兎の恋

 川路大警視の令嬢の試験が近付いて、斎藤の家にまた黒兎のラビがやってきた。前回預かった時は、「寂しそうにして元気が無くなった」と一日で突き返したのだが、今回は彼の家にも野兎がいるから寂しくないだろう、と再び押し付けられたのだ。
 愛玩用だから小さいと思っていた黒兎だが、最初に預かった時はまだ仔兎だったらしい。前回に比べると二回りくらい大きくなっていた。それでも改良種だから野兎より少し小さくて、そのせいか黒兎はいつもの兎の後ろを付いて回っている。
 二羽の兎が家の中を追いかけっこしたり、お互いの上に乗りあってじゃれ付いている姿を見るのが、は楽しい。ただ、兎同士の付き合いが大事なのか、彼女が構おうとすると両方とも鬱陶しそうにするのが、少し不満だけれど。
「ラビちゃんと兎さん、仲良しですねぇ」
 じゃれあってころころ転がっている二羽を見ながら、は新聞を読んでいる斎藤に話しかける。けれど斎藤は兎にはあまり関心は無いようで、新聞から目を離さずに生返事を返す。
「ああ、そうだな」
 斎藤の態度を見ていると、どうして彼は兎を飼っているのだろうと、は常々不思議に思う。足に怪我をしていたから可哀想で拾ってきたと言っていたが、世話をするのも遊んでやるのもに任せっぱなしなのだ。たまに気が向いた時は少し身体を撫でてやるようだが、特に可愛がっているという様子も無いし、あまり良い飼い主には見えない。お陰で野兎はすっかりに懐いてしまって、斎藤の家にいるのに彼女の兎のようになっているのだ。
 何度か斎藤に、兎を下さいと頼んだことはあるのだが、世話をするのは面倒だけど人にあげるのも嫌らしい。何度が頼んでも、此処に置いていても好きなだけ触らせてやっているのだから良いだろう、とにべも無く断られてしまうのだ。としては、どうせなら一日中兎と一緒にいて、食事をするのも寝るのも一緒という生活をしたいのだが。
 そんなことを考えていると、黒兎が後ろからの兎の上に乗ろうとしているのに気付いた。いつもなら黒兎が乗ろうとすると、その前に野兎が逃げて、逆に黒兎の上に乗ろうとするのに、今回は珍しくされるがままになっている。
 白い野兎の上に黒兎が乗っている様は、まるで団子の上に餡子が乗っているみたいでの笑いを誘う。野兎が黒兎よりも大きくて、しかも丸々として座っているから尚更だ。
「ねぇ、斎藤さん。兎さんの上にラビちゃんが乗って、餡ころ餅みたいになってますよ」
「あー。そりゃ良かったな―――――って、おいっ!!」
 それまで無関心だった斎藤が、兎たちの姿を見て驚いたように新聞を投げ出した。そして慌てて二羽を引き離しにかかる。
 黒兎は引き剥がされまいと必死に野兎にしがみついていたけれど、流石に斎藤の力には敵わなくて、すぽっと引き離されてしまった。それでも抵抗するように、手足をじたばたさせて暴れる。
 じたばたしている黒兎を持ち上げたままひっくり返して、斎藤はいきなり眉を顰めた。
「こいつ、サカリが付いてるじゃないか。川路さんもとんでもないものを押し付けてくれたな」
「サカリ? どうやって判るんですか」
「お前は見なくて良いっっ!!」
 不思議そうに腹を覗き込もうとするから黒兎を慌てて隠して、斎藤は真っ赤な顔をして怒鳴った。こういうものは、嫁入り前の娘が見るものではない。
 斎藤はまだばたばた暴れる黒兎を段ボール箱の中に詰め込むと、それだけでは足りないと思ったのか押入れの中に入れてしまう。それから、急にいなくなった黒兎を探すように周りを見回す野兎も箱詰めにして、こちらは隣の部屋に持って行くとぴしゃりと襖を閉めた。
「これでよし」
 押入れと隣の部屋から抗議をするようにバタバタと暴れる音がするけれど、斎藤は満足げな顔をすると改めて新聞を読み始めた。
「斎藤さん。兎さんたち、可哀想ですよ。大好きな相手と引き離されたら、寂しくて死んじゃうかも」
 兎たちが暴れる音など聞こえていないように平然と新聞を読んでいる斎藤の腕をゆさゆさ揺すりながら、は悲しそうな顔をして訴える。
