トラブルには何故かラブが入っている

 比古と結婚したことを伝えたら、ぜひお祝いに行きたいと梅が言ってきた。式をやっていないことだし、いい機会かもしれない。
「結婚したのに一緒に暮らさないなんて、変なの。新婚生活なんて、一度きりなのよ」
「新婚生活ねぇ………」
 梅に言われても、はあまりピンとこない。
 通い婚という形式は確かに普通ではないけれど、実家にいればは何も困らないし、人里に住みたくないという比古の意思も尊重できる。互いの性格を考えても、距離のある関係の方が上手くいくというものだ。
 そもそもと比古の関係では、“新婚生活”なんて甘ったるい言葉は無縁である。会えば必ず口喧嘩になるし、“新婚さん”にありがちなイチャイチャなんて無い。
 梅は見合い結婚だが、この口ぶりではそれなりに“新婚さん”なことがあったのだろう。羨ましいといえば羨ましいけれど、自分たちに置き換えて想像してみると、不思議とそれほど羨ましくない。イチャイチャしたがる比古なんて、何だか気持ち悪い。
「そういうの、あんまり……。あの人もいい歳だしねぇ」
「“あの人”だって」
 梅は可笑しそうにぷぷっと笑う。
「何よ?」
 は梅を睨み付ける。何が可笑しいのか分からない。
 梅はニヤニヤして、
「“あの人”って言い方がね。うーん、やっぱり夫婦なんだねぇ」
「意味が分からないんだけど」
 言い方がどうとか、妙な言いがかりをつけられているみたいだ。“主人”とか“うちの人”とかなら分かるけれど、“あの人”である。どこにニヤニヤする要素があるのか。
 梅は笑いながら、
「分からないならいいわ。それより新津さんっていくつなの? いい歳ってほどでもないでしょ?」
 梅の問いに、は一瞬言葉に詰まった。
 梅と比古は面識があるけれど、歳までは教えていなかった。比古は実年齢よりもかなり若く見えるけれど、梅にはいくつに見えているのだろう。
 比古の歳を知ったら、梅は引くに違いない。父親との方が歳が近い相手と結婚なんて、訳ありっぽくもある。
 梅の様子を窺いながら、はもじもじとして言う。
「………四十三」
「え………?」
 予想通り、梅の顔が固まった。そりゃあ驚くだろう。あらゆるところに突っ込みどころ満載なのだ。驚かない方がおかしい。
 流れを変えるために、は無理やり明るい声を出す。
「そ……そりゃあ驚くわよね。親みたいな歳だし―――――」
「何をやったらそんなに若いの?! 秘訣を聞き出さなきゃ!」
 梅は目を輝かせて興奮している。実年齢より、歳の差より、若さを保っているという事実が重要らしい。
 確かに四十三であの外見は興味深い。も気になるところであるが、多分常人には真似できるものではないだろう。あれだけ非常識な男なのだ。常識では考えつかない方法で若さを保っているに違いない。
 は微妙な半笑いで、
「参考になる方法ならいいけどねぇ………」
 そうこうしているうちに、山小屋に着いた。今日は梅が来ると伝えているから、比古も山小屋で待機しているはずだ。そして今日くらいは常識人として振舞ってくれるはずである。
「清十郎さぁん、いるー?」
 戸を叩きながら、は声を張り上げる。
「“清十郎さぁん”だって」
 何が可笑しいのか、梅はの口真似までしてくすくす笑った。いちいち引っかかる女である。
「何よ?」
「新津さんって、清十郎って名前なの?」
「陶芸をやる前の名前なんだって。昔のことを知ってる人は、こっちの名前で呼んでるみたい」
 大したことでもないように、は答える。
 結婚するにあたって、最大の問題は相手を何と呼ぶかということだった。もう“新津さん”とは呼べないし、“覚之進さん”と呼ぶのは比古にはそぐわない気がして、結局“清十郎さん”に落ち着いたのだ。陶芸家になる前の比古を知っている人間は、“比古さん”と呼んでいるようであるし、本人もこっちの名前の方に愛着があるようでもある。
 何より、お近が“比古様”と呼んでいたのだ。今更お近に対抗する気は無いけれど、彼女が昔の名前で呼ぶのなら、だって誰もが呼ぶ今の名前ではなく、昔の名前で呼ぶのが筋だろう。しかも下の名前で呼ぶのは、世界中探してもしかいない。まあ、妻なのだから当然である。
 小屋の中で小さな音がして、戸が開いた。
「遅かったな。もう来ないかと―――――」
「きゃ―――――っっ!!」
 出迎えた比古の声を、梅の悲鳴が掻き消した。
「何やってんのよ、あんたっ!!」
 梅の前に立ち、も顔を真っ赤にして血管が切れんばかりに怒鳴る。
 でむかえたまではよかったのだが、よりにもよって全裸だったのだ。此処が山奥の一軒家だからいいようなものの、近隣に家があったら変質者である。
 このところずっと暑かったし、比古が暑がりであるから、よく昼間から水風呂に入っているのはも知っている。そして、風呂の最中に来た時は、体を拭きもしないで全裸で出てくることも度々だ。初めの頃こそも梅のように驚いていたが、今ではもう慣れた。当たり前すぎて、風呂の最中であっても服を着て出てくるように言っておかなかったことが悔やまれる。
