紅葉狩り
山の方は紅葉が見頃になっているという新聞記事を見て、一寸足を伸ばして紅葉狩りの一泊旅行をしようということになった。蒼紫がの家に泊まるようになって、一日中一緒にいる日も増えたけれど、一緒に旅行に行くのは初めてのことだ。場所を変えたところで、部屋で茶を飲みながらお喋りをしたり、ぼんやりと外の景色を眺めたり、やることは町にいる時と殆ど変わらないのだが、それでも旅先で二人きりというのは新鮮な気分になるものである。同じ部屋を取ったせいで出迎えた宿の仲居からも「ご主人」「奥様」と呼びかけられ、宿帳にも面白半分に“四乃森蒼紫・”なんて書いたりして、気分はもう新婚旅行だ。仲居に呼びかけられる度にお互いに視線を絡ませてくすくす笑いあうのも、何も知らぬ者から見れば初々しい夫婦に見えただろう。
「少しその辺を散歩してみる? 下の方に清流があるんですって」
荷物を解いている蒼紫に、は外を眺めながら言った。仲居に心付けを渡した時に、此処を少し下りたところに綺麗な川があって、散った紅葉が上流から流れてくる様が反物のように綺麗なのだと教えられたのだ。耳を澄ますと此処からも川のせせらぎが聞こえるくらいだから、そう遠くではないだろう。
荷解きをしていた手を止め、蒼紫は一寸考える。そして、
「そうだな。少し休憩して、夕方になってから行こう。今の時間は多分人が多い」
「そうね」
蒼紫が人の多いところをあまり好まないことを、は最近になって知った。見世物小屋や芝居小屋によく連れて行ってくれていたから、人込みも平気な人だろうと勝手に思っていたのだが、最近になって人が多いところは落ち着かなくて苦手なのだと告白されたのだ。
昼間の紅葉も良いけれど、夕日に照らされた紅葉もきっと美しいことだろう。その下を蒼紫と二人で手を繋いで歩くのを想像すると、今更ながら一寸ドキドキする。手を繋いで歩くなんていつもやっていることだけれど、場所と雰囲気が変わると気分もまた変わるものなのだ。雰囲気に流されやすい性格だと、は自分でも思う。
濡れ縁の手すりに寄りかかって庭を見下ろしていると、夫婦なのか恋人同士なのか、寄り添って何処かへ出かける男女の姿が見えた。恐らく、仲居に言われた清流に行くつもりなのだろう。遠目にも仲睦まじい様子が見て取れて、は微笑ましげに目を細めた。
「いいなあ………」
自分たちだって後でああやって出かけるのに、他人が睦まじくしている様子は羨ましい。手を繋いで、一緒に寝起きして、初めの頃に比べればずっとずっと睦まじくなっているのに、それでももっともっと近付きたいという気持ちには限度が無いようだ。蒼紫もそう思ってくれているだろうか、とは彼の方をちらりと見る。
蒼紫はというと、荷解きを終わらせて一息ついたのか、お膳の上に置いてあった酒や一品料理の料金表を熟読していた。常に何か活字を読んでいないと落ち着かないらしいというのも、最近気付いた性癖の一つだ。しかしそれにしたって、料金表なんか見ても面白いのだろうかと、は不思議に思う。
の視線に気付いて、蒼紫は怪訝そうに顔を上げた。
「どうした?」
「何でもない」
きょとんとした顔の蒼紫が可笑しくて、はくすくすと笑った。
明るいうちは、何をするというわけでもなくいつもと同じように過ごし、日が傾きかけた頃に清流に向かった。流石にこの時間になると周りには誰もいなくて、西日に照らされて全てが橙色に染まった景色は二人だけのものだ。
西日に照らされた水面の反射光が眩しくて、は思わず目を細めた。仲居が言っていた通り、水面に落ちた赤や黄色の葉が勢いよく流れていく様は、本当に反物の柄のようだ。これを見られただけでも、こんな山奥まで来て良かったと思える。
「綺麗ねぇ。来て良かった」
目の前に広がる橙色の風景にうっとりして、は呟いた。
此処まで来るにはきつい坂道や舗装されていない道路を歩かなければいけなくて、途中で何度も挫けそうになったけれど、でもこれを見たら本当に来て良かったと思う。街中にいたら決して見ることの出来なかった景色だ。