 折角仲良く遊んでいたのに突然引き離されるなんて、可哀想過ぎる。兎は寂しいと死んでしまうと斎藤も言っていたではないか。こんなに仲良しの二羽を引き離してしまったら、寂しさのあまり弱って死んでしまうかもしれない。
 けれど斎藤は全く意に介していないように、平然として、
「一日このままにしていたら、相手のことなんか忘れる。動物というのはそういうものだ」
「でもぉ………」
 黒兎は野兎のことが大好きで大好きで、いつも後ろを追いかけているくらいだし、野兎だってそんな黒兎が大好きみたいなのに、そんな簡単に忘れられるはずがない。いくら兎があまり賢くない生き物だといっても、大好きな相手のことは絶対に忘れられないとは思うのだ。彼女だってあまり賢くはないけれど、斎藤と無理矢理引き離されたら、10年経っても悲しい。
 押入れと隣の部屋からは、相変わらず兎が暴れる音が聞こえてきて、兎が鳴く生き物だったらきっと悲しげな鳴き声を上げ続けていたことだろう。鳴けないだけに必死に暴れているようで、その音を聞くとは胸を締めつけられるように悲しくなってくる。
 悲しそうな顔をするに、斎藤は眉間に皺を寄せてじろりと一瞥する。
「お前はうちを兎屋敷にするつもりか? あいつら、一度に5、6羽は産むんだぞ」
 好き合っている二羽を引き離すのは可哀想、と言うのは簡単だ。けれど、仲が良くなって子供でも生まれた日には、一体どうしてくれるのか。一羽や二羽であれば、誰か貰い手もあるだろうし、最悪斎藤が引き取っても問題は無い。けれどそれ以上になったら貰い手を探すだけでも大変だし、親子共々養うとなったら家中を齧られて大家から追い出されてしまう。兎ごときで住む所まで失ってはたまらない。
「それは………」
 それを言われると、も黙るしかない。仔兎は可愛いけれど、それだけの数になると大変だ。の家と収入に余裕があれば全部引き取ってやっても良いけれど、今の時点では不可能である。“可哀想”や“可愛い”だけでは動物は飼えない。
 無理矢理引き離された兎たちと、それに対して何もしてやれない自分の不甲斐なさが悲しくて、はしょんぼりしてしまう。兎たちは疲れることを知らないように暴れ続けていて、動物も動物なりに悲しいのだろう。だって、外からの力で無理矢理斎藤と引き離されてしまったら、きっとあんな風に暴れるだろうし、大声で泣き叫ぶと思う。
 想像だけで目まで潤ませているを見て、斎藤は困ったように苦笑して彼女の頭に手を置く。
「サカリの時期が過ぎたら、また会わせてやる。一生会えないわけじゃないんだ」
 人間と違って、動物は子作りをする時期が決まっている。その時期さえやり過ごせば、二羽をくっつけておいても何一つ問題は無いのだ。一番会いたい時期に引き離されるのは可哀想だとは斎藤も思うが、子供が出来たら捨てるか始末するしかないのだ。そっちの方がもっと可哀想だろう。
 斎藤の言うことはにも解っているけれど、でもやはり兎たちの暴れる音を聞くと悲しくなってくる。後で会えるとは解っていても、一番会いたい時に会えないのはやっぱり悲しい。
「でも、あたしだったら、一時でも斎藤さんに会えなかったら悲しいですよ」
 ぽろっと言葉が零れて、は慌てて口を押さえた。こんなことを言ったら、愛の告白も同然ではないか。恥ずかしくて、もう消えてなくなってしまいたい。脳が心臓になったみたいに頭の中がばくばくして、耳まで真っ赤になってしまう。
 言ったことに嘘は無いけれど、そうなだけには恥ずかしくてたまらない。斎藤がどんな顔をしているかと想像したら、ますます恥ずかしくて顔が真っ赤になって、目まで潤んできた。
「あー………」
 真っ赤になって俯いているを見て、斎藤は困ったように小さく声を上げた。
 はいつも“好き”という感情を解りやすいくらいに表現していて、それがまた斎藤には可愛かったりするのだが、ここまで直球をぶつけられると反応に困ってしまう。勿論、困るのは“反応に”だけで、それ以外は全く問題ないのだが。
