野分

 風が吹くたびに家がギシギシ音を立てて、小さく振動しているように感じられる。これくらいの風で家が壊れるとは思わないけれど、でも柱が軋むたびには不安になってしまう。
 今度の台風は、近年稀に見る強さのものだと新聞に書いてあった。家が壊れるほどではないらしいけれど、雨戸に何かがぶつかって大きな音を立てる度に、心臓が跳ね上がってしまう。いつもは眠っているはずの文鳥たちも今夜ばかりは眠れないらしく、風呂敷を被せた鳥籠からカサカサと落ち着かない音がした。
「眠れないんですか?」
 何度も寝返りを打って落ち着かない様子のに、隣の布団で寝ていた蒼紫がそっと声を掛けてきた。
 蒼紫もも明日は仕事で、本当は今日は泊まりに来る日ではないのだが、独りで夜を過ごすのは心細いだろうと泊まりにきたのだ。蒼紫が来たからといって台風相手に何ができるというわけではないのだが、でも隣に人の気配があるだけで気分は違うとは思う。
「ごめんなさい、起こしちゃいました?」
 自分がもぞもぞしているせいで起きてしまったのかと、はすまなそうな声で言った。
「いや………風の音がひどくて、さっきから目は醒めてましたから」
 蒼紫もさっきからずっと、家の振動が気になっていた。これくらいの振動なら壊れはしないだろうが、でも瓦は飛んでいるだろう。これで雨が降っていたなら、雨漏りが加わって眠るどころではなかったかもしれない。明日になったら、一寸屋根を見てみようかと考える。
 と、また何かが風に飛ばされてきたのか、雨戸が破れるのではないかと思うほどの勢いで何か大きなものがぶつかる音がした。
「……………っっ?!」
 思わず、は上半身を跳ね起こしてしまった。起きたからといって外に出るのは危険だし、何もできはしないのだが、条件反射のようなものだろう。
 あまりにも派手なの反応に、蒼紫は可笑しそうに小さく笑う。とは正反対に蒼紫は横になったまま落ち着きを払っている。慌てたところでどうしようもないし、たとえ雨戸が破れたとしても、その時はその時と考えているのだろう。
「大丈夫ですよ。そう簡単に雨戸は破れませんから」
 横になったまま手を伸ばし、落ち着かせるように優しくの背中を撫でてやる。
「でも………」
 頭では解っていても、あんな凄い音がすればつい慌ててしまうものだ。はまだ心臓がドキドキしているのに、蒼紫はこんなにも落ち着きを払っていて、この人には驚くということがあるのだろうかと不思議に思う。
 自分の反応は正常だとは思うのだが、目の前でこんなにも蒼紫が落ち着いているのを見ると、何だか大げさな反応をしたみたいで恥ずかしくなってしまう。頬を染めて口籠もるを見て蒼紫が喉を鳴らして笑うのも、恥ずかしさを倍増させた。
 何か反論しなくては、と考えていると、蒼紫の腕が伸びてきて、そのままは強引に抱き寄せられる。
「あっ………」
 蒼紫の胸の中に倒れこんで、そのまま抱き締められてしまう。
「ちょっ……四乃森さんっ?!」
 今日はそんな気分にはなれないし、そんなことをしている場合でもないのに。今にも始めてしまいそうな勢いの蒼紫から逃れようと、はじたばたと腕の中でもがいた。が、逃げようとするを押さえつけるのも蒼紫には楽しいらしく、くすくすと笑いながら抱き締める腕に力を入れる。
「何もしませんから、そんなに嫌がらないで下さい。こうしていたら、気が紛れるでしょう」
「………へ?」
 蒼紫の囁きに、は気の抜けたような声を上げてしまった。
 てっきりこのまま始めるのだと思っていたから何だか拍子抜けしてしまった。別にしたいわけではないけれど、でもこれでお終いというのは………。
 きょとんとしているの顔を見て、蒼紫は小さく噴き出した。
「おや、何だか残念そうですねぇ」
 からかうような蒼紫の口調に、ははっと口を押さえた。これではまるで、がこの先も期待していたように聞こえるではないか。蒼紫がどうしてもしたいというなら付き合ってあげても良いような気はしていたけれど、別に積極的にしたいとは思っていないのに。
 暗闇でも蒼紫がにやにや笑っているのが解って、は腹が立つやら恥ずかしいやら、まともに顔が見れなくてあらぬ方向を向いてしまう。
