きみはしつこかった。

 桜の季節が近付くと、和菓子屋に桜に因んだ菓子が並び始める。昔は高価な細工菓子が殆どだったが、最近では安価な菓子にも広がっているらしい。
「桜大福か………」
 目の前に出された皿を見て、蒼紫は呟いた。
 桜色の牛皮に包まれた大福の天辺に、塩漬けの桜がちょこんと乗っている。上品な大きさの、実に春らしい一品だ。
 季節限定の菓子で季節を感じるというのも、風流なものである。ただし、それが一度か二度しか出てこないときに限るが。
 実はこのところ、桜の菓子ばかり出ているのだ。昨日は桜の甘い煎餅で、一昨日は桜餅、その前は桜の最中、更にその前は桜の塩漬けが入った寒天、そのもっと前は―――――といった具合だ。こうも続くと嫌がらせかと思う。
「桜が続くな………」
 御頭が出された食事に不満を言うと下の者が困ることになるから、決して面に出してはならない、と幼少の頃より厳しく躾けられた蒼紫である。不満は言わないけれど、思わず出た独り言に、不覚にも倦怠感を漂わせてしまった。
 しまった、と茶を淹れているの様子を窺うが、幸いなことに聞こえていなかったようだ。とりあえず安心した。
 しかし、食い物について自分の意見を言えないというのは、難儀なものである。せめて希望を言えればいいのだが、それはそれで今出されている菓子に文句があるようで、切り出しにくい。
 明治になって早十年。“江戸城御庭番衆御頭”という地位は消滅したものの、今でも『葵屋』の中では蒼紫は“御頭”だ。“御頭”である限り、迂闊に感情をもらすわけにはいかない。人の上に立つ立場というのも楽ではないのである。
 大福に手を付けない蒼紫に気付いて、は怪訝な顔をした。
「どうなさいました?」
「最近の菓子屋は、桜の菓子しか出さないのだろうか」
 桜に厭きていることを気取られないように細心の注意を払いながら、蒼紫は尋ねる。
 菓子を買ってくるのは、大体の役目だ。もしも蒼紫の気に入るものではなかったとなれば、彼女が罰を受けることになる。罰といっても、江戸にいた頃ではないのだから翁に叱られる程度だろうが、それでも自分が原因となるといい気分はしない。
 蒼紫の気遣いの甲斐があってか、は世間話のような軽い調子で答える。
「いいえ。桜のお菓子は数が限定されているので、手に入れるのが大変なんですよ」
 どうやらは、限定品を買ってきているのを褒めてもらいたいようである。一度や二度であれば蒼紫も褒めてやりたいが、連日となると余計な世話だ。
「手に入れるのに苦労するようであれば、普通の菓子でも構わない」
 むしろ、普通の菓子を買ってこい、と言いたいところだ。だが、そこまで言うとの努力を否定していると取られかねないので、あくまで労わっているという体裁を取って言い聞かせてみる。
 はにっこりと笑って、
「蒼紫様に召し上がっていただくものですもの。苦労なんて、とんでもない」
 蒼紫の言い方は回りくどすぎたらしく、には表面しか通じていないようだ。はっきりといえないというのは、もどかしい。
「そんなに俺に気を遣うことはない」
「蒼紫様は外に出られないのですから、こういうもので季節を感じていただきたいだけですよ」
「しかし、こう毎日探し回るのは大変だろう」
「探すのも楽しみのうちですから」
「そうか………」
 どうやっても蒼紫の真意が伝わらない。の苦労を労いつつ、やんわりと断るのは難しいものだ。
 外に出ないから菓子で季節を感じてもらいたいというの気持ちは、蒼紫もありがたいとは思う。しかし外に出なくても、窓越しの日差しや『葵屋』の庭の花木で十分四季の移り変わりを感じることはできるのだ。それに、たまにではあるが散歩くらいはしているのだから、こんなに桜菓子攻めしなくても本物の桜も見ている。
「そういえば桜が満開になっていたんですよ。もうお花見の季節なんですね」
 茶を出しながら、が話を切り出す。
「そうか」
 そんな話を振られても、蒼紫には話の広げようがない。
 蒼紫は人混みも騒がしい場所も、酒の席も苦手である。それが全部そろう花見なんて、とても出かける気にはならないし、興味も無い。
「私も行きたいなあ。次の休みくらいまでは散らないと思いますし」
「そうか」
 が行きたいと言うのなら、蒼紫は止めはしない。『葵屋』の者を誘えば、一緒に行く者もいるだろう。蒼紫以外は宴会好きな連中なのだ。
 けれど、は少し不満そうな顔をして、
「蒼紫様は行きたくないのですか?」
「ああいう騒がしい席は苦手だ」
「静かなところもありますよ」
 にしては珍しく食い下がってくる。こんなに行く気が無いことを伝えているのだから、この話題は終わりでいいと思うのだが。
 何とかはっきりと断る口実は無いものかと、蒼紫は考えを巡らせる。と、桜大福が目に入った。
「花見なら、こうやってお前が買ってきてくれる菓子でできている。これで十分だ」
「………………」
 の努力も認めたいい断り文句だと思っていたのだが、何故か打ちのめされたような顔をされてしまった。桜に飽きたと取られてしまったのだろうか。これは非常にまずい。
 蒼紫は慌てて言い直す。
「いや、決した桜を見飽きたというわけではない。家でもこうやって桜を楽しめるのなら―――――」
「飽きてたんですか………。私、全然気付かなくて………」
 図らずも本音が伝わってしまった。気持ちが伝わったのはいいことだが、よりにもよって今というのは間が悪い。
「いや、そういうわけでは―――――」
「失礼します」
 蒼紫の言葉を聞かず、は出て行ってしまった。





