春宵

 今年は寒い日が続いたけれど、ここ数日急に暖かくなったら、いきなり桜が満開になってしまった。の隣の家の小さな桜の木も満開だ。
 小さな桜だけど、桜は桜。朧月がよく似合う。毎年、この桜を肴に少し酒を飲むのが、春の夜のささやかな楽しみだ。今までは一人だったけれど、今年からは一緒に飲む相手がいるから、今まで以上に楽しい。
 蒼紫と二人でどうでも良いようなこと話しながら酒を飲んで、桜と月を楽しむのは、とても楽しい。ただ問題は、つい蒼紫に飲ませすぎてしまうということなのだが。
 蒼紫が飲むのは全く構わないのだが、酔っ払った後が一寸困りもので―――――
「少し冷えてきたみたいだな」
 寒いどころか暖かいくらいなのに、蒼紫はそう呟くとを強引に抱き寄せた。
 こうやって抱き寄せたりベタベタしたがるのが、蒼紫の酒癖だ。暴れたり説教したりするよりはずっとましだし、そうするのはにだけらしいから実害は全く無いのだが、一寸困ってしまう。こうやってぎゅっと抱き締められるのは嬉しいけれど、一寸恥ずかしい。
 だけど、まだ一合も飲んでいないのにもう酔っ払うなんて、いくらなんでも早過ぎる。元々弱い体質である上に、最近は仕事が忙しくて疲れ気味だったから、いつもより酔いの回りが早かったのかもしれない。
 少ししか飲んでいないけれど、やはり酒のせいか蒼紫の身体はいつもより熱い。暖かいのに、こんなに体温の高い身体で密着していると、くっ付いている部分が何となく湿り気を帯びてきているようだ。
「寒い? 中に入る?」
 どうせ断られるのは判っているけれど、一応訊いてみる。
「いや。こうやってくっ付いていれば寒くない」
 そうは言いながらも蒼紫は小さく欠伸までし始めて、一寸眠たそうだ。いつだったかはそのまま転寝してしまって、は部屋に運び入れるのが一苦労だった。
「中に入る? お布団敷くわよ?」
「いや―――――」
 その声と同時に、の視界がぐるんと反転した。
 あれ? と思った瞬間にひんやりとした板が頬に当たる。その冷たさに、漸く自分が横倒しにされたのだということに気付いた。
「え………?! ちょっ………蒼紫っ?!」
 まさか此処で始めるつもりなのかと、は焦った声を上げた。酔っ払って抱き締められるのは嬉しいが、いくらなんでもそれは困る。こんな時間だけれど、隣人が出てこないとも限らないではないか。それ以前に、こんな外も同然の所でだなんて、ありえない。
 これはまずいと起き上がろうとするけれど、蒼紫の腕にしっかりと押さえつけられて、身動きが出来ない。酔っ払いのくせに、凄い力だ。それとも、酔っ払いだからこその力なのだろうか。
「大きな声を出したら、人が出てくるぞ」
 くすくす笑いながら、それでも何処か脅すような声で蒼紫が低く囁く。
 大きな声を出したら、だなんて、蒼紫がこんなことをしなければだって出しはしない。蒼紫の方から仕掛けているくせに脅すように言われて、は理不尽な気分になってむっつりと黙り込む。蒼紫の酒癖を知っていて飲ませたのは悪かったと思うが、それにしたって調子に乗りすぎだ。
 が怒ったことに気配で気付いたのか、蒼紫は抱き締める腕を緩めて、機嫌を取るように髪を撫でる。
「こうやって横になって見たら、月も桜もいつもと違うだろう?」
 優しく囁かれても改めて目の前の風景を見ると、確かに見る角度が違うといつもの月も桜も全く別物のように見える。特に桜は、座って見るよりも大きく立派に見えた。
 いつもと違う風景は新鮮だけど、このまま横になっているのは非常にまずい。普段だったらそんなことはないけれど、酒を飲んで気が緩んでいるのか、横になったら眠くなってしまう。
「一寸眠くなってきたかも………」
 そう言っているの上下の目蓋は既に仲良しになってきていて、これは非常にまずい。横になると酔いが早くなってしまうようだ。
 春特有の眠気を誘う暖かさの中で、背中から蒼紫に抱き締められて、あまりの心地良さにこのまま眠ってしまいそうだ。明日の朝、夜明けと一緒に起きれば隣人には気付かれないだろうし、このまま眠っても良いかなあなんて、甘えたことを考えてしまう。
「うん……俺も………」
 背中から聞こえる蒼紫の声も、殆ど眠りかけている―――――と思ったら、その後に規則正しい寝息が続いて、本当に眠ってしまったらしい。
 今日は暖かいから、外で寝ても風邪を引くことはないだろう。こうやって二人でくっ付いていれば、お互いの体温で布団の代わりにもなりそうだ。
 暖かな風と、薄ぼんやりとした月と、こぢんまりとした桜。甘い酒の香りと蒼紫の匂いに包まれて、こういう夜も悪くはない。
 明日の朝、一寸起きれば問題ないかなと自分に言い訳しながら、は重くなった目蓋をすうっと閉じた。
<あとがき>
 酔っ払い蒼紫、再び! です(笑)。もしかしてわざとやってるんじゃないか、二人とも? だとしたら、本当にバカップルですな。
 夜桜と月を肴にお酒って良いですねぇ。皆でわいわいやる花見も良いですけど、小さな桜を見ながら二人きりでお酒を飲むっていうのも、それはそれでしっとりした“大人の花見”っていうか。やってることは、いちゃいちゃバカップルですが(苦笑)。
 しかしいくら暖かいとはいえ、お酒を飲んで外で転寝(うたたね)なんて、風邪引きますよ。
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