 普通だったらこれくらいのことはサラッとかわせそうなものなのだが、どうもが相手になるとそれができない。聞き流してしまうと、それで彼女を悲しませてしまいそうな気がする。子供のように素直で真っ直ぐな娘だから、駆け引き無しできちんと受け止めてやらないと、斎藤に嫌われたと誤解してしまいそうなのだ。
 そうは思っていても、何か言うも気恥ずかしくて、斎藤はそのまま低く唸ってしまう。のように素直に自分の気持ちを口に出せればこれほど楽なことは無いのだが、そうするには邪魔なものを彼は持ちすぎている。
 見ると、はきゅうっと身を小さくして、真っ赤な顔で俯いている。恥ずかしいのか気まずいのか、大きな目は今にも涙が零れ落ちそうなほど潤んでいて、これは何か言ってやらないと本当に泣いてしまいそうだ。
 斎藤は緊張を解すように大きく息を吐くと、思い切って口を開いた。
「まあ、俺たちは人間だから、お互いが会いたいと思った時はいつでも会える。お前が会いたいって言うなら、何処にいても会いに来てやるから安心しろ」
 つまらなそうな声を装っているが、一言一言言うたびに心臓が破裂しそうだ。たかだかこれだけのことを言うのにここまで緊張するなんて、と自分でも可笑しいが、こういうのも悪くはないと斎藤は思う。と一緒にいると、初めて女を好きになった頃の気持ちを思い出せて、それは意外と楽しい。
 が、びっくりしたような、きょとんとしたような顔でに見上げられると、急に自分の言ったことが恥ずかしくなって、視線を逸らしてしまう。こうすると照れているのが一目瞭然で、余裕が全く無いのがにも伝わってしまうのも解りきってはいるのだが。相手が彼女以外の人間なら、内心どんなに動揺していても鉄の無表情を通すことができるのに、何故かの前では調子が狂ってしまう。
 この言葉はもう聞き流せと念じるが、はまだ大きな目で斎藤の表情をじっと観察している。大人の女であれば、冗談のように茶化したり、そうでなくても気の聞いた言葉の一つも言って空気を変えることができるだろうに、そういう技術はまだ持っていないらしい。
 照れ臭いのと恥ずかしいので、斎藤の顔はだんだん苦虫を噛み潰したような表情になっていく。それでも目の縁は紅くなっているのだから、怒ったような顔もいつもの迫力は無い。
 が、ここまできてやっとも、斎藤の雰囲気を察して慌てて顔を伏せる。伏せたまま、照れている斎藤が可愛らしく思えて、顔がにやけてきた。照れる彼を見るのは初めてではないけれど、あの顔は何度見ても嬉しい。そしてずっと年上だけど、照れた斎藤は可愛いと思う。
 本当の恋人だったら、こういう時は抱きついたり頬に接吻をしたりするんだろうなあ、と思うのだが、まだ二人はそういう関係ではないので、は衝動を抑える。けれどそっと動いて、腕がくっ付くかくっ付かないか位の微妙な距離で、斎藤の隣に座った。
「あたしたち、人間で良かったですね」
 兎たちのようにぺったりとくっ付くことはまだ出来ないけれど、こうやっていつでも隣に座れるというのは幸せなことだ。まだそっぽを向いている斎藤を見上げて、はふふっと小さく笑った。
<あとがき>
 黒兎のラビちゃん再登場です。そうか、ラビちゃん、雄だったのか………(←今更?!)。っていうか、家にいない時もきっちり離れ離れにしておかないと、斎藤宅は兎屋敷一直線です。新聞を読む斎藤の周りで、小さい兎たちがぴょんぴょんしているのも、それはそれで笑える絵ですが。
 実は、「朝、目を醒ましたら兎さんのダンボールハウスの中にネズミみたいな仔兎たちが蠢いていて、斎藤愕然」というネタも考えていたんですが、この仔兎をどうするか考えるのが面倒になって、却下。まあ斎藤のことだから、仔兎を全部川路大警視のところに持って行って「父親なんだから認知しろ!」って押し付けそうだけど(笑)。
 ところで兎は、交尾の刺激で排卵をするので、一度交われば必ず妊娠するのだそうです。だから兎は西洋では精力絶倫の象徴とされていて、「PLAY BOY」のマスコットなんですね。可愛い形してやるなあ、兎………。
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