コンプレックス

「なんだ、また縁談か?」
 翁の文机に置かれている封筒をちらりと見て、蒼紫が尋ねた。
「ああ。これが乾物屋の『大嶋屋』の分で、こっちは『春日』とかいう料亭の分。どっちも跡取り息子じゃよ。もまだまだ捨てたもんでもないのう」
 そう言って、翁は楽しそうに笑う。
 もかつては御庭番衆として、蒼紫と共に働いていたくの一だった。今はもうその面影は殆ど無いし、蒼紫と同い年だから世間的には嫁き遅れの部類に入るけれど、働き者で控え目で、尚且つ美人で健康となれば、まだまだ良い結婚話が舞い込んでくるようなのである。
 この二人の他にも近所の大店やら取引先からも引く手あまたで、翁としてもこんな分不相応な縁談が舞い込んでいるうちにどこか適当な所に縁付かせてやりたいのだが、肝心のが首を縦に振らないから困っているのだ。どこの家も、『葵屋』の使用人が大店の若女将になれるのだからこんな良い話を断るはずが無いと自信を持っているのだから、尚更だ。
 がどんな玉の輿な縁談も断っている理由は、大体察しが付いている。
「お前もそろそろ決めてやったらどうじゃ? 儂も断りの文句を考えるのに疲れたぞ」
 ニヤニヤと笑いながら、翁はからかうように言う。
 実はと蒼紫は、随分前から親しい間柄になっているのだ。まだ結婚がどうこうというところまでは行っていないようだが、二人とも歳も歳だし、ゆくゆくはそうなるはずだ。というか、そうなって欲しいと翁は思っている。
 確かにには玉の輿と言っても良い縁談がいくつも舞い込んでいるけれど、世の中には釣り合いというものがある。分不相応な大店に嫁がせて苦労するよりは、幼い頃から共に育った蒼紫と娶わせてやった方がにとっても自然で幸せなことだと翁は思うのだ。
 翁の言葉に、蒼紫は明らかに動揺したように視線を逸らす。一つ屋根の下で暮らしているのだから、隠しても隠し切れないことは解っているのだが、それでも面と向かって言われるのはかなり恥ずかしい。
 何より恥ずかしいのは、二人の仲を深く追求されることだ。翁は二人の仲がかなり進展していると思い込んでいるようだが、実はそうではないのだ。この歳の男女では信じられないことだろうが、こんなにも長い付き合いにも拘らず、まだ接吻以上の関係に進んでいないのである。
 別に蒼紫だって、何もせずに手をこまねいているわけではない。それらしい雰囲気に持ち込んで、一気に関係を進展させようと四苦八苦しているのだが、が強固に拒否するのだ。
 まあ、女の身になってみれば、それも当然のことなのかもしれないとは、蒼紫も思ってはいる。昔とは違い、西洋の価値観の影響で、結婚前にそのようなことをするのはふしだらなことだということになってしまったので、も最後の一線は守ろうとしているのだろう。それは理解できる。蒼紫が解らないのは、それなら結婚しようと言っても、結婚も嫌だと頑なに言い張ることだ。
 こう言っては何だが、二人ともいい歳だし、付き合いも長いのだから、そろそろ収まるところに収まっても良い頃だ。自分で言うのも何だが、蒼紫のように幼い頃からずっと一緒にいて、お互いの過去も何もかも知って、尚且つ全てを受け入れられる男など、何処にもいないのだ。のような普通ではない女には、蒼紫くらいしか釣り合う男はいないと思う。それは自身もよく解っているはずだ。
「まだはその気にはなれんらしい。ま、こればかりは周りが何を言っても無駄だからな」
「それはお前の押しが足りないか、一生を託すに足りる男だとが思い切れないかのどちらかじゃな。情けない」
 大げさに溜息をつく翁の言葉にも一理あるような気がして、蒼紫は反論も出来ずに押し黙ってしまうのだった。





 縁談がまた来たと翁に言われて、は一日中憂鬱だった。どうして周りの人間たちはに結婚しろとい煩くせっつくのだろう。
 脱衣所で着物を脱ぎながら、は小さく溜息をつく。ただでさえ一日の中でこの瞬間が一番憂鬱なのに、縁談があったと聞かされた日にはますます憂鬱になる。
 裸になると、身体のいたるところに大小の傷跡がある。その殆どは刀傷で、御庭番衆だった頃に受けたものだ。かなり薄くなっているものもあるけれど、地の肌が白くてきめ細かいだけに薄いものもかなり目立つ。