 が部屋に戻ると、お近とお増が先に大福を食べていた。
「あらちゃん、どうしたの、そんな顔して?」
 お増がの顔を見て、驚いた声を上げた。
「蒼紫様、お花見に行かないって。桜は見飽きたって………」
 はしょんぼりと答える。
「まあ……毎日これだしねぇ………」
 大福を食べながら、お近が苦笑した。
「毎日桜のお菓子を見てたら、本物の桜も見たくなるって思ったんですけど………」
「いや、逆にどうでもよくなるでしょ」
「だから止めたのに………」
 の言葉に、お近とお増が同時に突っ込む。
 二人の言葉に、はますますしょんぼりとした。
「せっかく蒼紫様とお花見に行こうと思ってたのに………」
 ずっと行方不明だった蒼紫がやっと帰ってきて、今年は一緒に花見に行けると楽しみにしていた。なかなか外に出たがらない蒼紫だから、普通に誘っても絶対に乗ってこないと思って茶菓子で訴えてみたのに、逆効果だったとは。
 飽きていたら飽きていたで、蒼紫も早く言ってくれればよかったのに。言ってくれれば、だって違う方法を考えていた。
「もう、普通に誘っちゃえば? 二人で行きましょう、って」
「そんなこと言えませんっ!」
 お近の提案に、は顔を真っ赤にする。
 と蒼紫は身分が違うのだから、そんな馴れ馴れしく誘うなんてできるはずがない。そういう風に誘えるような仲になりたいけれど、今はまだ無理だ。
「じゃあ、私たちがお願いしてあげるわ」
「そんなことしたら、蒼紫様が変に思います!」
 お増は親切で言ってくれているのだろうが、と花見に行ってくれと本人以外から頼むのも変な話だ。本人が誘っているわけではないのだからと、ますます断られてしまうではないか。
 自分で言うのは駄目、人を介しても駄目となっては、お近は呆れた顔をした。
「そうやって黙ってたって、蒼紫様には伝わらないわよ。もたもたしてるうちに、他の人に取られても知らないから」
「そっ……そんなこと無いです! 蒼紫様は外に出られないから―――――」
「たまには出てるでしょ。出会いって、意外なところに転がってるものよ」
「……………」
 お近の言葉に、は反論できない。確かに蒼紫は完全な引きこもりではないのだから、多少は『葵屋』以外の人間との接触はある。外の人間は蒼紫の身分を知らないから、のように遠慮なんかしないかもしれない。
 ある日突然、蒼紫が知らない女を連れて来た時のことを想像すると、はそれだけで息が苦しくなる。はずっと蒼紫のことが好きなのに、昨日今日現れた女になんか取られたくない。
 でも、女どころか他人に関心の無さそうな蒼紫に、女が付け入る隙があるのだろうか。そんな隙があったら、ももう少し誘いやすかったと思う。
「蒼紫様は近寄り難いところがあるし、女の人なんて………」
「ああいう人に限って、女に押されちゃったらコロッと参っちゃったりするのよねぇ」
 そう言って、お近は意地悪くくすくすと笑う。いつもはこんな風に絡んできたりしないのに、どうしてそんな意地悪を言うのか、には分からない。
 お近から見たら、はっきり言えずにぐずぐずしているの態度は苛々するのだろう。に苛々するのは仕方が無いとしても、蒼紫を侮辱するような言い方はないではないか。
「蒼紫様はそんな人じゃないです!」
 は力いっぱい言い返すと、部屋を出て行った。
 がいなくなった後、お増がお近を窘めるように言う。
「あんな言い方しなくったって………」
「黙ってみてるだけで振り向いてもらおうって、図々しい話でしょ。大丈夫よ、蒼紫様みたいな人は女に押されたら弱いんだから」
 軽い調子でそう言うと、お近は残りの大福を口に放り込んだ。

