猫の恋

 の家の近辺は猫を飼っている家が多い上に、野良猫も多い。似たような模様の猫が集まって集会を開いているのをよく見かけるのだが、ああいうのは模様によって派閥があるのだろう。は文鳥を飼っているが猫も好きで、家で飼えない分、他所の猫を観察して楽しんでいる。
 さて、春先になると猫たちの恋の時期だ。夜になるとあちこちで子供の泣き声に似た相手を呼ぶ鳴き声や、雌を巡る喧嘩の声が聞こえる。動物は人間と違って、そういう時期は年に二回しかないのだから、多少うるさくても大目に見てやろうとは思っていた。去年までは。
 去年の秋の発情期までは、の家から少し離れたところに集まって相手を探していたようなのだが、今年は彼女の家の庭がお見合い会場に選ばれてしまったらしく、毎晩数匹の猫が集まってきているのだ。きっと昼間のあの集会で猫たちに連絡が回っているたのだろうと、は思っている。
 そして今夜も、愛を語り合っているのか甘ったるい鳴き声や、恋の鞘当のような殺気立った声が雨戸の向こうで響き渡っている。そしてその声が恐ろしくてたまらないのか、文鳥たちも怯えるようにちぃちぃ鳴き出して、家の中も外も大騒ぎだ。
「あーっ!! うるさいっっ!!」
 それまで大人しく布団に横になっていた蒼紫が、急に身体を起こして怒鳴った。
「一体何なんだ、これは?! こんなにうるさくては眠れないじゃないか」
 苛立ちも最高潮といった感じで、蒼紫は両手で耳を塞ぐと、もう一度乱暴に布団に倒れこむ。けれどそんなもので猫の声を防げるはずはなく、今度は癇癪を起こしたように何度も寝返りを打った。
 いつもは物静かな蒼紫がこんなに声を荒げるなんて初めてのことだ。それだけ猫の声が耐え難いということなのだろう。確かに発情期の猫というのは、一寸癇に障るような声だと猫好きのも思う。あまり動物に興味が無い蒼紫なら尚更だろう。
「ここ何日か、ずっとこうなのよ。どうやらうちが猫にとっての逢い引きの名所らしいわ。お陰で明け方まで眠れないの」
 猫の声を遮るように頭から布団を被って、は溜息混じりに答える。こうやって喋っている間にも猫たちは凄まじい声で鳴いていて、下手をすると彼女の声も掻き消してしまいそうな勢いだ。よくもまあこれだけ鳴けるものだと、は疲れ切った溜息をつく。
 猫はこの時期しか恋ができないし、短期間で相手を見つけて繁殖をしなければならないのだから、必死なのだろうということはにも解ってはいる。解ってはいるのだが、それにしたって少しは遠慮して欲しいものだと思うのだ。あんな小さな体からどうしたらこんなに凄い声が出せるのだろうかと思うような声を出して、もう気が狂いそうだ。これがまだ何日も続くのかと思うと、ぞっとする。
 ぞっとするけれど、あの声を聞いていると何だかは妙な気分になってくる。発情した猫の声は子供の泣き声にも似ているけれど、人間の“あの時”の声も連想させるのだ。今の猫たちの声も、閨の中での女の声も、発情した時の声というのは同じだから似ているのだろうか。ずっとこの声を聞いていると、身体の奥がぞわぞわするというか、の中に住まう何かが目覚めようとしている感じがする。
 身体の中のざわめきを誤魔化すようにもぞもぞしながら、はそっと布団から顔を出して蒼紫の様子を窺う。少しでも音を遮断しようと思っているのか、蒼紫は掛け布団にしっかりと包まって、巨大な芋虫のようになっていた。さっきまで癇癪を起こしていたくせに、もう眠ってしまったのか、じっと動かない。
「………蒼紫」
 蒼紫の布団に片手を差し入れて、そっと声を掛けてみる。と、その声に反応するように、の手首が優しく掴まれた。
「どうしたんだ?」
 布団の端がそっとめくられて、楽しそうに笑う蒼紫の顔が覗いた。どうやらまだ眠ってはいなかったようだ。
「うん………」
