七夕

 そういえば今日は七夕だったかと、蒼紫と二人で歩きながらはふと思った。笹を買って帰る親子連れや、綺麗に飾り付けられた笹を軒先に置いている家をやたらと見かける。
 ああいう風に笹を飾ったのはいつが最後だっただろう。子供の頃は確かにやっていたが、一人暮らしをするようになってからはそんな行事にも無縁な生活になっていた。一緒に見てくれる家族も、見に来てくれるような人もいないのだから、わざわざ笹を買ったりしない。それにあれは、その日は良いけれど、次の日に始末に困るのだ。
 笹を飾られている家を見ると、きっとあの家の中には幸せな家庭があるのだろうなあ、とは一寸切なく思う。夫がいて子供がいて、そういう人生が本当はあったのだと、改めて思い知らされるような気がした。
「笹、飾るなら買いましょうか?」
 塀から見え隠れする他人の家の笹をじっと見ているに気付いて、蒼紫が尋ねた。
 その声にはっとしたように、は慌てて笑顔を作る。
「いいえ。一人暮らしの家ですし」
 笹を飾ったところで、誰も見に来てはくれない。友人たちは今夜は家族か恋人と過ごすらしくて、の相手をしてくれるような暇人はいないのだ。
 こういう時、一緒に暮らす家族がいれば良いなあと思う。家族でなくても、一緒に夜を過ごす人がいればどんなに楽しいだろう。蒼紫とはまだそんな関係ではないけれど、来年の七夕には一緒に過ごせるようになっていれば良いなあ、とは思う。
 もの欲しそうな顔をして見ていたくせに断るを不思議に思いながらも、蒼紫はそれ以上は突っ込まない。代わりに空を見上げて、
「今夜は曇りそうですね。星も見えないかもしれない」
「まあ……それは残念」
 も一緒になって空を見上げる。確かに蒼紫の言う通り、夏の空にしては雲が多いようだ。蒼紫の天気予報は当たるから、今夜は本当に曇るかもしれない。
「年に一度しか会えないのに、これでは逢い引きが出来なくなってしまうわ」
 まるで自分のことのように、は残念そうな声を上げた。
 と蒼紫が会うのは、二人の休みが重なった日だけだから、大体週に一度くらいだ。それでもには物足りないような気がしているのに、年に一度だけ、しかも決まった日にしか会えない空の上の二人は可哀想だと思う。おまけに、天気が悪ければ逢い引きは来年に持ち越しになるのだ。自分がそんなことになったら、きっと寂しくて耐えられないとは思う。
 少し寂しそうなの横顔を見て、蒼紫は小さく口許を綻ばせた。落ち着いた風情のの口からそんな可愛らしい発言が出るなんて、意外だった。
「随分と可愛らしいことを言いますね。星は雲の上にあるのだから、天気なんか関係ないでしょう」
「それはそうですけど………」
 蒼紫の指摘に、は恥ずかしそうに唇を尖らせた。
 冷静に考えれば星は雲の上にあるのだから、地上の天気がどうであろうと関係ない。それに、は知らないけれど、蒼紫の話によると、同じ日でも北海道と九州では天気が違うらしいのだ。だから、京都が今夜曇っても、晴れている何処かで織姫と彦星の逢瀬はつつがなく行われるだろう。
 馬鹿なことを言ってしまったと後悔したが、今更どうしようもない。恥ずかしくて俯いてしまうが、そんなの様子も可愛らしくて、蒼紫は小さく目を細めた。
「それに、星の寿命は何万年もあると聞きます。年に一度の逢瀬でも、何万年の寿命で考えると俺たちよりも頻繁に逢っているのかもしれない」
 地上の人間は年に一度の逢瀬だと騒いでいるけれど、星の寿命から考えると毎日あっているも同然なのではないかと蒼紫は思う。そんな星の逢瀬を心配するよりも、自分たちのことを考えてもらいたいものだ。
 蒼紫とが会うのは、大体週に一度か10日に一度くらい。家に遊びに行くような仲なのだし、まだ数えるほどしかしていないけれど口付けを交わしたり、こうやって手を繋いで歩いているのだから、そろそろ会う周期も短くしてはどうかと思う。休みの日だけでなく、仕事が終わった後にも逢いたいと蒼紫は思っている。
 を見ると、彼女は面白くなさそうな顔をして黙り込んでいる。折角空の上の浪漫について語っていたのに、蒼紫がことごとく夢を壊すような現実的な話をしたから、つまらなくなってしまったのだろう。女というのはこんな夢みたいな話が好きなのだから、少しは付き合ってやれば良かったかと、蒼紫は今更ながら後悔した。
 それにしても―――――蒼紫はの横顔を観察する。それにしても、この人はこうやってすぐむくれるような人だっただろうか。いつも穏やかに微笑んでいる印象しかないから、こんな小さなことでむくれる子供のようなところがあるなんて思いもよらなかった。でも、そうやって小さなことでむくれるのも、鬱陶しいと思うどころか凄く可愛らしくて、そういうところを自分に見せてくれるのも嬉しい。
 の顔を覗き込んで、蒼紫は苦笑して尋ねる。
「怒りました?」
「怒ってなんかいませんけど………」
 そう言いながら、の声は暗く沈んでいて、不機嫌であることを訴えているのも同然だ。普段なら不機嫌を感じさせないようにするのに、蒼紫の前ではこうやって感情を隠さないのは甘えているみたいで、は少し恥ずかしくなる。