目を細めて景色に見惚れるを見下ろして、蒼紫は可笑しそうに苦笑する。そしてからかうように、
「此処に来るまで、疲れただの遠いだの文句ばっかり言ってたくせに?」
「それは………」
蒼紫の意地悪な言葉に、はばつが悪そうに口を噤んでしまった。
蒼紫の言う通り、此処に来るまで、は何度も休憩をしながらブツブツ不平を言っていた。終いには足が痛いなんて子供みたいに半泣きになってしまって、蒼紫を困らせていた程である。そんなの相手をしていた彼の心情を思うと、今更ながら申し訳ないやら恥ずかしいやら、穴があったら入りたい気持ちだ。の方から紅葉狩りに行きたいと言って、どうせだったら山奥の温泉宿が良いという希望も聞き入れてもらったくせに、それで不平不満を言われたら、蒼紫だって堪らなかっただろう。
しょんぼりしてしまったの様子を見て、蒼紫は一寸言い過ぎたかと後悔した。一寸からかうつもりだったのに、こんなに悲しそうな顔をするとは思わなかった。蒼紫が思っている以上に、は気にしていたらしい。
「まあ良いさ。遠出をしたのは初めてだったんだから」
を慰めるように明るい声で言うと、蒼紫は繋いでいた手を一旦解いて、小さな子供にするように優しく頭を撫でた。そうすると、も小さな子供のように一寸上目遣いで蒼紫を見上げて、ほっとしたように小さく微笑む。
いつもは歳不相応なほど落ち着いて大人っぽいだが、こういう表情をすると、驚くほど幼い顔になる。自分にしか見せないその表情が愛しくて、蒼紫はそのままの頭を自分の方に引き寄せた。
「夏になれば、この辺りは蛍が見られるらしい。今度は蛍狩りに来よう」
部屋にあった冊子に書かれていた、この辺りの四季折々の風景の説明を思い出して、蒼紫は提案した。夏になればこの川では、蛍の群舞が見られるのだそうだ。
今から来年の夏の約束をするなんて気が早いかと思ったが、でも二人でこうやって過ごしていれば夏なんかすぐにやって来る。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものなのだから。今から来年の夏のために資金を溜めて、次は一泊ではなくて何日か連泊したい。
半年以上も先の話をされて、は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに可笑しそうにくすくすと笑う。まだ冬も来ていないのに、夏の予定を立てられているのだから当然だ。
「もう来年の話?」
笑いながらも、そんな約束を交わせることがには嬉しい。来年の約束をするということは、来年もこうやって二人で一緒にいようという約束だから。来年の夏もこうやって二人で旅行が出来たら、きっと今よりも楽しいだろう。
来年の今頃、二人はどうなっているだろう。今と変わらずに休みの前日には蒼紫が泊まりに来て、休みの日を朝から晩まで一緒に過ごしているだろうか。それとも、もう一緒に暮らし始めているだろうか。どちらにしても、こうやって二人で寄り添っていられればいいと思う。
「そうね。蛍狩りなんて、何年振りかしら」
蒼紫の腰にそっと手を回して、は身体をぴったりとくっ付けた。
たとえ毎日のように会っていたとしても、旅先とかシチュエーションが変わると妙にドキドキしてしまうことって、ないですか? 何なんでしょうね、あれは。単に雰囲気に流されやすいだけかな………。や、雰囲気は大事ですよね!(力説)
というわけで、初めての一泊旅行。鴨川デートの時は「泊まるのは………」なんて躊躇していた主人公さんですが、あれからまだ2、3ヶ月位しか経ってないはずなんだがなあ。この二人、一旦くっ付いてしまうと仕事早いです。来年の夏の約束までしちゃってるし。来年の話をするなんて、鬼が笑うって。
でも、大好きな人との来年の約束っていうのは、良いですよね。来年も今と同じように一緒にいるっていう約束なわけですから。それが果たされるかどうかは、とりあえず置いといて(←いきなり現実に立ち戻るなよ……)。