夏祭り

 今日は祭りだから、いつもの違うようにしようと蒼紫が言ったので、現地で待ち合わせることになった。最近はずっと、の家から何処かに出かけてばかりだったので、こういうのは新鮮だ。二人が付き合い始めたことを思い出す。
 そういえば二人が初めて手を繋いだのも、去年の夏祭りの夜だった。いつも一緒にいるから遠い昔のことのように感じるけれど、まだたった一年前のことなのだ。あの頃の蒼紫は、には気難しくて何を思っているのか判らない男に見えていたけれど、その分何をするにしても初々しかった。
 そんな昔のことを思い出していると、蒼紫が小走りでの方にやってきた。
「悪い。待ったか?」
「うぅん。私もさっき来たばかりだったから」
 本当は少し待ったけれど、は笑って応える。そういえば去年は、が蒼紫を待たせていた。
「今年も人が多いな。はぐれないようにしておかないと」
 そう言って、蒼紫は手を差し出す。
 去年の今頃は、手を繋ぐどころか、話すだけでも緊張した雰囲気の蒼紫だったが、たった一年でそんなものの欠片もなくなってしまった。彼は気を抜くとすぐ歩くのが早くなるから、はぐれないように手を繋ぐのも、今では当たり前のことだ。
 そう思ったら可笑しくて、は蒼紫の手を握りながらくすっと笑う。
「どうした?」
「初めて手を繋いだのも、お祭りの夜だったなあと思って」
「ああ………」
 あの時のことを思い出したのか、蒼紫は恥ずかしそうな、一寸ばつの悪そうな顔をした。
 あの日、始めて手を繋ごうと言った蒼紫の顔を思い出すと、は今でも笑いがこみ上げてくる。今思えばたかだか手を繋ぐだけのことなのに、初めて接吻をした時よりも緊張した顔をしていて、それが可笑しかった。勿論、笑いはしなかったけれど。
 「はぐれないように手を繋ぎましょう」と尤もらしいことを言って、いかにも余裕があるように見せかけていたけれど、本当はその言葉を言うだけでも迷ったり緊張していたことは、も気付いていた。いつもと同じ無表情を作ってはいたけれど、顔が一寸赤かったから。口付けをした時はそうでもなかったのに、ひょっとしたら手を繋いで歩くというのはが初めての相手だったのかもしれない。
 まあ、対するも、蒼紫と同じくらいには紅い顔をしていたのだから、あまり笑えないのだが。大人になってからこうやって男と手を繋いで歩くというのは初めてだったし、蒼紫に手を握られた時は一瞬心臓が止まるかと思うほどドキッとしたくらいなのだ。
 手を繋いで半歩先を歩いている蒼紫の顔を見上げると、初めての時の緊張なんかすっかり忘れたような普通の顔をしていて、それはそれで良いのだけれど、には少しつまらない。いつまでも初めてのようにオタオタされるのもこまりものだけれど、最初の頃のドキドキ感が無くなってしまうのもつまらない。
「ねぇ、蒼紫」
「ん?」
 声を掛けると、蒼紫は振り返った。
「いつまでこうやって手を繋いで歩いてくれる?」
 いつまでこうやって歩けるのだろうと、ふと思った。周りを見ると、手を繋いでいるのは若い人ばかりで、ある程度の年齢になったら繋がなくなるようだ。
 二人はもう20代半ば。あと何年もしないうちに手を繋がなくなってしまうのだろうか。いい年して手を繋いで歩くというのは、世間的にはみっともないことなのかもしれないけれど、そうなってしまうのは寂しい。
「うーん、そうだなぁ………」
 顎に手を当てて、蒼紫は神妙な顔で考え込む。
 そんなに真剣に考えるようなことではないはずなのだが、何を考えているのか次第に蒼紫の顔は小難しくなってきた。としては他愛の無い会話のつもりだったのだが、そんなに深く考えられるとどうして良いのかわからなくなってしまう。
 もしかして、歳を取っても手を繋いで歩くのはみっともないと思っていて、それをどうやって伝えようかと悩んでいるのだろうかと、は少し不安げに見上げる。そんなの「ずっとだよ」と適当に流しても良さそうなものなのに。だって、そんな口約束を後生大事に守れと迫ったりはしない。
「あのね、蒼紫。そんなに真剣に考えなくても―――――」
