年越し蕎麦
今日は大晦日。本当なら今頃は、斎藤に家に送ってもらっている時間なのだが、今日だけは特別に彼の家で年越し蕎麦を作っている。蕎麦を食べたら、二人で三社参りに行くのだ。こんな時間まで斎藤の家にいられるなんて、まるで一緒に暮らしているようでは嬉しくなる。いっそのこと、蕎麦を食べたら眠くなった、と言ってこのまま此処に泊まってしまおうかなどと、少し大胆なことを考えてしまうくらいだ。行く年来る年を一緒に過ごして、年始の挨拶を一番に斎藤にしたい。
蕎麦が出来上がると二つの丼を盆に載せて、斎藤が待つ部屋に持って行った。
「斎藤さん、できましたよ」
「ああ」
丼を受け取ると、斎藤は早速蕎麦を食べ始める。も向かい合うように座って、一緒に食べ始めた。
斎藤は無言で食べているけれど、黙々と食べ続けているということは、美味しいと思っているということだ。彼は面と向かって「美味しい」とは言わないけれど、自分が作ったものをそうやって美味しそうに食べてくれることは、は嬉しい。
ずるずると蕎麦を啜っている斎藤の様子を観察していただったが、キリの良いところで口を開いた。
「ねえ、斎藤さん。三社参り、何処に行きますか?」
「本当に行くのか? 寒いのに」
弾むの声とは対照的に、斎藤はあからさまに面倒臭そうな顔をする。
が、はそんな斎藤の様子など全く気にしていないようで、
「行きますよぉ。それでね、初日の出も見るんですよ」
「お前、それまで起きていられるのか?」
皮肉でも意地悪でもなく、斎藤は尋ねる。彼は徹夜は慣れているが、は早寝早起きの規則正しい生活のはずだ。台風の夜に備品室で一緒に過ごした時も、何だかんだ言いながらすやすや眠っていたし、徹夜など絶対無理だと思う。
労わりのつもりで訊いたのだが、は馬鹿にされたと思ったらしく、ぷぅっと膨れる。
「起きれますよ! 子供じゃないんだから」
斎藤はことある毎にを子供扱いするけれど、彼女だってもう23歳のいい大人なのだ。やったことは無いけれど、徹夜ぐらいできる。
背が低くて童顔だから、子供扱いされるのだろうか、と膨れたままは考える。より年下でも、斎藤にちゃんと大人扱いされている職員は何人もいるのだ。彼らは一様に、すらりと背が高い。目線の高さが近くなると、それだけ対等に感じると聞くし。
今更背が伸びるというのは望めないから、化粧をもう少し大人っぽく変えてみようかと思う。顔つきが変われば斎藤の見る目も変わるだろうし、もしかしたら一人前の大人の女として扱ってくれるかもしれないではないか。
そんなことを真剣に考えていると、斎藤がにやりと口の端を吊り上げて意地悪く言う。
「眠くなって愚図っても知らんからな」
「愚図ったりなんかしませんっ!」
今度は顔を真っ赤にして、甲高い声を上げた。まるで癇癪を起こした子供のようなの顔に、斎藤はどうにか笑いを押しとどめる。
またはぷぅっと膨れて、蕎麦の丼に映る自分の顔を見詰める。
こうやってすぐに膨れるから、斎藤に子供だと思われてしまうのだろうか。それなら来年から、こうやって膨れないようにしよう、とは決心する。来年の抱負は“すぐに膨れる癖を直して、斎藤に大人の女だと認めさせる”で決定だ。
ちゃんと大人だと斎藤に認めさせたら、彼がを見る目は変わるに違いない。そしたら、もしかしたら、いよいよ“愛の告白”とやらをしてくれるかもしれないではないか。その時のことを想像したら、は怒るのも忘れて胸がどきどきしてきた。
斎藤が女を口説くところなんてには想像もできないけれど、でもなし崩しに上司と部下の関係を超えるのではなく、けじめとしてきちんと告白して欲しいと思う。告白の際には外国の恋物語のように、花束と一寸した贈り物を持ってきて欲しい。花束を持った斎藤なんて一寸違和感があるけれど、それを受け取る自分を想像したら、うっとりしてしまう。
久々に本格的な妄想に入っていると、何処からともなく除夜の鐘が聞こえてきた。
「お前の煩悩は、108では足りないようだな」
喉の奥で低く笑う斎藤の声に我に返って、は一瞬で真っ赤になってしまった。
妄想を斎藤に突っ込まれるというのも、既に二人の間ではお約束になっている。来年は妄想も少し控えようと、は密かに決心した。
行く年を惜しむようにゆっくりと響く鐘の音を聞きながら、二人は静かに蕎麦を啜る。この鐘の音が終わったら、いよいよ新しい年の始まりだ。
蕎麦を綺麗に食べ終わって丼を置くと、斎藤がふと思いついたように言った。
「まあ、あれだ。今年はいろいろあったが、来年も独り者同士、仲良くやっていこうか」
「……………え?」
突然そんなことを言われて、は丼を中途半端に持ち上げたまま固まってしまった。斎藤の口調はとても素っ気無いけれど、でもそれがかえって真実味があって、嬉しくて嬉しくて顔が林檎のように真っ赤になってしまう。
そういう反応をされると斎藤も急に気恥ずかしくなって、慌ててから視線を外した。いい歳をしてこれくらいのことで照れるとは年甲斐もないと自分でも思うのだが、どうもこの部下を相手にすると調子が狂ってしまうのだ。来年はに調子を狂わされないようにしようと、斎藤は密かに決心する。
目の縁を赤く染めて気まずそうにしている斎藤の顔を見たら、はますます恥ずかしくなってきた。どうして良いのか解らなくなって、丼を卓袱台に置くと小さくなって俯いてしまう。
「来年も、よろしくお願いします」
もう少し気の利いたことを言いたかったのだが、蚊の鳴くような小さな声でそう言うのが、今のの精一杯だ。来年はもう少し二人の仲が進展して、これくらいのことでいちいち照れないようになっていれば良いなあ、と思った。
兎部下さんも斎藤も、それなりに抱負が出来たようです。この抱負を達成して、二人の関係に進展があると良いですね(←他人事かっ?!)。
しかし斎藤、兎部下さんを一体幾つだと思っているのか。まあ10も歳の差があれば子供扱いしてしまうのは解りますけどね、兎部下さんは恵さんと同じ歳なんだから。それとも部下さんにはいつまでも“可愛いお嬢ちゃん”でいて欲しいのか?(笑)
狼さんと兎さんの組み合わせですが、亀さんのようにゆっくりゆっくり、二人の距離を縮めていけたら良いなあと思っています。しかしこのペースでいくと、二人がちゃんとくっ付く頃には、斎藤はナイスミドルを通り越してロマンスグレーになってそう………(汗)。