「お客さんにそんな汚らしいものを見せるんじゃないっ! 服くらい着ろ!」
「風呂で洗ったばっかりだから綺麗だぞ」
 比古は飄々として答える。が言いたいのはそういうことではないのだが。
「そうじゃなくて、そんな見苦しいもの見せるんじゃない!」
「この超絶美形の俺の体に、見苦しいものなど存在しない」
 比古は何故か大威張りだ。自分に自信があるのは結構なことだが、これは酷い。ここまで話が通じないと、実は見せたいのではないかと思ってしまう。自分の亭主が変態だとは情けない。
「いいから服を着なさいっ!」
 今まで出したことのないような大声を出して比古を小屋に押し込むと、はぴしゃりと戸を閉めた。
 大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、は笑顔を作って梅の方を振り返る。
「ごめんね〜。あの人、変わり者だから」
 空気を変えようと陽気に言ってみたものの、梅は固まったままだ。あんなものを見せられたら、唖然とするに決まっている。せっかくお祝いに来てくれたのに、悪いことをした。
「梅ちゃんが来るのは分かってたんだから、服くらい着て出てくると思ってたんだけど……。まさかあんな―――――」
「うちのと全然違う………」
 まだ呆然としたまま、梅は呟く。続けて心配そうに、
「身体も凄いけど、ちゃん大丈夫?」
 の友人だけあって、やっぱり梅は常識人である。の心労を察してくれるのは梅だけだ。
「まあ、常識が通じない人なのは分かってるしね」
 比古が非常識なのは今に始まったことではないから慣れているのだが、理解者ができたのはしみじみと嬉しい。実の親でさえ、の悩みを理解してくれないのだ。芸術家だから、多少の変人ぶりは仕方がないと思っているのだろう。
 だが、意外というか、やっぱりというか、梅の言葉はがっくりするものだった。
「そうじゃなくて、その……身体の方…とか………」
「〜〜〜〜〜〜」
 そっちか、と突っ込む気力も無い。期待しただけに、思いっきり脱力した。
 見えないようにしていたつもりだったが、梅はしっかり見ていたらしい。あんな悲鳴を上げていたくせに、見るところはしっかり見ていたとは、なかなか図太い。
 そんなことを心配されるということは、まあそういいうことなのだろう。比べる対象が無いには分からないが、比古も自信があるようでもあるし、人並ではないのだろうとは何となく推察していた。比古はそんなところまで規格外だったらしい。
「ま……まあ、心配するほどのことでもないから」
 何とも答えようがなく、は言葉を濁した。





 とりあえず服を着せることはできたが、比古は不機嫌そうである。出迎えて早々怒鳴られたのだから、面白くないのだろう。しかし今日は梅がいるのだし、仮にも文明人なのだから、服くらい着ろと言いたい。
「いつもあんな感じだなんて、新津さんって豪快なんですね」
 梅も一応言葉を選んでいるのだろう。しかし、あれは豪快とは違うのではないかとは思う。
「お客さんが来る前にお風呂に入るのは良いとして、服くらい着てよ。他人が見たら、ただの変態よ」
「亭主に向かって変態とは何だ」
 の言葉に比古は憮然とする。
 客の前に全裸で出てくる男のどこが変態ではないというのか。相手が梅だったから悲鳴を上げられる程度で済んだものの、相手次第では菓子折りを持って詫びに行かなければならないところだ。
「こんなのが自分の旦那だなんて、情けなくて涙が出るわ」
「まあまあ、新津さんだって悪気があったわけじゃないし」
「余計に性質が悪いわ!」
 梅に宥められても、には何の慰めにもならない。悪気が無いということは、何が悪いのか分かっていないということである。悪いところが分からなければ、反省もしないし改善もしない。つまり、またやるということだ。
 結婚以来初めての客に対してこれだなんて、これからが思いやられる。次に客を呼ぶ時には、比古に社会常識を教え込み、必ず服を着てから外に出るように強く言い聞かせておかなくては。だが、そうやって万全の備えをしておいても、きっと比古やの言うことなど聞きはしないだろう。この男は、変なところに信念のある男なのだ。
 となると、人を呼ぶなら水風呂を終了する秋になってからか。しかし涼しくなったらなったで、また違う問題が出てきそうな気がする。何しろ比古は、常にの予想の斜め上をいく男なのだ。
 まったく、どうしてこんな男を人生の伴侶に選んでしまったのか。今更ながら、この結婚は考え直すべきではないのだろうかと、は悩んだ。
<あとがき>
 夏なので、全裸でドッキリシリーズ(笑)。
 何となくですが、師匠は温泉や銭湯では前を隠さないタイプだと思います。日本男児たるもの、常に堂々としていなければならないのです。今回のことも、何があっても堂々としていなければならぬという精神であって、決して他人様に見せたいのではなく―――――と言っても、主人公さんは納得しないでしょうね(笑)。
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