夏祭り
「ほら、落とすなよ」たこ焼き屋の親父に金を払うと、斎藤は熱々のたこ焼きをに渡した。
今日はの近くの家の近くの神社の夏祭りの日だ。いつもはひっそりとしている境内も、今夜ばかりは提灯の灯りで昼間のように明るい。
「ありがとうございます。いただきまーす」
早速は、一つ口に放り込む。このたこ焼き屋は去年の夏祭りにも来ていたが、タコが大きく切ってあって美味しいのだ。その代わり、一人前の個数は他のたこ焼き屋に比べて少ないのだが。
斎藤も、横からたこ焼きを一個取って口に入れる。彼はあまりこういう歩き食べするものを好まないとは勝手に思っていたのだが、そうでもなかったらしい。それか、今日は祭りの夜だから、特別に食べているのかもしれない。
一瞬、熱そうに顔を顰めていたけれど、何事も無かったかのように飲み込むと、斎藤はふと思い出したように言った。
「最近のたこ焼きには、ちゃんとタコが入ってるんだな」
「へ?」
斎藤の言葉に、はきょとんとした顔をする。たこ焼きにタコが入っているのは当たり前の話で、タコが入っていなければ単に小麦粉と野菜を焼いただけのものだ。
冗談で言っているのなら、笑ってやるか突っ込みを入れてやるかしなければならないのだが、斎藤の雰囲気を見ているとどうもそういう雰囲気ではない。本気で言っているようで、は困惑してしまう。
困った顔をして首をかしげているを見下ろして、斎藤は苦笑する。
「いや、俺が子供の頃に祭りに来ていたたこ焼き屋のたこ焼きが、こう串団子みたいに3つで一組になっていたんだが、必ず真ん中のたこ焼きにはタコが入ってなかったんだ。まあ、値段もずば抜けて安かったから、子供心に納得してたんだがな」
「へー………」
斎藤の昔話を聞くなど、初めてのことだ。今まではから訊いてもはぐらかされてばかりだったのに。もしかしたらこれは、今までよりもに気を許し始めた印なのかもしれない。
串団子のようなたこ焼きを食べる子供の斎藤を、は一生懸命想像してみるが、なかなか上手くいかない。斎藤は、生まれた時から今の斎藤のような気がするのだ。勿論そんなことはありえないけれど。
「今思うと、辛いくらいにタレが付いていたのも、元の味を判らなくするためだったのかもしれないなあ。卵も碌に使っていないような生地だったし」
斎藤は懐かしそうに語るけれど、それはあまり美味しく無さそうだとは思う。けれどそれが、斎藤には“思い出の味”なのかもしれない。
串団子のようなたこ焼きを食べる子供斎藤の姿をは一生懸命想像するけれど、どうもうまくいかない。斎藤は生まれた時から、今の斎藤の姿をしているような気がするのだ。勿論、そんなことはありえないのだけれど、想像力豊かな彼女にも、子供の頃の斎藤の姿というのは想像を絶する。
それでも、斎藤は子供の頃から背が高かったのだろうかと、は一生懸命想像の翼を広げる。子供の頃は小さくても、あとで背が伸びるという人もいるから、大柄な子供だったとは言い切れない。それに、頬がこけている子供というのもありえないから、今よりも丸顔だったのかもしれない。でも、丸顔の斎藤というのは想像できなくて、は困ってしまう。
「どうした?」
眉間に皺まで寄せて一生懸命考えているを見て、斎藤は怪訝そうに尋ねる。
「斎藤さんの子供の頃って、どんなだったのかなあ、って。でも、一寸想像できないですね。斎藤さんって、ずっと今の斎藤さんみたい」
くすくすと笑いながら、はたこ焼きをもう一つ口に放り込む。
斎藤も苦笑しながら、横からもう一つ取った。
「俺にも一応、子供だった頃はあるぞ? ま、あんまり可愛い子供じゃなかったかもしれんがな」
「あら、二人ともお揃いで」
二人でたこ焼きを食べながら歩いていると、後ろから恵の声がした。
「あ、恵ちゃん!」
恵の数日前に、友達と一緒に祭りに行くと言っていたのを、今更ながらは思い出した。これだけ人がいるから、会うことは無いだろうと思っていたけれど、予想外に会ってしまうものらしい。
一緒にいる人を見ると、にも何だか見憶えがあるような気がしてきた。小柄な赤毛の剣客など、特徴がありすぎて一度会ったら絶対に忘れないはずなのに、思い出せないのがもどかしい。
恵の連れも同じことを思っているようで、の顔をじっと見ている―――――と思っていたら、どうも様子が変だ。だけではなく、斎藤の方も見て驚いた顔をしている。
もしかして斎藤の知り合いなのだろうかと、が斎藤を見上げると、こっちはこっちで苦虫を噛み潰したような顔をしている。もしかしたら、あまり会いたくない種類の相手だったのかもしれない。
