日記買う
「あ、一寸待って下さい」斎藤との帰り道、紙屋の店先に日記帳を見つけて、は足を止めた。
元旦からつけているの日記帳も、そろそろ残り僅かになっている。一年は長いようで、あっという間だ。
「お前、日記なんかつけているのか?」
真剣な面持ちで日記帳を吟味しているに、斎藤は驚いたように訊いた。妄想癖といい、日記といい、15やそこいらの女学生みたいだ。
予想外に驚かれて、は一寸不満そうな顔をする。日記をつけているのは子供の頃から続いている習慣だし、別段驚くようなことではない。惰性で続いているようなものだが、日記を書くのは彼女にとって、斎藤が煙草を吸うくらい当たり前のことなのだ。
は妄想も好きだが、実は文章を書くのも好きで、日記は毎日休まず書いている。どんなに書くことが無くても、読んだ本のこととか今日思ったこととか、とにかく何でも良いから一頁埋めるようにしている。最近では、わざわざ書くことを探さなくても、斎藤のことで何頁も費やすことができるのだが。
「楽しかったこととか嫌だったこととか、文章にすると楽しいんですよ」
「楽しいことはともかく、嫌なことを書き残しておいても仕方ないだろう」
日記帳を選んでいるの横で一緒に日記帳を見ながら、斎藤はつまらなそうに言う。
楽しかった日のことを何度も読み返して、楽しかったことを何度も思い出すというのは解るが、嫌だったこともわざわざ文章に残すというのが斎藤には理解できない。嫌だったことは一日も早く忘れたいというのが、普通の感覚だと思うのに。
「その時は嫌でも、後で読み返すと楽しいものなんですよ。斎藤さんも付けてみたらどうです?」
「いらん世話だ。俺は過去は振り返らない主義なんだ」
楽しそうなの言葉を、斎藤は一蹴する。
嫌なことでも振り返れば楽しい思い出というのも、それは一つの真実なのだろう。けれどそれはわざわざ形に残して、ことさらに振り返るものではないと斎藤は思うのだ。楽しいかったことも辛かったことも、それは自分の胸の中にだけ収めておけば良いことであって、わざわざ形にしておく必要は無い。
新選組として京の町を駆け回ったことも、都落ちをして会津で徹底抗戦したことも、その後の斗南での苦しかった生活も、今の斎藤には振り返る必要のないことだ。新選組だったこと、最後まで会津藩のために戦ったことは今でも誇りに思っているが、それを言葉にして残さなくても良いと思っている。というより言葉にしてしまうと、自分の思いが“言葉に出来る程度のもの”になりそうで嫌だ。
「ふーん………」
そんな斎藤の思いなど知らぬは怪訝そうな顔をしたが、再び日記を選び始める。
一口に日記帳といっても、手帳くらいの大きさのものから、辞書のように大きくて分厚いものまで様々だ。表紙も、“日記”とだけ書いてあるそっけないものや、千代紙のような綺麗な柄のものがあってどれにしようかと目移りする。が、の場合は一日に書く量が多いし、何十年も保存しようと考えているから、どうしても選択の幅が狭まってしまう。
結局その条件に合うのは、辞書のように分厚い、可愛くも何ともない表紙のものだ。後で気に入った柄の千代紙で表紙を作っているのだが、こういう日記帳も可愛い表紙のものが出れば良いのにとはいつも思う。
「随分と大層なものを買うんだな」
赤い表紙と青い表紙の二冊の日記帳を見比べているに、斎藤が呆れた顔をする。こんな分厚いものを買って、本当に一年で埋まるのかと他人事ながら心配だ。もし斎藤が使うなら、それ一冊で10年はもつだろう。
が、は何でもないように、
「これくらいないと、一年もたないんですよ。書くことが一杯あるから」
正直、この厚さでも一年もたないのではないかと心配なくらいなのだ。今の日記も、残りの頁数を考えると、紙を継ぎ足さないと大晦日までもたないのではないかと思う。
の日記というのは、その日あったことを書き留めるだけではなく、妄想まで入って物語りじみたことも書くから、一日で3、4頁使うというのはザラなのだ。特に斎藤と一緒に過ごす時間が増えるようになってからは、その傾向に加速がかかっている。
今年の日記帳には、斎藤のことを沢山書いた。夕立の日に強引に彼の家に転がり込んだことや、二人で線香花火をしたこと。台風の夜に、二人きりで備品室で過ごしたこともあった。それから一緒に夕御飯を食べるようにもなったし―――――思えば、今年の初めにはただの上司と部下だったのに、今ではこうやって一緒に帰る日もあるというのは不思議な感じだ。
去年の今頃は、背が高くて人相の悪い斎藤が怖くてたまらなかったはずなのに、たった一年でこんなにも好きになってしまっているなんて、自身にも不思議なくらいだ。一体いつから彼のことをこんなにも好きになったのだろう。日記を読み返したら判るだろうか。
家に帰ったら日記を読み返してみよう、とは思う。当時の気持ちの移り変わりを、日記帳には事細かに書かれているはずだ。それを読み返したら、その時の気持ちを思い出して、もっと斎藤のことを好きになるだろう。
そして来年の日記には、今年のよりももっと斎藤のことを書き綴っていくだろう。一緒に色々なことをして、彼との思い出で真っ白な日記帳を埋め尽くしていきたい。そしていつか、10年後か20年後、二人の思い出が詰まった日記帳を読み返すのだ。
今が昔になって懐かしく思い出す時、隣にいるのは斎藤であって欲しいと、隣で日記帳をぱらぱらめくっている彼を見ながらは思った。
蒼紫編とは反対に、新しい日記を選びながら未来に思いを馳せる主人公さんです。
兎部下さんの日記って、とんでもない妄想が書かれていそうで、盗み見たら爆笑ものではないかと想像します。んもう、ドリームを遥かに凌ぐような、ハーレクィンロマンスのような台詞を連発する斎藤とか(笑)。斎藤にガサ入れしてもらいたいところです。
新しい日記にはどんな二人の姿が書かれていくのでしょう。せめてお手々ニギニギから先に進んでいただきたいものです。目指せ、ほっぺにちゅう!!(←志低すぎだ………)。