紅葉狩り
普段はその存在を忘れ去られているが、警視庁の敷地内には銀杏並木がある。毎年秋になると金色に黄葉させて、近隣の省庁の職員が見物に来る一寸した名所だ。中には明らかに一般人と思われる人間も混じっていて、どうやら逢い引きの名所にもされているらしい。逢い引きの名所にされているのは構わないのであるが、人が集まると必ず起こる問題がある。いわゆる“ゴミ問題”だ。銀杏を見ながら飲み食いするのは良いが、一部の不心得者が物陰にゴミを放置して帰るのである。お陰で警視庁の職員が持ち回りで掃除をする羽目になって、いい迷惑だ。
そして今日は、斎藤とが当番の日だ。仕事を早めに切り上げて、誰もいない時間を見計らって黙々と掃除をしている。これを終わらせたら、集めた落ち葉で焚き火をして、干し芋を焼いて食べるのだ。
「斎藤さん、あたしたちも紅葉狩りに行きましょうよ」
ゴミ袋を片手にゴミ拾いをしていたが、突然思いついたように提案をした。
考えてみれば秋なのだし、斎藤と紅葉狩りに行きたい。弁当とお菓子を持って一寸遠出をして、彼と二人並んで落ち葉の絨毯の上を歩くところを想像したら、それだけでうっとりしてしまう。が抱えるお重を「重いから持ってやろう」と斎藤が軽々と片手で下げて、空いた手で自分の手を引いてくれたら、どんなに良いだろう。
日帰りじゃなくて、旅行というのも良い。隠れ家のような鄙びた温泉旅館に泊まって、二人で差し向かいで酒を飲んだり、縁側で月に照らされた紅葉を見ながらそっと寄り添ってみたり。勿論寝るのは別々の部屋だけれど、でも別々の布団で手を繋いで寝るのも良いかな、なんて一寸大胆なことも考えてしまう。
が、妄想でうっとりしているとは正反対に、斎藤は竹箒で落ち葉を集める手を止めずに素っ気無くいう。
「此処の銀杏で十分だろう。わざわざ枯葉を見に行って、何が楽しいんだ?」
「此処のじゃなくて、何処か違うところで紅葉狩りをしたいんですよ。遠いところで、いつもと違う雰囲気を味わいたいんです」
折角の空想を頭から打ち砕かれて、は面白くなさそうにぷぅっと頬を膨らませた。
そんなの顔を見て、斎藤は一寸困ったように小さく鼻を鳴らした。今こうやって銀杏に悩まされているのに、それでも紅葉狩りに行きたいなど、この部下の言うことは斎藤の理解を超えている。それとも、他所の紅葉は良く思えるのだろうか。紅葉狩りなど人が多くて、疲れに行くようなものなのに、ご苦労なことだ。
が、そんなことを言ったら益々が膨れるのは解っているので、斎藤は一応話に乗る振りをしてやる。の膨れる顔は笑いを誘うので好きなのだが、あまり怒らせると今度は膨れるのすらやめて、むっつりと黙り込んでしまうのだ。その顔は面白くも可愛くもない。
「なんだ、旅行がしたいのか? 何処に行きたいんだ?」
いかにも気の無い口調であるが、斎藤が話に乗ってきたのは嬉しかったらしい。さっきまで膨れていたくせに、はすぐに嬉しそうに斎藤を見上げた。が、何処に行きたいかと具体的に問われると、困ってしまう。の妄想はいきなり温泉宿から始まっていて、そこが何処かという舞台設定は何も無いのだ。
紅葉が綺麗なところって何処だろう、とは一生懸命考える。紅葉が綺麗で、斎藤と二人で過ごして良い雰囲気になりそうな所といったら、此処しかない。
「京都! 京都が良いです」
「京都………」
の返答に深い意味は無いとは解っていても、斎藤は複雑な思いになる。
京都を離れて10年以上過ぎたが、まだ“あの頃”のことは斎藤の中では過去にはなりきっていない。新選組を立ち上げ、三番隊組長として羽振りが良かった頃のこと。そしてあっという間に朝敵の汚名を着せられて、京の町を追われたこと。あの頃斎藤が関わった人間はまだあの町にいるだろうし、新選組の名もあそこではまだ過去のものではない。
いつかまたあそこに行きたいとは思っているけれど、でもまだその時期ではないし、その時が来ても多分とは行かないだろう。の存在は斎藤にとっては“新しい時代”そのもので、真っ白な彼女に血みどろの自分の過去は見せたくはない。自分の過去を恥じてはいないし、新選組であったことは今でも誇りであるが、それでもには知られたくないと思う。新選組であった頃の斎藤を知ったら、もう今のように笑いかけてくれなくなるのではないかと思うのだ。
