雨
今日は朝から雨が降ったり止んだりで、折角の休日なのに洗濯も外出も出来ずに、一日中家の中だ。天気が良ければ夜になったら蛍を見に行こう、と蒼紫が言っていたが、この分では無理のようだ。6月に入ってからカラッと晴れた日が無いから、家の中が何となくじめじめしていて、の顔もベタベタする。縁側に置いている文鳥たちも同じなのか、さっきから頻りに毛繕いをしていて、そのうち羽毛が抜けるのではないかと心配になるほどだ。
そして同じく縁側にいる蒼紫はというと、いつものように何か物思いに耽っているのか、微動だにせずに静かに座っている。寒いことにはブツブツ文句を言う男だが、それ以外には全く無頓着のようだ。冬以外は手のかからない男である。
それはともかく、以前からは密かに気になっているのだが、蒼紫は文鳥の“ちぃちゃん”と相性が悪いというか仲が悪いはずなのに、いつも並んで縁側に座っている。余程のことが無い限り、暇な時はいつもあそこに座っているのだ。
「何か面白いものでもあるの?」
庭を見詰めたまま動かない蒼紫の隣に座って、が尋ねる。
「猫が………」
「猫?」
蒼紫の視線の先を見るが、
「あの根元の葉のところにいるんだ」
いわれた所をもう一度目を凝らしてよく見てみると、確かに根元のところにいた。小さな小さな、痩せっぽちの三毛猫だ。
やっと自分で歩けるようになって、移動の途中に親とはぐれたのだろう。時折悲しそうな声で鳴いている。
「放っておいたら死んでしまうな」
雨に濡れてぶるぶる震えている仔猫を見て、蒼紫が独り言のように呟く。否、“独り言”の形は取っているが、に聞かせようとしているのは明らかだ。その証拠に、言った後にの様子を窺うように、ちらちらと横目で見ている。
に「可哀想だから拾ってあげましょう」と言わせて、仕方無さそうに拾いに行くというのが蒼紫の筋書きなのだろう。此処には文鳥が3羽もいるから、勝手に拾ったら怒られるということは解っているらしい。
も猫が可哀想という気持ちはあるが、だからといっておいそれと拾うわけにはいかない。猫は文鳥に悪戯をするのだから、目を離した隙に襲われでもしたら大変だ。可哀想な仔猫を拾って、飼っている文鳥たちを可哀想な状態にしてしまったら、目も当てられない。
ここで何か言ったら大変だと押し黙っていると、蒼紫が痺れを切らしたように口を開いた。
「あの猫―――――」
「駄目ダメだめ!! 猫は絶対に駄目! うちにはちぃちゃんたちがいるのよ!」
みなまで言わせず、は殆ど絶叫のようにまくし立てる。その剣幕に押されたのか、蒼紫は不機嫌に押し黙ってしまった。
二人の会話を理解しているのか、仔猫はぶるぶる震えながら、潤んだ目で二人の方をじっと見詰めている。しかも蒼紫を重点的に。どちらを攻めれば拾ってもらえるか、本能的に気付いているようだ。
蒼紫の様子を窺うと、同情の目で仔猫を見詰めている。もうすっかり仔猫の策略にはまっているようだ。
とどめを刺すように、仔猫が絶妙な間合いでくしゃみをした。二回くしゃみをすると、憐れみを乞うように再び蒼紫を見る。
案の定、蒼紫は悲しそうに眉を曇らせて猫を見た後、またを見た。何が何でも彼女に「拾ってあげましょう」と言わせたいらしい。
こうなると、のほうも意地でも言ってやるものかと、改めて決意を固くする。猫はいったん家に上げてしまうと、自分の家だと思い込んでそのまま居ついてしまうのだ。此処はお前の家ではないと、しっかり叩き込んでおかなくては。
意地でも口を開かないを見る蒼紫の目に、次第に非難の色が表れてきた。きっと、彼女のことをとんでもない冷血人間だと思っているのだろう。しかし彼にそう思われても、可愛い文鳥を守るためなら、はいくらでも冷血になるつもりだ。
そうやって無言の攻防戦が続く中、仔猫がまた動いた。今度は寒そうにぶるぶる震えながら、少しでも濡れないように体を小さくして蹲る。そうしたところで、いくら小さな体でも紫陽花の陰に雨宿りなどできるわけがない。しかも悲しげに目を伏せて、いかに自分が可哀想かを力一杯主張しているようだ。
ここでもう限界かな、とが思った瞬間、蒼紫が我慢の限界とばかりに勢い良く立ち上がった。
傘も差さずに庭に下りると、蒼紫は蹲っている仔猫を大事そうに抱えて戻ってきた。そして手拭いで水気を拭き取ってやると、冷えた体を温めるように抱き締めてやる。
