七夕

 斎藤と警視庁から帰る道すがら、やたらと飾りつけられた笹が目に付いて、は今日が七夕であることに気付いた。最近、斎藤にくっ付いて密偵の仕事で飛び回っていたから、今日が何日かということすら忘れていた。
 明日は二人とも久々の非番だし、今夜は斎藤と七夕を過ごしたいなあとは思う。折角笹も半額以下の叩き売り状態になっていることだし、二人でお酒を飲みながら飾り付けをした笹を眺めるというのは、安上がりでいい感じの雰囲気になりそうな過ごし方だ。
 いい感じになった雰囲気とほろ酔い気分に流されて、斎藤と恋人同士みたいになったらどうしようと、はまたありえない妄想に耽りだす。縁側で星を見上げながら、織姫と彦星になぞらえて口説かれちゃったり、そのまま接吻までされちゃったらどうしよう。そういえば友達の一人は、それまではそんなに好きじゃなかった男と七夕の日に一緒に過ごしたら何だか気分が盛り上がっちゃって、そのままなし崩しに付き合い始めて今に至るというのがいた。
 斎藤は今のところ、のことをどう思っているのかはっきりさせないけれど、その友人のように七夕をきっかけにして上司と部下以上の仲になれたらどんなに良いだろう。そんな仲になった二人を想像して、は一人でうっとりしてしまった。
 が、うっとりしている場合ではない。そんなうっとりな状況に持ち込むためには、何が何でも斎藤と七夕を過ごすように持ち込まなくては。
 何気無い風を装って、は斎藤の顔を覗き込むようにして言った。
「ねえ、斎藤さん。今日は七夕らしいですよ」
「らしいな」
 斎藤はそんなことには興味が無いらしく、つまらなそうに素っ気無く答えた。素っ気無い喋り方はいつものことなので、は全くめげる様子は見せず、話を続ける。
「織姫と彦星が年に一度の逢瀬をやるんですよねぇ。良いなあ………」
 感に堪えないようにわざとらしく語尾を延ばして、は斎藤をちらりと見る。が、斎藤は相変わらずつまらなそうな無表情のままだ。どうやらが言いたい事は全く伝わっていないらしい。
 普通ならここまで言ったら話に乗ってきそうなものなのに、とは斎藤に気付かれないように小さく溜息をついた。斎藤が話に乗ってきたところで本題に持ち込もうという作戦だったが、どうやらこれは無理のようだ。
 もしかして故意にその話題から離れているのだろうかと疑いたくなるが、多分素で気付いていないのだろう。この話題を故意に避けるようだったら、と一緒に帰ったりしない。斎藤は感情はあまり表に出さないけれど、人の好き嫌いは意外と激しくて、嫌いな人間は徹底的に遠ざけるのだから。こうしてと一緒に帰るということは、脈が全く無いというわけではないはずだ。
 脈が無いわけではないらしいが、でもそれらしい行動にも出てこない斎藤を見ていると、一体自分をどう思っているのだろうとは不思議に思う。折角の機会だから、今夜こそははっきりさせてやろうと密かに決心した。
 はこっそりと気合入れをして、一寸甘えた口調で言う。
「ねえ、斎藤さん。笹、安くなってるし、斎藤さんの家で七夕をしましょうよ。どうせ家に帰っても何もすること無いでしょ?」
「まあ、それはそうだが………」
 の失礼な物言いに怒る様子も無く、斎藤は相変わらず面倒臭そうに応える。面倒臭そうだが、別に嫌というわけではなさそうだ。
 これは強引に行ったら押し切れる。は畳み掛けるように言葉を重ねた。
「じゃあ、決定ですね! あたし、おつまみ作りますから、お酒も買って帰りましょう!」
 斎藤に口を挟ませないように勢い良くそう言うと、は返事も待たずに笹を売っている店に走った。





 斎藤に軒下に笹を立ててもらって、はうきうきと飾り付けをする。部屋では斎藤が短冊に書くための墨を磨っていて、こうやって二人で準備をしていると恋人気分が盛り上がって予定通りに事が進むのではないかと、そのことにもはうきうきしてしまう。
 やっぱりこういう行事の時には、好きな人と一緒に過ごすのが一番良い。友達と騒ぎながら過ごすのも勿論楽しいけれど、好きな人とこうやって二人きりで静かに過ごすのはもっと良い。斎藤がどう思っているかは判らないけれど。
 今夜はきっと、何組もの恋人たちがこうやって笹を飾って空を見上げるのだろう。そして愛を語り合ったりして、その後は二人でしっぽり………なんて展開になるのだろうが、自分たちはどうだろうとは考える。流石に今夜は此処に泊まるなんてことは無理だけど、接吻までだったら良いかな、なんてまだそんな兆候も無いのに勝手に考えて、勝手に頬を染める。
 もしもの時のために、後で化粧直しをしておこうか。でも、あんまり念入りに化粧直しをしているといかにも準備万端という感じで、いくら斎藤でも一寸ひいてしまうかもしれない。そんなことを考えているうちに、飾り付けが完成した。
「ねー、斎藤さん。墨、磨れました?」
 飾り付けの次は短冊書きだ。は跳ねるような足取りで部屋に入ると、斎藤の横に座った。
「ああ」
「じゃあ、これに願い事を書いて下さいね」
「願い事って………」
 短冊を半分渡され、斎藤は心底嫌そうな顔をした。今年で34になったというのにお星様にお願いなんて、やってられるわけがない。
 大体、いい歳して七夕をやるというのも、本当は馬鹿馬鹿しくてやってられないと思っているくらいである。今日はがどうしてもやりたそうな素振りを見せるから付き合っているだけで、それが無かったらいつもと同じように夕飯を食べて寝るつもりだったのだ。