のほうが何となく気まずくなって、斎藤と恵の連れを交互に見ていると、赤い鉢巻をした背の高い男がいきなり大声を上げた。
「あーっ!! あんた、初詣の時の迷子だろ?!」
「あ――――っっ!!」
も指差して驚きの声を上げる。
恵の連れは、今年の初詣で斎藤とはぐれた時、を迷子案内所まで連れて行ってくれた人たちだったのだ。あの時と同じように赤毛の剣客と長い髪を馬の尻尾のようにリボンで結んだ娘もいるが、今日は竹刀を持った少年が追加されている。
あの時は結局ちゃんと礼を言えなかったのだが、斎藤の知り合いだったのならきちんと礼をしておけば良かった。斎藤も、迷子案内所の警官が彼らの特徴を伝えていたのに、知り合いだと気付かなかったのだろうか。それとも、後で自分が礼を言えば言いと思って知らない振りをしていたのか。どちらにしても変だなとは思う。
「あの時はありがとうございました。お礼も言わずに帰っちゃって、すみません」
「いやいや。連れの人と合流できて良かったでござるよ」
がぺこりと頭を下げると、赤毛の剣客がにこにこ笑いながら言った。
そういえば恵の好きな人は、剣術道場に住み着いている剣客だと聞いたことがある。ということは、この赤毛の剣客が恵の片想いの相手なのかな、とは思った。小柄で女のような形をしているけれど、強くて優しい人らしい。28歳で無職というのはどうかと思わないでもないが、いい人らしいということはにも判った。
となると、隣にいるリボンの娘が剣客の好きな人なのかと、今度は娘の方を観察する。狸顔の可愛らしい顔はしているけれど、友人の欲目を差し引いても恵のほうがずっと美人だとは思う。が、こればかりは好みや相性があるから、外野がどうこう言うのは筋違いというものだ。
「あら、顔見知りだったの?」
たちの様子を見て、恵は一寸びっくりした顔をした。全く繋がりの無い人間同士が実は密かに繋がっていたというのだから当然だ。世の中は意外と狭い。
恵の紹介によると、赤毛の剣客は緋村剣心、リボンの娘は神谷薫、赤い鉢巻の男は相楽左之助、竹刀の少年は明神弥彦というらしい。左之助以外はみんな、薫の剣術道場に住んでいるのだそう。
「もしかして、あの時の連れの人って……その人?」
探るような上目遣いで斎藤を見ながら、薫が恐る恐る尋ねる。左之助も弥彦も何か意味ありげにヒソヒソと話し合っていて、と斎藤が一緒にいるのは彼らにとって、相当変なことのようだ。確かにこんなに歳の離れた男女が仲良く歩いていたら、傍から見ればどんな関係なのか判らなくて不審なものなのかもしれない。
「うん、そう。本当は元旦に行くつもりだったんだけど、斎藤さんの家で徹夜してたら気分が悪くなっちゃって、それで2日に一緒に行ったの」
は斎藤と対等に付き合っている恋人のつもりだったけれど、どうやら世間ではそうは見てくれないらしい。別に周りの目を気にするわけではないけれど、やっぱり悔しくて、二人がどれだけ仲良しか見せ付けるように訊かれていないことまで答えてしまう。
徹夜して気分が悪くなったというのは、子供みたいで一寸余計だったかなと言った後で思ったけれど、でも斎藤の家に泊まることもあるのだということを主張したかった。家に泊まるということは、本当に相思相愛の恋人だということを示しているし、たとえ頬に接吻しかしたことがない関係でも、相手に“大人の関係”だと思わせられるし、一石二鳥だ。
こんな見栄を張るなんて自分でも情けないなあとは思うけれど、そうでもしないと“斎藤の恋人”として認めてもらえないような気がしたのだ。多分、彼女自身に“斎藤の恋人に相応しい女”の自信が無いのかもしれない。
の言葉に、恵を始めとする一同は唖然とした顔をした。実はは知らないことであるが、彼らにしてみれば“斎藤のような男の恋人がであることが変”なのではなくて、“のような娘の恋人が斎藤なのが変”なのだ。
にとっては“優しくて大人の男”である斎藤だが、剣心や薫たちにとっての斎藤は“根性の悪い不良警官”である。そんな不良警官に“いい女”がいるということも驚きであるが、それが若くて可愛らしい娘であるということが、声も出ないほどの衝撃だったのだ。
更に信じられないことは、の方がどうやら斎藤に夢中になっているらしいということだ。斎藤は内心はともかく、見た目はいつもと同じ面白くなさそうな顔をしているが、の方は彼と一緒にいるのが嬉しくてたまらないというのが伝わってくる。
衝撃から立ち直れずに言葉も出ない一同の中で、いち早く立ち直った弥彦が確認するように恐る恐る尋ねる。
「なぁ、もしかして二人、デキてるのか?」
「えっ………?!」
子供らしいあまりにも直接的な質問に、は一瞬で顔を真っ赤にしてしまった。