 特に酷いのが、肩から胸にかけて走る刀傷だ。もう10年以上前に受けたものなのに、今でも生々しく桃色に肉が盛り上がった醜い傷跡だ。この傷跡がある限り、自分の身体は誰にも愛されることは無いとは思っている。
 これまで求婚してきた男たちはの過去を知らないから、妻に迎えたいと思っているのだ。大人しくて働き者の姿しか知らない彼らが御庭番衆だった過去を知ったら、きっと潮が引くようにから去っていくに違いない。それで去って行かなくても、この傷跡を見たら恐れをなして逃げていくだろう。だって自分が男だったら、こんな醜い傷を持った女を抱くことなんて出来ない。
 蒼紫だって、きっとそうだ。結婚しようと言ってくれるけど、それは着物の上からしかの身体を見たことがないから言えるのだ。蒼紫だって普通の男なのだから、傷だらけの身体の女よりも、綺麗な身体の女が好きに決まっている。
 は傷跡を指先ですっとなぞってみた。生々しい色をしているが、痛むことはもう無い。でもそのもっと奥はいつも鈍く痛んでいる。
 縁談が来たことは、多分蒼紫にも伝わっているだろう。今夜は会いたくないなあ、とは溜息をついた。





 どうでも良いと思っている時は会わないまま部屋に戻れるのに、会いたくない時に限ってばったりと顔を合わせてしまうものだ。今夜も例外ではなく、廊下でうっかり蒼紫と鉢合わせてしまった。
「あ………」
「丁度良かった。話があるから部屋に来い」
 気まずそうに固まっているの様子など気にも留めず、蒼紫は彼女の手首を掴んで引っ張る。
「今日は疲れているから、明日にして」
 気まずそうに俯いて、は小さな声で抵抗する。どうせ話すことは解っているし、疲れているのも本当だった。
 が、蒼紫は無言での手を引っ張ると、無理矢理自分の部屋に連れ込んでしまった。
「また縁談が来たそうだな」
 襖を閉めながら、蒼紫があからさまに不機嫌な声で言った。向こうから勝手に来る話で、には一つの非も無いのは解っているのだが、つい責めるような口調になってしまう。
 こういう風に言われるのが嫌だったから、蒼紫には会いたくなかったのに。またいつものようにぐだぐだと責められるのかと思うとうんざりして、も不機嫌そうに顔を背ける。
「別に、私が頼んで持ってきてもらってるわけじゃないし………」
「お前がいつまでも独りでいるから、周りが持ってくるんだろうが。だからそろそろ身を固めろと言ってるんだ。俺の何が不満なんだ?」
 ふてくされたの態度が蒼紫をますます苛立たせて、つい口調も荒くなってしまう。そんな言い方をすればますますが頑なになってしまうのは解りきっているのだが、自分でもどうしようもないのだ。
 自分の苛々をぶつけるように、蒼紫は言葉を続ける。
「もっといい男が出てくるかもしれないと思って、俺と一緒になるのを嫌がっているのか? そりゃあ、大店の若旦那との見合い話が次々来るから、もっといい相手も見付かるかもしれないだろうな。周りが縁談を持ってくるのも、本当はお前がもの欲しそうな顔をしているから―――――」
 蒼紫の言葉は、の平手打ちで中断された。
「何も知らないくせにっ………!」
 ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、は絞り出すような声で言う。
 に縁談が来るのを、蒼紫が不快に思うのは解らないでもない。だって、蒼紫に見合いの話が来たら凄く嫌だと思う。だから多少責められるのは、お門違いだとは思うけれど、仕方が無いと思っていた。だけど、“もの欲しそうな顔をしている”とまで言われてしまうなんて。言葉のアヤだったのかもしれないけれど、でもその言葉が出てくるということは蒼紫にはの様子がそう見えていたということだ。
 もの欲しそうな顔なんか一度だってしたこと無い。それは誰の前でも胸を張って言える。嫁いでいく近所の娘たちを羨ましく見ていたことはあるけれど、でもは誰とも結婚できない身体なのだし、蒼紫だっているのだから、縁談を持ってきて欲しいと思ったことは一度だって無いのだ。
「私は誰とも結婚しないの! 蒼紫とも他の誰ともしない! できないもん!」
 子供のように泣きじゃくりながら、は癇癪を起こしたような金切り声を上げた。
