元旦
目が醒めると、もう朝になっていた。除夜の鐘を聞きながら蕎麦を食べた後、少し寝てから二人で初日の出を見ようと約束していたのに、すっかり寝過ごしてしまったようだ。隣で寝ている蒼紫にいたっては、朝が来たのにも気付いていない様子で熟睡している。まあ、過ぎてしまったことは仕方がない。時間を戻すなんてことは出来ないし、蒼紫と二人で初日の出を見るというのは来年もできるのだ。そう思い直して布団の中で大きく伸びをすると、は蒼紫の方に寝返りを打った。
温かな布団の中で、意味も無く蒼紫と身体をくっ付けているこの時間が、には何よりも幸せな一時だ。寝間着を着たままで、別に何をするというわけではないけれど、ただこうやってぺったりとくっ付いているだけで、胸の中がくすぐったいような不思議な気分になる。
今日は御節も枕元に用意しているし、元旦だけは竈の神様を休ませるために料理をしてはいけないと昔から言われているし、その気になれば一日中布団の中で過ごせる状態にはなっている。毎朝の文鳥の世話も、昨日のうちに水と餌は十分すぎるほど籠の中に入れておいたから、今日一日何もしなくても大丈夫だろう。
折角の正月なのだから、今日だけは布団の中でダラダラ過ごしてみようかと、いつものらしからぬことを考えてみる。否、ここまで完璧に準備を整えていたのだから、昨日からもう、ダラダラ過ごすつもりでいたのだろう。いつもは布団の中で昼間で過ごそうとする蒼紫を叱っているだが、今日だけは特別だ。
そうやってもぞもぞと動いていると、寝ていたはずの蒼紫から急に抱きすくめられた。
「あっ………?!」
「明けましておめでとう」
口許を綻ばせて、蒼紫はを抱く力に力を込める。寝起きのはずなのにその表情はすっきりしていて、熟睡していると思っていたのは狸寝入りだったらしい。
「お……おめでとう」
突然のことに驚いて目をぱちぱちさせながら、は蒼紫の顔を見る。
いきなり抱き締められて一寸驚いたけれど、でもこうやって遅い朝を蒼紫と二人で過ごせるのは嬉しい。去年の正月は独りで起きて独りで御節を食べて、独りで初詣に行って、とても静かな正月だったから。そういう静かな正月も別に嫌ではなかったけれど、でもこうやって好きな人に抱き締められて迎える正月は嬉しい。
新年早々、しかも朝っぱらから布団の中で男に抱き締められて迎えるのは一寸ふしだらかなと思わないでもないけれど、たまの正月くらいは良いかな、と思い直す。初日の出も拝まずに、もしかしたら初詣にも行かないかもしれないけれど、蒼紫と過ごす初めての正月はそれでも良いかもしれないと、は一寸だらしないことを考えてみる。
「ね、蒼紫………」
今日は特別な日だから、の方から蒼紫に抱きついて、その胸に頬擦りをする。いつもなら恥ずかしくてできないことだけど、今日だけは特別だ。
小さな子供のようにすりすりすると、今度は蒼紫がびっくりしたらしく、を抱く腕が小さく強張る。今までこんなことをしたことがなかったのだから、当然だ。けれどすぐに、嬉しそうにぎゅっと抱き締めた。
「今日はずっと、こうしてようか」
「そういうだらしないことはしないんじゃなかったのか?」
甘えるような舌足らずな声で言うの提案に、蒼紫がからかうように意地悪く応える。
いつもは蒼紫がこうやってべたべたすると「駄目」なんて窘めるが、今日は珍しく自分から摺り寄ってきて、口では意地悪を言いながらも嬉しくてたまらない。すりすりしてきたり、意味も無く身体をぺたーっとくっ付けてみたり、まるで猫みたいだ。そういえばの抱き心地は、少し猫に似ている。
が腕の中でもそもそ動いて、蒼紫の背中に両腕を回すと、更に身体をくっつけてくる。そして一寸拗ねたような上目遣いで、
「こうするの、嫌?」
悲しそうな、でも一寸媚を含んだ上目遣いで見られると、今でも蒼紫はドキドキしてしまう。普段のは歳の割には落ち着いた表情をしていて、それはそれで蒼紫の好きな顔なのだが、こういう媚を含んだ顔も仔猫を思わせて可愛いと思う。
だから蒼紫は、猫を撫でるようにの髪を撫でてやる。彼女の髪は冷たくてするするしていて、指を通すととても気持ちが良い。の身体は何処も好きだけど、この髪が彼は一番好きだ。二人でこうやってくっ付いている時は必ずこうやって髪を撫でていて、時々に呆れられているけれど、でも彼女も髪を撫でられるのは好きなようだ。蒼紫の指が通る度に、気持ち良さそうに目を細めている。
こうやってと密着して髪を撫でていると、何となくそういう雰囲気になってきた。いつもならコトに持ち込もうとすると拒否されるけれど、今日のはいつもと違うようだし、誘ってみようかと思う。
「折角なら、もう少し違うことをしたいなあ」
ちゅっとの頬に口付けながら、蒼紫はくすくすと笑って言う。
「んー?」
蒼紫の囁き声は熱っぽく湿り気を帯びていて、何を求められているかはにも解りきっているが、わざと惚けてみせる。今日は特別に朝からしても良いと思っているけれど、それを表に出すのはやっぱり恥ずかしいのだ。
惚けた振りをしてくすくす笑うの唇に小鳥が嘴をぶつけるような口付けを繰り返しながら、蒼紫がそっと寝間着の帯を解き始める。もそれには気付いているが、相変わらず気付かない振りだ。
新年早々こんなことをするなんて一寸ふしだらかな、という思いが一瞬だけの頭を過ぎったけれど、でも新年早々こういうことをすれば一年中仲良しでいられるような気もする。それに新年早々蒼紫に求められるのは、やっぱり嬉しい。
「今日は嫌がらないのか?」
いつもと違って大人しくされるがままになっているの様子を不審に思ったのか、蒼紫は手を止めて不審そうな顔をする。
そういう風に改めて訊かれると、も急に恥ずかしくなってきた。こういう時は何も言わずにさっさと始めてくれれば良いのに。蒼紫がこういうことにはあまり手馴れていないことは前から解っていたけれど、でもこれはあまりにも無粋というものだ。
だけどそういう無粋なところも蒼紫らしくて可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱味といったところか。無粋で不器用で、つまらないことにもいちいちにお伺いを立てるような生真面目な彼を、は好きになったのだから。
でも、今年はもう少し手馴れてくれれば良いなあ、とは密かに願う。無粋で不器用な蒼紫も可愛いけれど、でもいつまでもこれでは一寸困る。
そんな思いも込めて、は紅い顔をして俯いたまま呟いた。
「………ばか」
正月早々馬鹿二人(笑)。朝っぱらから何やってるんでしょうね、この二人は。ま、仲良きことは美しきことかな、ということで。
しかし蒼紫、年末年始は『葵屋』にいなくても良かったのか? それとももう、『葵屋』では頭数には入れてもらっていないのか。“50のお題”の頃にも、いつの間にやら夕御飯を用意してもらえなくなっていたし(“空気”参照)、もう主人公さんの家の子になったと認定されているんでしょうか。
朝っぱらからこの調子じゃ、この二人は初詣なんか行かないんでしょうね。明日の朝までこうやって布団の中でベタベタしていたら、ある意味凄いけど(笑)。