 どうしたいのか言葉で伝えるのは恥ずかしくて、は淡く頬を染めて俯く。猫の声に刺激されて人肌が恋しくなったなんて言ったら、いつもそういうことを考えているみたいではないか。
 黙ったままもじもじしているの姿で全てが伝わったのか、蒼紫はくすくすと小さく笑いながらを自分の布団の中に引き入れた。
 布団の中は蒼紫の匂いがして、はそれだけで胸がきゅうっとしてくる。蒼紫は西洋人のように香水を付けたり、香を焚き染めることもしないけれど、でもの胸を切なくさせるような不思議な匂いがする。
 その匂いに誘われるように、は躊躇いがちに蒼紫に抱きつく。自分から抱きつくなんて、普段は恥ずかしくてできないけれど、今夜は特別だ。いつもは素っ気無い猫でさえ、あんなに甘ったるい声で相手を呼ぶ夜なのだから。
「今日は積極的じゃないか。猫に刺激された?」
 からかうようにくすくす笑いながら、蒼紫はの額や頬に何度も口付ける。こうやっての方から求めてくるなんて滅多に無いから、嬉しくてたまらない。
 そうしてやるとは恥ずかしそうにますます身を小さくして、体温が上がっていくのが寝間着越しにも伝わった。積極的なくせにこうやって恥らうのが可愛らしい。こうやって恥ずかしがる姿をもっと見たくて、蒼紫は今度は耳朶に口付けながら熱っぽく囁く。
「今夜は外の猫みたいに啼いてみて。のそういう声、聞いてみたい」
「あんな声………?」
 びっくりしたように顔を上げて、は恥ずかしそうに訊き返す。いつもは蒼紫の身体に口を押さえつけて声を殺しているくらいなのだから、あんな我を忘れるような声を出すには抵抗があるのだ。
 けれど、我を忘れたらあんな声を出せるかも、といつもなら思いつかないような大胆なことを考える。我を忘れるくらい夢中になったら、何も考えずに外の猫のような声が出せるかもしれない。
「じゃあ、あんな声出させて。自分を忘れちゃうくらいにして」
 言ってしまって、は一瞬で顔を真っ赤にしてしまった。こんなことをサラッと言ってしまうなんて、どうかしている。やっぱりあの猫の声に刺激されてしまっているみたいだ。
 言われた蒼紫も、の大胆発言にびっくりしたように小さく全身を強張らせる。いつもよりも凄いのをおねだりされているのも同然なのだから、男としては責任重大だ。
 けれど、いつもは慎ましやかながあんな声を出して乱れる姿は見てみたい。慎ましやかなだけに、我を忘れさせるのは大変だろうけれど、でもどうやってそうなるように仕向けようかと想像すると、始める前から蒼紫は楽しくてたまらない。
 の身体を抱きやすいようにもぞもぞと体勢を変えると、蒼紫は改めて身体を密着させる。そして、ちゅっと額に口付けて、
「大変そうだけど、頑張る」
 蒼紫が頑張ったら、大変なことになりそうである。けれど彼の頑張りに期待をしてしまう気持ちも間違いなく存在して、は笑いながら猫のように身体をすり寄せるのだった。
<あとがき>
 何をどう頑張るんですか、御頭………? っていうか、何処まで突っ走るんだ、このバカップルは(苦笑)。これじゃあ片足“裏”に突っ込んでるも同然なんですけど。
 “猫の恋”というのは春の季語にちゃんとあるんですよ。あと、“孕み猫”とか“浮かれ猫”というのもあります。犬はなくても猫はあるのが不思議なんですけど。犬の方が、人間との付き合いは長いのにね。やっぱり猫の方が艶っぽいイメージがあるからでしょうか。
 で、我が家も実は主人公さんの家と同じく、猫のデートスポットになっています。もうあれはね………誰か何とかしてくださいよ(涙)。本当に凄いんですよ。頼むからお前ら他所でやってくれ、って感じです。
 流石の蒼紫も猫の声にはキレ気味ですが、でもこんな特典が付いてきたら悪い気はしないでしょうね。むしろ、猫のデート推奨?(笑)。
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