 は蒼紫しか好きじゃないから、他の誰とも結婚はしない。そして、この身体を見られて嫌われたくはないから、蒼紫とも結婚できない。結婚できなくても、蒼紫が他の誰かと結婚することがあっても、嫌われさえしなければずっと傍にいられる。女としての普通の幸せを望める身体ではないのだから、どんな形であっても蒼紫の傍にいられることだけでも幸せと思わなければいけないのだ。
………」
 泣きじゃくるに、蒼紫がそっと手を伸ばす。が、その手もは撥ね退けた。
「………悪かった。言い過ぎた」
 縁談が来た夜は、いつもこうやってを泣かせてしまう。が悪いわけではないのは解っているし、彼女がなじられる筋合いではないのは解っているのだが、それでもそれを止めることが出来ないのだ。いつもなら自分を抑えることが出来るのに、この件だけは感情が迸るままににぶつけて、最後にはこうやって泣かせてしまう。そして、自分は最低の男だといつも思い知らされてしまうのだ。
 蒼紫に詰られた後、は必ず“自分は誰とも結婚できない”と言う。それが蒼紫には全く解らない。は心身ともに健康だし、容姿にも性格にも何一つ問題は無いのだ。それどころか、分不相応な縁談がひっきりなしに来るくらいである。何を根拠にそんなことを言っているのかは解らないが、結婚できないということはないはずだ。こんなに誰からも望まれているというのに。
 だからこそ、蒼紫との結婚を断り続けるのも駄々をこねているとしか思えないのだ。断られる度に、他にいい男が現われたらそっちに乗り換えるつもりでいるのではないかと、疑心暗鬼になることさえある。が最後まで許さないのも、いつか現われるかもしれない“もっと条件のいい男”と結婚するために取っておいているのではないかとさえ思えてくる。だから新しい縁談が持ち込まれる度に、自分を抑えられなくなってしまうのだろう。
「でもお前がいつまでも誰とも結婚しないから、みんなが心配するんだ。一生独りでいるわけにはいかんだろう。女が一生一人でやっていけるほど、世の中は甘くないんだぞ?」
「それでも良いもん」
 懐柔するような蒼紫の柔らかな声にも、は突っ撥ねるようにいじけた声を出す。すっかり意固地になって、蒼紫の言葉には一切耳を貸さないといった様子だ。
 毎度のことながら、こうなってしまったらもうお手上げである。何を言っても「それでも良い」とじゃ「別に」とか、いじけた反応しかしなくなってしまうのだ。蒼紫は半ば呆れたように不快げな溜息をついた。いつもなら此処でお互い押し黙って、蒼紫の方が席を立って終わってしまうのだが、今日はそうはいかない。昼間、翁に煽られたということもあるが、いつまでもこうやってずるずると問題を先延ばしにするわけにはいかないのだ。何が原因でが結婚できないと思い込んでいるのか、今夜こそはっきりさせたかった。
「どうしてそんなに結婚するのを嫌がるんだ? 俺ともしたくない、でも他の男ともしないなんて、いつまでもそんなことが通るわけないだろう。翁も口では何も言わないが、お前の行く末を心配しているんだぞ」
「誰も心配してなんて頼んでない。私のことなんか放っておいてくれれば良いのに」
 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、はいじけた子供のようなことを言う。
 周りが真剣に心配しているというのに、そんな言い草とは。放っておけるものなら最初から誰も心配しないし、蒼紫だってとっくにと別れている。それができないから、こんなことになっているのではないか。
 あまりの言い草に、蒼紫も流石にカチンときて、思わず大声を出してしまった。
「放っておけないから言ってるんだ! 何が不満なんだ?! 何が嫌なんだ?!」
 突然の大声に、はビクッと身体を震わせて、怯えたような上目遣いで蒼紫を見る。すっかり萎縮してしまって、声も出ないようだ。
 滅多に声を荒げない蒼紫がこんな大声を出したら、が怯えてしまうのは当然だ。気の弱い小動物のようにびくびくしている姿にはっとして、蒼紫は自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をした。そして、少し声音を柔らかくして、
「何も知らないくせに、と言われても、言ってくれなければ何も解らないだろう。何が嫌なんだ?」
「………だって………」
 まだ怯えているようにもぞもぞと膝の上で指を動かしながら、は言いにくそうに口を開いた。