「わっ……私は別に………」
 顔を紅くして反論するけれど、声は上擦っているし、動揺しているのはまる解りだ。それがまた蒼紫には可笑しかったらしく、面白がって強引にの顔を自分の方に向けさせる。
「そっちの方が気が紛れるなら、お付き合いしましょうか?」
 からかうような、それでいて熱っぽい囁きに、の全身がかぁっと熱くなった。この熱が蒼紫にも伝わっているのかと思うと、恥ずかしくて更に体温が上昇していく。
 まさか「はい」と答えるわけにはいかないし、かといって「いや」と言うのも失礼な気がして、は下を向いて黙ってしまう。そんな質問をしたら応えられなくなることは、蒼紫だって解っているはずだ。
 俯いたまま身を硬くしているを暫くじっと見ていたが、いつまで経っても何も言わないので、蒼紫は心配そうに顔を覗き込んで尋ねた。
「怒りました? 冗談ですよ。今夜はこのまま何もしませんから、機嫌を直してください」
 機嫌を取るような蒼紫の優しい声音に、はちらっと上目遣いで彼の顔を見る。さっきまでのからかうような笑顔ではなく、本当に心配そうな顔をしていた。
 別に怒ってはいないけれど、でもすぐに機嫌を直すのも癪な気がして、は再び目を伏せた。さっきから自分ばかりドキドキしたり動揺したりしてたのだから、少しは蒼紫もドキドキすれば良いのだとちょっと意地悪く思う。
「………別に、怒ってはいないですけどぉ」
 一寸不機嫌な声を作って、は応える。
 俯いたまま不機嫌そうに応えるのが、余程怒っていると思ったのか、蒼紫はの頭を何度も撫でる。機嫌を損ねたの機嫌を取ろうとする時の、いつもの手だ。
 愚図る子供をあやすようで、それが嬉しかったり、逆にまともに相手にされてないようで腹が立つ時もあるけれど、今はどう思って良いのやらにもよく解らない。解らないけれど、不愉快ではないから、多分嫌ではないのだろう。
 そんなの心の動きが伝わったのか、蒼紫は小さくくすっと笑う。
「でも、こうやっていると、風の音も気にならなくなったでしょう?」
「あ………」
 言われてみればその通りだ。こうやっている間は、風の音も家が軋むのもすっかり忘れていた。
 今更のように驚いて目を瞠って顔を上げるに、蒼紫は可愛くてたまらないといった感じできゅっと身体を抱き締めた。これ以上できないのは一寸勿体無い気がするけれど、明日は仕事なのだから仕方が無い。その代わり―――――
「今夜はずっとこうしていますから、安心して眠ってください。何かあったら俺がちゃんと守ってあげますから」
 台風を相手にどうやってを守るのか自分でもよく解らないが、蒼紫はの身体を撫でながら優しく囁く。台風相手には戦えないけれど、何か落ちてきた時に上に覆いかぶさって盾にくらいはなれるだろう。
 も同じ事を思ったらしく、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに嬉しそうに目を細めて身体をすり寄せた。酷い風も家の軋みも変わらないけれど、蒼紫の心臓の音を聞いていたら何となく落ち着くような気がする。蒼紫の心臓の音も体温も、きっとにとっては最高の安定剤なのだろう。
 そう思ったら急に眠気が襲ってきて、は蒼紫の寝巻きの襟をきゅっと掴んだまま目蓋を閉じるのだった。
<あとがき>
 そういえばまだこれを書いていた時点では、まだ他人行儀な口調だったんですねぇ、この二人。懐かしいというか、一寸しみじみしてしまいますね。
 多分本作が最初のバカップル度がスパークした話ではないかと。これと同時にUPした『夏終わる』から、拍手小説では必ず一本は蒼紫が主人公さんを強引に抱き締めてるようです。結構スキンシップ好きらしい………(笑)。なかなか先に進めない斎藤編とは大違いだ。
 この二人のシリーズがいつまで続くかは謎ですが、『お題小説』での連作が終わっても使っていきたいなあと思っています。だって書きやすいんだもん、このバカップル。
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