年越し蕎麦

 いよいよ今日で、今年も終わり。大掃除も正月の準備も終わらせたし、あとは除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べるだけだ。
 去年までのは、一人で掃除をして、一人で正月の準備をして、一人で静かに年越しをしていた。けれど今年は、何をするのも蒼紫と一緒だ。楽しくお喋りをしながら年越しをするなんて、何年ぶりだろう。
「蒼紫、できたわよ」
 出来上がった二人分の年越し蕎麦を盆に載せて、は蒼紫が待つ部屋に入った。
「ああ」
 丼を受け取ると、蒼紫はしみじみと蕎麦を見詰める。
「どうしたの?」
「いや………。こうやって年越し蕎麦を誰かとのんびり食べるなんて、去年は想像もしてなかったから………」
 去年の今頃は、蒼紫は四人の部下を連れての旅の途中だった。戦いを求めて日本全国を転々として、こうやってのんびりと年越し蕎麦を食べるなど考えも及ばなかった。
 いや、考えも及ばなかったのではなく、誰も“のんびりと年越し蕎麦を食べる”ということを知らなかったのだ。幼い頃から戦うことだけしか教えられなかった蒼紫と、戦うことでしか存在意義を見出せなかった部下たちでは、それも当然だろう。
 こういう普通のことを知らずに死んでいった部下たちのことを思うと、胸の奥が鈍く痛んだ。勿論彼らの人生が不幸だったとは思わないけれど、それでも戦うことしか知らなかった彼らのことを思い出すと、こうやって自分だけ穏やかな時間を過ごしていることを、時々後ろめたく思うときがある。
「ああ………」
 そのまま押し黙ってしまった蒼紫を見て、も小さく声を上げたまま黙ってしまう。
 蒼紫の過去のことは、は未だによく知らないし訊きもしないが、それなりのことがあったのだろうとは想像している。本人は昔は密偵をやっていたと言っているけれど、それは嘘だと最近は思う。初めて出会った頃の彼の雰囲気を思い出すと、本当に“ただの密偵”だったの許婚とはあまりにも違いすぎるのだ。
 蒼紫の過去が気にならないと言えば嘘になるけれど、彼が語りたくないのならこのままで構わないとは思っている。去年の今頃、彼が何をしていたかなど、今更知っても仕方の無いことだ。だからは何も訊かない。
「私も、こうやって誰かと年越し蕎麦を食べる日が来るなんて、思いもしなかったわ」
 二十歳で実家を出てからずっと、は一人で大晦日の夜を過ごしてきた。許婚が死んでしまってから、こうやって同じ時間を過ごせる男性を探すことに罪悪感を覚えていたから。が一人で生きていくことが、彼への供養だと頑なに信じていたのだ。
 けれど蒼紫と出会って、それは間違いだったということを教えられた。死んだ人間のために生きるのではなく、死んだ人間の分まで幸せになることが本当の供養になるのだと、彼に出会ってからは思えるようになったのだ。蒼紫も何か大きな過去を背負っているようだが、自分と出会って同じように思えるようになってくれたら良いと思う。
 過去に大きな傷を負って、一人で生きていこうと思っていた二人がこうやって向かい合って年越し蕎麦を食べているなんて、今更ながらには不思議な気がする。孤独を知っている者同士を、縁結びの神様が引き合わせてくれたのだろうか。もしそうなら、縁結びの神様というのはなかなか粋なことをしてくれる。
 今年の始まりは独りだったけれど、来年の始まりは二人で迎える。そして来年一年は、ずっと二人で過ごしていくことだろう。今まで独りで過ごしてきたから、その分二人で寄り添っていきたいとは思う。蒼紫も同じことを思ってくれているだろうか。
「蕎麦が延びてしまうな。早く食べないと」
 沈黙を打ち破るように、蒼紫は明るい声を作って箸を取った。
「そうね。いただきます」
 も箸を取ると、二人で黙って蕎麦を啜り始める。暫くそうやっていると、遠くから鐘を突く音が聞こえてきた。
「除夜の鐘か………」
 音の方を向いて、蒼紫が独り言のように呟く。
 この鐘の音が終わると、今年一年も終わりだ。今年一年は、本当に色々なことがあった。と出会って、こうやって何気無い幸せな時間というものを初めて手に入れて。そして何より、“御頭”ではない自分を手に入れることが出来た。彼女と出会っていなければ、今でも“御頭”としての生き方しかできなかっただろう。
 今年は本当に激動の一年だった。二人が出会ってまだ半年くらいだけれど、この半年はこれまでの何年分にも相当する濃密な時間だ。こんな時間を過ごすことができたのも、全てのお陰だと思う。
「もう一年も終わりなのね」
 感慨深く、も呟く。
 今年の半分はずっと蒼紫と過ごした。来年もこんな風に、否、それ以上に彼と一緒に過ごしたい。そしていつか、朝も夜も毎日一緒に過ごせる日が来ればいいと思う。
「蒼紫」
 は箸を置くと、すっと卓袱台の横に身体をずらす。そして畳に両手をついて、深々と頭を下げた。
「今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」
「………あ、うん」
 蒼紫も慌てて箸を置くと、同じように両手をついて頭を下げる。
「こちらこそ、お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」
 出会った頃を思い出させる他人行儀無く超で挨拶をすると、何となく可笑しい。昔のような緊張感というか、湧きあがる初々しい感情に胸の中がくすぐったくなる。
 二人で同時に顔を上げると、お互いの口許が笑いを堪えるように綻んでいた。お互いが同じことを考えていたのかと思うと可笑しくて、と蒼紫は同時に噴き出してしまうのだった。
<あとがき>
 これで明治11年は終わり―――――のはずですが、サザエさんワールドの如く来年も明治11年です(笑)。幸せな時間のまま永遠に過ごせるなんて、羨ましいなあ………(遠い目)。
 随分とこの二人を書いているような気分だったのですが、よく考えたら出会ってまだ半年くらいなんですよねぇ。初夏の終わりにはガチガチに他人行儀だった二人がこうやって年越しするなんて、書き始めの時は全然想像していなかったんだが(苦笑)。
 でも二人で頭を下げ合ってご挨拶っていうのは、一寸“他人行儀”の名残かな。こういう初々しい気持ちは、来年も再来年も持ち続けて欲しいものです。
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