「結婚したら……その……ああいうことをしなきゃいけないんでしょ?」
「………え? あ、ああ……まあ、うん………。そりゃあ、夫婦だからな。それなりには………」
 いきなり何を言い出すのか。まさかそんな質問が来るとは予想していなくて、蒼紫はあからさまに動揺してしまった。
 もしかして、そういうことをするのが嫌で、結婚するのも嫌がっていたのだろうか。まあ10代の娘には、ああいうのは不潔っぽくて嫌だとか、怖いとか言う者もいるけれど、はもういい歳をした大人の女である。今更そんな、汚いだの怖いだの思っているなんて信じられない。
「………もしかして、それが嫌なのか?」
「だって、そうなったら蒼紫、私のこと嫌いになるもの………」
「………は?」
 ますます何を言っているのか、蒼紫には解らない。そういうことをして、親しみが増すことはあっても、嫌いになることなんてありえない。それとも、蒼紫のことを身体だけが目当ての男だと思っているのだろうか。身体だけが目当てだったら、結婚しようなどとは言わないのに。
 そんなにも信用されてなかったのかと思うと、腹が立ってきた。そう思っているには勿論腹が立つし、そう思わせていた蒼紫自身にも情けなくて腹が立ってくる。けれど、大声を出せばまたが萎縮してしまうから、感情を抑えた声で静かに言った。
「何を………嫌いになるわけないだろ。どうしてそんなこと………」
「なるよ! 絶対になる!」
 蒼紫の言葉どころか、存在そのものを突っ撥ねるように、は強く断言した。
 その口調に、感情を抑えようと決心したのも束の間、蒼紫は再び声を荒げる。
「なるわけないだろ! 今よりも好きになることはあっても、嫌いにはならない!」
「何も知らないくせに、綺麗事なんて言わないで!」
「綺麗事なんかじゃない! 絶対に嫌いにならない!」
「じゃあ、これでも?!」
 感情的な言い争いで気が昂ぶったのか、は浴衣の袷に手をかけると、一気に左右に広げた。肩をずり下げられ、白い胸元が露になる。
 白い肩から胸にかけて、桃色の刀傷が大きく走っている。他にも薄くなったものや小さな傷跡はあるけれど、それらの存在を打ち消してしまうほどの存在感を持った傷跡だ。
 あまりにも痛々しげなその傷跡に、蒼紫は思わず目を瞠ってしまった。その表情の変化を察して、はどこかが痛むようにぎゅっと目をつぶる。
 これで何もかもが終わった、とは思った。この傷を見たら、100年の恋だって冷めてしまうに決まっている。現に蒼紫だって、表情を変えてしまったではないか。どんなに好きと言ったって、この傷跡を目の当たりにしたら、そんな気持ちだって嘘のように消えてしまうだろう。こんな醜い傷のある身体を愛せるわけがないのだ。
 でも蒼紫の口から別れの言葉を聞くのだけは避けたくて、せめて別れだけは自分から言おうとが口を開きかけた刹那、温かなものが傷口を優しくなぞった。
 びっくりしてゆっくりと目を開くと、蒼紫が悲しそうな目をして指先で傷跡を撫でていた。
「この傷………こんな大きな痕になってたんだな」
 この傷は、蒼紫が御庭番衆の御頭になる直前の頃に受けたものだ。蒼紫とが二人で江戸城に忍び込んだ賊を成敗しようとした時、蒼紫が不意打ちで襲われたところをが盾になって守った時に出来た傷なのだ。あの時、は三日三晩生死の境を彷徨ったが、奇跡的に一命を取り留めて今に到るのである。
 蒼紫のせいで出来てしまった傷跡が、こんなにもを苦しめていたとは。本来ならこの傷を盾に結婚を迫るのが道理であるはずなのに、この傷があるから蒼紫に嫌われてしまうと思い込んでいたとは。今まで気付いてやれず、それどころか時には罵ったりまでした自分の愚かさが情けなくて、蒼紫は奥歯を噛み締める。
「すまない。俺のせいでこんな………。お前をこんなにも苦しめていたなんて知らなかった」
「………汚いって思わないの?」
 この傷を見たら引いてしまうと思っていただけに、まさか謝られるとは思わなくて、はきょとんとした頼りない声を出した。
 さっきまでの癇癪を起こした顔とは全く違う、子供のような表情に、蒼紫は思わず小さく笑ってしまった。
「俺を守って出来た傷なのに、そんなこと思うわけがない」