「寒かっただろう? もう大丈夫だぞ」
体をさすってやりながら蒼紫が言うと、仔猫は「にー」とも「ぴー」ともつかない声で小さく鳴いた。
「拾っちゃったものは仕方が無いけど、どうするの? 貰い手を捜すのだって大変よ?」
最後の抵抗でが不機嫌に言うと、蒼紫はきょとんとして言った。
「何を言ってるんだ。“
「えー?」
仔猫を見詰める熱い視線から、薄々そうなるかもしれないとは思っていたが、まさか本当に飼う気でいたとは。いつの間にやら名前まで決めているし、この様子ではが“ちぃちゃん”を可愛がるのと同じくらいの溺愛は確実だ。
「雌猫なんか飼ったら、どんどん殖えて大変だわ」
三毛猫は殆ど全てといって良いくらい雌猫だ。外をふらふらさせている間に孕まされでもしたら、あっという間に殖えてしまう。
「外に出さなければ大丈夫さ―――――って、こいつ、雄だ。三毛の雄なんて珍しいなあ。天気予報が出来るぞ」
顔の高さにぷらーんと仔猫を持ち上げて性別を確認すると、蒼紫は嬉しそうに言った。三毛猫なのに雄だとは、随分と希少な猫だ。こんな猫なら、がいくら頼んでも絶対に手離さないだろう。
「え〜?!」
雌なのを理由に里親を探せと言うつもりだったのに、とんだ大誤算だ。蒼紫と暮らすようになったら、文鳥と猫も同居させなくてはならないのかと思うと、は今から頭が痛くなってきた。
の不機嫌顔に気付かないのか、蒼紫は楽しそうに猫の餌の用意をしている。どうやら湯でふやかした煮干を与えようとしているらしい。餌なんか与えたら、猫は益々此処が自分の家だと思い込むだろう。
さっきまで弱々しく震えていたくせに、もう猫は蒼紫に貰った煮干に嬉しそうにかぶりついている。あの今にも死にそうな姿は一体何だったのかと、は猫の首根っこを掴まえて問い詰めたい気分だ。
「そうか、そんなに腹が減ってたのか」
煮干に夢中になっている仔猫の姿に、蒼紫は目を細める。彼ももうすっかり仔猫に夢中になってしまっているようだ。“ちぃちゃん”のことを嫌っているから、小動物は嫌いだと思っていたのだが、それはの誤解だったらしい。
いつもなら不機嫌な様子を見せると、何をおいてものご機嫌取りに終始するくせに、仔猫しか目に入っていないような蒼紫の姿が、彼女には面白くない。が、それは文鳥に夢中になっているを見る蒼紫と同じ立場なのだと気付いて、彼女は今更ながらこれまでの自分の態度を反省した。いくら相手が動物とはいえ、恋人がこれほどまでにいちゃいちゃしていたら、面白かろうはずがないのだ。蒼紫が文鳥を嫌っていたのも、の態度が原因だったのかもしれない。
しかしまあ、猫が飼い主に四六時中纏わりつくのは、仔猫のうちだけだ。大人になったら途端に素っ気無くなる生き物なのだから、が苛々するのは最初の半年くらいだろう。それくらいなら、蒼紫を貸してあげても良いかな、と思う。相手は雄猫なのだ。
―――――などと大人の余裕で生温かく見守っていただったのだが………。
あれから一週間ほど過ぎて、少し太った仔猫を何気無くひっくり返してみると、“あるべきもの”が無かった。ごく稀に、性別が判りにくい仔猫がいるらしいが、どうやら霖霖もそういう猫だったらしい。拾われた時の態度もそうだが、これも見事に騙されてしまったらしい。
やっぱり雌猫だったと蒼紫に訴えても「あー………」と間抜けな返事しかしないし、仔猫はすっかり懐いてしまっているしで、もう里子に出すというのは出来ない。雌猫ということは、これからも蒼紫にべったりと甘えるという可能性もある。
蒼紫の膝の上でごろごろしている霖霖と、その姿に目を細める彼を横目で見ながら、は小さく溜息をつくのだった。
霖霖(りんりん)………雨が長く降り止まない様(光琳社出版『空の名前』より)
というわけで、主人公さんに新たなライバルの出現です。今度は冬季限定ずんぐりむっくりの火鉢君と違って、年中無休の可愛い可愛い仔猫ちゃんです。しかも結構強かなようで、主人公さん、これから大変だな(笑)。
二人が一緒に暮らすようになったら、必然的に霖霖とちぃちゃんたちも同居ということになるわけで、動物の世界も結構大変みたいです。ちぃちゃんたち、無事に天寿をまっとうできると良いですねぇ(黒笑)。