 こういうのはみたいな若い娘がやるから絵になるし可愛らしいと思うのであって、人相の悪いおっさんがやったら気色悪いだけだと、斎藤は自分でも思う。こんなことになるんだったら断れば良かったかと思ったが、そうするとが必要以上にがっかりしそうでそれもできない。部下が喜ぼうががっかりしようがあまり関心を持たない斎藤だが、なぜかががっかりする姿は見たくないと思うのだ。
 とはいえ、ここまで付き合ってやったのだから、“お星様にお願い”は勘弁してもらいたいと思う。というか、どうして星に願掛けをするのか斎藤にはその理屈が判らない。
「逢い引きで浮かれまくっている奴らに願い事をしたって、叶うわけないだろうが」
 心底呆れたように斎藤は言うが、は全く気にしていないように、
「逢い引きできてご機嫌だから、願い事を叶えてくれるんですよ」
「つか、奴らは星だろ。星が逢い引きするという時点でおかしい」
「そんな夢の無いこと言わなくったって………」
 さっきまで楽しそうだったの顔が急に沈んでしまった。ここまで現実的なことを言われたら、盛り上がっていた気持ちが萎むのも当然だろう。
 斎藤の口から夢のある言葉が出てくるとは期待していなかったが、それでもここまで打ち砕かなくても良いじゃないか。面白く無さそうにぷぅっと頬を膨らませると、は筆と短冊を取った。
『斎藤さんが、もっと夢のある人になりますように』
 その短冊を盗み見て、斎藤も筆も取る。
『仕事中に妙な妄想をしない、現実的な部下が欲しい』
 妄想癖がバレていたのかとは一瞬顔を紅くしたが、今はそれどころではない。もう一枚短冊を取って書く。
『優しい上司が欲しいです』
『気の利く可愛い部下が欲しい』
『部下の気持ちを解ってくれる、空気の読める上司が欲しいです』
『物静かで大人な部下が欲しい』
 言いたいことがあるなら口で言えば良いのに、二人とも大人気ない。双方が意地になっているらしく、一言も口を利かずに短冊を書き続ける姿は、傍から見たらいい大人が真剣に願掛けしているみたいで異様である。
 相手が書けばすかさずこちらも書き返すという無言の口喧嘩状態が暫く続いたが、それを繰り返しているうちに最後の一枚になってしまった。本当の願い事を書きもしないままこんなことになるとは。半分は自分もやったことなのに、は唖然としてしまった。今から新しい短冊を買いに行こうにも、紙屋はもう閉まっている。
「斎藤さんがくだらないこと言うから、これだけになっちゃったじゃないですかぁ」
 最後の一枚を手に取って、は斎藤を上目遣いに睨んだ。
「お前がくだらないこと書くから、こうなったんだろうが。じゃあそれはお前が書け」
 全然悪いとは思っていないように、斎藤は憮然として応える。
「うーん………」
 最後の一枚だと思うと、は真剣に悩んでしまう。願い事は短冊一枚につき一つだけだし、うっかり書き損じも出来ないのだ。
 願い事は山のようにある。長期の休暇を取って旅行に行きたいとか、お金持ちになりたいとか、少し痩せたいとか、でも胸は大きくなりたいとか、今更無理だろうけれど斎藤とつり合うくらい背が高くなりたいとか。考えればキリが無い。は妄想も多い人間だが、同じくらい煩悩も多いのだろう。
 数ある中で一番切実な願いを書こうと眉間に皺を寄せて真剣に考えるが、どれもこれもにとっては切実な気がして、本当に叶えたい願いが何なのか自分でも判らなくなってくる。
 穴が開きそうなほどじっと短冊を見ているを、斎藤もじっと観察している。ここまで真剣に何かを考えるを見るのは初めてのことだから、どんな願いを書くのか気になっているのだろう。
 その視線に気付いて、は斎藤をチラッと見ると、一気に短冊に書いた。
『斎藤さんとずっと一緒にいられますように』
 短冊を見て、斎藤は驚いたように目を見開いた。次いで、目の縁を淡く染めて、困ったような照れたような顔をする。
 いつも無表情の斎藤がそんな顔をするのが可笑しくて、少し大胆だったかなと思いながらも、は彼の言葉を待つように顔をじっと見た。
 早く何か言わないかとそわそわして待っているの視線に耐えかねたのか、斎藤はますます困った顔をして視線を逸らした。そして、ぶっきらぼうな声で、
「そんな事、わざわざ書かんでも良いだろう。お前が嫌にならん限り、ずっと一緒だ」
 まるで愛の告白のような斎藤の言葉に、今度はが真っ赤になってしまった。それは、上司と部下として一緒という意味ではなく、斎藤とという個人としてずっと一緒という意味に取って良いのだろうか。もしそうなら嬉しい。死ぬほど嬉しい。
 真っ赤な顔のまま、は短冊をきゅっと握り締める。
「短冊下げる前に、叶っちゃった」
 子供のように顔をくしゃくしゃにして、はえへへと笑った。
<あとがき>
 何だか主人公さん、妄想系のくせに積極的です。押しの一手で斎藤を落とす気でしょうか。
 初出の時は二人の無言の口喧嘩に反応が良かったです。『お題小説』の“困らせたい”も評判が良かったところを見ると、斎藤でお笑いというのは意外とイケるみたいですね。やはり原作ではあんな人が………というのが良いのでしょうか。つか、ギャップあり過ぎだって(笑)。
 Web拍手を導入した時に3秒で考えた主人公さんですが、氷高は結構気に入ってます。出来ればこと主人公さんで12ヶ月やっていきたいと思ってますので、これからもよろしくお願いします。
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