「この傷以外にも、いっぱい傷跡があるのよ? 綺麗な肌の部分なんて、一寸しかないのよ? 見たらびっくりするくらいあるんだから」
「傷跡は、俺だって沢山ある。今更お前の傷跡なんか見ても驚かない」
「男と女は違うわ」
 唇を尖らせて、は拗ねたように言う。傷だらけの身体に対する劣等感は根が深いらしい。確かに、男の傷は場合によっては過去の武勇伝の一つになるけれど、女にはただの疵でしかないのだから、それも仕方が無いことなのだが。
 さっきまでは拗ねた様子もいじけているようにしか見えなくて苛立たしかったけれど、今はそんな様子が可愛らしくも映るから不思議だ。蒼紫はの両肩に優しく手を添えると、耳元で優しく囁いた。
「じゃあ、そんなに心配なら見せてみて。全身の傷を見ても驚かないから」
 その言葉に、は一瞬で真っ赤になって身を硬くした。生娘らしいその反応が可愛らしくて、蒼紫は喉の奥で小さく笑う。その笑い声にも、はますます緊張したように身を硬くする。
 ふるふると小さく震えているを見ていたら、もっと苛めてみたいという意地悪な気持ちが蒼紫の中で湧き上がってきた。子供が小さな生き物をいたぶりたくなるような気持ちだ。可愛い生き物が怯える様子を見てみたいという残酷な気持ちに似ている。
 肩を抱いたまま、蒼紫はの傷跡にそっと唇を触れさせてみた。びっくりしたように、の身体が大きく跳ねる。
 口付けたままそっとの様子を窺うと、頬を紅潮させてきゅっと目をつぶっている。声が出そうなのを堪えるように真一文字に唇を結んでいる様を見ていたら、今度は声が聞きたくなって、蒼紫は指先を浴衣の中に滑らせた。
「………やっ……だめ……」
 吐息のような小さな声を漏らして、は侵入してくる蒼紫の手を制するように掴んだ。
「今日はまだ………。もう少し待って」
 今にも涙が零れ落ちそうな潤んだ目で、は蒼紫を見詰める。疵なんか気にしないと言われたからといって、はいそうですかとすぐに出来るものではないのだ。特に初めての時は、女には心の準備とか色々あるのだし。
 の言う“もう少し”がどれくらいのものかは見当もつかないけれど、でも今のの表情を見ていたらそう遠い先のことではないだろう。これまでの強固な拒絶とは違って今日の拒絶は、拒絶であって拒絶ではないのだ。
 だから蒼紫も優しく微笑んで、浴衣の乱れを直してやる。
「明日になったら翁に、縁談を持ってきた人には“には決まった人がいるから”と伝えるように言いに行こう。それは良いだろう?」
 それはつまり、近いうちに蒼紫と結婚するというのを周りに宣言することだ。相手はちゃんとしたところの跡取り息子が殆どなのだから、断るための方便ということは許されない。これを宣言したら、本当に蒼紫と結婚することになるのだ。
 この傷跡を蒼紫は受け入れてくれたけれど、だからといってすぐに結婚はできないと思う。蒼紫が受け入れてくれてもまだの中に劣等感が残っていて、それを整理するまでは彼の妻になることはできない。でもそれも、蒼紫が傍にいてくれたら、きっと何とかなるだろう。
 いつになるか判らないけれど、でもいつかきっと蒼紫と結婚する。そう思えることが嬉しくて、は頬を紅く染めて、小さく頷くのだった。
<あとがき>
 Web拍手のコメントで戴いた「古傷だらけの身体に劣等感を持っている主人公と蒼紫」というリクエストを受けてのドリームです。しかし少しはタイトル捻れ、自分! タイトル考えるの苦手なんですよ。
 まあ、女の子の身体に大きな傷跡があるというのは、やっぱり根深いコンプレックスになりますよね。傷跡ではなくても、大きな黒子とか痣とか。実は私、未だに蒙古斑(赤ちゃんのお尻にあるアレです)があるんですけど、やっぱり水着にはなれないです。パンツから出る位置にあるんですよ、これがまた。普通、大人になったら消えると言いますけど、来年30の大台に乗るんですけど、私(つか、大台に乗るのにこんなことをしてる私って一体……)。
 しかし後半、危うく裏に突入しそうになって、「お前、何やってんだよ?!」と思わず蒼紫に突っ込み。傷跡に妙なエロスを感じている私が一番悪いんですけどね。服の下にある傷跡を見せるという行為は、何かエロっぽくないですか? そう思うの私だけ?
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