、なかなかどうして身体の方は立派な大人のようである。そんなのにぴったりと密着されていたら、いくら斎藤でも平静ではいられない。
 妙な気を起こす前に、と斎藤はを起こさないようにそっと距離をとる。
「う〜ん………」
 斎藤の身体が離れるのとほぼ同時に、が微かな唸り声を上げた。起きたのかとぎょっとして顔を覗き込むと、何か不満げに眉間に軽く皺を寄せているものの、ぐっすりと寝入っているようだ。
 寝ている時に何かに密着するとか、枕や布団など何でも良いから抱きしめていないと安心して眠れないという人間がいるが、もそういう癖があるのかもしれない。試しにもう一度そっと身体と近付けてみると、彼女は安心したように小さく息を吐いて、安らかな寝顔に戻る。
 夏なのに暑苦しくないのだろうかと斎藤は思うのだが、の様子を見ているとあまり気にならないらしい。それどころかこっちの方が快適のようだ。
 もう少し近付いたらどうなるだろうか、とふと思った。くっ付いていることで安心感を得られるなら、もっと近付いてやった方がもっとよく眠れるかもしれない。
 試しに片腕をの背中に回してみる。と、斎藤の腕の中でもそもそと動いたかと思うと、嬉しそうにふふっと小さな笑い声を漏らして、彼女の方から擦り寄ってきたではないか。
「……………っ?!」
 自分から抱き寄せたくせに、このの思いがけない反応に、思わず斎藤は声が出そうになってしまった。そこを何とか堪えて、彼女の顔をまじまじと観察する。
 実は起きているのではないかと疑ったが、やはり熟睡しているようである。けれど寝顔は先ほどよりも心なしか嬉しそうで、実は気付いているのではないかと疑いたくなるほどだ。
 の嬉しそうな寝顔を見ていると、斎藤まで嬉しくなってくる。思えば、最近は仕事が忙しくて疲れているのを理由にして、あまり構ってやっていなかった。此処に来て食べて寝るだけにしても、こうやって添い寝したりして構ってやらないといけないと少し反省した。
 そんなことを考えながらの寝顔を観察していると、いつの間に目を醒ましたのか、兎がそんな斎藤のことをじっと観察していることに気付いた。寝ているに悪さをしようとしていると思っているのか、非難するような冷ややかな目で見ている。この兎は兎のくせに、妙に表情が豊かである。
「違うぞ。一緒に昼寝しているだけで、別に妙な事はしてないからな」
 何故か兎に言い訳がましく言うと、斎藤はもう一度目を閉じた。





 身体の上に何かが乗っていることに気付いて、は目を醒ました。
「ん〜………」
 軽く目を擦りながら目を開けると、何故か斎藤の腕の中にすっぽりと収まっていて―――――
「――――――――っっ?!」
 一瞬での全身が真っ赤になってしまった。心臓は破裂しそうにドキドキしているし、全身の血がもの凄い勢いで駆け巡って頭も破裂しそうになっているし、身体は硬直しているけれど、頭は上へ下への大騒ぎだ。
 斎藤に抱き寄せられて昼寝だなんて、まだ夢を見ているみたいだ。寝ぼけてそうしているだけで、偶然抱き寄せられているのかもしれないけれど、でも嬉しい。こんなに嬉しい昼寝は、生まれて初めてだ。こんな昼寝なら、一日中ゴロゴロというのも悪くない。
 本当はそろそろ起きなくてはいけないけれど、もう少しだけこのままでいたい。目を醒ました時、斎藤がどんな顔をするだろうと想像すると可笑しくて、小さくくすくす笑いながらはもう一度目を閉じた。
<あとがき>
 “抱き枕斎藤”っていうか“抱き枕兎部下さん”です。真夏なのに暑苦しいなあ(笑)。
 斎藤、休日は兎部下さんの家で過ごすっていうのが定番になってるようです。が、他人の家でゴロゴロってどうよ? 遊びに来たなら、きちんと構ってあげてくださいよ。釣った魚には餌をちゃんとやらないと、愛が飢え死にしちゃいますよ?
 この二人、“お付き合い編”に入ったら、他人行儀シリーズよりもバカップルになりそうな予感………。でも困ったことに、ほっぺにちゅう以上に進むきっかけが掴めてないんですが(苦笑)。どうしよう、ほっぺにちゅうからまた一年足踏みさせるかな………。
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