「子供が生まれたら―――――」
 話を打ち切ろうとするの言葉に、蒼紫の言葉が重なった。
「子供ができたら、子供の手を繋いでやらないといけなくなるからなあ。そうなったら、こうやって手を繋ぐことは出来なくなるかもしれないな」
「子供ぉ?!」
 あまりにも突拍子の無い発想に、は声を上げて笑ってしまった。
 まだ妊娠もしていないのに、そんな先のことを言われてもも困ってしまう。確かに新しい家が見付かったら一緒に暮らすのだから、全く可能性の無い話というわけではないけれど、いくらなんでも気が早すぎる。
「子供ができたらなんて、気が早いわ。私、そんな兆候全然無いのに」
「でも、いつ出来てもおかしくはないだろう? 来年は三人で祭りに行くかもしれないじゃないか」
 笑うを見て、蒼紫は心外そうに反論する。
 確かに、いつ妊娠してもおかしくない状況ではあるが、改めて言われるとも恥ずかしくて微かに頬を染めた。
 いつかは蒼紫との間に子供が生まれるだろうが、にとってはまだ遠い先というか、自分の身に起こることとして考えられないくらい現実味の無い話だ。けれど蒼紫にとっては、来年にでも実現するかもしれないと思えるほど身近な話だったらしい。普通、こういうことに関する感覚は、女の方がきちんと考えているようなものなのだが、このことに関してはと蒼紫は世間と逆のようだ。
 考えてみれば、去年の今頃は手を繋ぐのにも心臓が破裂しそうなほどにドキドキして、話すのも凄くよそよそしかったのに、今は通い婚のような状態なのだから、来年には祭りに行くのに一人増えていても不思議はない。
 来年の夏祭りまでに一人増えているとしたら、まだ赤ちゃんだからどちらかが抱っこをしてやらないといけない。そうなると両手が塞がってしまうから、今のように手を繋ぐというのは不可能だ。抱っこをしなくて良くなっても、今度は迷子にならないように子供の手をしっかりと握っておかないといけないし、二人の間に子供を挟むように歩くとしたら、もうと蒼紫が手を繋ぐ機会はなくなってしまうだろう。
 ある程度の年齢になると手を繋がなくなるのは、そういうことだったのか、とは大発見をした気分になった。他に手を繋がなければならない人間ができて、これまでの相手と手を繋がないことが当たり前になると、元に戻すのは一苦労だ。子供の手が離れる頃には、今更という気持ちも生まれるだろうし。
 蒼紫の手を握る手に力を込めて、は真っ直ぐに彼の顔を見上げる。
「子供が生まれても、手が離れたらまた手を繋いで歩きましょう。蒼紫、歩くの早いから、手を繋いでいないと去年みたいにはぐれてしまうわ」
 いい歳をして、と周りに思われても、いつまでも蒼紫と手を繋いで歩きたい。は彼の大きな手が大好きで、この手の中に自分の手があると凄く安心できるから。いつでも蒼紫と繋がっていられるというのは嬉しい。
 少し甘えた声で言うの言葉に、蒼紫はかぁっと顔を紅くした。としては当たり前のことを言ったつもりだったのだが、そんな顔をされると彼女まで紅くなってしまう。
 けれど蒼紫がそういう反応をしてくれるということは、まだと手を繋ぐことにドキドキするとか、そういう感情が残っているということだ。その気持ちがお互いにずっと続けば良いとは思う。一緒に暮らすようになっても、子供が生まれても、そういう気持ちは大切にしたい。
 蒼紫も同じことを思っているのか、頬を紅くしたまま小さく微笑む。
「そうだな」
 そう言って、蒼紫もの手をきゅっと握った。
<あとがき>
 気が付けば、この拍手小説を書いた頃が『手を繋いで』から一年でした。早いなあ………。
 最初の2話はもう少し大人のカップル風味だったはずなんですが、『手を繋いで』から蒼紫はおたおたへタレ路線に路線変更してしまったようです。そして、ヘタレからバカップルへとレベルアップ(レベルダウン?)してしまい、今に至ると(笑)。
 手を繋ぐにもオタオタしていた二人が、一年後には一緒に暮らすんですから、やること早いなあ(笑)。もしかしたら来年の夏祭りには、小さい人が付いてきてるかもしれないですね。
戻る