硬い表情のまま黙り込んでしまっている斎藤を見て、は怪訝そうな顔をした。そのうち、自分が何か悪いことを言ってしまったと思ったらしく、悲しそうに表情を曇らせる。
不安そうにちらちらと様子を窺っているに気付いて、斎藤は慌てていつものつまらなそうな無表情を作った。そして場の雰囲気を切り替えるように出来るだけいつもと同じ口調で言う。
「京都は……言うほど良い所じゃないぞ。昔住んでいたが、食い物は高いし、寺に入れば拝観料は取られるし、金が無いと面白くない」
「………そうですね」
いつもと同じ斎藤に戻って、はほっとしたように小さく微笑んだ。その表情を見て、斎藤もほっとする。
「ま、紅葉狩りなんか、その辺の公園で十分だろ。京都まで行かんでも良い。
ほら、焚き火をするから、干し芋を持ってこい」
そう言いながら、斎藤はかき集めた落ち葉の上にマッチを落とした。
「はーい」
さっきまでの様子は何処へやら、は嬉しそうにゴミ袋を置いて、干し芋の袋を取ってきた。そして、それを何枚か木の枝に突き刺すと、燃え盛る炎の上にかざす。表面にカリカリの焦げ目が付いたら、出来上がりだ。
焼けるのを待ち遠しげにじっと見ているの様子を見ながら、斎藤は煙草に火を点ける。は他所で紅葉狩りをしたいと拘っているけれど、干し芋を焼くだけでも楽しそうにしている彼女の姿を見ることが出来るのは、此処でだけ。金色に輝く銀杏を見ながら、こうやって楽しそうなの顔を見ることができるのだから、ここでも十分に満喫できると斎藤は思うのだ。
「他所で紅葉狩りをしたら、こんな風に芋は焼けんからな。わざわざ何処かに行かなくても、此処の銀杏で十分だろう」
「でもぉ………」
焚き火をして芋を焼くことは出来るけれど、それでもやはり他所の紅葉も見たいのだろう。は少しだけ不満そうな顔をした。
紅葉の綺麗な公園を散歩というのも、気分が変わって良いものだろうとは斎藤も思う。も本当は紅葉が見たいのではなくて、その“変わった雰囲気”を楽しみたいのだろうということも解っている。けれど、若い娘と二人並んで歩くというのは、斎藤には少し気恥ずかしいのだ。きっと二人で何処かに行っても、恥ずかしくてとは距離を取って歩くような気がする。
いい歳して、まるで10代の少年のようなことを考える自分が可笑しくて、斎藤は自嘲するように口の端を吊り上げた。女と歩くのが気恥ずかしいなど、最後に思ったのはいつだっただろう。
「それに、紅葉狩りの名所は人が一杯だろう。こうやって二人でのんびりできるのは、此処くらいなものだ」
人がいないこの時間の此処なら、こうやっての傍にいても恥ずかしくない。此処でなら人目を気にせずに、の楽しそうな顔を眺めることが出来るのだ。何処かの公園だったら、こうはいかないだろう。
金色に輝く銀杏並木と、可愛い部下の楽しそうな姿を独占できるのだから、場所なんか関係無い。すぐ傍に職場があって、他人が散らかしたゴミを掃除した後の銀杏見物であっても、斎藤にはこれが最高の紅葉狩りだ。
も同じことを考えたのか、はにかむように微笑んだ。
「………はい」
焚き火を見詰めるの横顔は少し紅くなっている。それは焚き火で火照ったせいだけではないと良いなあと、斎藤はぼんやりと思った。
銀杏見物でも“紅葉狩り”と言うのかという突っ込みはとりあえずスルーさせてください(笑)。警視庁に銀杏並木があるかどうかというのは、私も知りません。多分無いと思います。毎度の如く、思いつき設定なんで。
蒼紫たちは色んなところに出歩いていますが、兎部下さんは何処にも連れて行ってもらえないようです。でも、何処にも行かなくても、好きな相手を独占できるのなら、それはそれで楽しいものですよね。特に恋の始まりの頃は。
しかし、此処まで主人公さんのことを可愛いと思っているくせに、この時点では手も握っていない斎藤……(どさくさに勢いで抱き締めたことはありますが)。我慢強い男だ………。これを大人の余裕というべきか、ただのヘタレなだけなのか、意見が分かれそうなところです(笑)。