斎藤とはきちんと“お付き合い”していると思っているけれど、まだ頬に接吻しかしていないし、“デキてる”という表現は微妙に違うような気がする。“デキてる”というのは、最後までいっていることを意味するような気がするし。
どう応えれば良いものか分からなくて、が助けを求めるように斎藤をちらりと見上げると、彼が代わりにぶっきらぼうに言った。
「ま、そんなもんだ」
「えぇえええ―――――っっ?!」
恵を除く全員が、揃って絶叫した。祭囃子で少しは抑えられているが、街中だったら絶対に注目を浴びていたくらいの大声だ。
事情を知らないは、やはり周りから見ると自分と斎藤は釣り合いが取れていないのかと、少し落ち込んでしまう。けれど、斎藤が即座に認めてくれたのは、天にも上るくらい嬉しかった。人目が無ければ、兎のようにその辺を跳ね回りたいくらいだ。
嬉しくて嬉しくて、もの凄い勢いで血液が全身を巡るのが、自分でも判る。胸が破裂しそうなくらいドキドキしているし、幸せ一杯で頭がくらくらしてきた。
こうやって二人で会っている時も手を繋ぐことも無くて、以前と全く変わりが無かったから、は少し不安だったけれど、こうやって言葉にして貰えて漸く本当に“恋人”なのだと実感できた。たったあれだけの言葉だけれど、今までで一、二を争うくらい嬉しい言葉かもしれない。
「じゃ、行くぞ」
浮かれているの手を掴んで、斎藤はさっさと歩き出す。
「あっ………」
いきなり手を引かれてたこ焼きの包みを落としそうになりながら、も慌てて早歩きで付いていく。
折角斎藤の知り合いに会ったのだし、としては一緒に夜店を回っても良かったのだが。気になって恵たちを振り返ると、一同はまた唖然とした顔のままたちを見送っていた。
「斎藤さん、お友達の人、良いんですか? 全然知らない人じゃないから、一緒に回っても良かったのに………」
「別に友達なんかじゃない」
首を傾げて尋ねるに、斎藤は不機嫌な声で応える。
あんなのが“友達”であるわけがない。一緒に夜店を回ったりしたら、に何を吹き込まれるか判ったものではないではないか。今後のことも考えると、できれば縁切り寺にでも行って断ち切ってしまいたい関係だ。
斎藤の反応に、は益々不思議そうに首を傾げる。知り合いだけれど、あまり仲の良い知り合いというわけではないということなのだろうか。けれど、これをきっかけに仲良くなれれば良いなあと思う。斎藤はどう思っているか判らないが、悪い人たちではないようだし、恵繋がりで仲良くなりたい。友達は多いほうが楽しいではないか。
「斎藤さん」
早足で歩く斎藤に、が後ろからそっと声を掛ける。
「さっきの、凄く嬉しかったです」
「何がだ?」
恵たちの姿が完全に見えなくなったところで、斎藤は漸く歩く速度を落として手を離した。
「弥彦君に“デキてるのか?”って言われた時のこと」
「………ああ」
今更ながら恥ずかしくて、斎藤は少し目の縁を紅くした。あの時は勢いで答えてしまったが、思い返すとかなり恥ずかしいことをしてしまったような気がする。今頃は絶対、あの連中はと斎藤のことで盛り上がっているはずだ。
けれど考えようによっては、今のうちに宣言しておいて良かったのかもしれない。剣心には薫という相手がいるからともかく、左之助がに目をつけたら大変だ。勿論あんなのにを掻っ攫われるとは思わないが、彼女に付きまとうようなことがあったら面倒である。
斎藤はそのまま黙り込んでいるが、照れている彼を見上げては嬉しそうにふふっと笑う。
今日は“デキてるのか?”と言われて一瞬躊躇ってしまったけれど、早く躊躇わずに返事できるようになりたい。斎藤は“急がなくても良い”と言うけれど、でもやっぱりは早くちゃんとした“恋人”になりたいのだ。最後までいかなくてもいいから、せめて口に接吻くらいはしたい。この様子では、まだ難しいようだけれど。
丁度たこ焼きもなくなったので、通り道にあるゴミ箱に包みを捨てる。そしての方から、隣を歩く斎藤の手にそっと手を伸ばした。
斎藤、みんなの前で“俺の女”宣言です。勢いだけで言ったような感じがしないでもないですが、照れ屋さんの彼にしては上出来ではないかと(笑)。
この後、恵さんと神谷道場の仲間たちは、斎藤の女の趣味と二人の関係を熱く語り合ったのではないかと。兎部下さんを看病してあげる斎藤の話を恵さんから聞いて、唖然とする神谷道場の仲間たちとか(笑)。
兎部下さんも、自分の方から手を繋いできたりして、お祭りの夜はちょっぴり大胆です。きっと、いきなり手を握られて、斎藤も内心びっくりしながら、不機嫌な顔を作って照れまくってるんでしょうねぇ………。