 黙っていても蒼紫には何も伝わらない、というのは正論だ。いつも部屋にこもっている蒼紫と話せる機会は限られているのだから、が好意を持っているなんて夢にも思っていないかもしれない。
 そんな状態で他の女が蒼紫に言い寄ったりなんかしたら、しかもその女が積極的な美人だったりしたら―――――お近ではないけれど、押し切られてずるずると流されて結婚、なんてことになったら、は寝込むなんてものではない。誇張ではなく、世を儚んでしまいそうだ。
 それくらい思っているなら、いっそ死んだ気になって、とも思うけれど、なかなかその一歩が踏み出せない。勇気を出してそれが報われるならいいけれど、断られた時のことを想像すると怖い。図々しいとか身の程知らずなんて思われたら、もう『葵屋』にいられない。
「えー、ずっと楽しみにしてたんですよぉ!」
 突然、操の甲高い声が聞こえた。玄関の方からだ。
 が駆けつけると、出かけようとしている蒼紫を引き留めて、操がなにやら訴えている最中だった。
「花見は皆で行けばいい。ああいう場所は苦手だ」
「皆じゃなくて、蒼紫様と行きたいんです!」
 何度も断られているようだが、操も挫けずに何度も訴えているようだ。断られても引き留めてまで訴えるなんて、操は凄い。お近は、にもそれくらいやれと言いたかったのだろう。
 けれど、と操は立場が違う。操は先代御頭の孫で、『葵屋』の皆は勿論、蒼紫も一目置いている存在なのだ。だったら一蹴することも、操が相手であれば、蒼紫も無碍にはできないだろう。操がそれに気付いているかは分からないけれど、こうやって無邪気に蒼紫を誘えるというのは、から見ればそれだけで“特別扱い”だ。
「だから皆じゃ駄目なんです。蒼紫様が一緒じゃないと意味が無いんです」
「………………」
 操の熱い訴えに、蒼紫は困った顔をした。さっきからずっと、こんなことを言われているのだろう。
 このままいくと、蒼紫は承諾してしまいそうだ。そうなったら、下手をしたら蒼紫と操の二人だけで花見に行くことになるかもしれない。蒼紫を口説き落とした操には、その権利がある。
 ああいう人に限って、女に押されちゃったらコロッと参っちゃったりするのよねぇ―――――不意に、お近の言葉が思い出された。今だって操に押されて花見に行きそうなのだから、操と二人だけで花見に行って押されまくったら、お近の言うようにコロッと参ってしまうかもしれない。知らない女に蒼紫を取られるのは嫌だけれど、一緒に暮らしている操に取られるのはもっと嫌だ。蒼紫と操が一緒にいるのを毎日見せ付けられるなんて、耐えられない。
「私も蒼紫様と一緒にお花見に行きたい!」
 蒼紫と操が驚いた顔でを見た。心の中で思っていただけのつもりが、声に出してしまったようだ。
 こうなってしまったら、もう後には引けない。半ば自棄になっては言う。
「私、静かな場所だって知ってます。蒼紫様と行こうと思って、いろいろ調べたし、行ったらきっと気に入ると思うし、だからっ………」
 ずっと前から蒼紫が気に入りそうな場所を調べていたのを調べていたのを伝えたいけれど、言いたいことがありすぎて上手く言えない。たかだか花見に誘うだけなのに、馬鹿みたいに興奮して必死になって、蒼紫も操も引いているのが分かる。
 二人に引かれようが、鞘は止まらない。今までのことや今日のことも思い出して、半泣きになって話を続ける。
「毎日桜のお菓子を買って、蒼紫様がお花見に行きたいって思ってくれたらって思ったけど、逆効果だったみたいだけど、でも私、蒼紫様とお花見に行きたかったから―――――」
「わかった、わかったから」
 興奮してわけが分からなくなってしまったの言葉を、困惑したように蒼紫が遮る。
「次の休みには花見に行く。それでいいだろう」
「本当ですか?!」
 喜んで行くという様子ではないけれど、蒼紫が行くと言うのなら、それだけでは嬉しい。きっかけは仕方なくでも、一緒に行くことができれば今より一歩進めるはずだ。
 勇気を出して押しまくってよかった。この調子で押していったら、お近の言う通り蒼紫もコロッと参ってくれるかもしれない。





ちゃんたちとお花見に行くことにしたそうですね」
 買い物から帰ってきた蒼紫に、お近が声をかけてきた。
「もう聞いたのか」
 蒼紫の表情は何となく冴えない。に強引に誘われて承諾したのは一目瞭然だ。
 いつもは大人しいがあんなに必死に誘ってきたら、断りづらいに決まっている。泣かれたら後々面倒なことになるし、部下の望みを聞いてやるのも人の上に立つものの役目だ。
ちゃん、喜んでましたよ。よっぽど蒼紫様と一緒に行きたかったんですね」
「そうか………」
 半泣きで訴えていたのだから、よほど蒼紫と行きたかったのには違いない。連日の桜菓子攻撃も、このためだったとも言っていた。なぜ一緒に行くことに拘っていたのかは蒼紫には分からないけれど、そんなに必死になることかと思う。
「楽しみですねぇ、お花見」
「うーん………」
 押されまくって思わず承諾してしまったのだから、楽しみとか楽しみじゃないとか、それ以前の話である。蒼紫は微妙な顔で唸った。

<あとがき>
 お菓子に飽きたら一言言えよ、蒼紫……。人の上に立つのは楽ではないのだなあ。何となくですが、蒼紫は地味に他人に気を遣う人だと思います。
 蒼紫は女に押されたら弱いタイプのようなので、主人公さんには引き続き押しまくってもらいたいものです(笑)。
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