 そんなの様子に、蒼紫は繋いでいた手を一旦離して、むずがる子供の機嫌を取るように、頭を撫でた。
「織姫と彦星も案外頻繁に会っているのですから、俺たちも休みの日だけじゃなくて、仕事の後が暇な日は会うようにしましょうか。残念ながら人間の寿命は、星ほど長くはない」
「え?」
 蒼紫の申し出に、の頬が淡く染まった。さっきまであんなにそっけないことを言っていたくせに、いきなりこんなことを言うのだから、蒼紫と話すのは油断が出来ない。
 会う回数を増やそうと言われただけなのに、顔が紅くなるほど嬉しい。否、会う回数を増やそうと言われたことよりも、蒼紫も自分と同じように今のままでは物足りないと思っていたことが、には嬉しかった。
 最初は月1、2回くらいしか会ってなかった。それが少しずつ会う回数と一緒に過ごす時間が増えていって、いつか毎日でも会えるようになればきっと楽しいだろう。独りの時間も気楽で良いものだけど、好きな人と一緒に過ごす時間はもっと楽しい。
「明日は駄目ですけど、明後日なら良いですよ?」
 嬉しくて嬉しくて、はつい次の約束を求めるようなことを言ってしまった。少し性急だったかと思ったが、蒼紫も嬉しそうに目を細めて、
「じゃあ、明後日また会いましょう」
 そう言いながら、蒼紫はふと店先に並べられている笹に目をやった。もう夕方だからか、値段も半額以下の叩き売り状態になっている。
 どうせ明日には捨てるものだが、こんなに安いのなら買っても惜しくはない。それに、これを口実にして、と二人で七夕を過ごせるかもしれないし。そう思ったら、何が何でも笹を買わなければならないような気になってきた。
「明後日来た時に処分しますから、買ってきましょうか。折角の七夕ですし」
「でも、一緒に見てくれる人もいませんし………」
「俺が見に来ます」
 困ったような顔をして応えるに、蒼紫は即座に言う。その反応が早くて、はびっくりしたように蒼紫の顔を見上げた。
 目を大きく見開いているを見て、一寸焦りすぎたかと蒼紫は内心舌打ちをした。こんなに急いで応えたら、いかにも待ち構えているというか、がっついているような感じがする。
 の家に行くのは昼間だけで、暗くなってから上がり込むということは今まで無かったし、やはり昼遊びに行くのと夜遊びに行くのとでは、の気持ちも違うと思う。まだ接吻以上の関係に進むには早いだろうから、蒼紫もそんなつもりで家に行くわけではないけれど、でもこんな反応を見せたらにそれを狙っていると思われてもおかしくはない。
 案の定、の顔がみるみる紅くなって、そのまま俯いてしまった。やはり蒼紫が危惧したように、そう取られてしまったのだろうか。だけど今更誤解を解くようなことを言おうにも薮蛇になりそうで、蒼紫も何も言えなくなってしまう。
 どれくらい二人で黙り込んでいたか、漸くの方から口を開いた。
「四乃森さんが来てくれるのなら、喜んで」
 を見ると、既にその顔からは赤味が消えて、いつものように穏やかに微笑んでいた。その様子に、蒼紫もほっとしたように口許を綻ばせて、
「では買ってきますから、待っていてください」
 そう言って店に歩いていく蒼紫を見送りながら、は声を出さずに小さく笑った。
 今夜家に行くと蒼紫に言われた時は、一寸ドキッとしてしまった。もしかして………なんて一瞬考えてしまったが、よく考えたらそんなことがあるはずがない。そんなにいきなり先に進められるような器用な人でないことは、が一番よく知っている。
 なかなか先に進めないのをもどかしく思う時もあるけれど、でもそういう人だからきっと好きになったのだろう。こういうことは急がなくても良いから、ゆっくりと少しずつ距離を縮めていければ良いと思う。これから会う機会はもっと増えることだし。
 今夜蒼紫が遊びに来てくれるなら、夕食も一緒に食べることになるのだろうか。は厨房にある食材を思い返したが、途中で何か買って帰らなければ碌な物が無かったような気がする。二人で八百屋で何か買って帰る様子を想像したら、何だか昔から馴染んだ恋人か夫婦のようだ。そう思ったら、嬉しいような恥ずかしいような、胸の中がくすぐったくなる。
 今頃、織姫もこんな風にドキドキしているのだろうかと、は日が傾きかけた空を見上げた。
<あとがき>
 『他人行儀な蒼紫と主人公さん』シリーズです。まあ時期としては、“手を繋いで”の直後辺りでしょうか。
 その後のストーリー展開から考えると、多分蒼紫は主人公さんとの夕食は遠慮してますね。きっと、女の独り暮らしの家にそんな遅くまでいるのはいけないとか一人で悶々と考えて。で、帰り道に、「やっぱり夕飯くらい食べて帰ればよかった………」なんて溜息つきつつ後悔したり(笑)。
 Web拍手小説は、斎藤編みたいにそれ専用のシリーズを改めて作ろうと思いましたが、予想外にこの二人が使いやすいキャラなので、『お題小説』でシリーズが終わるまではこの二人を使っていこうと思っています。あ、でも、それだと10月分で終わりかな?
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